2787話
奴隷の首輪を外すというのは、そう簡単な話ではない。
この世界において、奴隷というのは非常に大きな意味を持っている。
借金奴隷のような者であれば、その借金分の仕事をすれば奴隷から解放されるので特に問題はないが、犯罪奴隷は鉱山であったり、戦闘であったり……場合によっては、魔法や新薬の実験にされたりといったようなことも珍しくはない。
日本の……あるいは地球の常識で考えれば残酷だと思っておかしくはないのだが、この地ではそれが必要である以上、レイはその件に関しては何も言うつもりはない。
そもそも、レイは盗賊を捕らえては奴隷として売り払っているのだから。
そのような奴隷だけに、当然だが奴隷の首輪というのは重要な意味を持つ。
それを外すことが出来る者も、そう多くはない。
しかし、風雪なら……このエグジニスにおいて最大の暗殺者ギルドであれば、その力を使ってどうにか奴隷の首輪を外す者を用意出来るのではないかと思っていたのが、まさか一晩でそのような人物を用意するというのは驚きだった。
「ここで……この首輪が外れるのか……」
違法な手段で奴隷にされた男の一人が、自分の首に嵌まっている首輪を触りながら呟く。
ドーラン工房の地下室に軟禁されている時は、もう駄目だと思っていた。
それこそ、誰にも知られずにここで死んでいくのではと。
……実際には、人知れず死ぬどころかネクロマンシーによって魂をゴーレムの核の素材にされるところだったのだが、その辺は知らなかったのが精神的に幸いした。
もし知っていれば、それこそいつ自分が殺されるか……いや、それどころか自分の魂がゴーレムの素材として使われるかと、眠ることすら出来なくなっていただろう。
ともあれ、そんな違法奴隷達の奴隷の首輪を外すのだから、それを喜ばない訳がない。
最悪……本当に最悪の場合、未だにアンヌ達に命令権を持っている者がここに姿を現した場合、その相手の命令に逆らうことが出来ず、強制的に動かされていた可能性もあるのだ。
「では、一人ずつどうぞ」
「……え? 全員一気にやるんじゃないのか?」
風雪のアジトにある一室。
奴隷の首輪を外す光景を見たいとそこにやって来ていたレイは、奴隷の首輪を外す人物の助手らしき男の言葉に、そう尋ねる。
てっきり全員の奴隷の首輪を一斉に解除するのだとばかり思っていただけに、一人ずつというのは予想外だったのだ。
「聞いた話では、奴隷になった場所や、奴隷首輪を嵌めた人物もそれぞれ違うということですから。そうなると、外すのも全員一緒という訳にはいかないんですよ」
「つまり、外す手順とかそういうのが人によって違うのか?」
「そんな風に思って貰って構いませんよ」
その言葉に、恐らく他にも何かがあるのだろうとは思ったレイだったが、別にここで無理に問い詰める必要もないだろうと、それ以上突っ込むような真似はしない。
「では、まず誰からにします?」
「私からお願いします」
助手の言葉に真っ先にそう言ったのは、アンヌ。
風雪のアジトの掃除や片付けといった仕事をしていたのだが、奴隷の首輪の件で当然ながらここに呼び出されたのだ。
そんなアンヌが真っ先に自分の奴隷の首輪を外して欲しいと希望したのは、見ていた者にとっては驚きだった。
アンヌと親しいリンディは、寧ろ納得した様子を見せていたが。
とはいえ、助手の男にしてみればそんなアンヌの性格など分からない以上、特に驚いた様子を見せずにその言葉に頷く。
「分かりました。では、こちらに」
助手の言葉に従って男の近くまで移動すると、その男はアンヌの首に触れ、小さく何かを呟く。
その言葉が一体何を意味してるのかは、レイにも分からない。
分からなかったが、それでも今の状況を思えば必要なことなのだろうというくらいは理解出来た。
そして呟くのが終わると、次の瞬間には一瞬奴隷の首輪が光り……気が付けば、アンヌの首に嵌まっていた奴隷の首輪は外れていた。
『おおおおおおおおおおお!』
それを見ていた、違法奴隷達の口からは驚愕の声が上がる。
自分達の首に嵌まっていた、忌々しい奴隷の首輪。
それがこうして外れたのを、実際に目にすることが出来たのだから当然だろう。
奴隷の首輪は外せると聞いていたし、実際にその為にこうしてここに集まったのは間違いない。
だが……それでもこうして実際に目の前で奴隷の首輪が外れる光景を見ることが出来たというのは、集まった者達を驚かせるには十分だった。
奴隷の首輪を外せる者を用意したという話を聞いても、その言葉を完全に信じるといったような真似は出来なかった。
出来ると言われても、本当にそうなのか? と疑問を抱いてしまうのは仕方のないことなのだろう。
奴隷にされた者達の気持ちを考えれば、そのように思うのは当然の一面もあった。
だが、実際に目の前で奴隷の首輪が外される光景を見ると、それを見た者達の顔には希望が浮かぶ。
そして……やがて一人の男が前に出る。
「じゃ、じゃあ……次は俺の奴隷の首輪をお願い出来ますか?」
「構いませんよ。こちらに」
助手の男の言葉に従い、男は先程アンヌのいた場所に向かう。
なお、そのアンヌは奴隷の首輪が外れたことを、リンディやカミラと共に喜び合っていた。
(ああ、そう言えば……カミラもいたんだよな。すっかり忘れてた)
リビングや部屋にいなかったので、カミラのことをすっかりと忘れていたレイ。
実際にはカミラはリンディやアンヌと一緒に、風雪のアジトの掃除をしたりといったような真似をしていたのだ。
カミラにとって、暗殺者ギルドという存在には色々と思うところがあるのは事実だが、それでも自分達を助けてくれたのは間違いない。
それだけに、少しでも恩返しをしたいと思ってもおかしくはなかった。
一人だけでそのような真似をするのかと言われれば、その答えは否だろう。
しかし、アンヌやリンディと一緒なら。
そう考えてもおかしくはない。
アンヌ達が喜んでいるのを眺めていると……
『おおお』
再び驚きの声が上がる。
先程よりは小さいものの、それでもやはり目の前で奴隷の首輪が外されたというのは、二度目であっても驚くべきことなのだろう。
そうしてアンヌや二番目の男の奴隷の首輪が外されると、そこからはスムーズに話が進む。
次々と奴隷の首輪が外されていくその様子は、どことなく目を奪われるものがある。
「レイさん、ありがとうございました」
そんなレイに、リンディやカミラと奴隷の首輪が外されたことで喜び合っていたアンヌがやって来ると、深々と頭を下げる。
「俺にそんな風に言われてもな。そもそも、アンヌが違法奴隷にされたと知らせたのはカミラだし、それを助ける為に動くと決めたのはリンディだ」
「それでも、レイさんがいなければ、私は今こうしてここにいることは出来なかったでしょう」
「それは……まぁ」
普通ならここで謙遜をしたりするのかもしれないが、ここで謙遜をしたら、それはリンディに対する嫌味でしかない。
実際にもしレイが協力せずにリンディだけでドーラン工房に潜入していた場合、リンディは恐らく壁を越えようとしたところで罠に引っかかっていた可能性が高い。
あるいはどうにかしてその罠を乗り越えても、イルナラを始めとする非主流派のゴーレムによって捕まっていたか……最悪の場合は死んでいただろう。
そう考えると、やはりリンディだけではアンヌを助け出すといった真似はまず不可能だった。
だからこそ、ここでレイがアンヌの言葉に謙遜するのはリンディに恥を掻かせることに等しい。
リンディも決して弱いという訳ではないが、リンディの実力はあくまでも平均的なものでしかなく、レイのように圧倒的な力は持っていなかった。
「そうでしょう。ですから、改めてお礼を言わせて下さい」
そう言われると、レイとしてもアンヌの言葉に否と言う訳にもいかない。
「分かった。なら、その感謝の言葉は素直に受け取っておく。けど、リンディやカミラにも感謝の言葉は言った方がいいぞ?」
「ええ、そっちももう十分に言ってますから。特にカミラには感謝の言葉以外にも、危険な真似をした件できっちりと言っておきました」
「あー……うん。そうか」
アンヌの迫力のある笑みに、レイはそう言うしかない。
カミラが命懸けでエグジニスまでやって来たから、アンヌの件をリンディに伝えることが出来て、その場にレイも一緒にいたので協力するという流れになったのは間違いない。
間違いないが、その命懸けという点でアンヌはカミラを素直に褒めるといった真似だけでは出来なかったのだろう。
実際、カミラが無事にリンディのいる場所に辿り着いたのは奇跡的な確率なのは間違いない。
ちょっと何かが違っていれば、カミラはエグジニスに到着する前に死んでいただろう。
そんなアンヌの気持ちも理解出来た……というのもあるが、ここでカミラを庇うような真似をした場合、自分もまたアンヌに小言を言われるのではないかと判断し、レイは黙り込む。
……とはいえ、カミラも叱られてからそれなりに時間が経っているせいか、今は特に何も気にしていないようだったが。
いや、気にしていないというよりはアンヌが嵌めていた奴隷の首輪が外れたことを喜んでいるように思える。
(取りあえず、その辺は俺が特に何かを言う必要はないか。本人達が納得してるなら、それで構わないし)
下手に首を突っ込まない方がいいだろうと判断したレイは、話題を逸らす。
「そう言えば風雪の家事手伝い……掃除とかをしてるらしいけど、問題はないか? 孤児院で掃除したりするのとは、色々と勝手が違うだろ?」
「最初は少し戸惑いましたけど、慣れて見ると風雪の人達も色々と助けてくれますから」
「それは……また……」
アンヌの口から出たのは、レイにしてみれば完全に予想外の言葉だった。
風雪の人達……それはつまり、暗殺者だ。
勿論風雪に所属している全員が暗殺者という訳ではないのだが、それでもやはり大半が暗殺者なのは間違いない。
アンヌに協力を申し出た者の中には、間違いなく暗殺者が混ざっている筈だった。
ましてや、レイは暗殺者達に不満を持たれている。
そうである以上、やはり暗殺者がアンヌに友好的だったというのはかなり驚くべきことなのは間違いない。
「どうかしましたか? 皆、優しい人でしたよ?」
「……うん。そういう連中もいるんだろうな」
アンヌの顔立ちは整っている。
美人というよりは可愛いといった顔立ちだったが、暗殺者達の中にはそんなアンヌと仲よくなりたいと考えた者もいたのだろう。
レイにしてみれば、風雪の交渉を担当しているニナも十分魅力的に思えるのだが。
(とはいえ、交渉を担当しているということは風雪の幹部の一人なのは間違いない。暗殺者とはいえ、構成員の一人がそう簡単に言い寄れる筈もないか)
自分の上司に言い寄ったり、口説いたり……そういう真似は、そう簡単に出来るものではない。
ましてや、風雪は普通の商会ではなく、暗殺者ギルドなのだ。
そのような場合、下手な真似をすればその失敗を命で支払うといったようなことになってもおかしくはないだろう。
実際にはそこまで厳しくないのかもしれないが、レイはそのように思ってしまう。
そんな訳で、ニナよりもアンヌの方が口説きやすい相手だと風雪に所属している者達が考えてもおかしくはない。
あるいは、アンヌではなく一緒に行動しているリンディの方に興味を持ってるのかもしれなかったが。
「取りあえず、風雪で働いていても今のところは問題はないってことだな。……なら、俺からは何も言うことはない。けど、風雪は暗殺者ギルドだというのは忘れるなよ。下手に秘密を知れば、それこそ孤児院に行くといったような真似も出来なくなるぞ」
「そ、それは……」
レイの言葉にアンヌが戸惑う。
アンヌにとって、あくまでも自分の居場所は孤児院なのだ。
今こうして風雪のアジトで掃除をしたりしているのは、あくまでも風雪に対する感謝の気持ちであったり、あるいは匿って貰っているものの、その間に何もしていないのが耐えられないから、というのが大きい。
「まぁ、無理をして深い事情を知ったりしなければいいんじゃないか? その辺はしっかりしておけば、そこまで問題はないと思うぞ」
レイのその言葉に、アンヌはしっかりと頷く。
とはいえ、レイもそこはリンディがいるので、そこまで気にするようなことはないと思っていたのだが。
「はい。そうならないよう、しっかりと注意して働きますね」
アンヌはそう言い、しっかりと頷くのだった。