2786話
ソファで寝転がったレイを見て、リビングにいた者達はそれぞれ顔を合わせる。
レイの言葉は、自分達から風雪に所属している者達に近づけというものだった。
実際、ここにいる者達は風雪に感謝していない訳ではない。
それでも今の状況を思えば、やはり怖いという思いが最初に来てしまうのは当然だった。
ここにいるのは、レイのように強くもなければ、暗殺者という存在とは今まで接したことがないような者達だ。
そのような者達だからこそ、余計に風雪に所属している相手に忌避感を抱くのだろうが。
「おい、どうする?」
「どうするって言ったって……相手は暗殺者だぞ? それこそ、アンヌは何でそんな相手にあっさりと歩み寄ったり出来るんだ?」
「けど……俺達は守って貰ってるんだぞ? なら……」
その言葉を聞き、何人かはやる気を見せ……まずは扉の外にいる人物と話すべく行動を開始する。
そんなやり取りは、当然ながらソファで横になり、目を瞑った……そして寝た振りをしていたレイの耳にも聞こえてくる。
(取りあえず、これでよし。風雪との関係は良好にしておくに越したことはないしな。これで少しでも風雪の面々がこの連中の為に動いてくれれば……どうだろうな)
その辺を狙っての先程の言葉だったのは間違いないが、だからといって風雪がレイの思った通りに動くのかと言われれば、その答えは微妙なところだろう。
あくまでもレイとしては、そうなったらいいなといった程度でしかない。
それでも何もやらずに、この部屋に閉じ籠もっているだけよりはマシなのは間違いなかった。
誰にも会わず、こうして仲間内だけで一つの場所にいるだけというのは、悪い方向に考えが進みやすい。
だからこそ、今のこの状況においては積極的に外に出るようにした方がいいのだ。
そんな風に思い、少し昼寝でもするかと思ったところで……
「う……うう……」
「っ!?」
突然聞こえてきた声に、今にも眠りに就きそうだったレイは即座に反応する。
今の声からして、恐らく敵だろう。
そう思い、起き上がりながらミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出そうとしたのだが……声を発しているのが敵ではなく、ましてやアンデッドか何かの類でもないことに気が付くと、武器を取り出すのを止める。
正確には、アンデッドではないものの、動きそのものはアンデッドに近い。
「あー……うん。そこまで筋肉痛が酷いのか」
「う……ああ……身体が全く動かない……」
そう言ったのはイルナラの仲間の錬金術の一人。
まるでゾンビか何かのように、非常に動きにくそうな様子で歩いていた。
今は昼間で判別しやすいから、相手が普通の人間だと理解出来る。
しかし、もしこれが夜に遭遇したとしたら……夜目の利くレイであっても、半ば反射的に攻撃してもおかしくはない。
夜目の利くレイであってもそうなのだから、もしそれ以外の面々が遭遇した場合、悲鳴を上げて気絶するか、もしくはパニックになって攻撃するといったようなことになってもおかしくはなかった。
「普段から運動不足だからそうなるんだ」
アンデッドのような動き方をする錬金術師達に、レイは呆れたようにそう言う。
一瞬敵が現れたのではないかという、自分のそんな考えが馬鹿らしかったと思いながら。
「そう言われてもな、俺達は錬金術師なんだ。普段からそこまで運動するといったようなことは出来ないんだから仕方ないだろう」
身体を動かすのは難しくても、口を動かすのは普通に出来るのだろう。
それでも筋肉痛の痛みに耐えながら喋っている為か、その表情は痛みに耐えるようなものだった。
「俺が山で見た錬金術師は、ゴーレムの性能試験として盗賊と戦っていたけどな。盗賊との戦闘はともかく、盗賊と遭遇する為に山登りをするといった運動は悪い話じゃないぞ」
「そういう連中がいるのは知ってるけど、錬金術師全体で見れば間違いなく少ないと思う」
「少ないからといって、運動をしないよりはした方がいいと思うけどな」
「運動するにしろ、しないにしろ、とりあえずその辺はこの筋肉痛が治ってからにして欲しい」
しみじみとそう告げる錬金術師の男に、レイもそれはそうかと納得する。
(ぎっくり腰とかの時は、痛みとかを我慢して普段通りの生活をすればいいってのを日本にいた時にTVで見たけど……筋肉痛もそんな感じなのか?)
そんなことを思い出すレイだったが、今のアンデッド……あるいはこの世界では殆ど通じないだろうが、ロボットのような動きをする錬金術師の男を見て、とてもではないが普段通りの生活をしろというのが無理だろうと判断する。
ぎっくり腰はともかく、筋肉痛はレイにもそれなりに馴染み深い痛みだ。
この世界に来てからではなく、日本にいた時の話だが。
学校の行事で長距離を走ることになったり、あるいは冬が終わって春になり、家の農作業を手伝うようになった時……それ以外にも、数え切れない程に筋肉痛になったことはあった。
もっとも、それでもここまで身体を動かせないような酷い筋肉痛ではなかったが。
「取りあえず、色々と動きがあった場合でも筋肉痛の連中には期待出来ないか」
勿論、命懸けともなれば筋肉痛であろうが何だろうが、色々と動くといったようなことは出来るだろう。
だが、そのような無理をしても当然ながら筋肉痛である以上、その動きは普段通りのものではない。
そうである以上、今は筋肉痛が治るまで待って貰う必要があった。
(それに、オルバンの様子からすると、そうすぐに俺達の出番が来るといったようなことはないだろうし)
オルバンからは、風雪の暗殺者を使ってドーラン工房と繋がっている権力者を割り出すという話を聞いている。
そうである以上、それがはっきりとするまではレイとしても迂闊な行動を取る訳にはいかない。
ここでもしレイが下手に動いたりした場合、それこそドーラン工房と繋がっている者がその証拠を燃やしたりといったような真似をしてもおかしくはないのだから。
(とはいえ、出来れば俺が黙っていられる時間は短ければ短い程にいいんだけどな)
その理由は、やはりギルムで現在行われているクリスタルドラゴンの解体だ。
本格的にクリスタルドラゴンの解体をするので、ある程度時間が経ってから来るようにとは言われていたものの、それでもここで予想以上に時間が経過した場合は素材の方に悪影響を与えかねない。
あるいは、現在のギルムには何とかしてクリスタルドラゴンの素材を入手しようと考えている者もいるので、そのような者達が妙な行動を起こす可能性もある。
今はまだ解体が始まってからそこまで時間も経っていないので、その辺は問題ないだろう。
しかし、これで時間が経過すると当然ながら警戒心や緊張感が弱まる。
これは未熟さといったものではなく、人間である以上――エルフ、ドワーフ、獣人も含むが――仕方のないことだった。
勿論、護衛をしている者の性格や練度によって、警戒心が緊張感をある程度維持は出来るだろうが……それでもやはり、時間が経過するとその手の感情が弱まるのは間違いない。
そうである以上、レイとしては出来るだけ素早く今回の一件を終息させる必要があった。
「今は……とにかく、身体を治す方が先だな」
「そうした方がいいだろうな」
レイの目から見ても、錬金術師達が使い物になるとは思えない。
そうである以上、今はまず身体を自由に動かせるようになるのが最優先なのは間違いなかった。
「それで、レイはこれからどうする?」
「どうするって言われてもな。この状況で俺が特に何かやるべき事はないし。そうなると、今はまず休むだけだな。お前達のように筋肉痛って訳じゃないけど、今は特に何かやるべきことはないし」
実際には、ロジャーが問題ないのか、そして星の川亭の方でも問題は起きていないのか、確認しておきたいという思いがレイにはあったのだが。
特に星の川亭は、昨夜レイが行った時、夜中だというのに周囲には多くの冒険者達が集まっていた。
レイが星の川亭から出たので、結局妙な騒動……具体的には冒険者達が星の川亭に殴り込むといったような事態にはならなかったが、場合によっては大きな騒動になっていた可能性は十分にある。
とはいえ、星の川亭には貴族や大商人に護衛として雇われている腕利きが多数いるので、もし冒険者達が襲撃してきても互角以上に戦えていたのは間違いないだろうが。
そんな星の川亭が現在どうなっているのか……特にマルカはレイと親しい相手である以上、何らかの騒動に巻き込まれていないとも限らない。
(とはいえ、俺が行けば目立つしな。……いや、ドラゴンローブのフードを被っていれば、そこまで目立たないか?)
ドラゴンローブには隠蔽の効果があり、その効果を見破れない者からはどこにでもある普通のローブのようにしか思えない。
そんなローブを着ているのがレイだとは、普通なら思わないだろう。
……もっとも、レイの顔は女顔で非常に強い印象を周囲に与えるので、フードを脱いでしまえばすぐにレイだと分かってしまうだろうが。
そういう意味では危険ではあるのだが。
それ以上の問題として、レイが出掛けるとなればセトも当然のように一緒に行きたいと主張するだろう。
きちんと説明すれば、セトもしっかりと理解はする。
しかし、それでも悲しそうな様子を見せるのは間違いなかった。
レイとしては、出来れば相棒のセトにそんな思いをさせたくはない。
それだけに、やはりここは行動しないでもう少し待った方がいいのでは?
そんな風に思うのは当然だった。
(マルカは本人がかなり強いし、護衛としてニッキーもいる。そうである以上、そう簡単にあの二人がどうにかなるとは思えない。……寧ろそうなると、危ないのはライドンの方か?)
マルカ程ではないとはいえ、ライドンは中立派に所属する貴族の一人だ。
今回の一件でもレイは色々と便宜を受けている以上、何かあったら放っておくといったような真似が出来る筈もない。
ましてや、レイが見たところ護衛らしい護衛は見たことがないというのも心配な要素の一つだ。
護衛は別の場所にいるだけなのか、もしくは用意していないのか。
あるいは、護衛が必要ない程に本人が強いのか……
(ないな)
自分の考えを即座に否定するレイ。
ちょっとした身体の動きを見れば、その相手が具体的にどれだけの強さを持っているのかというのは、レイにも大体理解出来る。
そんなレイの目から見ても、ライドンはそれなりに鍛えてはいるようだったが、それはあくまでもそれなりにでしかない。
とてもではないが、護衛なしで旅を出来るとは思えなかった。
「じゃあ、レイ。俺はそろそろ戻るから」
錬金術師の男はそう言い、トイレをすませると部屋に戻っていく。
その動きは、改めてレイが見ればロボットやアンデッドのように思えてしまう。
錬金術師の背中に何か言おうかと思ったレイだったが、結局その後は何も言わないで錬金術師を見送る。
「レイ、何とか出来ないの?」
そんな中で、不意にリビングにいた一人の女がレイに尋ねてくる。
錬金術師を……今ここにいた者だけでははく、他の錬金術師達にも筋肉痛で苦しんでいるので、可哀想に思ったのだろう。
だが、レイはそんな相手に対して首を横に振る。
「難しいな。それに筋肉痛は身体を鍛える為には必須だ。筋肉がより強靱になる為に生まれ変わっている痛みと言ってもいい。そうである以上、今は大人しく休めておいた方がいい。取りあえず、こうして起き上がることは出来るんだし」
あるいは、これが起き上がることも出来ないようなら、レイももう少しどうにかしようと考えたかもしれない。
しかし、今の状況を思えばそういう風でもない以上、無理をする必要はないと判断した。
女は、不満そうな様子を見せる。
とはいえ、だからといってレイがそういう風に言うのなら仕方がないのだろうと判断し、それ以上は何も言わない。
そうして黙っていると……不意に扉がノックされる。
もし誰か……アンヌのように働いている者が戻ってきたのなら、別にノックをしたりといったような真似はしない。
つまりこれは、風雪側の誰かが尋ねてきたということを意味していた。
(ドーラン工房の件で何か動きがあったか? ドーラン工房と繋がってる奴が判明したとか。……いや、まさかな。幾ら何でも早すぎるし)
そんな風に思っていると、リビングにいた中でも扉の近くにいた男が立ち上がり、扉を開く。
するとそこには、護衛兼見張りの男がいた。
「奴隷の首輪を外す用意が整ったので、奴隷の首輪をしてる者は一緒に来て欲しい」
その言葉に、奴隷の首輪を嵌めている者達は喜びの声を上げるのだった。