2785話
冒険者達がスラム街の住人と必死に戦い、あるいは逃げたり、銀貨や銅貨を使って同士討ちをさせたりといったような真似をしている頃……レイはセトやオルバンと共に風雪のアジトに戻ってきていた。
レイとオルバンはともかく、セトはいつも通りアジトの側で寝転がることになっていたが。
「ここに戻ってくると安心するな」
地下にあるアジトに入ったオルバンが、その言葉通り安心した様子で呟く。
そんなオルバンとは裏腹に、レイはそこまで安心した様子はない。
ここはオルバンにとっては拠点であり、自分のいるべき場所という認識があるのだろう。
それに対して、レイにしてみればここはあくまでも風雪のアジトという認識しかない。
ギルムにあるマリーナの家、もしくは夕暮れの小麦亭に借りている部屋であれば、レイもまたオルバンと同じような感想を抱いたかもしれないが。
「ともあれ、だ。今の状況では俺は特に何かをやる必要はないのか? まずは風雪の方でドーラン工房と繋がっている連中を捜して、その証拠が見つかるまでは」
「そうなるな。レイの得意分野は、あくまでも正面切っての戦いだろう?」
「それは否定しないが、これでも一応侵入とかにはそれなりに自信があるんだが」
そんなレイの言葉に、オルバンは呆れの視線を向ける。
「侵入が得意? その割には、ドーラン工房ではあっさりと見つかったみたいだが?」
「ぐ……だが、それは仕方がないだろ。俺だけじゃなくて、アンヌ達も一緒に行動していたんだから。そんな状況で見つからないように移動するってのは難しい」
リンディは冒険者としてある程度は動けるが、それはあくまでもある程度でしかない。
それでもアンヌやイルナラといった面々よりはまだ動けていたが。
ましてや、違法奴隷や錬金術師といった、普段はそこまで身体を動かさない者達を引き連れてのドーラン工房の中で動き回ったり、脱出したりといったような真似をしたのだ。
レイとしては、それこそ悪くない行動だったと思う。
とはいえ、それはあくまでもレイとしてはだ。
隠密行動が必須の暗殺者ギルドを率いるオルバンにしてみれば、甘いとしか言いようがない。
「レイには一度隠密行動をしっかりと教えた方がいいかもしれないな。……我流だろ?」
オルバンの言葉に対し、レイは素直に頷く。
実際、レイの隠密行動というのは誰かに習ったようなものではなく、あくまでも我流でそのような真似が出来ているのだ。
そして我流で出来ている大きな理由の一つには、レイの持つ身体能力……具体的にはゼパイル一門の技術力によって生み出された、今のレイの身体があるからこそなのは間違いない。
勿論、我流だからといってレイも何の訓練をしていない訳ではない。
気配を殺すということを覚え、あるいは音を立てずに移動するといったようなことを覚え……そんな様子を考えれば、客観的に見た場合、間違いなく十分に隠密行動が出来ているだろう。
だが、それでもやはり我流であるだけに、レイには思いも寄らない場所に何らかの隙といったものがあってもおかしくはなかった。
「そういうのって、しっかりと習うと結構時間が掛かるんだろう? 俺もいつまでもここにいる訳にもいかないぞ? そもそも、本来なら俺がここにいるのはゴーレムを購入する為だし」
「今更か」
そう、レイの話は本当に今更だった。
とはいえ、レイもゴーレムを買うのを諦めた訳ではない。
ドーラン工房のゴーレムを購入しようとは思っていないもの、ロジャーに頼んだゴーレムは欲しいと思っている。
また、ロジャーが作っているゴーレム以外でも、レイが興味深いと思ったゴーレムがあれば、それを欲しいと思うのは当然の話だった。
「取りあえず、レイがやる気がないのは分かった」
「そうか? ……まぁ、言われてみれば確かにそうかもしれないな」
これが、あるいはデスサイズや黄昏の槍を使った戦闘をもっと強化するといった理由なら、レイもそちらに強い興味を持った可能性がある。
しかし、残念ながら今のこの状況においてはそこまでレイの注意を惹くことはなかった。
とはいえ、これが何もない平和な時であれば、あるいはレイもオルバンの言葉に興味を持った可能性もあるだろう。
しかし、今のこの状況でそのようなことを言われても、レイには色々とやるべきことがある以上、難しい。
ドーラン工房の一件もそうだが、ギルムでは現在クリスタルドラゴンの解体も進んでいる。
ある程度時間が経過したら、またギルムに戻ったりといったような真似をする必要があった。
そのような状況で潜入方法……もしくは暗殺者としての動き方といったようなものを習っても、それはレイにとって中途半端なものになってしまうだろう。
それ以外にも、色々と忙しい今の状況においては、そのような真似をしている余裕がないのも事実だった。
(あ。でも暫くは風雪達に任せてあまり動くなって言われていたんだから、そう考えれば時間的な余裕はある……のか?)
ふとそう思ったが、結局それを言う暇もないままに風雪のアジトを進み……やがて分岐している場所でレイはオルバンと別行動となる。
「じゃあ、俺はこっちだから」
「分かった。何か用事があったら呼ぶが、構わないか?」
「構わない。多分、特に何かやるとかはしていないしな。……もしかしたら、アジトの外に出てセトと一緒に動き回っている可能性もあるから、部屋の方にいなかったら外に連絡をしてくれ」
風雪のアジトにある住居……正確には住居ではなく、何らかの理由で風雪が保護した者達の為の、一種の隔離部屋とでも呼ぶべき場所。
現在のレイはドーラン工房とのトラブルに他の者をあまり巻き込みたくない為に、そこに住んでいる。
とはいえ、正直なところレイはリビングで寝泊まりしているので、どこか別の場所にマジックテントでも出そうかと、そんな風に考えてはいるのだが。
「分かった。じゃあ、俺は急ぐから」
そう言い、オルバンは去っていく。
それを見送ると、レイは自分の部屋――という表現がこの場合相応しいかどうか微妙だが――に向かう。
途中で何人かの風雪の構成員に会うも、特に絡まれるといったようなことはなかった。
当初はレイが力で風雪を従えたということもあり、レイに対して好ましくない感情を抱いていた者もいる。
しかし、風雪を率いているオルバンと友好的な関係を築いてしまった以上、その不満を表に出すようなことはしない。
あるいはこれで暗殺者として……いや、暗殺者ギルドに所属している者として三流のような者であれば、あるいはこのような状況でもレイに絡むといったような真似をしてもおかしくはないのだろうが。
そんな訳で、現在のレイは風雪のアジトの中も普通に歩き回ることが出来る。
勿論、風雪にとっての機密区画のような場所には入ることが出来なかったが。
そうしてアンヌ達が匿われている場所までやって来ると、当然のようにそこには護衛兼見張りとして二人が扉の前に立っていた。
その二人は近付いて来るレイの存在に気が付くと、小さく頭を下げる。
このアジトから出る時にいた者と違うのは、交代したのだろう。
「お疲れ様です」
自分に向かって頭を下げてくる男達の様子を見ると、自分に敵意を抱いているといった様子ではないことに納得しながら口を開く。
「アンヌ達は中か?」
「いえ、家事の類を手伝うということで、アンヌを入れて何人かは部屋から出ています」
「ああ、そう言えばそんなことを言ってたな。……もう始めてるのか」
何もすることがないのは嫌だということであったり、多少なりとも手伝いたいと言っていたのを思い出す。
孤児院で働いていたアンヌにしてみれば、何もしていない時間というのはあまり好まないのだろう。
ましてや、ドーラン工房で囚われていた時も特に何かをするでもなく、地下室の中に閉じ込められていたのだ。
その状況だから脱出した今、身体を動かしたいと思うのは当然だろう。
(とはいえ、身体を動かすというだけなら、ドーラン工房からここまで逃げてきた時に十分走ったんだけどな)
実際、後方からの追っ手に注意しながら走り続けた逃亡は、身体を動かすことに慣れている者ですら、それなりに厳しかったのだ。
冒険者として活動しているレイやリンディといった面々はともかく、普段そこまで激しい運動をしている訳ではない者達にしてみれば、激しい筋肉痛になってろくに動けないような状況になっていてもおかしくはなかった。
(ああ、もしかして起きてくるのが遅いのは、その辺が関係してるのか?)
アンヌと一緒に奴隷になっていた者達は、経歴も様々だ。
それに対して、イルナラ達は錬金術師……つまり、身体を動かすのではなく、ゴーレムの製造や研究を行う者達。
これで主流派……資金の類も自由に使えるのなら、以前レイが山で見たように、ゴーレムの運用試験として盗賊と戦わせるといったようなことも出来るだろう。
しかし、非主流派であるイルナラ達には、そんな真似をする余裕はない。
だからこそ、ある意味で運動不足に近い状況になっており……結果として、今は筋肉痛になっているのというのは、レイにも容易に予想出来た。
とはいえ、だからといってレイがそんな相手に何か出来るようなことがある訳でもない。
ポーションの類は持っているものの、筋肉痛にポーションが効くのか? と言われれば、レイも首を傾げるだろう。
ともあれ、実際には見てからその辺を考える必要があるだろうと判断し、扉の前の男達と軽く言葉を交わしてから部屋の中に入る。
すると部屋の中には、予想したのとは少し違う光景が広がっていた。
リビングの中に何人もが集まってはいたものの、その中にはイルナラやその仲間達の姿がない。
「あれ? レイさん? どこに行ってたんですか? 起きたらもういませんでしたけど」
違法奴隷にされていた男の一人が、部屋に入ってきたレイに向かってそう尋ねる。
他の者達も、やることがなくて暇なのだろう。
レイが何と言うのか、興味深そうな視線を向けていた。
「ちょっと外にな」
「外にですか? 俺達が外に出たいと言うと止められたんですけど」
「それはそうだろ、今、スラム街にはドーラン工房に雇われた冒険者が結構な数やってきている。そんな中で自衛も出来ないような奴が外に出たら、どうなると思う?」
「う……」
もし自分が冒険者と遭遇したらどうなるか。
それは考えるまでもなく明らかだった。
特に何か訓練をしている訳ではなかった一般人である以上、もし冒険者と遭遇したら捕まることしか出来ない。
戦うのは勿論無駄だろうし、逃げても冒険者達から逃げられないのは、自分達が一番よく理解していた。
冒険者は鎧を着ていたり、武器や盾を持っていたりするので、走るという意味では決して速い訳ではない。
しかし、特に身体を鍛えている訳でもない一般人が相手であれば話は別だった。
ここにいる中で、冒険者から無事に逃げられるだろうとレイが判断出来る相手はいない。
「で、アンヌ達は色々と手伝いに行ったらしいけど、お前達は何をしてるんだ?」
「そう言われても……ここは、暗殺者ギルドなんですよね? そんな場所で下手に妙な行動をしようものなら、それこそ身の危険を感じるんですけど」
レイの言葉にそう返してきた者がおり、それはレイにもなるほどと納得させるには十分な説得力を持っている。
レイはオルバンやニナといった風雪に所属する人物の性格を知っているので、その辺は問題ではない。
しかし、それはあくまでもレイが直接知っているからこそなのだ。
違法奴隷やドーラン工房の非主流派の錬金術師達にしてみれば、自分達がいるのは暗殺者ギルド……それもただの暗殺者ギルドではなく、エグジニスにおいて最大手の暗殺者ギルドだ。
そのような場所にいる相手……つまり、風雪に所属する者達と気楽に話をしたりといったような真似が出来る筈もない。
そういう意味では、そんな風雪の者達を相手にして家事を行うといったアンヌが普通ではないのだろう。
「お前達がそうしている理由は分かった。けど、今日から暫くここで世話になるんだぞ? その相手を怖がってばかりいて、歩み寄るといった真似をしないのは色々と不味いんじゃないか?」
「それは……」
レイと話していた男は、その言葉に思うことがあったのだろう。言葉には力がない。
「それに……親しい相手の方が、いざって時に守って貰いやすいと思うけどな。ともあれ、その辺はお前達が自分でどうすればいいのか、考えればいいけど」
そんな風に言いつつ、レイは空いているソファに寝転がるのだった。