2784話
「おう?」
ローベルの屋敷から出て、来る時と同じ馬車に乗ってスラム街まで戻ってきたレイは、オルバンと一緒に風雪のアジトに向かって歩いていた。
歩いていたのだが……そんな中、不意にセトの姿を見つけて足を止めたのだ。
そんなレイの姿に、オルバンはどうした? と思ってレイの視線を追うが、その先にいたセト、そしてセトの近くに倒れている者達の姿を見て、何となく事情を理解した。
「セト!」
「グルルルゥ!」
呼び掛けるレイに、セトは嬉しそうに喉を鳴らして答える。
当然だが、セトはレイよりも五感が鋭いので、レイがセトに気が付くよりも前にセトの方がレイの存在に気が付いていた。
それでも最初にレイに声を掛けてこなかったのは、レイも今は仕事中であるというのを知っていた為だろう。
レイはそんなセトに近づいていき、顔を擦りつけてきたセトを撫でる。
撫でながら、セトの周囲に積み重なっている者達……恐らく冒険者だろう者達を見ながら、口を開く。
「セト、この連中は……セトに攻撃してきた奴か?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトはそうだよと喉を鳴らす。
実際にはセトを襲ったのではなく、眠り薬入りの干し肉を使ってセトを眠らせようとしていたのだが、もし眠らせていた場合は恐らくセトを殺していた可能性が高いのだから。それを考えれば結局のところ、最終的な結論は変わらない。
もし正面から戦いを挑んだのではなく、眠り薬入りの干し肉というのを知れば、恐らくレイは冒険者達に複雑な視線を向けただろう。
正面から戦って勝てない相手と対峙した時、それ以外の手段で勝利を得るというのは悪い選択肢ではない。
それは分かっているものの、だからといって自分の相棒のセトにそのような手段を使ったとなれば、理性では納得出来ても感情で納得出来なかっただろう。
冒険者達にしてみれば、気絶していたおかげで……そして睡眠薬を使われたセトがそこまで気にしていなかったのは、ある意味で幸運だった。もっとも……
「なら、取りあえずこの連中の武器や防具は貰っておくか。……それなりにいい武器に見えるし」
レイやセトといった存在と敵対する可能性があったのだから、冒険者達は少しでも生き残れるようにと自分達にとって最高の武器や防具を用意してきた。
それは冒険者としては間違った判断ではなかったものの、レイにしてみれば自分達を狙ってきた相手なのだから、武器や防具を奪われるくらいは当然だろうと判断する。
長剣や短剣、盾を奪い……何人かがポーションを持っていることにも気が付き、それも奪う。
「鎧は……脱がせるのがちょっと難しそうだな」
金属鎧はそれなりに高価そうではあったが、気絶している男から金属鎧を脱がせるというのは、手間が掛かるし、レイも面倒だという思いの方が強い。
結果として、武器や盾のような防具は奪われ、ポーションの類も奪われたものの、着ていた防具の類はそのままに、そこに放っておかれることになる。
(とはいえ、俺が金属鎧を見逃したからって、他の奴も見逃すとは思えないけどな。それでも殺されることは……多分ないだろうから、それはラッキーだろうけど)
そんな風に考えながら、奪った諸々をミスティリングに収納する。
「随分と甘いんだな」
レイとセトを見ていたオルバンが、若干の呆れと共にそう言ってくる。
暗殺者ギルドを……それもエグジニスで最大規模の風雪を率いてるオルバンにしてみれば、襲ってきた相手を生かしたままにするというのは優しいというよりは甘いと感じるのだろう。
勿論、風雪も襲ってきた相手は全て殺すといったような真似をする訳ではないが、その時に殺さないというのは何らかの理由があってそのような真似をするから、というのが正しい。
そういう意味では、ここでレイが何の理由もなく冒険者達を見逃すというのは、あまり納得出来ることではなかった。
「そう言われてもな。この連中がドーラン工房に所属してるならともかく、雇われただけのただの冒険者だぞ? そんな奴を全員殺すなんて真似をしていれば、俺がいらない恨みを買うだろ。ただでさえ俺は恨まれやすいのに、ここでそんな真似をして余計に敵を増やしたくない」
レイはその性格から、敵を作りやすい。
あるいはレイの性格とは全く関係のない場所で、レイを逆恨みするような者もいる。
そんな中で、襲ってきた者達を全員殺すといったような真似をした場合、それこそ仇討ちをしようとする者も多いのは間違いないだろう。
「それに殺さないのは事実だが、武器やポーションを奪ったんだ。この連中には相当の痛手だぞ」
レイの口から出た言葉は、決して大袈裟なものではない。
冒険者にとって、武器や防具、ポーションというのは必要不可欠なものだ。
……低ランクの街中だけで出来る、掃除や荷物運び、草むしりといったような依頼だけをやるのなら、必要という訳でもないが。
少なくても、街の外に出て戦うといったようなことになる場合は必須となる。
そして命を懸ける装備となると、当然ながら相応の値段がする。
レイの場合は武器は魔獣術で入手したデスサイズであったり、ゼパイル一門が残してくれたドラコンローブやスレイプニルの靴がある。
また、デスサイズと並んでレイの象徴になっている黄昏の槍に関しても、素材となる槍は報酬として貰った物だ。
そういう意味では、しっかりと高い金を出して購入したのはレイの腰にあるネブラの瞳くらいか。
使い捨ての槍を大量に購入しているし、気紛れで普通の槍を購入することもあるものの、それはそこまで高額ではない。
ましてや、レイの場合はもし武器を購入するということになっても金には全く困っていない。
盗賊狩りの趣味を持ち、多数の困難な依頼を成功させ、高額で売れる素材や魔石を持つモンスターを倒すのも容易だ。
そのような状況で、金に困るようことはまずない。
だが……それはあくまでもレイだからの話であって、普通の冒険者は違う。
それこそその日暮らしとまではいかないが、武器や防具を購入する為に必死に金を貯めるといったようなことは珍しくない。
ましてや、レイは知らなかったがセトに倒された冒険者達は、もしかしたらレイやセトと戦う事になるかもしれないと考えて、自分達が持っている最高の武器や防具を持ってきており、それを奪われたのだ。
金額的なダメージということであれば、非常に大きいのは間違いない。
それこそ、いっそ殺せと自棄になってもおかしくはないだろう。
実際に殺されそうになれば、当然ながらその言葉は否定するのだろうが。
「そういうものか。……まぁ、それがレイの流儀だというのなら、後は何も言わねえよ。それより、いつまでもこの場にいるのも何だし、そろそろ行かないか?」
「そうだな。……セト、行くぞ」
「グルゥ」
レイの言葉にセトは喉を鳴らし、倒れている冒険者達を眺めてからレイに視線を向け、改めて冒険者達に視線を向ける。
そんなセトの態度に、レイは分かってると頷き……オルバンが離れたのを確認してから、口を開く。
「運が良かったな。とはいえ、次はないぞ」
ビクリ、と。
そんなレイの言葉が自分達に向けられているのを理解した冒険者……気絶した振りをしていた冒険者は身体を震わせる。
そう、気絶したと思われた冒険者達だが、実際には意識が戻っていた。
それでも迂闊に行動しなかったのは、ここでそのような真似をすれば今度こそ死んでしまうかもしれないと、そのように判断していたからだろう。
「セト、行くぞ」
改めて言われた言葉に、今度こそセトはこれ以上冒険者を気にする様子もなく、レイを追うのだった。
そして……レイとセトが十分に離れたところで、気絶した振りをしていた冒険者達は身体を起こす。
「何とか助かったか」
「見逃して貰ったって言った方が正しいでしょ。最後の言葉、明らかに私達に向けられていたし」
他の仲間達も起き上がるり、その中の女がそう告げる。
パーティリーダーの男も、実際にレイが自分達の気絶した振りについては気が付いていたので、その件に関しては何も言えない。
普通なら気絶した振りをしていると気が付けば、自分の隙を狙っていると考えて攻撃してきてもおかしくはないのだ。
そのようなことにならなかっただけ助かったのは間違いない。
「それでも運がいいって風には……言えないよな」
はぁ、と。
そんな風に息を吐くパーティリーダーの男。
鎧の類は奪われなかったが、武器と盾、ポーションの類は奪われてしまった。
また、気絶した振りをしていたが、実際にセトの攻撃によって暫くの間気絶していたのは間違いない。
その時の戦いで、相応のダメージを受けたのは間違いのない事実だ。
大きな怪我こそないが、軽い裂傷や打撲の類はある。
これもセトが手加減をしたからこそ、この程度ですんだのだが。
セトに眠り薬入りの干し肉を食べさせようとしたと考えれば、この程度ですんだのは幸運だろう。
それは冒険者達も分かっていたが、それでも武器や盾、ポーションの類を奪われたのは痛い。
レイのような異名持ちと戦うかもしれないということで、現在持っている最高の装備を持ってきたのだが、それが完全に裏目に出た形となる。
どうせ武器を奪われると分かっていたのなら、予備の武器を持ってくればよかった。
そのように思うのは当然だったが……それでもレイと敵対してこの程度の被害ですんだというのは、運がいい証でもある。
本人達はそれに気が付いているのかどうかは不明だが。
「それで、これからどうする?」
仲間の一人がそう言うも、パーティリーダーの男は大きく息を吐きながら口を開く。
「どうするも何も、武器を奪われたんだ。これ以上レイを狙うのは無理だろ。レイが連れ去ったという連中についても、諦めるしかない。今はそんなことを考えるより、まずは無事にスラム街を脱出する方が先だ。……結構集まってきてるしな」
その言葉に仲間達の視線が盗賊に向けられる。
そして盗賊は心の底から嫌そうな表情を浮かべながらも、パーティリーダーの男の言葉に同意する。
「ああ、俺達を襲おうとしてる連中が集まってきてるみたいだな。……武器を持っていなくて、その代わりに鎧とかは立派なんだ。向こうにしてみれば襲うのに十分な理由だろうよ」
スラム街の住人にしてみれば、武器や盾を奪われた冒険者達というのは、願ってもない獲物だ。
特に冒険者達が装備している鎧の類は、上手い具合に入手すれば結構な金になる。
また、純粋に金という点ではあれば冒険者達が持っている金もあるだろう。
レイも武器やポーションの類は奪ったものの、金はそのままにしておいたのだから。
この冒険者達が持っている程度の金は、レイにとって端金にすぎない。
……実はこの冒険者の中に大商会や貴族の子供がいるのなら、あるいは分不相応な金額を持っている可能性は十分にあったが。
「金貨はともかく、銀貨や銅貨はいつでもその辺に捨てる用意をしておけ。スラム街の住人なら、銀貨や銅貨にも群がる筈だ。そうなれば、場合によってはスラム街の住人同士で争うだろうから、俺達が逃げやすくなるぞ」
その言葉に、パーティメンバー達がそれぞれに頷く。
今の状況を思えば、少しでも生き延びる可能性を上げる必要があった。
それを考えると、ここで多少の金を惜しむといったような真似をするつもりはない。
スラム街を急いで脱出する準備を整える一行だったが、当然ながらこのパーティを襲おうと考えている者達はそんな様子を黙って見ているような真似はしない。
元々の基本的な能力が、スラム街の住人と冒険者では違うのだ。
セトとの戦いで弱り、武器を失い、そこに大勢で襲い掛かる……といったような真似をして、それでようやく互角か、自分達に若干有利といったような感じになる。
だからこそ人数を集めてこうして襲うといったような真似をしているのだ。
とはいえ、当然ながら襲う人数が多くなれば、それだけ一人の分け前も少なくなる。
場合によっては、冒険者を倒した後でスラム街の住人同士で戦うといったようなことにもなりかねなかった。
そうして、冒険者達とスラム街の住人達の間の緊張感が強くなっていく。
お互いに相手が油断をしたら、すぐにでも襲撃をするつもりで時間か経過していき……そして緊張感が最大限になったところで、パーティリーダーが叫ぶ。
「走れ!」
パーティを組んでるだけあり、その声を聞き逃すといったような者はいなかった。
全員が同時にスラム街から出るように走り始め、それを合図にしてスラム街の住人も一斉に襲い掛かるのだった。