2780話
馬車の周囲にいる冒険者達を見たレイは、隣のオルバンに視線を向ける。
出来れば自分とオルバンを迎えに来た馬車ではないと言って欲しかったのだが、そんなレイの期待はあっさりと裏切られる。
「助けるぞ」
「ってことは、つまり……?」
「俺達を迎えに来た馬車だ。それは見れば分かるだろう?」
そう言われて改めて馬車を見れば、その辺の商人が使っているような馬車ではなく、それなりの高級品だというのがレイにも理解出来た。
そんな馬車がスラム街の近くにいるのだから、冒険者としては……正確にはドーラン工房に雇われた冒険者としては、その馬車を気にするなという方が無理だった。
そして事実、その馬車はレイとオルバンを迎えに来たのだから、その予想は決して間違ってはいない。
とはいえ、だからといってレイもオルバンもそんな馬車をみすみす見逃すといったような真似が出来る筈もなく……
「倒すぞ」
オルバンのその言葉に頷き、レイは地面を蹴って冒険者達に向かうのだった。
「無事だったか?」
「助かりました」
馬車の周囲にいる冒険者達は、全員が気絶して地面に倒れていた。
そんな中で、オルバンは馬車の御者台に座っていた初老の男と話をしている。
顔見知りらしい、気安いやり取り。
それを聞きながら、レイは冒険者達を馬車が移動する時に邪魔にならないように道の端に寄せる。
武器の類は、取りあえずそのままにしておく。
ドーラン工房に雇われている者達とはいえ、馬車や御者には攻撃をしたりといった真似はしておらず、そこまで悪い者達には思えなかったというのも大きい。
これで無意味に馬車を傷つけていたり、あるいは御者の男に攻撃をしたりといったような真似をしていれば、レイも武器を没収したりといったような真似をしていた可能性が高いだろうが。
「レイ、早いところ出発するぞ。このままここにいて、また別の冒険者に襲われるようなことになったら面白くない」
「分かった」
オルバンの言葉にレイは頷き、馬車に近付いていく。
するとそんなレイに対し、御者台の男は頭を下げる。
「深紅のレイ様ですね。今回はありがとうございました。おかげで、馬車が傷つかずにすみました」
「気にしないでくれ。そもそも、俺達を迎えに来たのが、あの冒険者達に目を付けられた原因だろう? なら、今回襲われたのは俺達のせいって風になってもおかしくはない」
「それでも、助けて貰ったのは事実です。それを思えば、感謝の言葉を口にするのは当然かと」
そこまで言われれば、レイもそれ以上は何も言うことは出来ず、素直に感謝の気持ちを受け取る。
「その気持ちはありがたく受け取らせて貰うよ。ともあれ、いつまでもここにいたらまた同じような連中がやって来るかもしれない。今のうちにさっさとここを出た方がいいと思うが、どうだ?」
「そうですね。私の仕事はお二人を主人の場所に連れて行くということですので、お二人がいらっしゃった以上、いつまでもここにいる必要はありません」
そう言い、男はレイとオルバンに馬車に乗るように言うのだった。
「やっぱりこういう場所になるよな」
馬車が向かったのは、エグジニスの中でも裕福な者達が住んでいる場所。
つまりギルムの貴族街に近い場所だ。
違うのは、エグジニスにおいてこのような場所に住んでいるのは工房を経営している者であったり、あるいはゴーレムを仕入れて売ることが出来る商人であったり。
自治都市であるだけに、エグジニスに貴族はいない。
いや、正確には貴族はいるが、それはあくまでもゴーレムを欲して客としてきているような者達が大半だ。
一応、屋敷を持っているような貴族もいるのだが、その数はどうしても少なく、現在レイ達がいるような場所と比べれば小規模なもの者になってしまう。
「エグジニスを動かしている者に会うんだから、こういう場所に来るのは当然の話だろう?」
レイの呟きを聞き、オルバンは慣れた様子でそう言う。
実際、オルバンにしてみれば風雪に対する依頼の関係で今まで何度もこの辺りに来たことはあるし、これから会いに行く人物との付き合いもそれなりに長い。
そうである以上、このような態度も当然だった。
「それより、俺はレイがそこまで驚いたり緊張したりといった様子じゃないのが意外だな。やっぱり異名持ちのランクA冒険者ともなれば、こういう場所に来るのは慣れてるのか?」
「慣れているというか……俺が現在ギルムで住んでいるのは、貴族街だしな」
「……貴族になったのか?」
貴族街に住んでいるというレイの言葉に、意外そうな視線を向けてくるオルバン。
オルバンにしてみれば、レイが貴族街に住んでいるというのはそれだけの驚きだったのだろう。
だが、レイはそんなオルバンの言葉に首を横に振る。
「いや、別に俺が貴族になった訳じゃない。ただ、そこに家を持っているパーティの仲間がいてな。どうせだからということで、その家に全員で住んでるんだ」
正確には仲間ではあってもパーティの一員ではないエレーナやアーラも住んでいるのだが、その辺は口にしない。
オルバンは話しやすい相手だが、それでも風雪という暗殺者ギルドを率いている身なのだ。
そのような人物に余計な情報を与えてしまった場合、その情報がどう使われるのかは全く分からない。
それに、もしレイのことを知りたいのなら……もしくは、スラム街で冗談交じりに話していた風雪がギルムで冒険者になるというのを本気で行うつもりなら、自然とその情報は入手出来る。
そうである以上、ここでその辺りの情報を話す必要は特にないと、そうレイは判断したのだ。
「俺が知ってるギルムの貴族街とこの辺りは……似ているような場所もあるけど、やっぱり雰囲気が違うな。貴族と商人や工房の経営者といった違いもあるのかもしれないが」
貴族というのは、見栄や外聞が大事だ。
だからこそ、貴族が使っている屋敷はかなり豪華な物が多い。
……勿論、貴族街に住んでいてもマリーナのように小さな――あくまでも貴族街の屋敷と比べてだが――家に住んでいる者もいるが、それは本当に少数だ。
それに対して、馬車から見える屋敷は豪華ではあるものの、それでもやはりギルムの貴族街にある屋敷とは、どこか雰囲気が違う。
具体的にどこが違うのかと言われれば、レイも即座にどこだといったようには答えられないのだが。
「住んでいる者の雰囲気といったものも関係してるのは間違いないだろうな。それに辺境のギルムとゴーレム産業が盛んなエグジニスだ。その二つが同じようなら、それこそ驚く」
レイの言葉にそう言ってくるオルバンだったが、エグジニスにおいて活動している者だからこそ、その言葉には強い説得力があった。
そうして話していると、やがて馬車は一軒の屋敷の前で停まる。
「ここか?」
一応といったようにレイが尋ねると、オルバンは頷く。
「そうだ。……この館の主人は現在エグジニスを動かしている者の一人だ。影響力という点でもかなり大きい。外見とは裏腹にな」
「外見?」
オルバンの口から少し気になる言葉を聞いたレイがそう尋ねるが、聞かれたオルバンの方は特に気にした様子もなく頷く。
「そうだ。一見しただけではエグジニスを動かすような人物には見えないんだよ。ただ、その実力は本物だ」
オルバンのその言葉に、レイはそういうものなのかと納得して停まった馬車から降りるのだった。
「よ、ようこそ来てくれました。その……僕がこの屋敷の主人のローベルです。よろしくお願いします」
えっと、この男が?
それがローベルと名乗った人物を見てレイが感じた最初の印象だった。
背はレイよりは若干高いものの、この世界の平均から見るとかなり低い。
年齢的にはオルバンよりも若干上の四十代くらいか。
貧相という表現が似合うような男で、とてもではないがオルバンから聞いていたような、エグジニスを動かすような相手には思えない。
穏健派という話だったが、それはローベル本人が望んで穏健派になったのではなく、周囲に流された結果として穏健派という扱いになっていたのではないか。
そのように思えるような人物だ。
(とはいえ……)
レイは自分の隣にいるオルバンに視線を向けると、本人はローベルの様子をいつも通りだと言わんばかりに口を開く。
「ローベル、今日は時間を取らせて悪いな」
その気安い態度はオルバンとローベルが単なる依頼主と暗殺者ギルドの長というだけではなく、もっと気安いものであるということを示している。
「い、いや。構いません。エグジニスにおける一大事となれば、僕が話を聞かない理由はないですから」
「そうだな。お前がそんな風に言ってくれるのは助かるよ。……そんな訳で、レイ。ローベルに事情を説明してくれ」
「俺が?」
「お前以外に誰がいるんだよ。そもそも、この件はお前が張本人だ。つまりお前以上に今回の一件に詳しい者はいない。……違うか?」
そう言われれば、レイもオルバンの言葉に否とは言えない。
「分かった。……初めまして、俺はレイだ」
「し、知ってます。深紅の異名を持つランクA冒険者ですね」
ローベルの言葉に、レイは少しだけ驚く。
自分について、異名持ちであるというのはともかく、ランクA冒険者であるということを知っていたのは予想外だったのだ。
(あ、でもオルバンから聞いたのなら、知っていてもおかしくはないのか)
オルバンも自分についての情報を知っていた以上、その情報がローベルに流されていてもおかしくはない。
「言っておくが、俺からは何も情報を流していないぞ。ローベルが自分で集めた情報だ」
「そ、そんな。情報を集めたって程、大袈裟なものではないですよ」
オルバンの言葉にローベルはそう言って謙遜するものの、それを本気で言ってるのかどうか、レイには分からない。
「なるほど。取りあえず有能な人物なのは間違いないみたいだな」
言動こそ小心者といった様子だが、レイについての情報を早い内から入手しているという辺り、情報の重要さを理解しているのは間違いないだろう。
「そ、そう言って貰えると嬉しいです。それで……改めて、ドーラン工房の件を教えて下さい。うちの商会でもドーラン工房のゴーレムは扱ってるので、他人事じゃないんですよ」
「商人にしてみればそうだろうな」
エグジニスの中でも強い影響力を持つローベルの商会だからこそ、ドーラン工房のゴーレムを仕入れることが出来ていた。
しかし、ドーラン工房のゴーレムが実は人の魂を使って作っているという情報が広がれば、それこそ商会が受けるダメージは大きい。
だからこそ、本来ならローベルが商会を率いてる身であれば、ドーラン工房の件は公にしない方がいいのだろうが……それを知った上で、ローベルはドーラン工房の件をどうにかしようとしていた。
そんなローベルの様子に、言動と態度の違いを理解したレイは、オルバンが親しくしているのはこういうのが理由かと納得し、自分がドーラン工房で知った諸々の情報を話す。
全てを語り終えるまでに三十分程が経過したものの、それを聞いたローベルは顔色を真っ青にする。
「き、聞いてはいました。聞いてはいましたけど……それでもまさか……」
オルバンからの手紙の情報と、実際にドーラン工房の諸々を自分の目で見てきたレイの説明とでは、リアルさが違う。
それがローベルにとって、大きなショックだったのだろう。
「俺が知った内容は以上だ。……それで、エグジニスを動かす者の一人であるローベルとしては、どうするんだ?」
「む、難しいですね」
ローベルの口から出て来たのは、レイにとって若干期待外れの言葉。
穏健派という話を聞いていたこともあり、てっきりすぐにでもドーラン工房に対してエグジニスとして何らかの手を打つといったようなことを期待していたのだ。
(いや、でもこの辺は仕方がないのか? 街を動かしているとはいえ、領主のように一人で全てを決められるって訳じゃないらしいし)
そう考え直すと、レイは改めてローベルに尋ねる。
「難しいかもしれないが、だからといってそのままにしておくって訳にもいかないのは事実だろう? もしエグジニスが何らかの行動を起こすよりも前にこの情報が広がったら、それこそエグジニスとしては最悪の結果になりかねない。商人として、それを受け入れられるか?」
「む、難しいことを言いますね。今の状況においては、どうすればいいのか……」
レイの言葉はローベルにとっても痛いところを突いていたのか、忙しく視線を動かす。
何らかの考えを纏めているのだろうと予想しながら、レイはローベルがどんな判断をするのか待つのだった。