2778話
捕らえた冒険者の最後の一人が急いで走っていくのを見送ると、レイは周囲の様子を警戒していたセトに感謝の言葉を口にする。
「ありがとな、セト。セトのおかげで余計な面倒は避けられた」
「グルゥ!」
レイの言葉に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
実際、レイが感謝の言葉を口にしたのはお世辞でも何でもない。
捕らえた冒険者達から情報収集をしている間、何度か誰かが近付いて来る気配を感じていたのだ。
だが、その気配もセトがいるのを見ると余計なちょっかいを出すと危険だと判断したのか、特に何かをする様子もなく去っていった。
これはレイにしてみれば余計な面倒が起きなくて幸運だったのは間違いない。
冒険者達から情報収集をしている時に余計なちょっかいを出された場合、最悪冒険者達が死んでいた可能性も否定は出来ないのだから。
そのような邪魔がないままに情報収集が出来て助かったのは間違いない。
感謝しながらセトを撫でていたレイは、ふとあの冒険者達から武器や防具、あるいはマジックアイテムの類があれば取り上げようとしていたのに忘れていたことを思い出す。
「あ、しまったな。……まぁ、いいか。あの連中も自分で行動する上で色々と必要な物はあるだろうし」
絶対に欲しい何かを持っていた訳ではないので、レイとしてもそこまで拘っている訳ではない。
何かいいのがあればラッキー程度の気持ちだったのだ。
「ともあれ、ある程度役に立つ情報は入手出来た」
警備兵がドーラン工房に不満を抱いているという情報や、スラム街の探索にゴーレムが使われるかもしれないということ。
他にも幾つか今のレイにとって重要な情報があったのは間違いなく、そういう意味では今回の尋問は成功したと言えるだろう。
「情報はオルバン……いや、ニナに知らせておいた方がいいか、セト、そろそろ戻るぞ。現在の状況でドーラン工房がどう出るかは分からない。……本当にゴーレムを投入してきたら、間違いなく大きな騒動になるだろうけどな」
ドーラン工房のゴーレムでレイが知ってるのは、イルナラ達が作ったゴーレムだけだ。
その限りでは、ゴーレムはかなりの巨体だった。
人よりも圧倒的な大きさを持っている以上、スラム街のような入り組んでいる場所を移動するとなると、間違いなく大きな騒動となる。
(その時、スラム街の住人がどう行動するかだな)
もしゴーレムを見て勝てないと判断し、すぐに逃げるのならいい。
だが、ゴーレムに向かって攻撃をした場合、その者達の大半は死ぬことになるだろう。
そしてスラム街の住人というのは、強気な者が多く……自分達の住居を破壊された場合は、逃げるよりも攻撃に出る可能性が高かった。
そうならないよう、風雪に今回の情報は回して、スラム街にはしっかりと情報を流しておく必要がある。
本来なら、レイがそこまでスラム街を心配する必要はない。
しかし、今回はレイがドーラン工房の手の及ばないところということでスラム街に隠れているのだ。
そうである以上、レイのせいでスラム街に被害が起きる……というのは、出来るだけ避けるべきだろう。
そう考え、レイはセトと共に風雪のアジトに戻るのだった。
「ドーラン工房のゴーレムですか。もしそのようなことになったら、スラム街の被害は甚大なものになるでしょう」
風雪のアジトにおいて、レイはニナに情報を話す。
幸い、ニナはまだアジトの中にいたので、レイがドーラン工房に雇われた冒険者から入手した情報を話したいと言うと、すぐに会うことが出来た。
他にも幾つかの情報を話したものの、やはりニナにとって……そして風雪やスラム街の住人にとって重要な情報は、ドーラン工房のゴーレムの一件となる。
もしそれが実行された場合、スラム街の受ける被害はかなりのものになると容易に予想出来るからだ。
「ああ。そんな訳で、ドーラン工房の動きを押さえるのなら少しでも早い方がいい。オルバンが約束していた、エグジニスを動かしている有力者との会談についてはどうなっている?」
「まだ調整中なのですけれど、そういうことなら少し無理をする必要があるかもしれません」
ニナにとっても、風雪は……そして風雪の存在するスラム街は、大きな意味を持つ場所だ。
それだけに、ドーラン工房のゴーレムによってスラム街に大きな被害が出るというのは、可能な限り避けたいと思うのは当然だろう。
それを阻止する為には、やはりドーラン工房に強い影響力を持つ人物を動かす必要がある。
(最悪、俺がドーラン工房に乗り込んで工房を破壊するといったような真似をしてもいいんだが……そうなった場合、利害関係の調整とか、そういうのが面倒なんだよな。ここがギルム……とまでいかなくても、普通に貴族の領地なら話は別だけど、自治都市だし)
現在の状況で一番厄介な点がそこだった。
ドーラン工房を潰せばそれでどうとでもなるのなら、それこそレイはすぐにでもセトと共に突っ込むだろう。
あるいはレイの代名詞ともなっている火災旋風でドーラン工房を襲撃してもいい。
だが、そのような真似をした場合、普通の貴族が治めている場所と違って間違いなく面倒なことになってしまうのだ。
最悪、レイの拠点はギルムである以上は面倒なことになるよりも前に、さっさとエグジニスを出ていくといった手段もない訳ではないが、そうなった場合は、それこそリンディやアンヌ、イルナラ……他にも今回の件に関わっている者の多くがどのような結末を迎えるのかが分からない。
「ともあれ、ドーラン工房の件を無事に終わらせることが出来るのなら、ある程度協力をしてもいいと思っている。風雪にとっても、今回の件はそのままにしておくといったような真似は、そうそう出来ないだろ?」
「そうですね。私達がここで無事に暮らせるというのを考えると、やはりドーラン工房が今のままというのは……少し難しいですね。出来ればここでドーラン工房には潰れて欲しいと思います」
レイの言葉に同意するように、ニナがそう告げる。
その言葉は、レイを驚かせるには十分だった。
何しろニナがドーラン工房が潰れた方がいいと、そんなことを口にしたのだから。
風雪はエグジニスにおいて大きな影響力を持つ。
当然ながら、その影響力の幾らかはドーラン工房という、今までにない性能を持つゴーレムを作る存在が関係していてもおかしくはない。
だというのに、ニナの口から出た言葉は先程のようなものなのだ。
「まさかニナの口からそんな言葉が出るとは思っていなかったな」
「そうですか? 私にとって大事なのは風雪であって、エグジニスでも……ましてや、ドーラン工房でもありません。勿論エグジニスがあってこその風雪だとは思いますが、それでも風雪とエグジニスを共倒れにしたいとは思っていませんから。これはある意味で当然のことかと」
「ニナがそう言うのなら、俺としてはそれでも構わない。ともあれ、この一件を素早く片付ける為には結局上に動いて貰うしかない。オルバンに、エグジニスを動かしてる奴との面会について少し急いで貰えるように頼めないか?」
「現在最優先で動いている以上、今よりも早くというのは恐らく難しいのではないかと。……ただ、スラム街にゴーレムを出すという件は重要ですね。私の方からオルバン様に話を通しておきます。それに……警備兵の件については、非常に助かりました」
「警備兵がドーラン工房の雑用扱いなのに不満を抱いてるって件か? そのくらいの情報なら、風雪の方で入手していてもおかしくはないと思うんだが」
「ええ、そのような気配があるという情報は知ってました。ですが、不満はあってもそこまで強くないとばかり思っていたので」
「読み違えていた訳か。……で、そっちはどうするんだ?」
そんなレイの質問に、ニナは少し迷う。
自分達がこの状況でどのような行動をするのかといったようなことを教えるのは、風雪にとって利益はない。
しかしここでレイにその辺について教えておかなければ、レイが何らかの行動をする時に自分達の行動を我知らず妨害するといった可能性も否定は出来なかった。
普通なら個人が組織の行動を邪魔出来るのか? と思うのだが、この場合の個人が普通の冒険者……例えばリンディのような存在なら問題ないものの、レイは異名持ちのランクA冒険者だ。
そのようなレイであれば、ニナが危惧するようなことがあってもおかしくはない。
であれば、ここで下手に隠し立てするより、しっかりと自分達がどう動くのかを話しておき、風雪の行動を妨害しないで貰う方がいいと判断して口を開く。
「風雪の中には、警備兵と繋がりのある者もいます。その者達を使って警備兵の不満を煽り、警備兵の内部で内輪揉めをさせて今回の件に関わらないようにします」
繋がりのある者という表現だったが、実際には風雪のメンバーが警備兵の中に潜り込んでいるのだろうとレイは予想する。
予想はするものの、だからといってそれに対して突っ込むような真似はしなかったが。
「それで何とか出来るのか? 今のエグジニスの様子を見れば、ドーラン工房の勢力として動いた方がいいと判断する者も決して少なくない筈だ」
警備兵の中には、レイが聞いたように……そして情報で入手したように、ドーラン工房の雑用として扱われることに不満を抱く者もいるだろう。
だが、不満を持っているとはいえ、それを理由に堂々とドーラン工房からの命令を無視して自分の動きたいように動くといった真似は、そうそう出来ない。
レイのそんな言葉に、しかしニナは自信に満ちた妖艶な笑みを浮かべて見せる。
「その辺はこちら次第でどうとでもなります。完全に……という訳ではありませんが」
「なら、いっそドーラン工房のゴーレムの秘密を噂として流したらどうだ?」
元々、ドーラン工房のゴーレムが人を素材にしているという噂は流れていた。
ただし、それは何らかの証拠があっての噂ではなく、ドーラン工房に嫉妬をしている者達が流した噂だ。
そうである以上、今ここでドーラン工房がネクロマンシーを使って人の魂を素材にしてゴーレムの核を作っているという更に詳しい情報を流せば、警備兵達も動揺するのではないか。
そう思ったレイだったが、ニナは首を横に振る。
「それは少し刺激が強すぎます。最悪、警備兵が真っ二つに割れて血で血を洗う戦いになる可能性があります。警備兵を動かさない為に警備兵を半壊、場合によっては壊滅させるというのは……それにもしそうなった場合、最悪盗賊がエグジニスを襲撃する可能性も否定出来ませんから」
「ああ、そう言えば盗賊がまだいたな」
ドーラン工房にとって、ゴーレムの核を作る為の生贄である盗賊。
だが、盗賊達は当然そのようなことを知らない以上、エグジニスの警備兵が半壊や壊滅したとなれば、エグジニスというお宝を求めて襲撃してくる可能性は十分にあった。
「でも、工房がこれだけたくさんあるんだ。盗賊程度が相手なら、ゴーレムでどうにか出来るんじゃないか? 俺が以前山で見た感じだと、ゴーレムの運用試験ということで盗賊の討伐をしていたし。それを考えれば、寧ろ多くの工房が盗賊が向こうから来てくれるのなら問題ないと考えてもおかしくないと思う」
「そういう工房もあるでしょうが、中には好戦的ではない工房もありますし、何よりも盗賊の数によっては街中に侵入される可能性もあります」
「……だろうな」
それはレイにも否定出来ない事実。
盗賊の数が具体的にどれくらいいるのかは、レイにも分からない。
そしてエグジニスは街という扱いになってはいるが、準都市とでも呼ぶべき規模を持つ。
それだけに、もし本当に盗賊達が一斉に襲ってきた場合……それも一ヶ所ではなく様々な場所から同時に襲撃してきた場合、それに対処するのは難しい。
勿論、そのような真似をした場合、盗賊側にも多大な被害が出るだろう。
そういう意味では、自滅を前提としたような襲撃でもある。
「そんな訳で、警備兵を一時的に動けなくするだけならともかく、全面的に内部抗争を起こすというのは上手くありません」
「そうだな。別に俺もエグジニスを壊滅させたい訳じゃないし……何より、そういう真似をしたらロジャーのいるジャーリス工房の方でも被害を受けかねないし」
ゴーレムの製作を頼んでいるだけに、レイとしては盗賊によってジャーリス工房に被害が出て、ゴーレムの製造に影響が出るというのは避けたい。
ならば、やはりニナの言う通りにするべきかと考えていると……風雪のメンバーが一人近付いてきて、レイに頭を下げる。
「レイさん、オルバン様がお呼びです。面会の準備が出来たとか」
そう、告げるのだった。