2776話
スラム街に侵入した者達のうち、十人を倒したレイとセトは残りの敵を見つけるべくスラム街を移動していた。
とはいえ、生憎とレイはエグジニスのスラム街については詳しくない。
……いや、それを言うのならギルムのスラム街についてもそこまで詳しい訳ではないのだが。
(いっそ、セトに飛んで貰って捜すか? いや、けどそれだとこっちがどこにいるのかもあっさりと見つかってしまうしな)
空を飛ぶセトというのは、当然ながら非常に目立つ。
普通に考えた場合、スラム街でレイ達を捜している者にしてみれば、セトを見ただけですぐにレイの存在を察するだろう。
(あ、いやでも……いっそ誘き寄せるという意味ではそっちの方がいいのか?)
自分で捜すのが難しいのなら、向こうから出て来て貰う。
それは決して間違った選択肢ではない。
だが、レイが先に見つけた場合は先程のように奇襲で先制攻撃を行うことも可能だ。
しかし、向こうが先に見つけるとなると、奇襲による先制攻撃は向こうから行われることになる。
レイとしては、敵が奇襲をしてもそれに対処出来るだけの自信はある。
あるが、それでも絶対という訳ではない。
また、ドーラン工房に雇われていると考えた場合、何らかのマジックアイテムを持ってる可能性もあった。
「あ、しまったな」
「グルゥ?」
不意にレイの口から出た言葉に、セトはどうしたの? と喉を鳴らす。
レイはそんなセトに何でもないと答えつつ、その身体を撫で……
(冒険者達が何らかのマジックアイテムを持ってるのなら、さっき倒した連中の中にもマジックアイテムを持ってる奴がいたかもしれないな。倒した後は全く気にしてなかったから、これは痛いミスだ。次はしっかりと調べよう)
そう判断すると、レイは改めてセトに話し掛ける。
「なぁ、セト。残りの追っ手がどこにいるのか分からない以上、いっそ俺がセトに乗ってスラム街を飛んで、敵を誘き寄せようと思うけど。どうだ? ただ、そうなった場合は向こうに先制攻撃される可能性が高い」
「グルゥ、グルルルゥ、グルルルルルゥ!」
もし攻撃されても、回避するから大丈夫。
そうセトは鳴き、そんなセトを見てレイも心を決める。
「分かった。なら……早速だけど空を飛ぶか。ただし、敵に見つけられるように空を飛ぶ必要があるから、空を飛ぶけど建物よりも少し高い場所くらいで頼む」
セトの背に跳び乗りながら、レイはセトに告げる。
一瞬、セトに乗らないでセトを狙う相手に対処した方がいいのではないか? と思ったが、敵が狙っているのはあくまでもレイであってセトではない。
レイがセトの背に乗って飛んでいるからこそ、攻撃を仕掛けてくる可能性が高いのだ。
「グルルゥ」
レイを背中に乗せたセトは、数歩の助走で空に飛び上がる。
指示通り、そこまで高くない場所を飛ぶセト。
周囲にある建物の少し上といったような場所を飛びながらも、スラム街に……もっと具体的にはこの周辺にいるだろう者達に自分の姿を見せることが出来る。
「さて、後は敵が一体どう出るかだな。何かあったら即座に反応出来るようにしておいた方がいいか」
そう告げ、レイはデスサイズと黄昏の槍をミスティリングから取り出す。
この状況から地上にいる者達が攻撃するとなれば、当然のように弓や投石、あるいは魔法といったような遠距離攻撃しかない。
そうである以上、それを防ぐにはやはり長柄の武器でそのような攻撃を防ぐ準備をする必要があった。
そのまま数分。
セトが空を飛び続け、そろそろ残りの敵に自分達が見つかるのではないかと思っているのだが、未だに敵が攻撃をしてくる様子はない。
(随分と遅いな。……まさか、俺達を見つけていないってことはないと思うんだが。そうなると、見つけてもこっちに手を出していない? けど、何でだ? 俺が誘き出そうとしているのに気が付いたからとか? けど、ドーラン工房に雇われている以上、それが分かったところで攻撃するしかないと思うんだが)
レイの行動を罠だと判断しても、それを見逃すことは出来ない。
レイを……そしてアンヌ達違法奴隷や、イルナラを含めた非主流派の錬金術師達を捕らえるように言われて――あるいは依頼されて――ここに来ているのだ。
そして現在、スラム街でレイ以外の者達がどこにいるのかは分からない。
そうである以上、何としてでもレイから情報を入手する必要があった。
(情報を入手するにしても、別に俺とセトを倒す必要がある訳でもないのか。寧ろ後をつけるといったような真似の方が有益か?)
常識的に考えて、エグジニスにいる者達の戦力でレイやセトをどうにかするというのは難しい。
そうである以上、アンヌやイルナラ達がどこにいるのかを探るのなら、レイとセトが拠点に戻る時にそれを追えばいい話となる。
とはいえ、そうなったからといってそう簡単に出来るといった訳ではないのだが。
空を自由に飛べるセトに対し、地上には建物の残骸が多数あり、場合によってはスラム街の住人に襲撃される可能性も否定は出来ないのだから。
とてもではないが、空を飛ぶセトを追うというのは簡単ではない。
(だとすれば、やっぱりここで攻撃をしてくるのが最善なのは間違いない……と、そう思うんだけどな。けど、一向に攻撃を仕掛けて来る様子がない。この辺は一体どうなってるんだろ?)
そんな疑問を抱きつつも、更に数分レイはセトに乗ってスラム街の上空を飛ぶ。
しかし、それでもやはり敵が攻撃してくる様子はなかった。
(慎重なのか、臆病なのか。どっちでもいいけど、厄介なことは間違いないな)
こうして敵が来るのを待っているというのに、その敵が来ないというのは、レイにとって面白いことではない。
いっそこのまま待ち続けて敵が耐えきれずに動くのを待つか? といった風にも思わないでもなかったが、今この状況で自分達に向かって攻撃をしてこない以上、ここで無駄に時間を使っても敵が攻撃をしてくるとは思えない。
そうなると、やはりここはもっと別の手段を選択する必要があった。
(空にいて手が出せないと判断している可能性もあるか?)
最初は弓や魔法、あるいは投石といった手段で攻撃をしてくるのかと考えていたレイだったが、レイ達を捕らえに来た以上、空に対する攻撃手段はそう多く持ってきているとは思えない。
勿論セトの存在を認識している以上、何らかの攻撃手段はあってもおかしくないものの、やはりこの状況において必須なのはアンヌやイルナラ達を始めとした、地上にいる相手を捕らえる、もしくは攻撃する為の手段だろう。
「そうなると、空を飛んでいてもあまり大きな効果はないと考えた方がいいか。セト、どこか広い場所、敵が攻撃しやすいような空間的な余裕のある場所に降りてくれるか?」
「グルゥ!」
任せて、と喉を鳴らすセト。
そうしてセトは、スラム街の中でもある程度自由に動けるようになっている場所に向かって降下していく。
セトはレイの考えを理解し、降下する速度も急降下といった訳ではなく、ゆっくりとした速度でだ。
もしセトの存在に気が付いている者がいれば、それこそ襲撃するにはこれ以上ない動き。
(あるいは襲撃をしても勝ち目がないと悟って、俺と戦うんじゃなくて拠点……アンヌ達がいる拠点を見つける為に尾行するといった可能性も否定は出来ないか)
レイと戦って勝ち目がない以上、そちらを目的にしてもおかしくはない。
ドーラン工房に雇われている者達に対する依頼は幾つもあってもおかしくはないのだから。
勿論、ドーラン工房にしてみれば、祭壇を奪ったと思われるレイの確保を最優先にと考えてもおかしくはないだろうが。
「セト、気が付いているとは思うけど、こっちに近付いて来ている連中には気が付いていない振りをしてくれよ」
「グルゥ」
降下していたセトの背の上でレイが告げると、セトは大丈夫と喉を鳴らす。
そんなセトを感謝の言葉を発しつつ撫でていると、やがてセトは地面に到着する。
(どうだ? こっちに仕掛ける様子は……ないな)
気配からして、周囲に何人もがいるのは分かっている。
とはいえ、その気配の主がドーラン工房に雇われている者なのか、もしくはスラム街の住人なのかということまでは判別出来ない。
強烈な殺意や敵意の類でもあれば話は別なのだが、生憎と周囲にいる気配の主はそこまでの強烈な感情を抱いている様子はなかった。
(そうなると、やっぱり尾行か。けど、それならそれでこっちもやりようはある)
何も知らない状況ならまだしも、尾行されるだろうと予想しているのなら、それに対処するのは難しい話ではない。
「じゃあ、そろそろアジトに戻るか。アンヌやイルナラ達も、俺達を心配しているだろうし」
セトに話し掛けるようにして、意図的にこれから自分達が向かう場所にはアンヌやイルナラがいるといった情報を流す。
レイにしてみれば、このような行動に反応して尾行をしてくれるのなら、対処するのは難しい話ではない。
ある意味、露骨な罠ではある。
しかし、今のレイを捜している者達にしてみれば、多少危ないと思ってもここで動かないという選択肢はない。
本当に慎重な者であれば、ここでは動かないといった選択肢もあるのだろうが。
レイ達を捜しにスラム街にやって来るような者達は、そこまで慎重ではない。
少なくてもレイはそのように思いながら、セトと共にスラム街を進む。
(さて、俺達についてきてる奴は……ああ、やっぱりいるな。この状況で尾行しているってことは、スラム街の住人って訳じゃない筈だ。絶対とは言えないけど)
スラム街の住人であっても、レイにちょっかいを出そうとする者がいないとは限らない。
とはいえ、この状況でレイを尾行してくる以上、何らかの害意を持っている可能性が高い。
そうである以上、そのような者がレイに攻撃されてもおかしくはなかった。
(とはいえ、問題なのは一体どこで仕掛けるかだよな。この近辺の地形を理解出来ている訳じゃないし。そうなると、どこか適当な場所で攻撃をした方がいいな)
どこで攻撃をするべきかを考えながら、レイはセトと共にスラム街を進む。
当然ながら、そんなレイとセトに対してスラム街の住人が攻撃をしてくる様子はない。
そうして歩きながら周囲の状況を眺めつつ、自分にとって都合のいい場所を探し……
(あそこだな)
スラム街をセトと共に進み、十分程が経過した頃……そこでレイは、都合のいい場所を発見する。
それなりに広く、建物が壊れている場所が多いので、レイやセトでも隠れられる場所も多い。
セトが自由に暴れるには少し厳しいが、レイが暴れるには十分な場所。
そのような場所の中央に移動したレイは、不意に足を止める。
レイが足を止めた以上、当然ながらセトもまた足を止めた。
そしてまた、レイ達を尾行していた相手も同様に足を止める。
「さて、セト。ここだとお前はちょっと動けないけど……セトならではの方法があるんだし。折角だからそれを使って貰おうか」
レイが何を言いたいのかを理解したセトは、すぐにその場から後ろを向き……
「グルルルルルルルルルゥ!」
周囲一帯に響き渡るような雄叫びを上げる。
王の威圧。
そのスキルは、セトが敵と判断した相手に対して動けなくするといったもので、もし抵抗に成功しても、効果時間内は動きが遅くなる。
いきなり放たれた王の威圧は、当然のようにレイ達の周囲に隠れていた者達の動きを止めることに成功した。
昨夜、アンヌやイルナラ達を連れて逃げている時にも、セトは王の威圧を使って追っ手を妨害している。
ドーラン工房に雇われている以上、その情報は知っていた可能性は高いし、あるいは昨夜王の威圧を使われた者がここにいる可能性も否定は出来ない。
だが……それでも、セトの放つ王の威圧は唐突だったこともあり、最大級の効果を発揮した。
「いいぞ、セト。何か妙な奴が近付いてこないか警戒しててくれ」
そう言い、レイは周囲に散らばっている気配の場所に向かう。
王の威圧の効果範囲外にいた者であっても、当然ながらセトの雄叫びは聞こえていた筈だ。
危険に対して鋭い感覚を持つスラム街の住人であれば、セトの雄叫びが聞こえてきた場所に近付く可能性は低い。
もっとも、中には危険だからこそ近付こうと思う者もいるのだが。
それが力試しであったり、スリルを求めてであったり、危険だからこそ儲けになると考えていたり……ともあれ、様々な理由で動く者もいるのだろうが、レイはそんな相手は特に気にする様子もなくドーラン工房に雇われた残りの者達を見つけてはロープで縛って確保していくのだった。