2775話
「あれか」
子供達に案内されてやって来た場所。
正確には見知らぬ者達のすぐ側まで移動した訳ではなく、遠くから今日になって急にスラム街にやって来た者達の姿を確認出来た。
「うん、あの人達だと思う」
レイの呟きに、子供の一人がそう返す。
子供にしてみれば自分で直接見た訳ではなく、情報として教えて貰ったのを利用し、それでレイをここまで連れてきたのだ。
だからこそ、子供達にとっても恐らく目的の相手があそこにいる者達だとは思っていても、本当にそうかと言われれば確信はない。
ただし、スラム街での行動を見れば明らかにスラム街の住人ではないというのは分かる。
「わかった。なら、これが報酬だ。少し色を付けておくぞ」
そう言い、レイはオーク肉と野菜のサンドイッチを約束の数ミスティリングから取り出し、二人の子供に渡す。
おまけとして、甘酸っぱいミカンに似た味の果実を数個も同時に。
「え? あ、ありがとう」
まさかレイが本当に約束通りの報酬を……しかもおまけ付きで果実までくれるとは思っていなかったのか、子供は驚きの声を出す。
スラム街にいる子供達が仕事をした場合、当初約束した通りの報酬がそのまま貰えるといったことは滅多にない。
報酬が足りないというのは日常的にあることだし、それどころか報酬が一切渡されないといったことも珍しくはなかった。
きちんと約束通りの報酬を寄越せと言った場合、最悪殺されてしまいかねない。
そういう意味で、こうしてきちんと報酬を支払われたのは子供達にとって嬉しいことだった。
「後は俺の方でやっておくから、お前達は急いでここを離れろ、下手にここにいた場合、戦いに巻き込まれるぞ。……まぁ、戦いらしい戦いになるかどうかは、また別の話だが」
集まっている人数は二十人くらいと聞いていたものの、レイの視線の先にいるのは十人くらいだ。
とはいえ、レイ達を捕らえる目的でスラム街にやって来たのなら、二十人が一塊になって行動するのは効率が悪い。
レイを見つけるのなら、それこそ数人くらいの集団で行動すればいいのだろうが、スラム街だけに数人で移動するのは何かあった時に怖いと思ったのだろう。
その結果として、十人で二チームを作ってレイを捜していた。
(中途半端なんだよな。……まぁ、十人が二十人でも恐らく結果は変わらなかったと思うけど)
レイにしてみれば、十人でも二十人でも戦う時の手間はそう違いない。
勿論十人よりは二十人の方が手間取るのは間違いないものの、だからといってそれは誤差程度だ。
盗賊狩りをする時、相手の数は三十人、四十人だったりすることも珍しくはないのだから。
それ以外にもレイにとって有利な点として、ここがスラム街であるというのがある。
建物が崩壊している場所がかなりあり、その分だけ集団で戦うといった真似は難しいのだ。
ただでさえ実力差のあるレイに対し、戦う場所が狭いことにより追っ手側も戦える人数は少ない。
……セトの場合は、身体が大きいので更に戦える場所は限られるが、セトの身体能力なら狭い場所でも十分に戦えるし、最悪空を飛ぶといった選択肢も存在している。
その辺りの事情を考えると、現在こうしてレイの視線の先に存在する相手はそこまで手こずる相手ではない。
(となると、後は捕らえて情報を聞き出せばいいか。……問題なのは、一体どのくらいの情報を持ってるかだな。こうして捨て駒として送られてくるのを考えれば、そこまで重要な情報はまず持ってないと思った方がいいだろうけど。それでも情報は情報だ)
そう判断すると、レイは自分の隣にいるセトに声を掛ける。
「セト、俺がまずあの連中に向かって突っ込むから、セトはあの連中が逃げないように注意してくれ。空を飛ぶのは……他の場所から見つかるかもしれないから出来れば飛ばないで欲しいが、それでも敵を逃がすよりはいい」
「グルルゥ」
レイの言葉に任せてと喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、あの程度の実力の持ち主と戦うというのは、そう難しい話ではない。
とはいえ、今回重要なのは敵を倒すのではなく逃がさないことなのだが。
「よし、なら頼んだ。俺は突っ込む。逃げようとした奴は……そうだな。出来るだけ殺さないようにしてくれ。あの連中も半ば捨て駒としてスラム街に送られたんだろうし」
「グルゥ?」
いいの? と少し疑問を抱いて喉を鳴らすセト。
だが、レイは問題ないと頷く。
「あの連中はそこまで情報を……ああ、もしかしたら俺を呼び出す為の何らかの特定の情報を持ってる可能性はあるか。ともあれ、殺す必要まではないと思う。積極的にネクロマンシーに協力していた奴がいた場合は、話が別だが」
レイの言葉を聞き、セトは納得した様子を見せる。
それが本気でそのように思っているのかどうかは、レイにも分からない。
しかし、セトが頷いた以上問題はないと判断し……レイは先程の子供達が既にこの場から離れて遠くに行ったことを確認すると、行動に出る。
デスサイズや黄昏の槍といったようないつもの武器を出すこともないまま、道を進む。
セトがその巨体にも関わらず、周囲に見つからないように行動しているのを確認しながら、レイもまた建物……もしくはその残骸を上手い具合に使いながら、男達に近付いていく。
男達はレイの存在に全く気が付いた様子もなく、スラム街の中を進んでいた。
「ったく、本当に見つかるのかよ? スラム街っていったって、この有様だぜ? とてもじゃないが、そう簡単に見つかるとは思えないんだが」
「それでもドーラン工房に侵入したレイ達を探すのが俺達の役目だろ。その為に相応の金額で雇われてるんだ。……お前だって、自分で望んでこっちに来た筈だろ? なんなら街中の捜索に参加してもよかったんだし」
「それは分かってるけどよ。こっちの方が報酬が高かったんだから、しょうがねえだろ」
「あのなぁ、報酬が高いってことは、相応の理由があるんだよ。その理由が、今回はスラム街という場所だった訳だ。それくらい、お前も分かるだろ?」
「それは……まぁ……」
そんな会話を聞きながら、レイは納得する。
まず最大の収穫としては、予想通りこの連中がドーラン工房に雇われた者達だったということだろう。
あるいは……本当に万が一の可能性ではあるが、レイやドーラン工房とは全く関係のない者達が、別の理由でスラム街にやって来たといった可能性も完全に消えた訳ではなかったのだ。
しかし、今の会話でその可能性は完全に消えた。
これはレイにとっては非常にありがたく、遠慮なしに攻撃出来るということを意味している。
そうして敵であるということが判明すると、レイは気配を消して隠れていた建物の陰から一気に襲い掛かる。
最初に攻撃したのは、スラム街に来たことを愚痴っていた男。
自分達がレイに攻撃する側で、自分達を攻撃する相手がいるとは思っていなかったのか、完全に油断した状態のままでレイの攻撃を食らう。
皮鎧を身に着けてはいたが、その上から振るわれたレイの拳は鎧越しに衝撃を伝えるには十分だった。
相手の体内に衝撃を与えるという意味では、ヴィヘラの使う浸魔掌がある。
だが、レイが今やったのは、スキルとして昇華されたようなものではなく、単純に高い身体能力にものを言わせて殴っただけだ。
あるいはこれがその辺の一般人なら、不意の一撃であっても鎧に防がれて大きなダメージを与えることは出来なかっただろう。
しかし、レイは違う。
レイの高い身体能力で振るわれた拳は、鎧によってある程度のダメージを防いでも、その上で更に強力なダメージを相手の体内に与えたのだ。
「ぐぼぉっ!」
レイの一撃によって一瞬にして意識を刈り取られる男。
その男が地面に倒れるのと同時に、側にいたもう一人の男の意識も刈り取る。
そうして二人が地面に崩れ落ちたことにより、他の者達もレイの存在に気が付く。
「レイだ!」
咄嗟にそう叫ぶことが出来たのは、レイという存在についてしっかりと理解していた為だろう。
レイを捜していたのだから当然だが、ドラゴンローブを着ていて隠蔽の効果で普通のローブにしか見えない。
その上、レイの代名詞たるデスサイズや黄昏の槍もなく、レイの従魔として有名なセトの姿もない。
にも関わらず、すぐにレイだと認識出来たのは、半ば勘でもあったのだろう。
ともあれ、勘ではあってもそれが事実であるのは間違いのない事実。
そうである以上、レイをレイと判断した上で攻撃をする者もいる。いるのだが……結局のところ、エグジニスにいる冒険者というのはレイが拠点としているギルムの冒険者と比べるとどうしてもレベルが劣る。
また、更に致命的なことに、冒険者達の目的は可能な限りレイを生け捕りにするようにとドーラン工房から注文が付けられていたのも大きい。
その為に殺すような一撃をレイに放つことが出来ないのだ。
実際には、この冒険者達が本気でレイを殺そうとしても、それこそレイならあっさりとその攻撃を回避したり、命中してもドラゴンローブの強固な防御力をどうにか出来る訳ではない。
ドーラン工房としては、レイの持つ新種のドラゴンの素材や、何よりもレイが持ち逃げしたのであろう祭壇を取り返す必要があっての命令だった。
レイがアイテムボックスを持つというのは有名な話だ。
そうである以上、魔法陣の部屋にあった祭壇がなくなっているのを見れば、誰がそれを持っていったのか予想するのは難しい話ではない。
(というか、そうである以上、俺を狙ってくる奴はドーラン工房が雇った奴の中でも腕利きでないとおかしいんだが……幾ら何でも、この程度の技量でか?)
十人全てが地面に倒れているのを見ながら、レイは疑問を抱く。
とはいえ、実際にレイを狙っていたのは間違いなく、十人のうち一人も逃げ出すといったことはなかった。
最後の一人になっても逃げ出さなかったのだから、そのプロ意識はさすがと言ってもいいだろう。
自分がここでレイを倒せば報酬を独り占めといったような思いがあったのも間違いないだろうが。
「グルルゥ」
レイが全員を倒したので、結局は特になにもやることがなかったセトが、退屈だったといったように喉を慣らしつつ近付いて来る。
「悪いな、セトを暇なままにさせて。でも、セトがいてくれるから、俺は思いきって飛び込むことが出来たんだぞ」
「グルゥ?」
そうなの? と疑問を口にするセトに、レイは頭を撫でてその通りだと示す。
今回は金に目が眩んだのか、全員が逃げずに攻撃してきた。
だが、中には仲間が次々と倒されていくのを見て、もう駄目だと判断して逃げる……といったような者もでかねない。
そのような時は、セトがいればレイとしても安心出来るだろう。
「ともあれ、ここにいるのはスラム街に入ってきた中でも半分だ。情報収集は……もう半分の方でどうにかするか。この連中の処分に関しては、スラム街の住人がやってくれるだろうし」
レイやセトがいるから今はどこにもいないが、レイ達がここを離れればすぐにスラム街の住人がやって来るだろう。
そうなると、冒険者達が持っている装備が奪われてしまうのは間違いない。
最悪違法奴隷になる可能性も否定は出来ないが、そこまでのことは起きないだろうと楽観的に予想している。
何しろ、レイがドーラン工房と揉めた大きな理由は、違法奴隷の件なのだから。
風雪がその辺を理解していれば、スラム街の方に情報を流しているだろう。
そうなれば、スラム街の住人であろうとも……いや、スラム街の住人であるからこそ、風雪の要望に逆らう真似は出来ない筈だった。
とはいえ、それでもスラム街の住人だ。
中には目先の利益に負けるといった者もいるかもしれないが。
(その辺は、さすがに運が悪いとしか言えないよな。とはいえ、奴隷商人……それも違法奴隷であっても買い取ってくれる相手に伝手があるかどうかというのは、また別の話だが)
そんな風に考えながら、レイは一応といった様子で周囲に叫ぶ。
「この連中から装備品を剥ぎ取るのは自由だが、殺したり違法奴隷にしたりした場合、その人物の命の保証は出来ない!」
その言葉がどこまで響いたのか。
それはレイにも分からなかったが、これ以上は自分を襲ってきた相手に配慮する必要もないだろうと判断し、セトと共にその場を後にする。
そうしてレイ達が消えてから数分……スラム街の住人達がやって来ると、気絶している者達から金目の物や装備品を剥ぎ取っていく。
ただし、レイの忠告が聞こえたのか奴隷にしようとしたり、後腐れなく殺そうとするような者は誰もいなかった。