2770話
レイとしては、出来れば今回の一件はあまり説明したくはない。
ドーラン工房の一件を知れば、間違いなく大きな騒動になるのだから。
ましてや、星の川亭に泊まっている客の大半は、ドーラン工房のゴーレムを目当てにしている者達だ。
そのような者達が事情を知ったらどうなるか。
とはいえ、レイの事情でここまで巻き込んでしまった以上、何の説明もしないという訳にはいかない。
結局レイとしては、ネクロマンシーの件については触れず、違法奴隷についての話をすることになる。
「そんな訳で、ドーラン工房の中には違法奴隷が多数いて、俺は違法奴隷にされた者の身内から頼まれて助け出した。だが、ドーラン工房としてはそんな事情を知っている俺達を放っておく訳にもいかないし、奪われた違法奴隷も取り返したい」
大雑把なレイの説明に、それを聞いた者の反応はそれぞれ異なる。
中には違法奴隷という言葉に信じられないといった様子を見せる者もいるし、違法奴隷程度で何を大袈裟なといったような態度の者もいる。
その辺は人それぞれではあったが、何人かは即座にその場を離れた。
(多分、護衛対象であったり、自分の主人であったりに、この一件を知らせに行ったんだろうな)
ドーラン工房が違法奴隷を集めていたというのは、間違いなく醜聞だ。
ネクロマンシーの一件よりは酷くないが、それでも人聞きが悪いのは間違いのない事実。
貴族や大商人の中には、そんな相手と取引をするのは不味いと考える者もいるだろう。
もしくは、その程度の問題なら何も影響がないので、取引を続けるといったような者もいてもおかしくはない。
ともあれ、最終的な判断は護衛を雇っている者達が行う必要がある。
そうである以上、レイの口から出た情報を少しでも早く知らせようとするのは悪い話ではない。
「話としてはそんな感じだ。悪いが、俺も色々とやることがあるから、そろそろ失礼させて貰うぞ」
そう言い、レイはその場を後にして階段に向かう。
その場に残った者の何人かは、まだレイに何かを聞きたそうにしていたものの、レイとしては最低限の義務は果たした以上、これ以上ここに残るという選択肢は存在しない。
そうして真っ直ぐに向かったのは、自分の部屋……ではなく、マルカ達のいる部屋。
カミラを匿って貰っているのがマルカである以上、そちらに向かうのは当然だった。
「マルカ、ニッキー、いるか? 俺だ、レイだ」
扉をノックすると、すぐに開く。
恐らくは扉の前に誰かいるのかを、ニッキーが気配で察していたのだろう。
レイも、特に気配を消すといった真似はしていなかったのだから。
「レイの兄貴、無事だったんすね!」
そう言うニッキーは、自分の尊敬するレイが無事に戻ってきたことを心の底から喜んでいるように思える。
正直なところ、レイとしては何故自分がここまでニッキーに慕われているのかが分からない。
分からないが、それでも友好的な相手がいるというのは悪い話ではない。
「ああ。色々と……それこそ、本当に色々とあったけど、取りあえず問題ない。俺だけじゃなくて、リンディも無事だよ」
「そうっすか。なら、カミラも喜ぶっすね。さぁ、中に入って下さい。色々と話を聞きたいっすから。お嬢様も興味津々でしょうし」
「余計なことを言うでない!」
扉の向こう側から聞こえてくる、マルカの叱責の声。
とはいえ、それはニッキーの言動に対して本当に怒っているといった訳ではなく、どこか気安い色がある。
ニッキーもそれを理解しているからこそ、マルカの叱責を特に気にした様子もなく、レイを部屋の中に入れたのだろう。
そうして部屋の中に入ったレイが見たのは、ソファで横になって眠っているカミラの姿。
現在は真夜中である以上、カミラのような子供にとって起きているというのは難しいだろう。
……カミラとそこまで年齢の離れていないマルカは、まだ普通に起きていたが。
この辺は育ちの違いもあるのだろう。
(とはいえ、子供の睡眠不足は成長に悪影響を与えるって何かで見た記憶があるけど)
自分はどうだったか。
そんな風に思いつつ、寝ているカミラを見ながら口を開く。
「カミラはどうする? 起こすか?」
アンヌの件を知らせてきたのは、カミラだ。
そしてアンヌのことを心配しているのも、間違いなくカミラである以上、まずはアンヌを無事に助け出したといった報告をした方がいいのかと、そのように思って尋ねると、マルカは少し考えてから頷く。
「そうじゃな。本来であれば、心配で眠れなかったところをようやく眠ったのじゃから起こしたくはないのじゃが……奴隷にされた知り合いの件ともなれば、出来るだけ早く伝えた方がいいじゃろう」
「そうっすね。かなり心配してましたから」
マルカに続いてニッキーもカミラを起こすことに賛成した以上、レイもそれに反対するような真似はせず、カミラを起こすことにする。
もしレイがカミラと同じ立場であっても、少しでも早くアンヌの件を知りたいと思うのは間違いなかったのだから。
「カミラ、起きろ、カミラ」
そう言いながら身体を揺すると、数秒もしないうちにカミラの目が開く。
「あれ? えっと……あ!」
最初こそ寝惚けていて自分がどこにいるのか、そして目の前に誰がいるのかが分からなかった様子だったが、それでも少しすると自分がどこにいて、目の前にいるのが誰なのかをしっかりと理解する。
「起きたか」
「アンヌ姉ちゃんは!?」
真っ先にそう聞いてくるのは、それだけアンヌのことを心配していたからなのだろう。
そんなカミラを安心させるように、レイは頷く。
「安心しろ。アンヌは助け出した。現在はドーラン工房の連中に見つからない場所にリンディと一緒に隠れている。俺がここに来たのは、リンディもアンヌも無事だとカミラに教える為だ」
「え? 何でここに連れて来てくれないのさ」
レイの言葉を疑ってるという訳ではないのだろうが、それでも何故レイと一緒にここに来るような真似はせず、隠れているのか。
そんな疑問を抱くのは、カミラにとって当然のことだろう。
「色々と理由があってな。その中でも大きいのは、違法奴隷にされていたのはアンヌだけじゃなくて、結構な人数がいたことだ。リンディの様子を見る限りだと、ブルダンの住人も何人かいたみたいだな」
「え?」
その情報はカミラにとっても予想外だったのだろう。
とはいえ、カミラは行動力こそ子供離れしているものの、結局はまだ孤児院に住んでいる子供でしかない。
また、ブルダンもそこまで大きな街ではないとはいえ、住人は相応の数がいる。
これが小さな村であれば、住民全員が顔見知りといったようなこともあるのだろうが、街の規模ともなればそのようなことはまずない。
だからこそ、ブルダンの住人でアンヌ以外に違法奴隷とされた者がいても、その人物を知っているといった訳にはいかなかったのだろう。
「それ以外にも、ドーラン工房でこっちの味方をしてくれた奴も一緒に逃げ出したし、何だかんだと結構な人数になったんだよ。だからこそ、今は全員で移動するよりも隠れている方がいい」
そう言われると、カミラも納得するしかない。
アンヌがいないのは残念だったものの、レイの言うことが本当であればそれも仕方がないと思わざるをえなかった。
「で、レイの兄貴。宿の周辺にいる連中は一体?」
マルカの護衛として選ばれただけあり、ニッキーは当然のように周辺にいる者達の存在については気が付いていた。
それでも宿の一階にいた者達のように下にいなかったのは、マルカの護衛はニッキーしかいなかったからだろう。
そうである以上、ニッキーとしてもマルカから離れる訳にはいかなかった。
「ドーラン工房の追っ手だろうな。狙いは……」
そこで言葉を切ったレイが視線を向けたのは、当然のようにカミラ。
そしてカミラは自分が見られているのに気が付き、驚きの表情で叫ぶ。
「え? 俺!?」
まさかここで自分の名前が出るとは思っていなかったのか、カミラは唖然とした様子で叫ぶ。
「ドーラン工房は、現在のエグジニスにおいては大きな影響力を持っている。そうである以上、カミラがリンディに会いに来たという情報は、すぐに集まる筈だ。そうなると、今夜ドーラン工房に侵入したリンディの弱点としてカミラを狙ってもおかしくはない」
レイの説明に、カミラの顔が驚きと恐怖に彩られ……だが、すぐにそんな相手に負けてたまるものかといったような表情に変わる。
へぇ、と。
カミラのとても子供とは思えないような意思の強さにレイは感心した。
あるいはドーラン工房という相手に狙われるということの意味を理解していないだけなのでは? とも思ったが、最初に恐怖の表情を浮かべていた以上、それはないだろう。
「それで、俺はどうすればいいの?」
「リンディやアンヌのいる場所まで連れていく。そこで今回の一件が解決するまでは匿って貰うつもりだ。もっとも、匿われる場所は外に出たりといったような真似は出来ない。それでも構わないか?」
「勿論だよ!」
元々、カミラはアンヌを助けて貰う為にエグジニスまでやって来たのだ。
そうである以上、助けたアンヌと一緒にいるというのはカミラにとって悪い話ではない。
「そうか。なら、準備は……特にないだろうけど、俺はマルカやニッキーに話がある。もう少し待っていてくれ」
「え? うん。分かった」
「取りあえず宿を出たら走ったりすることになると思うから、今は少し休んでおいた方がいい。いきなりでどうかと思うが、走ってる途中で体力切れになったら俺が担いで移動するからな」
そう言い、レイはマルカとニッキーを部屋の隅に呼ぶ。
違法奴隷に云々の件はともかく、ネクロマンシーであったり、人の魂を使ってゴーレムの核を作るといったようなことは、出来ればカミラには知らせたくなかった。
「どうしたのじゃ?」
「この件はカミラにはあまり聞かせたくない話だからな」
マルカの部屋は、クエント公爵家の借りた部屋だけあってかなりの広さを持つ。
同じ部屋の中にいても、部屋の隅で小声で話していれば普通ならカミラには聞こえないだろうくらいの広さだ。
そんな部屋の隅にマルカとニッキーを連れて来たレイは、ある意味で本題……ドーラン工房がネクロマンシーを使い、人の魂をゴーレムの核に使っていたことを説明する。
「何と……それは本当なのか?」
当然の話だが、マルカもドーラン工房のゴーレムを購入する為にエグジニスにやって来た以上、そのゴーレムがそのような物だと知らされれば、それで驚くなという方が無理だった。
マルカだけではなく、ニッキーもまたその表情は厳しく引き締められていた。
「ああ、間違いない。この件は当然ドーラン工房にとっては誰にも知られてはいけない秘密だ」
「……何故、そのような秘密を妾に?」
「俺が何らかの理由でこの件を公に出来なくなった場合、マルカに任せる為……ってのもあるが、当然おれはそんな風になるつもりはないからな。ただ、マルカとはそれなりに親しいから、教えておこうと思っただけだ」
「それは……感謝をすればいいのかどうか、微妙なところじゃな」
マルカにしてみれば、レイの言葉である以上は全面的に信じてもいいと思っている。
だが、それはあくまでも個人、もしくは私人としてのマルカの話であって、公爵令嬢としてのマルカは、レイの話している内容が大きいだけに、そう簡単に素直に信じてもいいのどうかと言われると微妙なところではあった。
「まぁ、この情報をどうするのかはマルカが決めればいい。俺はそれに対しては特に何かを言ったりするつもりはないしな」
「む……」
この情報を好きにしろと言われれば、これもまた悩むことになってしまう。
「ともあれ、この情報は伝えた。盗賊や違法奴隷を集めていたのは、多分これが理由だったんだろうな」
「面白くない話じゃな」
言葉通り不機嫌そうな様子でマルカが呟く。
そんなマルカの横では、ニッキーが沈黙を保ったままだ。
ただし、ニッキーの沈黙は自分の中にある怒りを何とか抑えようとするような、その為の沈黙。
何かあったら即座に爆発するだろうと思える状態。
何故いきなりニッキーがそのような状況になったのかは、当然レイも理解出来た。
レイが口にした内容が原因だったのは、明らかだ。
「ニッキー」
そんなニッキーの様子を心配し、マルカが名前を呼ぶ。
マルカに名前を呼ばれたニッキーは、少しの沈黙の後で口を開く。
「お嬢様、少しお願いがあるんですけど……」
マルカはニッキーの様子から何となくその願いを予想しつつも、話の先を促すのだった。