2769話
「待たせたな」
ロジャーとの話を終え、魔力で障壁を作るという防御用のマジックアイテム――正確にはゴーレムの部品なのだが――に魔力を注ぎ込み、もし何かあった時にロジャーの身を守れるようにしてから、レイは部屋の外に出る。
部屋の外ではレイをこの部屋まで案内した男が待っていた。
「いや、問題ない。では、そろそろ行くとしようか」
短くそう言うと、男はレイを案内して廊下を戻っていく。
ここに来るまではそこまで複雑な道でもなかったので、レイは別に案内がいなくても何の問題もなく移動出来る。
出来るのだが、ジャーリス工房にしてみれば自分達の工房を部外者に好き勝手に歩き回られるのは困るといったところなのだろう。
レイもその気持ちは十分に理解出来たので、それに対して特に何かを言うような真似はしなかった。
そうして受付のある場所に戻ってくると、先程レイが来た時に話した男が安堵した様子を見せる。
ロジャーの知り合いであると知っていても、やはり部外者がいるというのは思うところがあるのだろう。
レイにしてみれば、そこまで神経質にならなくてもと思わないでもない。
しかし、今のジャーリス工房はそのようなことになっても、おかしくはない。
ドーラン工房によってエグジニス最高の工房という名誉は奪われ、今は何とかそれを取り返そうと頑張っているのだ。
そんな中で部外者のレイが、それも日中ではなく夜中にやって来たのだから。
男の様子を見て心配をさせたのだと判断したレイは、受付の男に向かって軽く謝る。
「悪いな。少しロジャーと話が長すぎた」
「いえ、問題がなければ構いません」
そう言いながら、受付の男は案内役の男に視線を向ける。
その視線を受けた男は、レイには何の問題もなかったと示すように小さく頷く。
当然ながら、レイも男二人のそのようなやり取りは見ていたものの、それに対して特に何かを言うような真似はしない。
ここでそのような真似をしても、恐らく意味はないだろうと思っていたのもあるし、何よりそこまで心配するのも納得が出来た為だ。
「じゃあ、俺はそろそろ失礼する。……ロジャーにも言ったが、一応注意しておくか。もしかしたらドーラン工房の手の者がやって来てロジャーを寄越せとか言うかもしれないから、もしそのようなことになった時の為に、対応出来るようにしておいた方がいい」
「え? それは……本当ですか?」
「本当にそうなるかどうかは分からない。ただ、その可能性は皆無って訳じゃない。なら、そういう時の為に準備をしておいてもいいだろう?」
「……分かりました。レイさんが来たのも、その件だったのですね?」
「そうなるな」
レイが頷くと、受付の男は厳しい表情で案内役の男に視線を向ける。
そんな視線を向けられた男は、黙って頷くのだった。
受付との会話を終えると、レイはすぐにジャーリス工房を出る。
本来ならもう少し話していてもよかったのだが、今は星の川亭に移動するのを優先する必要があった。
ドーラン工房の手の者がジャーリス工房に来ていないという事は、それはつまり別の場所に人を派遣しているということになる。
そんな状況の中で狙われる可能性が高い場所となると……それはやはり星の川亭となる。
エグジニスにおけるレイの拠点にして、そこには人質になりそうなカミラもいるのだから。
(問題なのは、セトが今どこにいるのかだよな)
レイがジャーリス工房に忍び込む前に、ドーラン工房の追っ手に対する陽動の為に、レイはセトと別行動をとっている。
その時はある程度の時間が経ったら星の川亭に戻るようにと言っておいた。
しかし……レイのことが大好きなセトだ。
自分が頑張れば頑張るだけレイが安全になると知れば、当然のようにすぐに星の川亭に戻るようなことをせずにいてもおかしくはない。
とはいえ、それでもエグジニスにセトをどうにか出来る相手がいるとは思えないので、そこまで心配はしていないのだが。
(あ、でもドーラン工房のゴーレムが出て来ると、ちょっと不味いか?)
結局のところ、レイはドーラン工房のゴーレムが具体的にどのような性能なのかというのは知らない。
イルナラ達が作ったゴーレムとは戦ったものの、イルナラ達は結局のところドーラン工房の中でも非主流派の錬金術師達で、ましてや与えられた心核が恐らくそこまで性能の高い物ではない。
それでもネクロマンシーを使って魂を素材にしているという話を聞いた時は、イルナラ達もかなりショックを受けている様子だったが。
ともあれ、何をするにも星の川亭に戻ってからだろう。
そう判断したレイは、ジャーリス工房に近付いた時のように可能な限り気配を消しながら、街中を進む。
途中で何人かの冒険者や警備兵と遭遇したものの、素早く隠れたり、気配を殺していたおかげで特に見つかるといったようなことはなかった。
そうして星の川亭に近付いていくと……
(やっぱりな)
既に時間は真夜中に近い。
だというのに、星の川亭に近付くにつれて冒険者と思しき者達の数が増えていく。
不思議なのは、そんな中に警備兵の姿がないことか。
それが否応にもこの冒険者達がドーラン工房に雇われている者達なのだろうと、そう予想出来る。
(いっそ、こいつらを無力化していくか?)
星の川亭でこの全員と戦うよりは、その前に数を減らしていった方がいい。
そう考えるレイだったが、それよりもまずは星の川亭に戻るのを優先した方がいいだろうと思い直す。
星の川亭には、貴族や大商人といった者達も多数泊まっている。
血の刃の暗殺者の一件で別の宿に移った者も多かったが、それでもまだ結構な人数が残っているのは間違いのない事実だ。
それだけに、迂闊に星の川亭を襲撃するなどといったような真似をした場合、間違いなく問題となる。
雇われただけとはいえ、それに参加した冒険者も何らかのペナルティが与えられることになるのは間違いないだろう。
ましてや、星の川亭のような最高級の宿に泊まっている者となれば、相応に腕の立つ護衛を連れているのも珍しい話ではない。
そのような者達と戦うようなことになった場合、間違いなく冒険者側にも被害が出る。
冒険者の中には自分が絶対的な強さを持っているという自信を持つ者もいるので、その自信が本物であった場合は護衛側にも被害は出るだろうが。
(そうだな。ならいっそ堂々として移動した方がいいか。そうすれば星の川亭にちょっかいを出したりは出来ないだろうし、実力差を理解出来る奴なら大人しく退く。それでも攻撃してくる奴がいたら、その時は取りあえず殺さない程度に痛めつければいいだろ)
そう判断すると、レイは気配を消すのを止める。
そしてミスティリングから自分の象徴でもあるデスサイズと黄昏の槍を取り出し、星の川亭に続く道を堂々と歩き出す。
当然ながら、そのような真似をするレイの存在はすぐに冒険者達も気が付く。
気が付くが、レイが予想したように実力差を理解し、多くの冒険者が手を出すといった真似が出来なくなる。
「ひっ!」
ある男は、自分の実力には自信があったものの、レイを見た瞬間に我知らず妙な声が出て動きを止める。
ドーラン工房に雇われた冒険者は、本来ならレイを……そしてレイと一緒に逃げ出したイルナラ達や逃亡奴隷を連れ戻すように言われている。
自分ならそのようなことは容易に出来る。
そう思っていたのだが、そんな自信は武器を手に歩いているレイを見た瞬間に霧散してしまった。
レイの持つ大鎌と槍は、それぞれが一つだけでも圧倒的なまでの存在感を持つ。
だというのに、そんな二つの武器よりも目を離してはいけないと思えるのは、レイの存在だった。
一切気配を殺すといったような真似はせず、それどころか自分に向かって攻撃してくるような者がいれば即座に反撃するといったつもりの、そんな雰囲気を発しているレイ。
この状況で手を出すのは、よほどの自信家か、本当の意味での実力者か、あるいはお互いの力量差を理解出来ないような愚者か。
幸か不幸か、星の川亭に向かう道に集まっていた者の中にはそのような者はおらず、全員がレイとの実力差を理解出来る者達だった。
……正確には、自分よりも圧倒的に強いというのは分かるものの、具体的にどのくらいの実力差があるのかといったような事は分からない者が多数だったのだが。
それでもレイに向かって攻撃をするような者がいなかったので、レイとしては正直どうでもいい。
強者としての気配を剥き出しにし、デスサイズと黄昏の槍を手にして進んでいるのは、あくまでも余計な戦闘を避けたいからだ。
つまり、戦闘を避けることが出来るのなら別にその理由が何であっても構わなかった。
そうして恐怖や畏怖の視線を受けながら、レイは道を進む。
やがてそれなりに見慣れた星の川亭の姿が見えてくると、特に戦闘の類が起こっている様子がないことに安堵しながら、宿の中に入る……のではなく、厩舎に向かう。
「グルルルルゥ!」
厩舎に向かったレイを待っていたのは、セト。
そんなセトの姿を見て、レイは安堵した様子で頭を撫でる。
「無事に戻ってたか。……それにしても、厩舎の中にいるってことは、誰かが入れてくれたのか? それはともかくとして、怪我はないな?」
「グルルルゥ!」
当然でしょ、と喉を鳴らすセト。
高ランクモンスターのセトにしてみれば、先程自分を追っていた相手程度に怪我を負わされる筈もない。
ましてや、自分が怪我をした場合はレイが悲しむと分かっているのだ。
そうである以上、セトが迂闊に怪我をするといったような真似を出来る筈もない。
「そうか。後で何か美味い料理を食わせてやるからな」
美味い料理と聞き、嬉しそうな様子を見せるセト。
セトは食べるという行為が好きだ。
特にそれが美味い料理なら尚更だろう。
そしてレイが食べさせてくれる料理……ミスティリングに収納されている料理は、そのどれもがレイが美味いと思った料理で、それはセトが食べても当然のように美味いと思える。
だからこそ、セトはレイの言葉に喜んだのだ。
その後数分程セトを撫でていたレイは、出来ればもう少しこの時間を楽しみたかったものの、今はまずマルカ達と会うのを優先した方がいいということで、セトから手を放す。
「じゃあ、俺はちょっとマルカ達に今夜の件を話してくる。セトは……この厩舎にいれば大丈夫だと思うけど、もし襲ってくるような敵がいた場合、反撃してもいいぞ」
「グルゥ!」
任せて、とそう喉を鳴らすセトを最後にもう一度撫でてから、レイは厩舎を出る。
そうして宿に向かったのだが、宿の入り口付近を見ても特に敵……ドーラン工房の手の者の姿はない。
レイがここまでやって来た時に放っていた殺気……いや、闘気を考えれば当然かもしれないが。
あるいは……と、レイはまだ扉を開けていない星の川亭の建物を見る。
扉の向こう側には、十人を超える者の気配があった。
レイの闘気に反応したのか、それとも星の川亭の周囲に集まってきている者達を警戒してのことなのか。
その辺はレイも分からなかったが、ここで扉を開けないという選択肢はレイにはない。
手を伸ばし、扉を開ける。
この時、決して乱暴に扉を開けるといったような真似をしてはいけない。
何故なら、扉の向こう側にいるのは外にいる相手を警戒している者達なのだから。
ここで乱暴に扉を開けて中に入ろうものなら、それこそ即座に敵だと認識されてしまい、有無を言わさず攻撃されてもおかしくはない。
だからこそレイは宿の中にいる者達に警戒されないように扉を開け、中に入る。
そのように気を遣っても、やはり宿の中にいる者からは鋭い視線を向けられた。
問答無用で攻撃をされなかったことに安堵しながら、改めて宿の中を見回す。
(十人くらいだと思ったけど、もう少しいるな。なかなか気配を殺すのが上手い)
感心ながらも、レイは待ち受けていた者達に特に何も言わず階段に向かおうとし……
「ちょっと待って下さい」
そんなレイに向かい、待ち受けていた者の一人……二十代の女が声を掛ける。
「何だ?」
「何だではなく、現在星の川亭の周辺で起きてる事態、分からないとは言わせませんよ。貴方が今回の一件に関わっているのでしょう?」
貴族の護衛をしている女としては、このような状況の中で堂々と外からやって来たレイが、今回の一件に全く関わっていないという選択肢は存在しなかった。
そうである以上、今の状況がどうなっているのかを聞きたいと思うのは、当然の話だろう。
それは女だけではなく、他の面々も同様だった。
そんな相手に、レイはどうするべきか考え……やがて頷くのだった。




