2767話
「あそこか」
レイは視線の先に見える建物……ジャーリス工房を確認し、安堵する。
安堵した理由の一つは、レイが心配していたようにドーラン工房の手の者によってジャーリス工房が襲撃されるといったようなことが起きていなかったからというのが正しい。
ジャーリス工房は特に何か騒動が起きているようには見えず、その場にひっそりと佇んでいたのだ。
勿論、実は腕利きの誰かが単独、もしくは少数でジャーリス工房の中に侵入してロジャーを狙っているといった可能性も否定は出来ない。
否定は出来ないが、それでも今の状況を思えば恐らくそれはないだろうというのがレイの予想だった。
「後は、俺がどうにかして見つからないようにジャーリス工房に到着する必要があるな。この状況で俺と繋がりのあるロジャーに手を出していないって事は、俺がジャーリス工房に姿を現すのを待ってる可能性もあるしな」
自分に言い聞かせるように呟きつつ、レイは周囲から見えないように注意しながら建物の陰を使ってジャーリス工房に近付いていく。
当然ながら、レイは可能な限り気配を消しており、そう簡単に見つかるといったようなことはない。
結果として、特に誰かに襲撃されるようなこともないまま、レイは無事にジャーリス工房に到着した。
(あれ? それっぽい気配の類は誰もなかったけど……もしかして、本当に誰もいなかったりするのか? いや、けど……それは有り得るのか?)
そんな疑問を抱くレイだったが、実際にジャーリス工房の周囲には特に人の気配がある訳でもない。
あるいはレイにも気配を察することが出来ないような腕利きや、そのようなマジックアイテムでもあるのか?
そんな風に思ったが、後者はともかく前者の可能性は限りなく低いだろうと、そんな予想がレイにはある。
そうなると、一番怪しいのはマジックアイテムだろう。
マジックアイテムというのは、レイにとっては思いも寄らない効果を発揮するような物も多い。
特にダンジョンから発見されるようなマジックアイテムは、対のオーブを始めとして現在のこの世界ではオーバーテクノロジー的な物も多い。
そしてこのエグジニスはゴーレム産業が盛んな街であり、錬金術師も多い。
とはいえ、錬金術師の大半はゴーレムに製造に特化しており、普通の錬金術師のようにマジックアイテムを作るのが得意という訳ではないのだが……それでも、中にはそちら方面にも才能のある錬金術師がいる可能性は否定出来なかった。
(とはいえ、その辺を心配しすぎても意味はないしな。結局のところ、実際に行動してみないと何とも言えないし)
もし誰かが出て来たら、それはそれで適当に対処しよう。
そう判断したレイは、ジャーリス工房に向けて一歩を踏み出す。
いつ誰が現れても問題がないようにと、そんな風に進んでいたのだが……
「あれ?」
てっきりジャーリス工房に近付けば、その瞬間に誰かが現れると、そう思っていたのだが……結局誰にも遭遇することなく、ジャーリス工房に到着する。
その敷地内に入ってみても、やはり誰かが姿を現す様子はない。
(いや、俺を狙ってる奴はともかく、ジャーリス工房の警備をしてる奴とかは現れてもいいと思うんだが。夜だから寝てるとか? いや、さすがにそれはないと思うけど)
ドーラン工房の一件で街中がかなり騒がしいことになっているのは間違いない。
そうである以上、ジャーリス工房でも何かあったら即座に対応出来るようにと、準備をしていてもおかしくはない筈だった。
しかし、レイが見たところではジャーリス工房に特に動きはない。
そんな様子に疑問を抱きつつも、レイはジャーリス工房の建物に入っていく。
当然ながら、ドーラン工房に入った時のように本来なら入らないような場所から入るのではなく、きちんとした受付にだ。
もしかしたら、夜だから受付に誰もいないのか? と思ったものの、中年の男が一人、受付にいた。
本来なら受付というのは顔立ちの整った女が多いし、実際にレイが昼間にジャーリス工房に来た時の受付も美人と呼ぶに相応しい女だった。
しかし、今こうして待っているのは男。
(寝不足は肌に悪いとか、そういう話も聞くから、その辺が関係しているのかもしれないな)
そんな風に思いつつ、レイはじっと自分を見ている男に話し掛ける。
「ロジャーに会いたいんだが」
「……どなたですか?」
ロジャーに会いたいという言葉を聞くと、受付の男がレイを見る視線には疑惑の色が強くなる。
ジャーリス工房にとって、ロジャーというのは非常に腕の立つ錬金術師だ。ある意味で宝と表現しても間違いではない。
そんなジャーリス工房の宝に、夜中にいきなり見知らぬ人物が現れて会いたいと言ったのだから、それに警戒するなという方が無理だろう。
もしレイが何か妙な真似をしたら、すぐにでも警備兵を呼ぼう。
そう思いながら、それでも一応といったようにレイが誰なのかと尋ねてくる辺り、律儀な一面があるのだろう。
「ロジャーの知り合いのレイだ」
そう言い、被っていたドラゴンローブのフードを脱ぐ。
レイ個人としては自分の顔に色々と思うところはあるが、女顔で比較的整っているその容姿は、レイであるという証明の一つに使えないこともない。
実際、受付の男はレイの名前を聞いて顔を見ると、数秒前まで浮かべていた疑わしそうな表情が一瞬にして消えたのだから。
「ああ、貴方が、話は聞いてます。なんでもロジャーさんに未知のモンスターの素材を譲渡してくれたとか」
「オークナーガか? その件なら間違っていないな。……で、ロジャーはまだ工房にいるのか?」
「ええ、今日はまだ工房の方で研究をしていますよ。ロジャーさんに会いたいとのことでしたが、呼びましょうか? それとも誰か呼んでロジャーさんのいる研究所まで案内しましょうか?」
「場所を教えて貰えば、俺が一人で行ってもいいんだが?」
「いえ、さすがにそれは不味いです。ジャーリス工房は歴史ある工房で、多くの技術を保有しています。万が一のことがあった場合、レイさんが疑われないようにするには証人が必要となります」
上手いことを言うなというのが、レイの純粋な感想だった。
実際にはレイが妙なこと……具体的には産業スパイのような真似をしないように見張るという意味の方が強いのだろうが、それでもこのように言われてはレイも断ることは出来ない。
「分かった。ならロジャーを呼んでくれ。至急ロジャーに話したいことがあるから、急いでな」
「分かりましたけど……本当に急いでロジャーさんに会いたいのなら、来るのを待つより直接会いに行った方がいいですよ? ロジャーさん、ゴーレムの研究となると集中して、外から声をかけてもなかなか反応しませんから」
「なら、案内人を頼む」
レイとしては、ドーラン工房の件を出来るだけ早いところロジャーに知らせたかった。
特にネクロマンシーをゴーレムに応用しており、ゴーレムの核には人の魂が使われているというのは、ロジャーにとっても興味深いだろう。
何より、それによってドーラン工房がレイとの付き合いがあるという点でロジャーが狙われるかもしれないという情報は、少しでも早く知らせる必要があった。
その為に人を呼ぶように頼むと、男は受付の席から立ち上がると少し離れた場所にある部屋に向かう。
そうして部屋から出て来た時、男は冒険者と思しき人物を連れていた。
「この者が案内しますので、ついていって下さい」
「分かった。よろしく頼む」
そう言うレイだったが、レイが見たところでは案内役の男も雇われの冒険者にしか見えない。
それはつまり、ジャーリス工房にある技術を盗むかもしれない人物の一人ではないか? と思ったのだが、受付の男が問題なく信じているということは、その辺の問題もないだろうと判断する。
「案内する。こっちだ」
言葉短くそう告げてくる男に案内され、レイは建物の中を進む。
「お前はこの研究所に雇われて長いのか?」
「……何故そう思う?」
廊下を進みながら、沈黙に耐えかねたかのようにレイは男に尋ねる。
男の方は何故そのようなことを聞かされたのかが理解出来ないといった様子で尋ねてくるが、レイは先程感じた疑問……冒険者風の男なのに、自分を案内するように言われていたことを疑問に思ったと説明する。
「なるほどな。そういう意味では長いと言ってもいい。ドーラン工房がジャーリス工房を追い抜くかなり前から雇われていたからな。半分ジャーリス工房の職員に近い形だ」
あっさりとそう告げる様子は、別にこの件を隠そうと思っている訳でもないのだろう。
男にしてみれば、自分の働いている場所はエグジニスでも最高峰の工房の一つであるという、そんな自負があってもおかしくはなかった
「そういうものか。なら、ドーラン工房に対しては思うところがあるのか?」
「ないと言えば嘘になる。しかし、今は負けていてもロジャーさんならいずれドーラン工房を追い抜けるだろう」
それはロジャーという錬金術師の技量を完全に信じているからこその言葉。
先程の受付と話した時も思ったが、ロジャーはレイが予想していたよりも人望が厚いらしい。
……レイの場合は出会いが出会いだったので、どうしてもそのようには思えなかったのだが。
そんな風に話しながら進んでいると、やがて案内役の男が足を止める。
「ここにいる筈だ。俺はここで待ってるから、話をするのなら中に入るといい」
「分かった。ここまで案内してくれて助かった」
そう言うと扉をノックするのだが、中からの反応はない。
扉の向こう側には気配があり、中に誰かが……ロジャーがいるのは、ほぼ間違いない。
だというのに、何故出て来ないのか。
そう疑問に思っていると、案内役の男がレイに話し掛ける。
「恐らく集中していて外の様子に気がついてないのだろう。さっさと扉を開けた方がいい」
いいのか? と思ったが、案内役の男がそう言うのであれば問題ないだろうと判断し、扉を開ける。
すると部屋の中では、ロジャーが机に座って必死になって何かを書いており……
「違う、こうじゃないっ! これでは全く意味がない! もっと別の何かだ。別の何かが……」
書いてる途中で不意にそう叫び、紙を丸めて床に放り投げる。
そして再び紙に向かって何かを書こうとし……
「ロジャー」
「ん? ……レイ? 一体どうしてここに?」
レイの声で我に返ると、そこにいた人物の顔を確認して驚きの表情を浮かべる。
レイはそんなロジャーの様子に呆れながらも、扉を閉めて案内役の男に自分達の会話が聞こえないようにしてから、テーブルに近付いていく。
「一応ノックはしたんだけどな。全く反応がなかったから、勝手に開けさせて貰った」
「それは別に構わない。けど、こんな時間にここに来たとなると、何か重要なことがあるんだろ?」
「そうだな。正直なところ色々とありすぎて何から言えばいいのか分からないか……まず、ドーラン工房のゴーレムが何故あそこまで高性能なのかが判明した」
「な……何故? 一体どうやって分かったのだ? 人を素材にしているというので調べてみたが、それらしい場所はなかった。私では分からなかったことが、何故レイに……?」
ロジャーにしてみれば、ある意味屈辱ではあるのだろう。
ゴーレムの専門家である自分が全く理解出来なかったことを、レイが解明したというのだから。
とはいえ、レイの場合はロジャーのようにゴーレムを解析してその性能の秘密を見つけた訳ではなく、祭壇や魔法陣のある部屋を見つけ、グリムから話を聞いて理解したのだ。
ある意味カンニングをしたような形である以上、ロジャーががっかりする必要はないのだが。
「俺が調べて判明した訳じゃなくて、師匠から話を聞いて判明したんだ。別に俺の力じゃない」
「そうか。……それでも、私が調べて見つけられなかったものをすぐに見つけられるとは……驚きだよ」
「ゴーレムの専門家だからこそ、分からなかったというのが正しいんだろうけどな」
「……どういう意味だ?」
「人を素材にしていたのは間違いない。だが、それは人の身体をゴーレムの素材にしていた訳じゃなくて、人の魂をゴーレムの核に使っていたんだよ」
「人の魂を……? それは一体どういう?」
「文字通りの意味だ。人の身体を素材にしている訳じゃなく、ネクロマンシーを使って人の魂を素材として使っている。この辺はロジャーにとっては完全に予想外だったのかもしれないが」
レイの言葉の意味がしっかりとは分からなかったらしいロジャーに、レイは自分が見てきた詳細を説明するのだった。