2765話
オルバンとの話がついたレイは、取りあえず今日の会談はそれで終わりということになり、アンヌやイルナラ、リンディのいる部屋に戻る。
「どうやら、いい会談が出来たようですね」
リンディ達がいる部屋までを案内するニナの言葉に、レイは頷く。
「ああ。思っていたよりもかなりいい話だった」
レイにしてみれば、暗殺者ギルドを率いている人物との会談だ。
そう考えれば、最悪敵対するといったようなことになっていた可能性も、否定は出来なかった。
しかし、実際にはレイとオルバンの間にあったのは友好的な雰囲気だ。
オルバンにしてみれば、レイという実力者と敵対したくないという思いもあったのだろうし、レイが本気になって暴れた場合、それこそエグジニスが灰燼に帰すといった可能性もある以上、慎重にならざるを得なかったというのが正直なところなのだろうが。
そうして会話を進めながら道を歩き、やがてレイにとっても見覚えのある部屋に到着する。
「では、私は失礼します。部屋の外に護衛がいますから、何かあったらそちらに言って下さい」
護衛……というのは間違っていないのだろうが、実際には見張りも兼ねているのだろうことは、レイにも容易に想像出来た。
とはいえ、それで苛立ちを覚えたりといったようなことはレイにもない。
こことは違う場所であれば、そのようなことを思ってもおかしくはないのだが、ここは暗殺者ギルド……それもその辺の暗殺者ギルドではなく、エグジニスの中でも最大の暗殺者ギルドのアジトなのだ。
当然ながら警戒心は強く、匿っている相手であってもアジトの中を自由に行動させるといったような真似が出来る筈もなく、見張りの類が用意されるのは当然の話だった。
「分かった。なら、そうさせて貰う。ただ、匿って貰う連中はともかく、俺は多分一度外に出ることになると思うが」
「いいのですか? 外では恐らくドーラン工房の手の者がレイ様達を探していると思いますが」
「だろうな。ただ、今の状況を思えば俺もここに隠れているだけって訳にはいかないんだよ。それに、星の川亭にも行く必要があるし」
マルカ達に自分の無事を伝える必要があるし、アンヌの件でブルダンからエグジニスまで歩いてやって来たカミラにも、アンヌを助けたと教えて安心させておく必要があった。
「そうですか。では、気をつけて下さい。レイ様なら問題はないと思いますが、街中にはまだドーラン工房の者達がいてもおかしくはありません」
「この時間になると、酔っ払いでもなくて素面の状態で動き回っていると目立つからな。そういう連中に見つからないように行動するのは得意だ。……セトを連れている俺が一番目立つだろうけど」
「あはは、そうですね」
レイの言う通り、素面の冒険者達が数人集まって動いているよりも、レイとセトが一緒に行動している方が圧倒的に目立つのは間違いのない事実だ。
それこそどちらの方が見つけやすいのかと言われれば、ほぼ全ての者達はレイとセトと言うだろう。
……とはいえ、見つけやすいからといって捕らえやすいのかと言われれば、その答えは当然のように否なのだが。
深紅の異名を持ち、ランクA冒険者のレイ。
希少種ということで、ランクSモンスター相当といった扱いを受けているセト。
そんな一人と一匹を見つけたとして、捕らえるといった真似は……少なくても、ドーラン工房に雇われている冒険者には難しいだろう。
可能性があるとすれば、それは冒険者がどうにかするのではなく、ゴーレムを使ってどうにかするといったようなことくらいか。
ドーラン工房のゴーレムだけに、その性能は間違いなく高いのだから。
ただし、レイは非主流派のイルナラ達が作ったとはいえ、ゴーレムを倒している。
それもただ一人で複数のゴーレムを相手にしてだ。
主流派のゴーレム……現在、エグジニスにおいてドーラン工房のゴーレムとして人気のゴーレムと比べると、当然その性能は劣るだろう。
しかし、それでも複数のゴーレムを相手に勝つといった真似をした以上、主流派のゴーレムでもそう簡単に勝てるような代物ではない。
「とにかく、オルバンが俺の頼みを聞いてくれたから、この件が無事に終わる可能性はまだある。そうである以上、今はまず俺はやるべきことをやるだけだ」
そんな会話をしながらアジトの中を進み、やがて目的の場所……リンディ達が待っている部屋に到着する。
当然の話だが、既に扉の前には護衛兼見張りの暗殺者が立っており、扉の向こう側にいる者達がここから先には通さないようにしていた。
とはいえ、それはあくまでも部外者であるレイ達に対しての話だ。
レイと一緒にいるニナは風雪の幹部である以上、視線を向ければそれだけでニナが何を言いたいのかを理解し、扉の前から移動する。
「では、私はこの辺で失礼します。色々とやるべきことがありますので」
具体的にどのような仕事があるのかといったことは、ニナも口にしない。
ただ、それでもレイは予想することが出来る。
具体的には、今回レイ達が転がり込んできた一件に関係しているのだろうと。
(というか、多分オルバンが言っていたエグジニスを動かしてる奴の一人と俺を面会させる件だろうな)
そんなレイの予想が正解していた場合、この件は間違いなくレイがきたからこその仕事だ。
あるいは、奴隷の首輪の解除の件という可能性もある。
ともあれ、レイが来たのが理由でこのようなことになっている以上、仕事に向かうというニナを引き留める真似をする訳にもいかない。
「分かった。頑張ってくれ」
レイの言葉に一礼し、去っていくニナ。
そんなニナを見送ると、レイは護衛兼監視が避けて姿を見せた扉の中に入る。
……なお、護衛兼監視としてここにいた二人は、レイがどのような人物なのかを知ってるのだろう。
レイが自分の横を通った時、かなり緊張した様子を見せていた。
当然のようにレイもまた護衛兼監視の様子は気が付いたものの、それについて特に何かを言うような事もなく、レイは扉の中に入る。
「あ……レイ……戻ってきたの」
「いや、何で意外そうなんだよ」
何故か扉の中に入った瞬間、大きな部屋の中にいた者達の中からリンディが驚きながらそう告げてきた。
なお、この場所の作りは護衛兼監視のいる扉からこの大きな部屋に繋がっており、そしてこの部屋からそれぞれの部屋に繋がっているといった形になっている。
その為、現在は多くの者がこのリビングに集まってきていた。
やはり初めて来た場所……それも暗殺者ギルドの拠点となれば、自分だけや自分と一緒に生活する数人だけではなく、もっと大勢で固まっていたいと思うのはおかしな話ではないのだろう。
結果として、現在このリビングはかなりの人口密度となっており、狭苦しく感じてしまう。
「だって、暗殺者ギルドの頭領に会いに行ったんでしょ? なら……」
このまま帰ってこなくてもおかしくはなかった。
暗にそう言うリンディだったが、レイにしてみれば自分がその程度でやられると思われていたのが、面白い出来事ではない。
「俺がそう簡単にやられると思ってるのか? それに、必ずしも戦いになるとは限らないだろ。実際、今回オ……いや、風雪を率いている奴と会ったけど、無事に話し合いで何とかなったし」
オルバンという名前を口にしようとしたレイだったが、それは何とか口にしないようにする。
風雪を率いている人物の名前というのは、当然のように相応の価値を持つ情報だ。
それこそ売る場所に売れば、間違いなく相当の金額になるだろう情報。
そして同時に、それを知ってるというだけでその身を狙われかねないような、危険な情報でもある。
そうである以上、やはりここでオルバンの名前を出すような真似はしない方がよかった。
リンディはそんなレイの思惑に気が付いた様子もなく、そういうものなのかとだけ納得する。
「そんな訳で、俺は一度星の川亭に戻る」
「ちょっと、本気? ドーラン工房の追っ手が街中にいるでしょ?」
「だろうな。けど……忘れてないか? 星の川亭にはカミラがいて、アンヌのことを心配してるんだぞ?」
「あ」
今夜の一連の出来事で忙しく、カミラのことをすっかりと忘れていたのだろう。
リンディの口から間の抜けた声が出る。
「そんな訳で、取りあえずアンヌを無事に助けたことと、リンディ達も無事だというのを知らせて来る。カミラの性格を考えると、多分寝ないで待ってるだろうし」
「あの子なら、そうかもしれないわね」
カミラの性格をよく知っているだけに、リンディはレイの言葉に強く納得する。
何しろブルダンからエグジニスまで歩いてくるような根性の持ち主なのだ。
自分が知らせた情報によって、アンヌがどうなったのか……それを知るまでは、それこそ寝るに寝られないだろう。
「だろ? そんな訳でカミラを安心させてやる必要がある。それに……場合によっては、カミラをここに連れて来た方がいいかもしれないな」
「ここに? まぁ、知らない人と一緒にいるよりはその方がいいかもしれないけど、ここにいてカミラが我慢出来るかどうかは微妙よね」
匿われているのは事実だが、同時にそれはこのリビングから自由に出られない。
カミラのように活発な性格をしている者にしてみれば、現在のこの状況は決して許容出来るものではない筈だった。
「それを言うなら、星の川亭にいてもドーラン工房の件があるから迂闊に外に出る訳にはいかないだろ。それなら、ここにいた方が結局は変わらないと思うんだが?」
「それは……うーん、どうかしら。カミラが私達の関係者だって、知られてると思う?」
「ドーラン工房の影響力を考えれば、ほぼ間違いなく知られてると思う。そんな状況でカミラが一人で街中を歩いていれば、あっさりと捕まって俺達を呼び出す為の人質に使われるんじゃないか?」
ドーラン工房にしてみれば、自分達の最大の秘密をレイ達に知られたのだ。
その上、魔法陣は壊され、祭壇は破壊されて大部分を持ち去られている。
どうあってもレイ達を捕らえるなり……最悪、口封じをする必要があるのは間違いなかった。
だからこそ、今回の一件に関しては解決する為に手段を選ばないだろう。
そのような者達の前に、レイやリンディ、アンヌと関わり合いのあるカミラが現れたら、それで捕まえないという選択肢は存在しない。
勿論、マルカ達にカミラの護衛を頼んではいるものの、それでも完全に安心出来るかとなると微妙なところだろう。
マルカはレイの友人ではあるものの、同時にミレアーナ王国の三大派閥の中でも最大勢力の国王派の中でも、強い影響力を持つクエント公爵家の令嬢なのだから。
どこでそのようなことが影響してくるのか分からない。
そしてマルカは、自分がクエント公爵家の令嬢であるということを理解しているので、クエント公爵家とカミラのどちらかを選ばなくてはならなくなったとすれば、迷いはするものの、最終的には自分の家を選択するのは間違いなかった。
「でも……カミラが私達の関係者だって、どうやって分かるの? 星の川亭から出なければ……いえ、現在のエグジニスにおけるドーラン工房の影響力を考えれば、その辺は迷うまでもない、か」
カミラがエグジニスに到着してから、リンディを探すまでには当然のように色々な人と話をした筈だ。
ドーラン工房の影響力があれば、その辺りの情報を集めるのは不可能ではないと、エグジニスを拠点にしているリンディだからこそ、断言出来た。
「あ、でもそうなると……もしかしてロジャーも危ないか?」
カミラのことを心配していたレイは、そう思い当たる。
ロジャーは腕利きの錬金術師で、ドーラン工房がここまで大きくなる前はエグジニスの中でも最高のゴーレムを作る人物の一人だった。
当然のようにロジャーが所属しているジャーリス工房は大きな工房ではあるが、それでも今はドーラン工房より下なのは間違いのない事実。
そうである以上、ドーラン工房としてはロジャーを押さえるといったような真似をしてもおかしくはない。
レイ達はドーラン工房の秘密を知っており、ロジャーは腕利きの錬金術師である以上、その二つが繋がるのはドーラン工房としては是非とも避けたい筈なのだから。
「あ、これやばい」
「え? 何が?」
「ロジャーだ。ドーラン工房にしてみれば、ロジャーを放っておくといったことはしない筈だ。少し調べれば、俺とロジャーが知り合いであるというのはすぐに調べられるだろうし」
ロジャーが最初にセトにちょっかいをだした件は、結構な噂になっているのはレイも知っている。
そうである以上、そこからレイとロジャーの関係に気が付いても、おかしくはない筈だった。