2763話
結局レイだけが風雪を率いている人物に会うこととなる。
何人かは風雪といったようなエグジニスの中でも最大規模の暗殺者ギルドを率いてる人物が一体どういう相手なのか興味があったようだったが、さすがに今の状況で自分も会いたい……などといったようなことは言える筈もなく、レイに完全に任せた形となっていた。
「こっちに来ると、それなりに腕利きも多くなってくるな」
地下にある、風雪のアジト。
その中でも、風雪を率いている人物のいる場所に向かっているので、当然ながらそちらには腕利きの暗殺者と思しき者達の姿が多くなっていた。
ニナもまた、それを誤魔化すつもりはないのだろう。
レイの言葉を聞いても、特に動揺する様子を見せずに笑みすら浮かべて見せた。
「そうですね。護衛の為には必須でしょう? ……もっとも、レイ様が本気でそのつもりになったら、このような護衛もあまり役には立たないかもしれませんが」
「そうでもない。戦っている間に時間が消費される。そうなれば当然のように逃げられる可能性は多くなる。……違うか?」
「どうでしょうね。そうだといいなとは思いますけど」
ニナとレイの会話は、当然ながら周囲にいる暗殺者達の耳にも入っている。
入っているものの、自分達がいても頭領を守るのは難しいといったように言われても、それに対して特に何か反応する様子はない。
他の場所……具体的には地下のアジトに入ってすぐに遭遇した暗殺者達の多くは、レイの存在を気にくわないといった様子で見ている者も多かったのだが、今こうして近くにいる暗殺者達は、そんな者達とは別格らしい。
(いやまぁ、自分達を率いる相手を守るんだ。なのに、意味もなく相手に突っかかっていくような護衛ってのは……それこそ、自殺行為以外のなにものでもないよな)
護衛が相手を怒らせるといったようなことになったら、それは護衛の意味はない。
勿論、相手を挑発して火種を作り、全面的に戦うといったようなことが目的の場合なら、また話は違うのかもしれないが。
そういう意味では、ここにいた暗殺者達は十分護衛としての役割を果たしていたと言ってもいいだろう。
本人達がそれを自覚してるのかどうかは、正直なところレイにも分からなかったが。
いや、分かっているからこそレイに向かって敵意を露わにしていないと考えれば、その予想は結局のところ間違っている訳ではない筈だった。
「風雪はエグジニスの中でも最大規模の暗殺者ギルドって話だったが、納得出来る人員だな」
「あら、そうですか?」
レイの言葉に、ニナは嬉しそうな笑みを浮かべる。
ニナにしてみれば、自分が所属する風雪が褒められたのはそこまで嬉しかったのだろう。
それだけ愛着があるからこそ、風雪という組織の為に身体を張れるのだろうが。
「ああ。もっとも、玉石混淆といった感じで中には駄目な奴もいるけどな」
「そうですね」
意外なことに、ニナはレイの言葉を聞いて素直にそう答える。
ここまで風雪という組織に思い入れのある様子だったことを考えると、てっきり今の言葉にも反論してくるのかとばかり思っていたのだが。
とはいえ、それはレイがニナに抱く評価を下げるといったことにはならない。
風雪という組織についてしっかりと理解しているからこそ、そのような言葉が出たのは間違いないのだから。
そうして話しているうちに、やがて風雪のアジトの中でも最も奥まった位置に到着し、ニナの足が止まる。
「ここで頭領がお待ちです」
扉の前でそう言うニナ。
この様子からすると、自分は中に入るつもりはないのだろう。
「俺だけで入ってもいいのか?」
「はい。頭領がそのようにしろと。それに……レイ様であれば、中で妙な真似をしないと思っていますので」
「いや、それはどうなんだ? まぁ、中に入ってもいいと言うのなら、入らせて貰うが」
暗殺者の頭領だけあって、恐らく自分の実力には相当の自信を持っているのは間違いないのだろう。
そう判断したレイは、扉を開く。
「やぁ、入ってくれて構わんよ。君とは一度話してみたかったんだ。このような好機を逃す訳にはいかないからね」
扉の先から聞こえてきた声にレイが扉の中に入ると、そこにはソファで一人、ワインと思しき酒を飲んでいる一人の男の姿があった。
年齢としては、四十代くらいか。
だが、そのような年齢とは思えない程に、その人物の身体は引き締まっていた。
体格的に見た場合、恐らくは三十……いや、二十代でも十分に通用するだろうと思えるような、そんな姿。
顔立ちは決して整っている訳ではないのだが、それでもどこか不思議な魅力を持つ。
なるほど、と。レイは納得する。
このような魅力……一種のカリスマを持つ人物だからこそ、風雪のような大きな暗殺者ギルドを作れたのだろうと。
とはいえ、それなら何もわざわざ暗殺者ギルドではなくても、他の何か……それこそスラム街にいるような裏の組織ではなく、表通りに居を構えていても問題のないような、そんな組織でもよかったのではないか? と思わないでもなかったが。
「そうだな。俺も風雪のような暗殺者ギルドを率いている人物とは会ってみたいと、そう思っていたよ」
レイもまた、そう返す。
実際、風雪を率いている人物と会ってみたいと思っていたのは、間違いのない事実だ。
そして向こうが友好的に接してきたのだから、レイがここで敵対的な行動を取る必要もない。
そもそもの話、風雪にはアンヌやイルナラ達を匿って貰っているのだ。
そういう意味でも、ここで風雪の頭領と敵対的な関係になる必要はなかった。
「取りあえず、座ってくれ。そのまま立っていられると、落ち着かないしな。……レイも一杯どうだ? このワインはちょっとした当たり年の奴で、そう簡単に飲める物じゃないけど」
その言葉に、レイは素直にソファに座りながらも首を横に振る。
「いや、酒はあまり飲まないんだ。……それを美味いと思っている者が多いのは知ってるけど、生憎と俺は酒を飲んでも美味いとは思わない」
酒を美味いと思わず、そしてそこまで強い訳でもない。
そうである以上、レイとしては好んで酒を飲むといったようなことはなかった。
料理の類に隠し味としてそれなりに使われているのは知っているし、そういうのであれば酒の味ではなく、料理の味を引き立てるという意味で大歓迎なのだが。
「そうなのかい? それは勿体ない。人生の半分……いや、八割は損をしてるようなものだよ」
「……そんなにか?」
今のその言葉で、目の前の人物がどれだけ酒好きなのかを分かってしまう。
とはいえ、日本で暮らしていた時の記憶があるレイとしては、TVの類で一瓶数百万円のワインとかがあるというのを見たこともあったので、そこまで気にするようなことではないのかもしれないが。
(あ、でも数百万円のワインとかって、自分で飲むんじゃなくて投資とかそういう意味での品だったっけ?)
完全には覚えてないものの、そういう一面があったような気もしたレイだったが、取りあえず今は目の前の人物と話すのが最優先である以上、その一件については忘れておく。
「酒は人生の友というのは、誰が言ったんだか。……まぁ、酒が駄目なら、取りあえずこれでも食べてくれ」
そう言い、頭領がレイの前に置いたのは肉の燻製。
ただし、干し肉という程に水分がない訳ではなく、生の肉を燻製で風味を付けており、水分はまだしっかりと残っている。
干し肉のような保存食としては、そこまで日持ちしないが、味という点では明らかにこちらの方が上だろう。
そして実際、その肉を摘まんで口に入れると、芳醇な香りが口一杯に広がり、そして肉のしっとりとした舌触りと酒の肴用にか、少し強めの塩分が食欲を誘う。
酒の肴ではなく、パンと一緒に食べても間違いなく美味いだろうと判断出来る味だ。
「美味いな」
そう言ったレイだったが、何故か男の方はそんなレイの称賛の声を聞いても、特に嬉しそうな様子はなく……それどころか、驚きの表情すら浮かべていた。
「驚いたな。私の出した料理をこうもあっさり食べるとは」
「何か不味かったのか?」
「不味いというよりも、風雪を率いる私が出した料理だぞ? そう考えれば、普通は躊躇してもおかしくはないんだが」
ああ、なるほど。
男の言いたいことを、レイは納得する。
暗殺者ギルドの首領が出した料理を、レイは特に躊躇するようなこともなく食べたのだ。
普通なら毒が入ってるのでは? と疑問に思ってもおかしくはない。
その辺の豪胆さ……もしくは何も考えていない様子が、相手にしてみれば驚きだったのだろう。
「でも、毒は入ってなかっただろ?」
あっさりとそう言うレイ。
それだけではなく、更に言葉を続ける。
「それに、こう見えて俺は五感が鋭い。当然味覚とかも鋭いから、もしこの肉に毒が仕掛けられていたりすれば、それを察知することが出来る」
「世の中には無味無臭の毒というのもあるんだが」
「それはあくまでも普通の人間にしてみればだろう? 俺の五感の鋭さなら、その辺を感じてもおかしくはない」
また、レイは口にするつもりはないが、現在のレイの身体はゼパイル一門の技術を結集して作られた代物だ。
それこそ毒の耐性も相当に高いし、毒だと察知する能力にも長けているのは間違いなかった。
「そういうものか。異名持ちの冒険者ともなると違うんだな。……まぁ、風雪を一人で潰せるだけの実力を持っていると考えれば、そこまで不思議な話でもないか」
「あまり怒ってるようには見えないな」
てっきり多少なりとも恨み言を言われるのではないかと思っていたレイだったが、相手の口からはそのようなものが出て来る様子はない。
「ランクA冒険者、それも異名持ちで実力も十分なんだ。そんな相手と敵対したいなんて風には、とてもじゃないが思わないよ」
それは言い換えれば、レイがそれ程の強さ……風雪に所属する暗殺者でどうにかなる相手であれば、手を下していたということなのだろう。
レイもそれは分かったが、そのことに不満はない。
そもそもの話、自分のやったことがそれだけの反応を返してくるだろうというのは予想していたのだ。
それを思えば、風雪がそのようなことを考えていてもおかしくはない。
それ以前に、レイに向かって堂々とそう告げてきたことそのものが寧ろ驚きだった。
「随分とはっきり言うんだな」
「そうか? 私としては婉曲な言い回しをしたと思ったんだが」
「……今のでか?」
「ああ、今のでだよ」
そう断言する様子を見れば、レイとしてはどう反応すればいいのか少し迷う。
本気で言ってるのか、それとも冗談なのか。その辺がしっかりと理解出来なかった為だ。
どう反応すればいいのか迷ってる中で、話は続く。
「ああ、そう言えば……今更だが自己紹介がまだだったな。私はオルバンだ」
「俺のことは知ってるだろうけど、一応。ランクA冒険者のレイだ」
既に自分の情報についてはかなり知ってるだろうと思っていたが、オルバンが自己紹介をしてきた以上、レイもまた礼儀として自己紹介をする必要はあった。
そうして簡単な自己紹介を終えると、二人はソファに座ったままで軽食の類を楽しみながら言葉を続ける。
「それにしても、ドーラン工房か。……また厄介な場所と揉めたな」
「向こうが血の刃を雇って俺を狙ってきたのが発端だから、俺は悪くない」
「盗賊が行方不明になってるのを調べたんだろ? で、それがドーラン工房の仕業だった、と」
「知ってたのか?」
「いや、情報を集めた結果……それ以上に、今回の一連の行動を考えれば、そのくらいのことはすぐに想像出来るだろう?」
そう言われれば、レイもその言葉を否定するような真似は出来る筈もない。
実際、今回の一連の騒動の流れを見て……そして何より今夜のドーラン工房の侵入の件を考えれば、レイが最初に調べていた盗賊の件とドーラン工房が繋がっていると予想するのは、そう難しい話ではないのだから。
「で、ドーラン工房は盗賊を捕らえては何をしていたんだい?」
そこまでは分からなかったのか、興味津々といった様子でレイに尋ねるオルバン。
どうするかと迷ったレイだったが、ここでオルバンを……そして風雪を巻き込むといったことが出来れば、今回の一件では楽を出来るかもしれない。
もしくは、レイとしてはまずないと思うが、自分達が何らかの手段で意思疎通が出来なくなったり、エグジニスにいられなくなったりした時の為に、その辺を話しておくのもいいかと思う。
「これを聞けば巻き込まれるかもしれないぞ? それでも聞くか?」
念の為にそう尋ねるレイに、オルバンは問題ないと頷くのだった。