2756話
「さて」
レイの前には多数の者達が気絶している。
今レイがいるのは、リンディやアンヌのいる地下室の前。
部屋の前にいた者達を倒した後で、レイは即座に地下に続く階段を下りていった。
当然ながら、これから何人も出入りをする以上、地下に続く扉は開けっぱなしになっており、レイにしてみれば非常に楽だった。
その上、最初は部屋の外で何が起きたのか分かっていなかった者も多く、結果として最初は抵抗らしい抵抗もないまま数人があっさりとレイによって気絶してしまう。
そうなると、当然他の者達もレイの存在に気が付き、結果としてこの狭い通路での乱戦となったのだが……乱戦になったとはいえ、レイの実力を考えれば敵を倒すのはそう難しい話ではない。
先程レイを相手に時間稼ぎをしようとした男と比べても、明らかに弱い者達が大半だ。
(強い奴にしてみれば、自分が鉄のインゴットを運ぶとか、そういう仕事をしたくなかっただけなのかもしれないが)
そのような仕事は自分よりも弱い相手に任せて、自分は敵がこないかどうかを警戒する。
その選択肢は決して間違いではない。
ドーラン工房の中に侵入者がいるのは確実であり、そのような者達が建物の中を動き回っている可能性は高かったのだから。
もしかしたら地下室に籠城しているといった可能性もあったが、扉の前に多数の鉄のインゴットを置くといったような真似をしている以上、最低一人は部屋の外にいる筈だった。
そういう意味では、先程レイと戦ったような強者が周囲の様子を警戒するのは正しい。
正しいのだが、向こうにとって最悪の結果だったのは外にいた者の中にレイがいたということだろう。
結果として、ここにいた者達の目論見は崩れ、現在地下室の前にいた者達は全員がレイによって倒されることになった。
そうして扉の前まで移動すると……
「仕事が早いな」
扉の前に置かれていた鉄のインゴットの三割程がすでに移動させられているのを見て、レイの口から感心したような声が漏れる。
レイ達が祭壇や魔法陣のある地下室にいた時間を考えると、警備兵として雇われた者達は真面目に働いていたということを意味している。
(あるいは、自分で動かした鉄のインゴットは貰えるようになっていた、とか? 可能性は十分にあるか)
鉄のインゴットは、売ればそれなりに金にはなる。
純度を確認したりする必要もあるが、その辺りの手間を考えても十分に何とか出来ると考えたのだろう。
既に全員が気絶している以上、今更その辺を考える必要はないのだろうが。
取りあえず扉の前にあったり、周辺に寄せられている鉄のインゴットをミスティリングに収納すると、レイは扉を軽くノックする。
当然の話だが、扉の向こう側にいる者達はそんな風にノックをされても、それがレイだとは確認出来ない。
そうである以上、向こう側にいる者達に自分がレイであると知らせる必要があった。
勿論、多少無理をすれば扉を開けるといったような真似も出来るだろう。
しかし、向こうがレイの存在を知らずにいた場合、扉を開けた瞬間、攻撃をしてくるといった可能性も否定は出来ない。
それでも扉の向こう側にいる中で戦力として明確に計算出来るのは、リンディくらいだろう。
それ以外の面々に関しては、武器らしい武器もない。
……本当にピンチになれば、それこそ武器を持っていようがいまいが、生身で殴り掛かってくるといった可能性も否定は出来なかったのだが。
そんなことになるも馬鹿らしいので、レイは扉をノックしながら口を開く。
「大丈夫か? 俺だ、レイだ。扉の前にいる連中は全員倒したから安心してくれ」
扉をノックしながらそう告げるも、扉の向こう側にいる面々はすぐに信じるといったようなことは出来ない。
これで、実はレイと親しい者が扉の向こうにいれば、また多少は話が違ったのかもしれないが。
生憎と、一番付き合いの長いリンディでも扉越しの声だけで相手を本当の意味で認識するといったような真似は出来ない。
だからこそ、レイは何度も扉をノックすることになる。
『レイ? 本当にレイなの?』
ノックをし続けて三十秒程。
やがて扉の向こうからそんな声が掛けられる。
「ああ、取りあえずイルナラも無事だし、さっきも言ったが扉の前にいる奴は全員気絶させた、問題ないから扉を開けてくれ」
レイがイルナラの名前を出したことで、ようやく本物だと理解したのだろう。やがて少しではあるが扉が開かれる。
レイであると理解していても、その行動が恐る恐るといった様子になったのは……リンディの行動としてはおかしな話ではない。
それでも扉の隙間から真っ先に見えたのがレイで、その少し後ろにイルナラがいて、扉の前にいた敵は全員が床に倒れているの確認すると、それでようやく安堵したのか扉を開ける。
「遅かったじゃない。それでゴライアスさんは……いなかったのね」
レイとイルナラが二人だけだったこともあってか、ゴライアスが祭壇のある場所にいなかったのはすぐに分かったのだろう。
リンディの口調は残念そうではあったが、それでもゴライアスが祭壇のある地下室にいる可能性は元々高くないと思っていたのか、そこまで落ち込んだ様子は見せない。
「ああ。ゴライアスはいなかった。その代わり……って訳じゃないけど、色々と知らなくてもいいような情報を知ってしまったけどな」
人間を素材にしているのではなく、人間の魂を素材にしている。それもネクロマンシーの魔法陣を使って魂の抜き出しをしてまで。
ドーラン工房のゴーレムが高性能な秘密は、レイにとって知りたい情報の一つだったのは間違いない。
それこそ、最大級に知りたい情報だった。
しかし、それが魂を使っているというのは……正直なところ、レイとしてはあまり知りたくはない情報だった。
(取りあえず、これでゴーレムの秘密は分かった。けど、そうなると盗賊達をどうやって連れ去っていたのか、というのが問題になってくるな。一つや二つならともかく、俺が集めた情報から考えると結構な数の盗賊が行方不明になっている筈なのに)
盗賊と一括りにしても、その中には多くの盗賊がいる。
中にはそれなりに腕の立つ者もいるだろうし、成り行きで盗賊になったような、盗賊としても弱い者もいるだろう。
そんな中で、強い盗賊ですら何も出来ずに捕まっているのだ。
それを考えれば、一体どうやって盗賊を……と、そんな疑問をレイが抱くのは当然だった。
「それで、これからどうするの? もうここが見つかった以上、ここで籠城する訳にはいかないわよ?」
「籠城そのものは、悪い選択肢じゃないんだけどな。食料とか水は俺がどうとでも出来るし」
ミスティリングに入っている食料があり、レイの魔力がある限り水を生み出す流水の短剣もある。
そしてこの地下室はかなり広く、アンヌのような者達が住む分には快適……とまではいかないが、それなりに問題なく暮らせているのは、中にいる者達を見れば明らかだ。
「え? ちょっと、本気?」
レイの口から出た籠城が悪い選択肢ではないという言葉に、リンディは驚く。
まさかレイの口からそのような言葉が出るとは、全く思っていなかったのだろう。
とはいえ、レイも本気でここで籠城をするつもりでいる訳ではない。
今の状況において籠城は悪い選択肢ではないが、レイもそれを本気で言った訳ではない。
そもそも籠城というのは基本的に援軍を前提としたものだ。
この状況で援軍が期待出来るかと言われれば……
(実は、出来るんだよな)
エグジニスにおいてレイが親しい中で最も強力な戦力であるマルカ達が援軍として動いてくれるのかどうかは、分からない。
しかし、それ以外の方法……具体的には、対のオーブを使ってギルムにいるエレーナに連絡をすることは可能なのだ。
そしてエレーナが……姫将軍が動くとなれば、当然のようにその部下のアーラも動くし、他にもエレーナの伝手を使えば戦力は相当に揃えることが出来る。
ましてや、マリーナの家にはエレーナ以外にもマリーナやヴィヘラもいる。
特にヴィヘラの場合、他のゴーレムよりも圧倒的に高性能なゴーレムと戦えるかもしれないとなれば、レイが助けを呼ばなくても自分からエグジニスまでやって来るといったような真似をしかねない。
とはいえ、空を飛べるセトだからこそ、エグジニスとギルムの間を短期間で移動出来るのであって、普通に地上を移動してくるとなると相当な時間が掛かるのは間違いない。
(うん、やっぱり駄目だな。そうなると、問題なのはどこにこの連中を匿うかだ)
レイはどうするべきかと考える。
当初の予想では、半ば違法な手段で奴隷になっているアンヌだけを助ける予定だった。
しかし、まさかアンヌ以外にも結構な人数が奴隷としているとなれば……ましてや、アンヌが住んでいるブルダンの住人もいるとなれば、尚更に見捨てるような真似は出来ない。
もしそのような真似をすれば、それこそアンヌがここから出るといったことを拒否するだろう。
(それに、こいつらもいるしな)
予想外の人員ということでは、イルナラを始めとした非主流派の錬金術師達もそうだ。
この建物の中を探し回るのに役立ってくれたのは間違いないが、今この状況でイルナラ達も匿うとなると、更に広い場所が必要となる。
「イルナラ、一応聞くけどお前の知り合いにお前達を匿ってくれるような相手はいるか?」
一応といった様子でそう尋ねるも、イルナラは首を横に振る。
「レイ、それは無理よ。このエグジニスにおいて、ドーラン工房から匿ってくれるような人なんて……私もちょっと思いつかないわ」
リンディが冒険者としての立場からか、そう告げる。
そんなリンディに、レイもそうだろうなと頷く。
ゴーレム産業で成り立っているこのエグジニスにおいて、現在最高峰の性能を持つゴーレムを作るのがドーラン工房の錬金術師達だ。
エグジニスに住む住人でドーラン工房と敵対しているような相手を匿うといったような者は……いない訳ではないだろうが、それでも色々と問題があるのは確実だった。
例えば、ドーラン工房の技術を盗みたいと思っている工房であれば、あるいイルナラ達を匿うといったような真似をするかもしれない。
しかし、それで匿った工房が知ることが出来るのは、あくまでもイルナラ達が持っている技術で、それ以外の技術……具体的には他の工房が欲している、現在ドーラン工房が売っているゴーレムの技術は入手出来ない。
実際にはイルナラはその技術の秘密を知ってはいるものの、レイが見たイルナラの性格を考えれば、ネクロマンシーによって魂をゴーレムの核に封じるといったような技術を教えるとは思えない。
(まぁ、教えるにしても魔法陣は俺が刻んだし、台座は切断してミスティリングの中に入ってるから、方法を知ってもすぐにどうこう出来る訳じゃないんだが。けど、そうなると……裏の世界、か?)
エグジニスの表社会の者達が相手であれば、イルナラやアンヌ達を匿うのは難しい。
なら、裏社会ならどうか。
幸いなことに――あくまでもレイにとっての幸いだが――風雪という、エグジニスにおける最大規模の暗殺者ギルドとレイは繋がりがある。
貸し借りという意味ではもうないので、もしイルナラやアンヌ達を匿って貰うのなら、何らかの報酬を支払う必要は出て来るのだろうが。
しかし、レイが接した限り風雪はきちんとした組織のように思えた。
(アンヌと何人かは……ブルダンに戻そうと思えば戻せるけど……いや、駄目だな。ドーラン工房の者達がくれば、どうしようもない)
せっかく逃げても、また捕まってしまっては意味もない。
ましてや、この部屋にいる者達はドーラン工房が何らかの理由で奴隷として欲しい、祭壇で魂を抜いてゴーレムの核に使いたいと、そうして選ばれた者達なのだ。
そうである以上、ドーラン工房が健在であれば、ブルダンに戻ってもまた何らかの手段で捕まるのは半ば決定していた。
ガービーはレイの仕掛けによって以前程自由に動き回るといったような真似は出来ないだろうが、ガービーが駄目なら別の手足となる相手を使えばいいだけなのだから。
(いっそ、俺がここで暴れてドーラン工房を丸ごと破壊した方が……いや、イルナラがいる以上、それは止めておいた方がいいか)
現在のドーラン工房の中で最大の協力者、イルナラ。
そのイルナラは、小さい頃にドーラン工房に憧れて今ではドーラン工房所属の錬金術師となっている。
そうである以上、もしここでレイがドーラン工房そのものを破壊するといったようなことを主張した場合、決して許容することはないと思われた。