2755話
「祭壇を破壊する?」
レイの口から出た提案に、イルナラは少し戸惑った様子を見せる。
当然だろう。まさかそのようなことを提案されるとは思ってもいなかったのだから。
勿論、現在のこの状況をどうにかするということを考えると、祭壇が最大のネックになるのは間違いない。
レイが師匠から聞いた話によると、魔法陣よりも祭壇の方が明らかに厄介な存在だという話だったのだから。
それを思えば、レイの提案には納得出来る。納得出来るのだが……
「そもそも、この祭壇を破壊出来るのか?」
「出来るかどうかと言われれば、多分……いや、間違いなく出来ると思う。ただ、そうなった時にちょっと面倒なことになる可能性は否定出来ないけど」
この祭壇が並大抵のマジックアイテムではないというのは、レイにも十分に理解出来ていた。
そのような祭壇を破壊した時、一体何が起きるのか……正直なところ、それを完全に理解しろという方が難しいだろう。
だが、レイはその危険を知った上でも祭壇を破壊した方がいいと考える。
何故なら、自分達がここまで侵入して祭壇を認識した以上、もしここで祭壇を残していった場合、間違いなく面倒なことになると、そう判断出来た為だ。
それなら、今のうちにこの祭壇を破壊してしまった方がいい。
そう説明するレイに、イルナラは悩んだ様子を見せながら……それでも、やがて頷く。
イルナラが見ても、ここにある祭壇や魔法陣は厄介極まりない存在だと理解した為だろう。
ドーラン工房にこのような存在があるのは許容出来ないし、何よりも大きいのはやはり魂を使ってゴーレムを強化するというのが、どうしても許容出来なかったのだ。
そうである以上、レイがこの祭壇を壊してくれるのならそうしてくれた方がいいのは間違いない事実だった。
「頼む」
「任せろ。それと、この祭壇を壊してもここに残していけば、修復してまた使われる可能性もある。それを思えば、破壊した祭壇は俺が貰うけど、構わないか? ああ、勿論それで俺が祭壇を使って人の魂を核に……なんてことは考えてないから安心してくれ。そもそも、俺にゴーレムの知識はないし」
それなら祭壇をゴーレムの知識を持っている者に渡せばいいのでは? と若干疑問に思ったイルナラだったが、今はそのようなことを口にしなくてもいいだろうと判断する。
イルナラからの視線を感じながら、レイはデスサイズを取り出して祭壇の前に立つ。
(そう言えば、地下室の一つにゴーレムの核があったけど……もしかしてあの核って魂が使われた核なのか? それともその前の? どのみちミスティリングに入ったって事は、既に死体同然で自我の類はないんだろうけど)
ふとそんな考えを抱くも、今はそのようなことよりも先に考えるべきことがあるのは間違いない。
レイはデスサイズを手にし、そこに魔力を流し込む。
大抵の存在であれば、わざわざ魔力を流すような真似をしなくてもデスサイズなら問題なく切断出来る。
しかし、今回は相手が相手だ。
強力な……それこそ、レイからみてもかなり珍しいくらいに、強力なマジックアイテム。
そうである以上、念には念を入れる必要がある。
その一撃によって、祭壇をあっさりと切断するといったような真似をする必要があった。
(これだけの代物だ。場合によっては、何らかの反撃機能の類があってもおかしくはない。そういうことにならないように、出来るだけ早く対処する必要がある)
レイはそんな風に思いながら、デスサイズを構える。
イルナラは、そんなレイの様子に息を呑み、何かあってもすぐ対処出来るように準備を整えた。
とはいえ、イルナラはあくまでも錬金術師でしかない。
もし祭壇がレイの攻撃に何らかの反撃をしても、それに対処出来るかどうかは微妙なところだった。
「行くぞ」
そうレイが告げ、イルナラは息を呑んで成り行きを見守り……
「はぁっ!」
魔力が流されたデスサイズによって、祭壇は地面から生えているその根元部分を横薙ぎに一閃され、切断される。
「な……」
イルナラの口から出たのは、驚愕の声。
レイが祭壇を破壊するというのは聞いていたものの、まさかこんな風に一閃で破壊するといったようにするとは思わなかったのだろう。
イルナラはレイの実力を知っていながらも、本当の意味でレイの実力の全てを知っている訳ではない。
だからこそ、今のように一体何が起きたのかが全く理解出来なくてもおかしくはない。
とはいえ、レイの行動の結果を見れば嫌でも理解するしかないのだが。
「さて、取りあえず祭壇は収納するぞ」
そう言い、レイは床から直接伸びている台座を切断した祭壇をミスティリングに収納する。
床に祭壇が置かれているだけなら、レイとしても別に台座を斬る必要はなかったのだが。
(こうして床から直接生えている……生えている? まぁ、生えているって表現でも構わないか。そんな状況じゃなければ、こういう真似をする必要もなかったんだけどな)
ミスティリングに祭壇を収納すると、次にレイが見たのは床に刻まれている魔法陣だ。
地面に描かれているだけなら、それこそ踏んで消したり、もしくは流水の短剣の水で濡らして使えなくするといったような真似も可能なのだが、床に刻まれているとなると、そういう訳にもいかない。
「こっちの魔法陣も危険なのは間違いないな。そうなると、こっちは破壊するか」
呟き、デスサイズを何度も振るう。
デスサイズの刃があるのは、大鎌の内側の部分だけだ。
だが、レイの振るうデスサイズは魔力が流されているだけあって、先端部分で楽に床に刻まれている魔法陣を刻んでいく。
そんなレイの様子をイルナラは黙って見ているだけだ。
今この状況において、レイの行動は徹底している。
床にある魔法陣は、見る間に破壊されていく。
数分も経たないうちに床の魔法陣は使い物にならなくなり、もうネクロマンシーを使うような真似は出来ないだろう。
勿論、また新たに魔法陣を用意すればどうにかなるかもしれないが、魔法陣が用意出来ても祭壇はレイが奪っている。
(予備の祭壇とかなければ、だけどな)
そう考えつつも、恐らくそのようなことはないだろうというのがレイの予想だ。
レイが切断した祭壇は、見るからに力のあるマジックアイテムなのだから。
そのような存在の代用品を、そう簡単に用意出来るとはレイも思っていない。
「さて、取りあえずこれで魂を使ったゴーレムをこれ以上作ることは出来なくなった訳だが、これからどうする?」
「どうする、とは?」
「ここまでやったんだから、ドーラン工房にはいられないだろ? 主流派のいる今のドーラン工房には」
「それは……」
イルナラとしては、ドーラン工房をどうするのかというのは非常に迷うところだ。
この状況で自分が何かをしたところで、どうにか出来るのかといったように思えてしまうのだ。
しかし、イルナラは非主流派の錬金術師達を率いている人物だ。
それだけに、この先どうするのかというのをしっかりと決める必要があった。
「ドーラン工房を立て直すのなら、その辺もしっかりと考えておいた方がいいぞ。……とにかく、いつまでもここにいると主流派の錬金術師達や警備をしている冒険者達がくるかもしれないしな。それにこれからをどうするのか決めるのなら、他の錬金術師達に相談した方がいいのは間違いないだろ」
そんなレイの言葉にイルナラは頷き、取りあえずの目標を果たしたということでアンヌ達が捕まっていた場所に向かうのだった。
「あー……こっちに来てたのか」
アンヌ達のいる地下室に続く扉のある部屋の前に、数人の冒険者達がいるのが確認出来た。
(これを見つけてこうして待っているってことは、多分応援を呼びに行ったのは間違いないよな。鉄のインゴットを寄せるにも、人手は多い方がいいし)
何故祭壇や魔法陣のある地下室ではなく、アンヌ達がいる場所を先に押さえようとしたのかは、レイにも疑問だったが。
しかし、向こうがどのような理由でそう判断したのかまではレイにも分からなかったが、今こうして奇襲を仕掛けるチャンスがあるというのは、悪い話ではない。
「イルナラ、悪いけどお前はこの部屋に隠れていてくれ。俺はリンディやアンヌ達がいる地下室に続く部屋にいる連中を倒してくる」
レイの言葉にイルナラは声を出さないように小さく頷く。
自分達の作ったゴーレム――核に関しては取りあえず置いておくとして――を一人で全て倒したレイだ。
相手が警備の為に雇われた冒険者達であろうと、それこそレイに任せておけば何の問題もないだろうというのは、容易に予想出来る。
祭壇を一閃しただけで切断したのも、レイを信頼している理由の一つだろう。
ともあれ、今はイルナラが下手に手助けをしてレイの足を引っ張るより隠れて邪魔にならないようにするのが最善だった。
イルナラが隠れたのを確認すると、レイは改めてリンディやアンヌ達のいる地下室の存在する部屋にいる者達を素早く観察する。
最悪の展開なのは、敵に逃げられること。
そうしないようにする為に必要なのは、真っ先に敵の退路を断つことだ。
普通ならレイ達のいる場所は通路の一番奥なので、通路の手前側にいる冒険者達に気が付かれないように退路を断つというのは難しいが……レイの場合は、空中を足場に出来るスレイプニルの靴がある。
あるいはスレイプニルの靴がなくても、レイの身体能力があれば冒険者達が気が付くよりも前に向こう側に回り込むことも可能かもしれないが。
(ともあれ、今は確実な方法を選ぶか)
そう考え、スレイプニルの靴を使って空中を駆け上がっていく。
通路がそれなりに広いというのもあるし、リンディやアンヌ達がいる地下室の方に気が向いているというのもあったのだろうが、レイの存在に気が付く者はいない。
正確には、レイの存在に気が付くよりも前にレイは空中を蹴って移動していた。
そうして冒険者達が気が付いた時は、既にレイは退路を断つ位置に立っており、驚きながらも武器を構えようとする相手に向かって間合いを詰める。
デスサイズや黄昏の槍を使わなかったのは、素手で十分にどうにか出来るといった自信があった為だろう。
そんなレイの自信を示すかのように、冒険者達は次々と意識を絶たれていく。
そうして気が付けば、この場に残っている冒険者は二人だけとなっていた。
「さて、どうする? 俺としてはこのまま降伏してくれれば、色々と楽でいいんだけどな」
「そういう訳にもいかないだろう。仮にもドーラン工房に雇われている身だ」
「ドーラン工房の錬金術師達が何をやっているのか知った上で、雇われているのか?」
そう尋ねるレイに、まだ立っているうちの一人が口を開く。
「詳しくは知らない。けど、何かろくでもないことをしてるのは間違いないだろうな」
「それを分かった上で、雇われてるのか?」
「報酬がいいからな」
短い一言だったが、それだけで何故雇われているのかを理解するには十分だった。
(ランクCの上位、もしくはランクBの下位ってところか?)
エグジニスにいる冒険者の中では、間違いなく強者の一人だろう。
だが……そんな強者であっても、井の中の蛙だった。
レイの実力は十分に理解し、自分に勝ち目はないと判断したのだ。
しかし、それでも雇われている以上、仕事はきちんとするというのが男のポリシーだ。
今はレイと戦うのではなく話をし、そして少しでも時間を稼ぐ。
現在地下室にある扉の前の鉄のインゴットを運ぶ為に、連絡役として離れている者がいた。
その連絡役が、もっと別の相手を連れてくるといった期待を込めての言葉。
そこまで詳しい事情は分からなかったレイだが、それでも向こうが時間稼ぎを狙っているのは理解し、そして降伏勧告をするのは止める。
このまま無駄に時間を稼がせるといったような真似をしても、それは意味がない。
であれば、今はまず目の前に立つ二人を倒し、ついでにリンディやアンヌ達がいる地下室の前にいる者達を倒すのが先決だった。
「そうか、話は分かった。なら取りあえず……眠ってろ」
そう言い、床を蹴って素早くまだ無事な二人のうち、今までレイと話していた方の相手に向かって攻撃を放つ。
異名持ちのランクA冒険者と、せいぜいがランクBの下位といった実力の持ち主。
そんな二人が正面からやり合えばどうなるのかは、考えるまでもなく明らかだった。
「ぐ……ふ……」
鳩尾を殴られ、気絶する男。
そして唯一立っている男に向かい、レイは再び前に出て拳を振るい……最終的に、床に立っているのはレイだけとなるのだった。