2753話
最後の地下室。
アンヌ達が囚われていた部屋から出ると、レイとイルナラの二人はその場所までやってきていた。
(リンディの勘は……いやまぁ、最後の最後にアンヌ達と祭壇を見つけたという意味では、そう間違ってる訳でもないのか?)
そんな風に思うレイだったが、もしリンディがそんなレイの考えを聞いても、とてもではないが嬉しいとは思わなかっただろう。
アンヌとゴライアスを助ける為に必死になって頑張っていたものの、その結果がこれなのだから。
とはいえ、今回の最大の目標であるアンヌを助けることは出来たが、リンディにとってはアンヌに勝るとも劣らない程に大事な……恋する相手であるゴライアスをまだ見つけていない以上、完全に目的を果たしたとは言えないのだが。
(ゴライアスがここにいるとは限らないけど)
アンヌのいる地下室にゴライアスがいなかったのを考えれば、当然ながらゴライアスがこの建物の中にいる可能性はかなり低い。
リンディはこの地下祭壇か、あるいはT字路の右の方……主流派の錬金術師達の実験室がある方にゴライアスがいるかもしれないと、そう期待をしていたようだったが、レイはそれを信じるようなことは出来ない。
それでも、出来ればこの扉の向こうに存在するという祭壇にゴライアスがいてくれればいいと思いながら、扉を観察して眉を顰める。
その理由は、扉の鍵。
いや、扉に鍵があるというだけなら、そこまで気にするような必要もなかっただろう。
アンヌ達が閉じ込められていた扉にも、鍵は掛かっていたのだから。
そのような状況でレイが眉を顰めたのは、扉の鍵にあった。
アンヌ達の部屋に掛かっていた鍵は、あくまでも普通の鍵でしかない。
頑丈な鍵であり、普通ならどうしようもない程の鍵ではあったが、それでもあくまで普通の鍵。
それに大して、祭壇に続く扉に掛けられている鍵はマジックアイテムの鍵だった。
つまり、この扉の向こうにある存在……ジェーンの情報が正しいのなら、この祭壇はアンヌ達よりも重要な存在ということを意味している。
具体的にそれが何なのかというのは、当然のように祭壇だろう。
「どうします? マジックアイテムである以上は迂闊には……」
強引に鍵を壊した場合、マジックアイテムである以上は何が起きるか分からない。
場合によっては、それこそ鍵そのものが爆発するといったようなことになってもおかしくはないし、もしくは鍵が破壊されたというのを周辺一帯に知らせるような警報の役割を果たしてもおかしくはない。
イルナラにしてみれば、このような状況の鍵を破壊するのは危険だと、そう言いたいのだろうが……レイはそんな言葉を気にした様子もなくデスサイズをミスティリングから取り出す。
本来なら、この狭い場所でデスサイズというのは使いにくい。
実際にアンヌ達が閉じ込められていた場所でレイが使ったのは、デスサイズではなく黄昏の槍なのだから。
しかし、それはあくまでも普通ならばの話でしかない。
レイとデスサイズという組み合わせである場合、この状況でもデスサイズを使おうと思えば使えるのだ。
「え?」
だが、そんなことを知らないイルナラにしてみれば、こんな狭い場所でデスサイズを取り出してどうする気なのかと、そう疑問に思ってもおかしくはない。
「イルナラ、少し下がってろ。階段の近くまでだ。そうすれば攻撃の被害を受けることもないからな」
「……本気ですか?」
レイがデスサイズを持ち、自分に後ろに……それも少しではなく、階段の近くまで下がるようにと言われた。
そのことから、イルナラも今となってはレイが何を考えてそのような真似をしようとしているのかを理解はしていた。理解はしていたが……だからといって、そのような真似を出来るとは思えず、それがイルナラの口から出た言葉が意味している。
「本気だ」
イルナラにそう答えた次の瞬間、レイはデスサイズに魔力を流しながら振るう。
元々のデスサイズも、圧倒的な斬れ味と重量を持つ武器だ。
それをレイが振るえば、鉄であろうとも容易に切断するような真似が出来る。
そんなデスサイズに魔力を流して振るったら、どうなるか。
考えるまでもなく、明らかだろう。
周囲にある壁が切断され、壁の奥にある土も切断され、そして扉の横の壁も切断される。
マジックアイテムの鍵を破壊したり、もしくは鍵のついている扉を破壊したりといったような真似をすれば、あるいはマジックアイテムとして何らかの効果が発揮される危険もあった。
しかし、鍵でもなく扉でもなく、その横の壁となれば、話は違ってくる。
何よりも斧の類で乱暴に破壊するのではなく、デスサイズで鋭く、素早く壁を斬り裂いたのだ。
当然だが、その一撃はマジックアイテムの鍵に何らかの影響を与えるといったようなことはなかった。
(振動探知機能とか、そういうのがあれば話は別だったんだが……なかったみたいだな。いやまぁ、そういうのがあるのかどうかは分からないけど)
そんな風に思いつつ、レイは邪魔にならないようにデスサイズをミスティリングに収納する。
収納し……
「これだな」
「え? 何がですか?」
レイのやったことに呆れながらも、近付いてきたイルナラはレイの呟きに不思議そうに尋ねる。
イルナラにしてみれば、レイがやったのは常識外の行動だ。
だというのに、そのレイは自分のやったことを自慢するでも何でもなく、何か真剣な表情を浮かべて呟いているのだから、それを気にするなという方が無理だった。
「この区画に入ってから感じていた何か……その正体というか、根源はここだったんだと思ってな」
壁が切断され、部屋の中に倒れてその穴から部屋の中を見ることが出来る。
しかし、レイは部屋の中を見なくても……部屋から漂ってくる空気や雰囲気で、ここが自分の感じていた何かの場所だというのを理解した。
「……何か……」
呟かれたレイの言葉の真剣さに、イルナラは息を呑みながら壁の向こう側を見る。
外側からである以上、見える範囲はそんなに広くはない。
だがそれでも、今こうしている中でイルナラの視線の先には何らかの魔法陣らしきものが微かにだが見えていた。
「中に入るぞ。鍵が掛かっていたのを考えると、今は中に誰もいないみたいだし」
そう言い、切断されて穴の空いた壁から部屋の中に入るレイ。
外にいる時点で理解はしていたものの、やはりこうして実際に部屋の中に入ると、自分の感じていた何かの正体は確実にこれだったと、そう理解出来る。
部屋の中に入って真っ先に目に入ってきたのは、黒い祭壇。
何らかの塗料を塗っているのか、それとも黒い金属なのかは分からないが、艶のある黒い祭壇が非常に目立っていた。
その黒い祭壇は二つに分かれており、見ようによっては天秤のようにも見えなくはない。
ただし、天秤の両端の部分が極端に大きさが違っているのが、強烈な違和感を抱かせるが。
それ以外に目立つのは、壁の穴の外からも見えた魔法陣だろう。
床に描かれた……塗料か何かで描かれているのではなく、床に直接刻まれている魔法陣。
「この魔法陣は……イルナラ、何か分かるか?」
「ちょっと待って下さい」
レイの言葉に、イルナラはすぐに魔法陣を調べ始める。
魔法陣の方はイルナラに任せ、レイが視線を向けたのはやはり祭壇だ。
レイがこの区画に入ってから感じていた何か。
そしてこの部屋の壁を壊して中に入ったところで、更に強く感じられるようになった何か。
それが目の前にある祭壇なのは、間違いのない事実だった。
(で、この二つに分かれている祭壇は……結局何なんだ? 受ける感覚からして、これが何かの正体なのは間違いないにしろ、問題なのはやっぱりこれが具体的にどういう効果を持ってるのかってことだよな。魔法陣とかを見る限り、まさか置物って訳じゃないだろうし)
一番有り得ない予想をしたレイは、祭壇をそのままに部屋の中を見る。
レイが壁を切断しても特に何か騒動が起きたりしなかったように、この祭壇の間とでも呼ぶべき場所にはレイとイルナラ以外、誰の姿もない。
そう、リンディが藁にも縋る思いで期待していたゴライアスの姿も当然のようになかった。
この状況を見れば、間違いなくリンディはがっかりするだろう。
とはいえ、リンディにとってまだ希望は捨てていないと同時に、その希望を叶えるのが難しくなったということを意味してもいたのだが。
アンヌを助け、ドーラン工房の中で行われている、色々と怪しげな件の証拠を入手したのだ。
その上で見回りに来た警備として雇われている冒険者達を気絶させてもいる。
そうである以上、レイ達の侵入が判明するのはそう遠い話ではないだろう。
あるいは、もう判明している可能性がある。
そうである以上、T字路のうち右側方面を調べるような余裕はない。
……勿論、レイがその気になれば襲ってくる相手を全て倒してからゆっくりと調べるといった真似も出来ない訳ではなかったが、そうなった場合はアンヌを始めとした奴隷達や、イルナラを始めとした錬金術師達を守るといったような余裕はなくなる。
つまり、この祭壇を調べて終わったらさっさとドーラン工房を脱出する必要があるのだ。
(あれ? そう言えば……イルナラ達を焚きつけて一緒に行動していたのはいいけど、これからイルナラ達はどうするんだ? このままドーラン工房に残ったら、間違いなく主流派によって疑われるだろうし。いや、疑われる程度ですめばラッキーってところか。最悪、尋問や拷問されてもおかしくはない)
レイ達がどこから入ってきたのかというのは、それこそ建物を調べればすぐに分かる。
レイはゴーレムとの戦いで建物を多少なりとも破壊しているのだから。
だからこそ、イルナラ達が裏切ったというのは隠すのは難しい。
……それ以前に、絡んで来た警備兵の一件もあるので、イルナラ達が裏切ったというのを隠すのは難しいだろう。
遭遇した警備兵を全て殺すといったような真似をしていれば、多少は誤魔化せたかもしれないが、それはあくまでも多少だ。
「レイさん」
イルナラ達をどうするべきかと考えていたレイは、そんなイルナラの声で我に返る。
「どうした? 魔法陣のことで何か分かったのか?」
「ええ。とはいえ、詳細に調べた訳ではないので、大雑把にですがね。少なくも、この魔法陣は錬金術とは関係がないのは間違いないでしょう」
「……は?」
イルナラの口から出たのは、レイにとって予想外だったが。
恐らくはこれこそが人を素材にしてゴーレムの性能を上げている何かだと、そう思っていたのだから。
そんなレイの様子に、イルナラは特に驚いた様子を見せない。
これが錬金術に関係するものではないというのを言えば、レイも驚くだろうと思っていたからだろう。
「私はあまり詳しくないので、正確には言えませんが……死霊術やネクロマンシー関係の魔法陣に似てるように思います」
「……ネクロマンシー?」
「ええ。恐らくですが」
ネクロマンシーが関係しているとなれば、レイが頼るべき相手は一人だけだ。
ゼパイルと同年代に生きたものの、最終的にはアンデッドとなって生きている人物――正確にはモンスターだが――グリム。
とはいえ、グリムの存在をイルナラに知られる訳にはいかない以上、レイとしてはイルナラには一度ここから出て貰う必要がある。
「イルナラ、悪いがちょっと部屋から出てくれないか?」
「……は?」
先程はレイの口から間の抜けた声が出たが、今度はイルナラの口からそのような声が出る。
イルナラにしてれば、まさかここでそのようなことを言われるのは予想外だったのだろう。
それでも即座に不満を爆発させず、説明を求める視線を向けてくるのはイルナラが優秀な証だろう。
「俺の師匠はこの魔法陣や祭壇を見れば、何か分かると思う。けど師匠と話すには対のオーブを使う必要があって、そして師匠は身内以外と会話をしたくない性格をしている。それこそ、声を掛けられるのも嫌がるような感じでな」
対のオーブという言葉に、イルナラが反応する。
錬金術師だけあって、対のオーブについては知っていたのだろう。
ゴーレムの製造専門の錬金術師であっても、その辺りについて知っているのはおかしくない。
「待って……いや……では、少し外に出ている」
そう言い、イルナラはレイの開けた穴から部屋に出る。
イルナラにしてみれば、対のオーブというのは非常に希少なマジックアイテムだ。
そうである以上、出来ればそれを見たいと思ったのだろう。
しかし、今はこの部屋にある魔法陣や祭壇が何かを調べるのが先決と判断し、疑問を呑み込んだのだろう。