2752話
「何でだ?」
そう不思議そうに口にしたのは、レイだ。
レイの視線の先にいるイルナラを始めとした錬金術師達は戸惑った様子を見せる。
当然だろう。本来なら、自分達は非主流派なのだ。
ドーラン工房においては冷遇されているそんな自分達が……何故、アンヌを始めとしたこの地下室に閉じ込められていた者達に命令の上書きをすることが出来たのか、その意味が理解出来なかった。
アンヌを始めとした、この部屋に閉じ込められていた者達は半ば、もしくは完全に違法な手段で連れて来られた奴隷達だ。
当然のようにその首には奴隷の首輪が嵌められており、この部屋から出ないようにと命令されている。
この地下室の扉に鍵は掛けられていたものの、見張りの類が一人も存在しなかったのは、奴隷の首輪があった為だろう。
そうなると、ここでアンヌ達を見つけたとしても地下室から出すことは出来ない。
最悪、デスサイズを使って奴隷の首輪を切断して破壊するか? とレイは思っていたのだが、当然ながら奴隷の首輪はそう簡単に破壊されないようになっているし、最悪の場合は破壊された瞬間に奴隷を殺すといったような仕掛けがされていてもおかしくはない。
ましてや、この地下室にいる奴隷をどうやって集めたのかを考えれば、ここにいる者達を逃がすといったような可能性は限りなく少ない方がいいのは間違いない。
そうである以上、証拠隠滅する意味で奴隷の首輪に仕掛けがされている可能性は高い。
かといって、イルナラや他の錬金術師の中には奴隷の首輪に詳しい者もおらず、何とかして外すといったような真似も出来ない。
そんな訳で、この状況をどうするのかと迷っていたところで……ふと、錬金術師の一人が駄目元といった感じで命令の上書きをしてみたところ、見事にそれが成功したのだ。
もしかしてその奴隷の嵌めている奴隷の首輪だけが偶然? と思って他の者達にも同様の真似をして見たのだが、そちらも何の問題もなく命令の上書きをすることに成功している。
最初は他の錬金術師達から、もしかして主流派の手先ではないのか? といった視線を向けられたのだが、試してみれば他の錬金術師達でも命令を上書きすることが可能だった。
一体何がどうなってそのようなことになってるのか、レイにもそれは分からない。
しかしそんな中でイルナラが口を開く。
「可能性としては、奴隷の首輪の所有者権限が主流派だけではなく、ドーラン工房の者全員といったようにされている、というものがありますね」
その説明はレイや他の面々を納得させるには十分であったが、同時に疑問も抱かせる。
「主流派の連中は、何でドーラン工房全体という括りを?」
レイ以外にリンディやアンヌを始めとした他の者達にも視線を向けられ、イルナラは首を横に振る。
普通に考えれば、幾らこの区画に非主流派のイルナラ達が入れないようにされているとはいえ、それでもドーラン工房に所属する者全員の命令を聞くようにといったようなことはしないだろう。
だというのに、現実は何故か違う。
そう疑問に思うのは当然の話だった。
(何でだ? 何でわざわざそんなことをする? これが何かの罠とか、そんな可能性もあるのか? いや、けどこうしている今、特に何かがある訳でもないし)
そう思いつつも、今はとにかく奴隷の首輪をどうにか出来たので問題はないと判断する。
判断したところで、これからどうするのかといった問題になる。
「リンディ、お前はここでアンヌ達を守っているか?」
「え? でも……」
勿論、リンディとしてはアンヌを守れるのなら自分が守りたいと思う。
アンヌの他にもブルダンから連れてこられた者が何人かおり、アンヌ程ではないにしろ、その人達も守りたいという思いがあった。
そのような思いがあるのは間違いないものの、だからといってここで自分がアンヌ達を守れるかと言われれば、正直なところ微妙だろう。
リンディも自分の技量については知っている。
それだけに、腕利きの冒険者が来れば……あるいは地下道に入れる程度の大きさのゴーレムを出してきたりした場合、それに対処するのは難しい。
先程遭遇した、ジェーンくらいの技量の持ち主が一人だけで来るのなら、まだ何とか防衛出来たと思うが。
それだけではない。
アンヌを助けた以上、次に助けたいと思うのはゴライアスとなる。
アンヌはここでゴライアスを見ていないという話だったが、もしかしたら他の場所にゴライアスがいる可能性もあった。
残り一つの地下室には祭壇があるという話なので、そこにゴライアスがいる可能性が低いのは分かっている。
しかし、最初のT字路で左側がここに繋がっていた以上、右側にはまだ行っていないのだ。
本来なら左側には会議室くらいしかないという情報だったものの、実際にはこうして多数の地下室。
そうなると、当然ながらT字路を右側にいった場所もイルナラ達が知っている情報と違う可能性は十分にある。
そうレイに訴えるものの……
「それは分かるけど、ならアンヌ達はどうするんだ? まさかアンヌ達を連れてドーラン工房の中を探索するって訳にはいかないだろ? それに今回の目的はあくまでもアンヌ達を助けることだ。祭壇のある場所を調べたら、俺は工房を脱出するつもりだぞ」
「それは……」
リンディも、薄々と分かってはいたのだろう。
今この状況、この地下室にゴライアスがいない状況で、これ以上ゴライアスを捜すのは無理だというのは。
だが、それでもゴライアスを見つけたいと思うのは恋する乙女として当然でもあった。
「そう……そうね。私がアンヌさんを守らないと」
半ば自分に言い聞かせるように呟くリンディ。
アンヌはそんなリンディを心配そうに見ていたものの、今この状況で自分が何かを口にしても意味はないだろうと、そう思って口を開く様子はない。
「私達はどうします? 何かあったら足手纏いになるのは確実である以上、私達もここで待っていた方が?」
イルナラにとっては、ここでアンヌ達が待っていてリンディに守って貰えるのなら、争いに関しては自信のない自分達もここにいた方がいいのではないかと思い、尋ねる。
どうせ足手纏いになるのなら、そのような人物は一ヶ所に纏まっていた方がいいのは間違いないのだから。
自分についてきてくれる錬金術師達を出来るだけ危険な目に遭わせたくないという思いからの言葉だったが、レイはそんなイルナラからの提案に悩む。
「扉があって入り口が限られているという点で、ここが守りやすいのは間違いない。最悪、扉の前に俺が何かミスティリングから出して置いておくって真似も出来るし」
例えば鉄のインゴットが大量に置かれていた場合、扉を開けるにはまずそれをどうにかする必要がある。
当然だが鉄のインゴットというのは全てが鉄で出来ており、かなりの重さだ。
それを動かすだけで体力を消耗し、中にいるリンディにとって多少なりとも有利になるだろう。
イルナラ達の安全を考えれば、そうした方がいいのは間違いない。間違いないのだが……
「祭壇の件があるんだよな。そっち関係の知識が俺にはあまりないし」
ドーラン工房の建物の中に祭壇がある以上、当然ながらそれはゴーレムと何らかの関係がある筈だった。
そうである以上、その祭壇を見てどんな風にゴーレムに関係するのかというのはしっかりと把握する必要があった。
祭壇といったような意味深な存在である以上、それが人を素材とするのに関わっている可能性は高い。
ドーラン工房のゴーレムを解析しているロジャーがいれば、あるいは何とかなったかもしれないが、今の状況を思えばそのような真似を出来る筈もない。
そしてロジャーがいない以上、ここで協力して貰うのは当然のようにイルナラ達しかいなかった。
「祭壇がゴーレムに関係している可能性が高い以上、誰か一人には俺と一緒に行動して欲しい」
レイのその言葉に、イルナラや錬金術師達は迷った様子を見せる。
祭壇がゴーレムに関係しているというのが事実であった場合、レイの言う通り誰か錬金術師が向かった方がいいのは間違いない。
しかし、そのような場所に行くのが危険なのも間違いない。
いや、レイが一緒にいる以上、本当の意味での危険はないのだろうが、それでも荒事には慣れていない錬金術師達だ。
もしそのようなことになった場合、最悪の未来が待っている可能性はどうしても否定出来なかった。
「私が行こう」
そんな中、錬金術師の中で最初に声を上げたのはイルナラ。
「イルナラさん!?」
当然他の錬金術師達はイルナラを止める。
あるいはイルナラが行くのなら代わりに自分が行くと言う者もいたが、イルナラは自分の意見を曲げることはない。
非主流派の中心人物である自分がレイと共に行くのが最善である……というのは表向きの話で、ドーラン工房において何か後ろ暗いことが行われており、祭壇がその原因の一つなら、それを自分の目で確認してみたい。
そうイルナラが思うのは、ある意味で当然の話だ。
他の錬金術師達にそう言い、行かせて欲しいと頼むイルナラ。
自分達を率いており、恩のある人物にそう言われれば、その場にいる者達も結局は反対出来ずに頷くしかなかった。
「じゃあ、俺とイルナラで行くから、リンディはここの護衛を頼む。一応扉の前には鉄のインゴットを置いていくから、そう簡単に敵が突入してくるようなことはないと思うけど」
「ええ。……祭壇にゴライアスさんがいたら、助けてね」
そう言うリンディだったが、祭壇のある場所にゴライアスがいるとは思っていない。
それでも一応といった様子で頼むのは、万が一の可能性に賭けての話だろう。
「ああ。見つかったらこっちで確保しておくよ。問題なのは俺がゴライアスの顔を知らないことだけど、その辺は名前を聞けばどうにかなるだろ。身体的な特徴は聞いてるし」
そう言い、レイとイルナラは部屋から出る。
するとレイはリンディに言ったように、ミスティリングから取り出した鉄のインゴットを次々と扉の前に置いていく。
「これは、なかなか純度の高い鉄ですね」
興味本位からか、暇潰しからか、あるいは祭壇に向かう前の緊張を解す為か。
その辺りの理由はレイにも分からなかったが、イルナラはレイが扉の前に積み上げている鉄のインゴットを一つ手に取った後でそう告げる。
「分かるのか?」
「ええ。鍛冶師程ではないにしろ、錬金術師はそれなりに金属にも詳しいので。ゴーレムの部品にも多用しますし」
イルナラの説明は、レイを納得させるのに十分なものだった。
これがギルムにいる錬金術師なら、そこまで金属に詳しくなくてもおかしくはない。
だが、エグジニスにいる錬金術師達はゴーレム製造の専門家が多い。
ましてや、イルナラはドーラン工房に憧れ、ここに入るまでに必死にゴーレムについて勉強してきただけあって、金属についても相当に詳しい。
それこそ下手な鍛冶師よりも金属については詳しく、本人が鍛冶師よりも詳しくないと言っているのは謙遜でしかない。
勿論、本当に腕の立つ一流の鍛冶師と比べるなら話は別だが。
「最初の地下室の時も疑問に思いましたが、これ程の鉄のインゴットを一体どこで?」
「盗賊のアジトにあったのを奪ってきた」
「それは……」
あっさりとレイの口から出たその言葉に、イルナラは唖然として驚きの表情を浮かべる。
レイにとっては盗賊狩りは実益を伴った趣味なのだが、一般人――錬金術師を一般人と評してもいいのかは微妙だが――のイルナラにしてみれば、盗賊から奪ってきたといったようなことを言われると、当然のように驚く。
そうして驚いている間に鉄のインゴットで扉の前を埋め、口を開く。
「これでいいだろ。イルナラ、そろそろ行くぞ。祭壇がどんな場所なのかは、具体的にはまだ分からない。そうである以上、出来るだけ早く祭壇を調べたい。そうすればここに戻って来るのも早くなるしな。……こういう場所を守るゴーレムとかいれば、使いやすいんだが」
レイはロジャーに頼んだ防御用のゴーレムが出来ていればと思ったが、今この場にない物について言っても仕方がない。
「この地下通路で使えるようなゴーレムとなると、かなり小型のゴーレムになるだろうね。そうなると、当然だけど相応の技術力が必要になる。ドーラン工房の技術では……少し難しいかと」
イルナラは残念そうに告げるものの、それはあくまでも自分達の技術ではの話だ。
人を素材にした今の主流派のゴーレムであれば、あるいはそのような真似も出来るかもしれない。
そう思っているだけに、イルナラの口調には悔しそうな色があった。