2750話
ジェーンが口にした情報、それは……レイやリンディにとっても決して聞き逃すことが出来ないものであると同時に、疑問を抱くには十分なものだった。
「ここにある地下室のどこかに祭壇が? ……何に使うんだ、その祭壇は」
「分からないわ。ただ、私に言い寄ってきた錬金術師がとっておきの秘密だって言ってたから、多分重要な情報だと思って覚えておいたのよ」
レイは一瞬ジェーンが適当な嘘を言ってるのではないのかと思ったのだが、首にデスサイズの刃を突きつけられており、下手な誤魔化しを口にした場合はその首が胴体から切断される可能性が高いとなれば、まさかこのような状況でそんなことを言うとはレイにも思えない。
自分の命を惜しんでいるが故に、ここで適当な嘘を言った場合、後々それが分かった時に自分がどうなるのかといったようなことが、分からない筈はないのだ。
だからこそ、レイとしてもジェーンが嘘を吐いているとは思わない。思わないのだが……
(祭壇? 祭壇ってことは、何かを捧げるとか、そういうのに使う奴だよな?)
正確には色々と違うのかもしれないが、宗教という存在を決して好んでいる訳ではないレイとしては、その程度の認識でしかない。
ましてや、この世界においては聖光教という宗教団体とぶつかることも多かった……そう思いながら、ふと嫌な予感を抱く。
(もしかしてこの件、実は聖光教が関わっているとか、そういうことはないよな?)
聖光教という存在は、レイにとって非常に厄介な相手だ。
聖なる光を崇めている狂信者達。
自分達の信仰を貫く為なら、どのような真似をしてもいいと思っている、そんな存在。
出来ればここで遭遇したいとは思わなかったし、自分の予想は外れていて欲しいという思いもある。
だが……しかし、それでも祭壇という単語が出て来た今の状況を思えば、可能性としては否定出来なかった。
もっとも、祭壇という単語が出て来たからといって、宗教関係の全てを聖光教に押し付けるのもどうかと、そう思わないでもなかったが。
「祭壇か。……それを言った錬金術師が何を考えているにしても、厄介な状況になりそうなのは間違いないな」
「ど、どう? 私の情報は役に立ったわよね? なら、首からこの大鎌の刃を離してくれると嬉しいんだけど」
恐る恐るといった様子でジェーンがレイに向かってそう言う。
懇願されるような、媚びる視線を向けられたレイは、どうする? と視線をリンディに向ける。
ジェーンとリンディは顔見知り――関係は決して良好ではないらしいが――である以上、どうするのかはリンディに聞いた方がいいと、そう判断しての行動。
そんなレイに、リンディは不承不承といった様子で頷く。
リンディにしてみれば、ジェーンから嫌われているのは多少思うところがない訳ではないが、それでも今の状況を思えば、自分が嫌われている云々よりドーラン工房の情報の方が必須となる。
そういう意味では、ジェーンの口から出た祭壇というのは悪い情報ではない。
問題なのは、その祭壇がどの部屋の地下室にあるのかといったような疑問や……何より、その祭壇は一体何に使う為にあるのかが分からないといったところだろう。
ともあれ、そのような場所があると知ることが出来ただけで、大きな意味を持つのは間違いない。
「分かった」
リンディの様子を見て、レイはジェーンの首筋に突きつけていたデスサイズの刃を離す。
自分の首に触れていた冷たい感触が離れたことに安堵するジェーン。
デスサイズの刃が離れたのをチャンスとして攻撃しようとしたり、もしくは逃げようとしているのでは? と若干思ったレイだったが、幸いなことにそのような様子はない。
ここで逃げようとすれば殺されると判断したのか、それとも単純に今の状況を思えば助かったことに安堵しており、そのようなことに考えも及ばないのか。
その辺はレイにも分からなかったが、それでも手間が掛からなかったのは幸運だった。
「なら、後は眠ってろ」
呟き、首筋に手刀を一撃入れてジェーンの意識を絶つ。
ジェーンは自分が一体何をされたのかすら分からないままに気絶して、床に倒れ込んだ。
「さっきの連中のように縛ってどこかに……いや、あの書類があった部屋に運ぶぞ」
「え? そんな真似をしても、すぐに出て来るのでは?」
レイの言葉にイルナラが不思議そうな様子で呟く。
とはいえ、レイにしてみればそのくらいのことは考えてある。
「地下室に続く扉の上に重しを置いておくから、心配するな。……幸い、使い道のない重しがあるしな」
自信満々に言うレイを見て、レイがそう言うのならということで、気絶している冒険者達をロープで縛って身動き出来ない状態にしてから、地下室に運ぶ。
そうして扉の上に置かれたのは……レイがエグジニスの近くにある山で倒した盗賊のアジトに隠されていた、斧。
風雪の一件でスラム街に行った時、絡んできた……正確には絡もうとした相手から情報を貰った時に謝礼として結構な数の斧を渡したのだが、それでもまたミスティリングには多数の斧があった。
斧以外にも同じ盗賊から入手した鉄のインゴットも結構な数があるのだが、この鉄のインゴットは使おうと思えば色々と使い道がある。
商人に売るという手段もあるし、それこそ斧と違って一定の形をしているので、投擲にも便利だ。
レイが得意としている火災旋風の中に投げてその熱で鉄を溶かしたり、もしくは単純に鉄のインゴットを火災旋風の中にいる相手にぶつける打撃武器としてといったような使い道もあった。
もっとも、それを言うなら斧もそこまで使い込まれていた訳ではなかったので、売ろうと思えば売れただろうし、拾い物である以上は使い捨ての武器としてもそんなに悪くはない。
それでも斧を何個も扉の上に置いたのは、何となくそうした方がいいと思ったからというのが正しい。
「これは……」
目の前の光景にイルナラが唖然とした様子で呟く。
いや、声を出したのはイルナラだけだったが、それ以外の錬金術師達やリンディも、目の前にある光景には驚きの方が強い。
「取りあえずこれならそう簡単に出て来られないだろ。隠し武器の類も確保してあるし」
冒険者達の中には予備の武器として短剣や長針の類を持っている者もいた。
そのような武器は取り上げて、レイのミスティリングに収納してある。
一瞬わらしべ長者? と思ったものの、短剣や長針と斧では、当然のように斧の方が値段が高いので、正確には逆わらしべ長者と呼ぶべき状況だった。
勿論、腕利きの鍛冶師が作った短剣であったりすれば、下手な武器よりも高額になってもおかしくはないのだが、レイが奪った武器はどこからどう見ても普通の短剣や長針で、一流の品とはとてもではないが呼べない代物となる。
「さて、こうして二組の警備兵達を倒してしまった以上、戻ってこないのを心配して新たな戦力を送り込んでくる可能性もある。そうならない為に、さっさと他の地下室を調べるぞ。リンディ、次にどこを調べるのか決めたのか?」
レイに促されたリンディは、書類のあった部屋の向かいにある部屋の地下室を指さす。
結局のところ、どの場所にアンヌ達がいるのか分からない以上、リンディとしてはどの部屋を選ぶのかは勘でしかない。
勘……それもただの勘ではなく女の勘でリンディが選んだのが、その部屋だった。
レイやイルナラにしてみれば、特にどこを選んでも構わない以上、ここでどの部屋をリンディが選んでも問題はない。
(いっそ、手分けした方がいいのかもしれないけど……難しいだろうな)
リンディはエグジニスにいる冒険者の中でもそれなりに腕の立つ方だ。
だが、当然ながらそれ以上の強さを持っている者はいる。
もしここでレイと行動しているのがリンディではなく、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラといった面々であれば……あるいはその三人程ではないにしろ、アーラのような実力があれば、話はまた別だっただろう。
だが、リンディはリンディでしかない。
また、別行動をとるとなれば錬金術師達をどうするのかといったような問題も出てくる。
レイだけでイルナラを含めた他の錬金術師達を守るのは、無理ではないものの、かなり手間だ。
かといってリンディの実力を考えると、そちらに任せることも難しい。
これはリンディの実力に関してもそうだが、それ以上に自分やパーティの仲間と一緒に戦うのならともかく、守るべき対象を庇いながら戦うのでは、どうしても実力を発揮出来なくなるから、というのが大きい。
かといって、まさかレイとリンディが一人ずつに、イルナラ達錬金術師の三つに別れて地下室を探索するというのも、当然のように却下だった。
先程のように書類のあるだけの部屋ならまだしも、場合によっては何らかの罠があったり、護衛を任されている者――もしくはゴーレム――がいても、おかしくはないのだから。
(特に祭壇なんて意味ありげな場所があるとなると、当然そこは重要な場所の筈だ。だとすれば、罠を仕掛けるか護衛がいるのは間違いないだろうし)
結局のところ、纏まって移動するしかない。
そう思いつつ、レイはリンディやイルナラ達を率いて次の地下室に向かう。
すると、そこにあったは……
「これは……ゴーレムの核……」
イルナラの唖然としたような言葉に、レイは納得する。
イルナラ達の作ったゴーレムとの戦いで、その核を見た覚えがあった為だ。ただし……
「核だけ、この数か。随分と凄い数だな」
レイがゴーレムの戦った部屋程ではないにしろ、書類が置かれていた部屋の数倍の大きさを持つ地下室。
そこには多数の棚が置いてあり、その棚に置かれているのはその全てがゴーレムの核だった。
当然ながら、ゴーレムの核とはいえ全てが同じ大きさという訳ではない。
大きな物から小さな物まで、あるいは個々によって多少なりとも形も違っている。
数にして、数百……あるいは千に……もしかしたらそれ以上の数のゴーレムの核がここにあった。
「な、何でこんなにゴーレムの核があるのよ! ゴーレムの核は高いのよ!? 私達がゴーレムを作る際には、なかなか寄越さないのに!」
女の錬金術師が、憤りも露わに叫ぶ。
ここで叫ぶなと言おうかと思ったレイだったが、完全にではないにしろ錬金術師が不満に思っている気持ちは分かるし、ここは地下室で扉も閉めてある以上、多少騒いだところで外には聞こえないだろうと判断し、止めるような真似はしなかった。
(ゴーレムの核はやっぱり高価なんだな。モンスターも一般的には魔石が一番高価だし、そう考えればおかしな話じゃないのか?)
そう納得するも、この核をどうするのかとなると、レイも勝手に決められない。
またしてもアンヌのいる場所ではない別の地下室を選んでしまったことでショックを受けているリンディを横目に、レイはイルナラに話し掛ける。
「なぁ、イルナラ。さっきの部屋では違法行為の証拠として書類を奪ってきたけど、この核も貰っていいのか?」
「それは……」
レイにしてみれば、この核は絶対に必要という物ではない。
しかし、ミスティリングがあれば取りあえず持っておくことは出来るのだ。
将来的に何かに使えるかもしれないし、最悪錬金術師に売ってもいい。
あるいはギルムの錬金術師に……と考えて、エグジニスの錬金術師はともかく、ギルムの錬金術師に売るのは止めておいた方がいいだろうと、そう判断する。
「それは……うーむ、そう言われても困るな」
イルナラにしてみれば、ここにあるゴーレムの核は自分達が使うことは出来ず、主流派だけが使えるような物であるが、それでもドーラン工房の品だ。
書類の類はいざという時に証拠隠滅されてしまいかねないので、レイが持っていることに反対はしなかったが、ここにあるゴーレムの核までそうしてもいいのかと言われると、素直に頷くことは出来ない。
かといってここにあるのが普通のゴーレムの核なのかと言われると、しっかりと調べてみないことには分からないものの、素直にそうだとも断言出来ない。
何故なら、こうして隠すように地下室に核が置かれていたのだから。
「イルナラ、このままここにゴーレムの核を置いておけば、何か後ろ暗いことに使われる可能性があるんじゃないのか?」
「だが……私達が使っているゴーレムの核は、主流派から渡された物だ。つまり、ここにあるゴーレムの核は、私達も使えるような普通の物の可能性が高い」
「……こんな風に地下室に隠してあるのにか?」
「ゴーレムの核は高価なのだから、仕方がない」
そう告げるイルナラの意見を受け入れ、結局レイはここにあるゴーレムの核のうち、適当に十個程をミスティリングに収納して持ち帰り、ロジャー辺りに渡して調べて貰うということで妥協するのだった。