0275話
「よう、レイ。昨日は随分とやらかしたんだってな」
セレムース平原を進む中、セトと共に歩いているレイへとそんな声が掛けられる。
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは巨大なバトルアックスがトレードマークになっているエルクの姿があった。
「やらかしたというか、俺が先陣に配属されるのが気に食わない奴がいて、それでだな。……エルクみたいに名前が売れていれば問題無かった……いや、問題はあったか」
エルクへと言葉を返しながら溜息を吐くレイ。
そもそもルノジスがレイへと絡んできたのは、本心から辺境だけでならともかくミレアーナ王国全体を見回せば無名に近いレイに先陣が配属される実力が無いという理由ではない。いや、あるいは幾らかはそんな理由もあったのかもしれないが、本心としてはエレーナの近くにいるレイという存在が目障りだった為だ。少なくてもレイは嫉妬に塗れた暗い、憎悪すら感じさせる目を向けられた時にそう判断していた。
「名前が売れる、ねぇ」
レイの言葉に、周囲を見回すエルク。
その視線に映っているのは、中立派の先陣を任された者達だ。確かに名の知れた冒険者や騎士も多いが、当然その人数の大半は兵士達であり、名の通った者は殆ど存在していない。
特に遊軍としての働きを任されている冒険者達に至っては、ギルムの街から来た者達はともかく他の中立派が雇った冒険者に名の知れた者はそれ程多くない。それでも最低ランクがDだというのを考えれば戦力としては十分なのだろうが。
かろうじて迷宮都市から派遣されてきた冒険者はギルムの街の冒険者に匹敵する戦闘力を持っているのだろうが、迷宮都市というのはその名前通りに街中に迷宮がある関係上、いつモンスターが迷宮から溢れてくるのか分からない。よって、ギルム以上に派遣される戦力は少なくなっている為に数自体はそれ程に多くないのが実態だった。
「ま、貴族様達は色々と難しいことを考えるのが仕事みたいなもんだからな。余り気にするな。それよりも戦争の手順に関してはきちんと理解しているか?」
周囲を見回し、ランクAパーティ雷神の斧であるという影響もあって視線が集まっているのだが、それを無視してエルクは隣を歩くレイへと話を振る。
エルクと話している冒険者ということで、そうなれば当然レイにも視線が集まるのだが、既にアイテムボックスの件やセトを連れている件、更には前日に貴族と一騎討ちを繰り広げた件で否応なくその名前は知れ渡っている為か、レイに向けられる視線は既に今更感の方が強い。
「グルルゥ?」
セトにとってはそんな話は関係無いのか、小さく鳴いて隣を歩いているレイに構え、と頭を擦りつけてくる。
そんなセトの頭を撫でてやりながら、少し思い出すようにして口を開く。
「確か、まずはお互いの軍勢が向き合うんだよな。で、それぞれの軍の代表が中央辺りでお互いに対して降伏勧告をして、それを拒絶。その後代表が軍勢に戻ってから戦闘が開始される。……間違ってるか?」
「いやまぁ、間違ってはいないな。代表は先陣から出すという事やその他にも色々と細かい作法とかはあるんだが、それを知る必要があるのはあくまでも貴族達だけだ。実際に戦うだけの俺達が知っていればいいのは、大雑把な流れだけでいい」
「ま、もっとも俺は戦場に着く前に一旦この集団から離脱するから、その辺の詳しいやり取りは興味無いけどな」
レイの言葉から出た説明に、エルクもダスカーから直接聞かされた話を思い出したのだろう。好奇心を抑えられずに視線をレイへと向けてくる。
「ああ、聞いている。だが、本当に話に聞いていた程の広範囲殲滅魔法なんて使えるのか? 確かにラルクス辺境伯から聞いた話が事実なら確実に先手はこっちが取れて、戦いの流れも引き寄せられるだろうが……」
「一応実験済みだからその辺は任せておけ。それに俺のやろうとしている方法が失敗したとしても、それなりに広範囲に効果のある魔法はまだあるからな」
笑みを浮かべながら告げるレイ。その脳裏に浮かんでいたのは『火精乱舞』という魔法だった。効果範囲という意味ではレイの狙っている火災旋風には及ばないが、その威力は決して火災旋風現象に劣るものではない。いや、むしろ効果範囲を限定しているだけ威力に関しては勝っている可能性も高い。
「へえ、そこまで自信満々なら私達も心配はいらないみたいね」
レイとエルクの会話に突然割り込んできた聞き覚えのある声に振り向くと、そこには当然とばかりに見知った顔がいた。
「ミレイヌか」
「何よ、私がここにいちゃ悪い? ねー、セトちゃん。セトちゃんがいる場所が私のいる場所なのに」
不満そうにレイへと告げ、次の瞬間には近くを歩いていたセトへと抱き付いていく。
さすがに行軍している途中なので、完全に体重を預けてセトの邪魔になるような真似はしていないのはミレイヌのセトに対する愛情故なのだろう。
「すいませんね、ご迷惑を掛けて」
そんなミレイヌの後ろから、杖を持った中年の男が声を掛けてくる。同時に、レイとそれ程年齢の変わらない10代半ば程の弓を持った少女が申し訳なさそうに頭を下げていた。
「いや、気にする必要は無い。それよりそっちも先陣に組み込まれたのか。魔法使いなんだから、先陣は先陣でも後列の方になるんじゃないのか?」
そんなレイの質問に、中年の魔法使い……ランクCパーティ灼熱の風のストッパー役でもあるスルニンは苦笑を浮かべて首を振る。
「魔法使いとはいっても、どちらかと言えば中距離向きの魔法がメインなのでね。後衛に回されるのは遠距離からの魔法を得意としている者達ですよ」
「で、ミレイヌさんもスルニンさんもこっちに来る以上は、同じパーティの私だけが後衛って訳にはいかないし」
弓術士の少女、エクリルが笑みを浮かべながらそう付け加える。
「ま、普通はパーティ単位で分けられるからな。俺達みたいにパーティの中で前衛と後衛に別れるってのは、どっちかと言えば珍しいんだろうな」
エルクの言葉を聞き、レイもまた納得したように頷く。
兵士達なら弓を撃つ部隊と前衛を任される部隊で役割が決まっており、その部隊ごとに訓練をしてきている。
だが冒険者は違う。1つのパーティで前衛と後衛が分かれており、戦闘行動をする際の役割分担がそのパーティ内で完結しているのだ。
そんなパーティをわざわざ解散して前衛部隊、後衛部隊と分けても他の者との連携はまず取れないだろう。その為、基本的にパーティを組んでいる者はパーティ単位で前衛や後衛に振り分けられることになる。
もっとも雷神の斧のように、ソロとしても十分活躍が可能だと判断されれば話は別なのだが。
(そう考えると、ソロは振り分けやすいんだろうな。自分1人で行動しているんだから。……いや、逆に1人で行動している分それに慣れていて、他の仲間との連携に不備が出る可能性があるのか。だからこそ基本的に冒険者は遊撃部隊なんだろうしな)
そんな風に考えていると、やがて進行方向にちょっとした雑木林が見えてくる。
それ程に密集して木が生えている訳では無いが、中の様子が見えない程度には生い茂っている木々。
レイの目的の場所だった。
「セト」
「グルゥ」
レイの呼びかけに、喉を鳴らして答えるセト。
エルクや灼熱の風の者達も、ここでレイとセトが別行動を取ると分かったのだろう。小さく頷いて頑張れと声を掛けてくる。
「セトちゃん、気を付けてね。怪我とかをしないように。何かあったら、レイを盾にして逃げ出すようにすればいいわ。……レイ、あんたもセトちゃんに迷惑掛けるんじゃないわよ」
セトとレイに対してあからさまに態度の違う声を掛けてくるミレイヌに苦笑を浮かべ、それでも既に慣れたものだとばかりに小さく頷く。
「任せろ。そもそも、こんな場所で何かに襲われる可能性なんて無いだろ」
「だから、それはいざ戦闘が始まった後のことよ。いい? セトちゃんにレイの不注意で怪我でもさせて見せなさい。その分のお礼はきっちりと返すからね」
(まるでミレイヌがセトのパートナーみたいな言い分だな)
そうは思いつつも、ミレイヌのセトに対する入れ込み具合を知っている為、特にそれ以上は口に出さずに頷くだけに留める。
「ほら、ミレイヌ。あまりレイさんに迷惑を掛けないように。そもそもこれから戦争が始まるのですから、誰にも絶対の安全なんてものは保証出来ませんよ」
「あ、ちょっと、スルニン。引っ張らないでよ! 私にはセトちゃんを守るという崇高な使命が!」
「全く、これから戦闘だって本当に理解してます? ミレイヌさんがセトに対してどう思っているのかは理解してますが、その半分でもパーティの安全に気を配って下さいよ」
スルニンがミレイヌの腕を引っ張り、後ろからエクリルが押しながらレイの前から去って行く。
エルクが頑張れ、とでもいうように手を振っているのにレイもまた手を振り返し、そのまま先陣部隊から離れて雑木林の方へと向かう。
そんなレイの行動を不思議そうに見ている者達も当然いたのだが、グリフォンを連れているレイの姿を見れば、何か特殊な理由があるのだろうと判断したのだろう。特に何も声を掛けられずにレイとセトは雑木林の中へと到着する。
「さて、後はセレムース平原でお互いが向かい合って戦争が始まるのを待つだけだな。……いいか、セト。俺達の目標は敵に対して先制の一撃、それも出来るだけ致命的な一撃を与える事だ。その為に以前開発した俺とセトが協力して編み出した火災旋風を巻き起こすコンビネーション技を使う。それは分かるな?」
「グルルゥ」
任せておけとばかりに頷くセトに、笑みを浮かべつつ頭を撫でるレイ。
「とにかく、ギルムの街での出来事を見れば分かるように、今回のこの戦争は色々な意味で危険だ。少なくても国王派の連中が思っているような定期的な侵攻では絶対にない。けど、それを幾ら言っても聞かない奴等がいるらしいからな。だから出来るだけ先陣の俺達でベスティア帝国軍に大きな被害を与えて、そのまま一気に勝負を決めることだ。上手くいけば、それこそ今日だけ……いや、数時間も掛からずにこの戦争は終わるだろうな」
「グルゥ」
頷くセトに説明しながらも、半月近くも掛けてここまで来たのに数時間程度で戦争が終わるのはどうなんだ? と内心では思うところもあるレイだったが、だからと言って別に人を殺したい訳では無い為、両軍共に損害が少ないのなら問題無いだろうという判断だった。
林の中に潜んでいるレイ達の視線の先では中立派が全員通り過ぎ、やがて次に貴族派が通り始める。
殆どの者が林に潜んでいるレイやセトに気が付かずに進んで行くのだが、先陣を任せられた貴族派の中でも最前線に近い位置を進んでいた騎馬兵の中の1人がふと視線を林の中へと向けられた。
その騎馬兵の肩には小さい竜が止まっており、同時に被っている兜から零れ落ちる豪奢な金髪と、縦ロールの髪型。そして見る者を惹き付けて止まない程の美貌や鎧越しでも分かるようなプロポーションがその人物が誰なのかを如実に表していた。また、その隣に同じように騎馬へと跨がっている女騎士が巨大なバトルアックスを背負っているのもその証拠になるだろう。
「……エレーナ、死ぬなよ」
口の中だけで呟いたその言葉だったが、レイの目には間違い無くエレーナが頷いたように見えた。
「まさかな」
だが、ここから呟いた声が聞こえる筈も無い。そう判断したレイは、今の頷きはあくまでも偶然の何かだと判断する。
そしてエレーナ達が通り過ぎ、その後に続いた貴族派の集団が雑木林の向こうを通り過ぎた時。
「……何?」
再びレイの口から声が漏れる。
その理由は、たった今目の前を通り過ぎていった貴族派の部隊。その中心にいた人物と目が合ったからだ。巨大なハルバードを持って騎馬へと跨がっているその人物の名はフィルマ・デジール。この戦争において貴族派を率いる人物にして、ケレベル公爵騎士団の騎士団長を務める人物だ。だが視線が合ったのはほんの一瞬。次の瞬間には何でも無いかのように視線を外され、しっかりと前を向いて騎馬を進めていく。緊張や恐怖といったものを一切感じさせないのは、さすがにケレベル公爵の右腕と言われる人物だけのことはあるのだろう。
「さすが、と言うべきだろうな。瞬時に俺がここにいるのを見抜くとは。……いや、中立派と揃って先陣を任されたんだ。あるいはダスカーから作戦を聞かされていたのか?」
呟きつつもじっと時を待つセトを撫でるレイ。
その後、中立派、貴族派に続いて国王派もまたレイの隠れている雑木林の前を通り過ぎて行く。
ミレアーナ王国軍の3つの派閥の中では最も数の多い国王派らしく、その陣容は大きく重厚ですらあった。
人数が多い分動きは鈍いのだが、その代わり一度動き出したらその軍勢を止めるのは難しいだろう。レイにすらそう思わせるような雰囲気を発している。
そして人数が多い分、腕の立つ者達もそれなりの数がいるらしく、何人かはレイとセトの隠れている雑木林へと訝しげな視線を送っていた。
しっかりとレイの気配を捉えられるような者はいないが、それでも何かが林の中にいるのは感じ取れる者がいたらしい。
こうして数時間を掛け、陣地を守る最低限の戦力を残してセレムース平原の戦場となる中間地点へと戦力が向かったのを見て、レイとセトは次の行動へと移るべく準備を整えて連絡が来るのを待つのだった。