2749話
「外れ、ね」
「いや、別に外れって訳じゃないだろ」
五つある、地下室。
その中でリンディが最初に選んだのは、一番始めに見つけた地下室だった。
レイからはアンヌと親しい人物であるお前の勘で選べと言われたものの、どの部屋を選んでいいのか分からない以上、リンディは単純に一番始めの地下室を選んだのだ。
そうして最初の地下室にあったのは、多数の書類だった。
それも地下室に隠してある以上、当然のようにただの書類という訳ではなく、決して表に出せない書類。
事実、その書類を見たイルナラを始めとした非主流派の錬金術師達は、そこに書かれている内容を見て絶望に近い感情を抱いていた。
何故なら、そこには暗殺者ギルドに誰を殺して欲しいと頼んだ際の契約書であったり、ゴーレムを使った違法の実験の数々のレポートであったり……そして仕入れた奴隷についてというのもある。
当然ながら、このような地下に保管されている書類に書かれている奴隷は、レイ達が先程会ったような奴隷ではない。
アンヌのような半ば違法の……いや、それ以外には強引に捕らえて奴隷の首輪を嵌めた、正真正銘の違法奴隷の目録もある。
イルナラ達にしてみれば、現在のドーラン工房がそのようなことをしてるのは知っていた。
知っていたものの、それでもこうして実際に自分の目で見てると、それに強い衝撃を受けてしまうのだろう。
特にイルナラは、小さい頃からドーラン工房に憧れ、そうしてようやくドーラン工房の錬金術師となった身なのだから、尚更に。
それだけに、現在目の前に存在する書類の数々はイルナラにとって最悪の情報ですらあった。
勿論イルナラも、自分が憧れていたドーラン工房が全く何も後ろめたいことがなかった……などとは、思っていない。
しかし、それでもこれ程までのことはしていなかった筈だ。
「イルナラさん」
錬金術師の一人が心配そうにイルナラの名前を呼ぶ。
非主流派の錬金術師達にとって、イルナラは自分達の纏め役であった。
それだけにイルナラがドーラン工房という場所にどれだけの思いを抱いているのかというのは当然のように理解している。
それだけに、他の錬金術師達にとって今のこの状況は最悪に近い。
(とはいえ、これが本当に最悪なのかと言われれば……正直、どうだろうな)
ショックを受けた様子のイルナラを見て、そんな風に思う。
何故なら、ここにある書類は地下室にあるとはいえ、特に隠されている訳でもない。……地下室にあるという時点で隠されているというのはあるのかもしれないが。
つまり、本当に大事な書類の類がある場合、それはこことはまた別の場所に隠されている可能性があるということになる。
当然ながら、そのように隠されている書類はここにある書類よりも見られると不味いことが書かれているのだろう。
そのことについては容易に予想出来たものの、今のイルナラにそれは言わない方がいいだろうと判断し、別のことを口にする。
「取りあえず、この書類の類は色々と証拠になるのは間違いない。持って帰るぞ」
「は?」
レイが何を言ってるのか意味が分からないといった様子で、錬金術師達が間の抜けた声を上げる。
錬金術師達にしてみれば、これだけの書類をどうやって持っていくのかと思っているのだろう。
それなりにレイと付き合いのある者であれば、レイが持つミスティリングに思い当たるのだろうが、錬金術師達とレイの付き合いは短い。
そして錬金術師達とは別に、リンディはレイに不満そうな視線を向けている。
リンディはレイがミスティリングを持つことは知っているものの、今の状況を思えばここで書類を集めるなどといったような真似をせず、すぐに次の地下室を調べたいのだろう。
リンディが今ここにいるのは、ドーラン工房の不正の証拠を掴むといった理由ではなく、あくまでもアンヌやゴライアスを助ける為なのだから。
だからこそ、今ここで無駄に時間を使うといったこと可能な限り避けたい。
そう思うリンディをよそに、レイは手早く書類をミスティリングに収納していく。
最初はそんなレイの姿に驚いた錬金術師達だったが、ゴーレムを収納したのを思い出したのだろう。
すぐにレイの手伝いをする為に、書類を持ってくる。
……イルナラ程ではないにしろ、ドーラン工房という場所に好意的だった者達にしてみれば、こうしてドーラン工房の悪事の証拠をレイに渡すというのを躊躇っている者もそれなりにいたが。
それでも今は少しでもレイの言う通りにした方がいいと判断したのか、もしくは余計なことを考えないで身体を動かしいと思ったのか、書類を運ぶという行為に専念する。
そうして協力をすれば、十分もしないうちに全ての書類がミスティリングの中に収納された。
「さて、じゃあ次だ。……リンディ、どこに行くのか選んだのか?」
「ええ。もう決めてあるわ。次こそアンヌさんやゴライアスさんのいる場所を選ぶわ」
今度こそ必ずアンヌ達のいる場所を選んでみせると、そう告げるリンディ。
レイもそんなリンディの様子に否定的な感情は持たない。
こうしてドーラン工房に侵入したのは、結局のところアンヌを助け出すというのが最大の理由なのだから。
そうである以上、アンヌを出来るだけ早く確保したいと思うのは当然だろう。
とはいえ、あまり早いうちにアンヌを見つけると、ドーラン工房について調べる際にもアンヌや……場合によっては他の者達も引き連れながら移動するといったようなことになる可能性が高いので、可能ならその辺をどうにか調整したかった。
「とにかく、外に出て次の地下室を選ぶとしよう」
そう言い、レイは地下室から部屋の中に出たところで、不意に手を横に伸ばして後ろにいる面々に注意を向け、素早く扉に近付き……一気に扉を開く。
ゴガッという鈍い音が響くも、レイはそれを全く気にした様子もなく扉を乱暴に開ける。
(いっそ鍵だけじゃなくて、扉を破壊しておいた方がよかったか?)
扉を開けるという面倒さを感じつつも、レイの身体の動きは止まらない。
まるで慣れた行動を繰り返すかのように扉を少し……小柄な自分の身体が通れる程度だけ開けると、素早く部屋の外に出る。
同時に素早く廊下を様子を確認し、まだ三人が立っていると判断すると、即座に排除に出る。
床に倒れている男が一人いたが、そちらは気にしない。
立っている三人は、まだ何が起きているのか分からない様子だったが、それでも咄嗟に武器を構えようとする辺り、それなりに腕は立つのだろう。
だが……その腕が立つというのは、あくまでもそれなりでしかない。
腕の立つ相手と多数やり合ってきたレイにしてみれば、反応が出来ているのはともかく、反応そのものが遅い。
最初の一人目に近付き、鳩尾を殴って気絶させる。
鎧の類を着ていれば鳩尾を殴るといった真似は出来なかったのだろうが、見回りとはいえ、建物の中ということもあり、武器は持っているが身軽に動けるようにか、防具を装備していなかったのはレイを相手にする上で致命的だった。
残り二人になったところで、その二人は同時にレイに向かって武器を振るおうとするものの、焦っていたのかタイミングが揃っておらず、あっさりと回避され、また一人が意識を絶たれて床に崩れ落ちる。
最後の一人になったところで、レイはミスティリングからデスサイズを取り出し、刃を突きつける。
出す武器は黄昏の槍や、それ以外のミスティリングに入っている他の武器でもよかったのだが、やはり見た目の迫力という点ではデスサイズが突出しており、こういう時は非常に使いやすい武器なのは間違いなかった。
「きゃあっ!」
突然突きつけられたデスサイズの巨大な刃を見て、まだ無事だった一人の口からそんな悲鳴が上がる。
その声を聞いて、初めてレイは最後の一人が女であったことを理解するが……冒険者というのは、実力が全てだ。
そこには男女関係ない。
それこそ、レイの仲間のエレーナ、マリーナ、ヴィヘラといった面々を見れば、女だからといって弱いなどとは到底言えない。
また、このような場所……ドーラン工房の中でも主流派だけが入れる区画にいるということ、多かれ少なかれ目の前の女も違法行為に協力している可能性はあった。
「大人しく情報を話せば、殺しはしない」
そう言うレイだったが、他の警備兵達も別に殺した訳ではない。
……もっとも、最初に扉で吹き飛ばされた者はともかく、レイの拳で鳩尾を殴られて気絶した二人は、場合によっては肋骨が折れている可能性も否定は出来なかったが。
とはいえ、レイはその辺りを気にするつもりは全くなかったが。
「わ、分かったわ。言う。何でも言うから……」
この女も、ドーラン工房に警備兵として雇われている冒険者である以上、自分の実力には相応の自信があった。
エグジニスにいる冒険者の中では、間違いなく上位の技量を持っていると自負する程度には。
だが……そんな自分とそう実力の違わない仲間達が、呆気なく倒されてしまった。
それだけで、目の前に立つレイがどれだけの実力を持っているのかは明らかなのだ。
そのような相手に逆らうといったような真似をすれば、最悪殺される。
いや、殺されるだけならまだ幸運なのは間違いないだろう。
無理矢理生かされて拷問され続ける……といったようなことになったり、あるいはもっと最悪の未来が待っている可能性もあった。
「そうか。なら……いや、その前に出て来てもいいぞ」
レイの言葉に扉が開き、イルナラ達やリンディが姿を現す。
「リンディ……」
レイにデスサイズを突きつけられていた女は、そこから姿を現したリンディを見て一瞬驚き……そして憎々しげな表情を浮かべる。
その表情を見れば、女がリンディをどう思っているのかは明らかだ。
「ジェーン、貴方がドーラン工房に……? いえ、ちょうどいいわ。色々と聞かせて貰おうかしら」
「言うと思う?」
ジェーンと呼ばれた女は、リンディの問いにそう返す。
それこそ、リンディが何を言おうとも、絶対に自分は何も言わない。
そう言いたげな態度ではあったが……次の瞬間、首筋にデスサイズの刃が触れ、その冷たさに小さく悲鳴を上げる。
「言うと思うんだけどな。それとも、何も言わないのか?」
「言う、言うわ。だから離して!」
首筋の刃は、ジェーンが少し話しただけでも微かに皮膚が斬れ、薄らと血が流れる。
それを感じたジェーンは、リンディに対する憎悪よりも自分の命を重視した。
「お前がリンディとどんな因縁があるのかは分からない。分からないが、今この状況で自分の意思を貫き通そうと思えば、それは胴体と首がお別れするだけだというのを理解した上で話せ」
レイの言葉に、ジェーンは分かったと言う。
本来なら頷きたかったのだろうが、デスサイズの刃が突きつけられているのを思えば、頷いただけで首が飛びかねない。
「よし。なら質問だ。お前はドーラン工房が非合法な行為をしてるのは知ってるか?」
「詳しくは知らないけど、錬金術師やドーラン工房の職員が話している程度なら」
ジェーンの回答は、レイにとって満足出来るものではなかった。
このような場所にいる以上、ドーラン工房の悪事に首まで浸かっているのだろうと予想していたのが、完全に外れた形になってしまったのだから。
それでも何も情報がないよりはあった方がいいと判断し、レイは尋問を続ける。
「ドーラン工房が違法に近い手段で無理矢理奴隷を集めているのは知ってるか?」
「知ってるわ。どこにいるのかは分からないけど。……本当に知らないのよ! 私達はあくまでも警備兵として雇われているだけで、部屋の中に入ることは許されてないの!」
デスサイズの刃が僅かに首にめり込む感触があった為か、ジェーンは慌てたようにそう叫ぶ。
ここで嘘を言ってると思われれば、あっさりと首が切断されてしまう。
そう思っての行動だろう。
「使えないわね」
攻撃的な言葉がリンディの口から出て、それを聞いたジェーンは悔しそうな様子を見せる。
とはいえ、今のこの状況で何か妙なことを言えば、それこそ自分の首と胴体が切断されることを思えば、ここでリンディに対する不満を口にする訳にもいかなかった。
そう考え……そして、ジェーンは少しでも自分が助かる方法を考えようと、何とかレイ達の役に立ちそうな情報を思い出そうとする。
ジェーンはそれなりに顔立ちが整っており、ドーラン工房の錬金術師や職員達との接触も多い。
だからこそ、何とか情報を話そうとして考え……やがて一つだけレイ達にとって有益と思える情報を口にするのだった。