2748話
ドーラン工房の中でも、非主流派が入れない一画。
現在レイは、イルナラ達非主流派の錬金術師達やリンディと共にそのような場所を進んでいた。
この区画に入った瞬間、レイは間違いなく何かを感じた。
具体的にその何かというのがどのようなものだったのかは、レイにも分からない。
分からないが、それが何かだったのは間違いのない事実であり、この区画の中でレイにとっても想像出来ないことが行われているのは確実なように思えた。
それこそ、人をゴーレムの素材にするといったような程度のことではなく、もっと別の何かが行われていると言われてもレイは驚かない。
いや、寧ろ納得すらするだろう。
それだけに、区画の中に入ってからのレイはかなり周囲の様子を警戒していた。
だが……それは、あくまでも今まで多数の騒動に巻き込まれてきたレイだからこそ、理解出来ることだ。
錬金術師達は勿論、リンディですらもこの区画の雰囲気によくないものを感じてはいるが、それはあくまでも何となくそう感じているといったようなものでしかなかった。
レイにしてみれば、何故このような状況になっているのにそれを感じ取れない? といったようにも思うのだが、今の状況でそれを口にしてもレイ以外はこの状況をしっかりと理解している訳ではない以上、無意味に他の者達を警戒させるだけでしかない。
それが分かっているからこそ、レイはこの件に関しては何かあったら即座に自分が反応すればいいと判断し、それ以上は特に何かをしたりといったような真似をするつもりはなかった。
……区画の中に入って、その雰囲気は感じているものの、実際に何らかの危害があった訳ではないからというのも、この場合は大きいのだろうが。
「レイさん、ここで何かが起きてるのは間違いないんですか?」
錬金術師の一人が、恐る恐るといった様子でそうレイに尋ねる。
錬金術師にしてみれば、本当にここで何かが起きているとは思えない……もしくは思いたくないのだろう。
イルナラのようにドーラン工房という場所に憧れを抱いていたというのもあるが、それ以上に自分達が仕事をしているこの建物でレイのような人物が警戒するような何かが起きているというのは、出来れば想像したくないと思うのはおかしな話ではない。
だからこそ、出来ればレイの話が間違っていて欲しい。
そんな風に思いながら尋ねたのだが……レイはそんな錬金術師の言葉に対し、即座に頷く。
「ああ、何かが起きているのは間違いない」
その断言に錬金術師は何かを言おうとするものの、最終的には黙り込む。
錬金術師達の不満は理解しつつも、レイは通路を進む。
だが、その歩みも少ししたところでT字路に到着すると、足を止めるしかない。
(どっちに行けばいいんだ? ここで何かが行われているのは間違いないが、問題なのはその何かが具体的にどういうことなのか分からないということと、何よりも具体的にどこでそのようなことが起きているのかが分からないってことなんだよな)
レイはこの区画に入った瞬間に何かがあるのというのを、半ば本能的に理解した。
理解はしたが、それがどこで行われているのかが分からない。
分からない以上、それを知っている相手に聞く必要があった。
「これ、どっちに向かえばいいと思う?」
尋ねたのは、自分の後ろにいるイルナラ。
だが、イルナラは困った様子で首を横に振る。
「先程の警備兵を隠した倉庫の件でも分かったと思うが、私達はこの区画に近付かなくなってから、それなりに長い。以前にここでどのような真似をしていたのかという情報はあるが、現在この区画がどうなっているのかは……」
分からないと、そう告げる。
だが、レイはそんなイルナラの言葉に特に落ち込んだ様子も見せずに尋ねる。
「別に現在しっかりとここがどういう風になってるのかってのは分かると思っていないよ。ただ、以前どういう場所だったのかといったことは、現在ここがどういう風になっているかを予想する手掛かりくらいにはなるだろ」
イルナラは少し考え、やがて頷く。
イルナラの中には、強い葛藤があった。
今更……本当に今更の話ではあるのだが、やはりドーラン工房にとって不利益になるようなことをしてもいいのかと。
だが同時に、人を素材にしてゴーレムを製造していたり、半ば違法に奴隷を集めていたり、レイを殺す為に暗殺者ギルドに依頼したり……そのような状況が、決して現在のドーラン工房にとってよくないことであるのは、間違いのない事実でもある。
そして結局、自分達がドーラン工房を立て直すのだというレイの言葉に期待して、口を開く。
「私の知ってる限りでは、右側には各種実験施設があり、左側には会議をしたりする場所がある筈だ」
「そうなると、まずは左側だな」
「え? 右側じゃないの?」
レイが会議室の類があるという左側を選んだことが意外だったのか、リンディの口から驚きの声が上がる。
実際に声を上げたのはリンディだけだが、他の者達もリンディと意見は同様らしく、説明を求める視線をレイに向けていた。
「実験施設と会議室。奴隷を閉じ込めておくような部屋があるとしたら、俺としては後者の方が可能性が高いと思う。それに、奴隷を閉じ込めておくような施設を増設するにしても、実験施設には手を出したくないだろ」
レイの言葉はそれなりの説得力があり、リンディを含めて疑問を抱いていた者達はそれぞれ納得した様子を見せる。
とはいえ、実際にそのような状況になっているのかどうかというのは、正直なところ分からないのだが。
実際に自分の目で見て判断する必要があった。
(もし実験施設の方に何か重要な物があったとしても、後から会議室の方を確認しに戻るといった手間を考えれば、やはりここはまずあまり重要そうじゃない方から確認した方がいいだろうし)
日本にいる時、レイはRPGを遊ぶことが多かった。
RPGではダンジョンに入るというのがよくあるが、そのような時は可能な限りダンジョンを全て回る。
レイが先に会議室の方に向かうというのは、それらも多少なりとも影響してるのだろう。
ともあれ、レイ達は会議室のある方に進んだのだが……
「これは……」
イルナラの口から唖然とした声が漏れる。
当然だろう。本来なら、T字路から左の通路には会議室の類がある筈だったというのに、実際にここにやって来てみたところ、何もそれらしき存在は残っていなかったのだから。
(いや、何もというのは違うか。一応、会議室の類はあるし)
一部屋だけ存在している会議室を見て、レイはそんな風に思う。
そして本来なら会議室があった場所には……会議室とは思えないように、頑丈な扉が用意された部屋が幾つにも別れて存在している。
元からあった部屋を改修してこのようにしたのか、それとも最初から新たに部屋を作り直したのか。
その辺はレイにも分からなかったが、ドーラン工房の主流派の錬金術師達にとってここが重要な意味を持つのだろうことは明らかだった。
「レイ、これってもしかして……アンヌさんやゴライアスさん、ここにいるんじゃないの?」
リンディの視線が向けられているのは、扉。
正確には、扉の鍵。
外側に鍵があるその扉は、中にいる誰か、あるいは何かを逃がさないようにしているようにしか思えなかった。
もしかしたら、単純に中が倉庫になっており、重要な物……例えば高ランクモンスターの素材といった諸々を収納しておくような場所という可能性もある。
しかし、アンヌやゴライアスを助けるということで頭が一杯のリンディにしてみれば、ここで扉を開けないといった選択肢は存在しない。
「レイ!」
急かすようにそう言ってくるリンディに、レイは頷く。
結局のところ、目の前にある扉が怪しい以上、その中身を確認しないという選択肢はレイにはない。
幸いにも、扉の鍵はかなり頑丈で無骨な鍵ではあるが、マジックアイテムの鍵ではない。
ドーラン工房の建物であるのを考えると、マジックアイテムの鍵があってもおかしくはないと、そう思っていたのだが。
「分かった。なら、鍵を破壊するぞ」
マジックアイテムの類ではない以上、レイにとってそれを破壊するのは難しい話ではない。
ミスティリングから取り出したデスサイズを一閃すると、それだけで頑丈で無骨な鍵はあっさりと切断され、床に落ちる。
ゴトリ、という聞くからに重いのは明らかだ。
その様子を見ていた者達の多くは、我知らず息を呑む。
レイの実力は知っていたものの、まさかこのような真似も出来るとは思わなかったのだろう。
「何でそこまで驚く? ゴーレムをデスサイズで破壊したのは、お前達も知ってるだろ?」
「それはそうだが……こうして実際に自分の目で見ると、ちょっと……」
イルナラのその言葉はレイにとって疑問しかなかったものの、今はその疑問を解決するよりも部屋の中を確認する方が先だった。
これだけ頑丈な鍵が掛けられていた以上、中には何かがあると、そう思ったのだが……
「地下室、か」
部屋の中にあるのは、床に埋め込まれた扉のみ。
それ以外に何もないこの場所は、間違いなく重要な場所の筈だった。
地下に何があるのかは、レイにも分からない。
しかし、こうして二重に扉がある以上、そう予想するのも難しい話ではない。
「一応聞いておくけど、以前もここには地下室があったか?」
一応といった様子でレイが尋ねると、イルナラは即座に首を横に振る。
そんなイルナラの様子を見ても、レイは驚かずに納得した。
イルナラ達がこの区画に近づけなくなってから、相応の時間が経っているのだ。
その間にこのような工事が行われていても、おかしくはない。
(いやまぁ、地下室を作るといったような工事をした場合、ここに近づけなくてもイルナラ達が気が付かないってのは……もしくは、工事もゴーレムでやったとか?)
ドーラン工房は高性能なゴーレムを製造出来るのだから、土木作業用のゴーレムを作るといった程度のことも、そう難しい話ではないだろう。
とはいえ、そのゴーレムも恐らく人を素材にしている可能性が高い以上、レイもいい気分はしなかったが。
「とにかく、この地下室は後回しだな。他の場所も調べよう。もしかしたら、他の鍵を掛けられている場所にアンヌ達が囚われている可能性も否定は出来ないし」
リンディは少し迷い……だが、まずは他の部屋を確認してから行動する方がいいと判断したのか、頷く。
もしここで地下に向かい、その結果として他の部屋に囚われているリンディやゴライアスを助けるのが遅くなってしまったらと、そう考えたのだろう。
そうして他の扉の鍵もデスサイズで切断していったのだが……
「どうなっている?」
レイの口から出たのは、困惑の声。
いや、レイが困惑の声を出せただけでも十分だろう。
何しろ他の者達は、全員が理解不能といった様子を見せているのだから。
その理由が……
「全部の部屋に地下室って、幾ら何でも怪しすぎるだろ」
そう、それこそがレイ達が困惑し、唖然としている理由だった。
会議室以外の五つの部屋。
その全ての部屋の床には、地下に続く扉が用意されていた。
これにはリンディも心の底からがっかりした様子を見せる。
レイが口にしたように、もしかしたらどこかの部屋にアンヌやゴライアスが囚われているのではないかと、そう思っていたのだろう。
だというのに、全ての部屋に地下室があるという……悪い意味で予想外の結果だったのだから、そのように思うのも無理はない。
とはいえ、地下室だけがあるのなら、その地下室を調べる必要がある。
幸いにして、今のところは主流派の錬金術師と遭遇していない。
だが、この区画が主流派専用の区画である以上、このまま廊下にいて迷っていれば、そのうち遭遇するのは確実だった。
もっとも、全ての扉の鍵を壊したので、レイ達がここにいなくても誰かがここに来れば、侵入者があったとすぐに知られるだろうが。
(というか、全部の扉が外から鍵が掛かっていたってことは、現在は地下室に誰もいないか、もしくはアンヌ達のような存在だけが閉じ込められてるとかか?)
内側から鍵が掛かっていれば、中に誰かを入れたくないからと判断出来るのだが。
「リンディ、どこの地下室から調べる?」
「え? ちょっと待って。私が決めるの!?」
まさか自分が決めるように言われるとは思わなかったのか、リンディは驚愕の声を上げる。
しかし、レイはそんなリンディに当然といった様子で頷く。
「アンヌを助けに来たというのが一番の理由で、そして何らかの手掛かりの類もない。そうなると、勘で選ぶ必要があるだろ。どうせなら、アンヌと親しいお前が勘で選ぶべきだ」
そんなレイの言葉に、リンディは少し考え……真剣な表情で頷くのだった。