2746話
「ここです」
イルナラの近くにいた錬金術師が、通路の先にある扉を見て、そう告げる。
ドーラン工房の所有する建物はかなりの大きさを持っていた。
ゴーレムを製造するということを考えれば、それもまた当然なのかもしれないが。
それでも最初にイルナラに絡んで来た警備兵との遭遇以後は、特に何の問題もなくここまで来ることが出来たのは幸運だったのだろう。
勿論、ここに来るまで他の警備兵に全く会わなかったのかと言えば、その答えは否だ。
しかし、最初に絡んで来た警備兵とは裏腹に、他の警備兵達はレイとリンディを連れたイルナラ達と遭遇しても特に何か声を掛けるような真似はしなかった。
非主流派のイルナラ達と、わざわざ好んで接触したくないと、そのように思っているのは当然だった。
イルナラ達にしてみれば、そんな警備兵の態度は決して面白いものではない。
面白いものではないのだが、今の自分達の状況を考えれば、そのように接触してこない相手というのが助かるのは間違いのない事実でもあった。
そういう意味で、特に何の問題もなくこの場所……ドーラン工房で所有している奴隷達の住居にやって来たのだ。
「意外だな。てっきり奴隷はこの研究所の中じゃなくて、外に住居の類があると思っていたんだが」
「最初はそのような意見もあったようだよ。奴隷がこの研究所を住居にするのは面白くないとね。ただ……夜とかに何か緊急の要件があった時、わざわざ外まで奴隷を呼びに行くのが面倒だということで、今のような状況になったらしい」
その説明は、レイにも納得出来るものがあった。
感覚的に、同じ建物の中であれば呼びに行くのはそう面倒ではないが、一旦外に出てから別の建物に行くというのは、明らかに面倒だ。
何より一度建物の外に出るとなると、晴れの日はともかく雪や雨、強風といったような時は苦労するだろう。
その点、同じ建物の中に奴隷達の住む場所を用意しておけば、そのような悪天候であっても問題なくここに来ることが出来る。
(通信機の類でもあれば、話は別なんだが……対のオーブとか、そう簡単に入手出来るものじゃないしな)
レイも持っている対のオーブは、かなり貴重なマジックアイテムだ。
もしドーラン工房で入手しても、奴隷との連絡に使うといったような真似はせず、もっと有意義なことに使うだろう。
「では、中に入るぞ」
イルナラの言葉にレイは頷き、リンディもまた意気込んだ様子で頷く。
ここにアンヌやゴライアスがいる可能性は低い。
それを理解した上でも、もしかしたら……と、そう思ってしまうのだろう。
イルナラもそんなリンディの様子を理解しているのか、深呼吸をしてその扉を開ける。
「へぇ……」
それが、扉の向こう側を見たレイの口から出た言葉だった。
奴隷の住んでいる場所と聞いたので、もしかしたらもっと汚い場所なのではないかと、そう思っていたのだ。
しかし、こうして見た感じではそこまで汚くはない。
勿論、今まで歩いて来たような場所に比べれば多少なりとも汚いが、それでも奴隷の住んでいる場所として考えた場合、レイがイメージしていたよりは随分とマシな場所と言ってもいいだろう。
そんなレイの様子を見て、錬金術師の一人が口を開く。
「驚きましたか?」
「ああ、これに関しては素直に驚いた。てっきりもっと生活環境が悪いと思っていたからな」
「普通、そう思いますよね。でもこれ……イルナラさんの提案なんですよ? もっとも、まだ私達が非主流派になる前ですけど」
「イルナラの?」
その言葉に視線を向けると、イルナラは少し困った様子を見せながら口を開く。
「奴隷とはいえ、生きており、心もある。そうである以上、生活環境が悪くなれば、当然だが仕事をする気……意欲の類がなくなるのは間違いない。だからこそ、奴隷達のやる気を上げる為にはそのようにする必要がある」
イルナラの説明は、レイにも納得出来るものだった。
とはいえ、それを誰もが出来るものではない。
特に大きな理由としては、当然ながらそのような真似をするにはコストが必要となることを意味している。
奴隷の生活環境にそこまで金を使えるかと、そのように思う者は多い。
それ以外にも、奴隷を使って鉱山の運営をしている者は厳しい労働環境から基本的に使い捨てと思っており、そうである以上は奴隷の生活環境を整える金があるのなら、一人でも多くの奴隷を購入するだろう。
そこまでいかなくても、奴隷というのは使い潰す者と思っている者はかなり多い。
そういう意味では、ドーラン工房の奴隷の扱いは破格だろう。
勿論、奴隷の中にはドーラン工房の奴隷よりもより厚遇を受けている者もいる。
具体的には一目惚れをした奴隷を購入したり、死んだ誰かを奴隷に重ねていたりといった具合に。
事実、レイが以前図書館で読んだ本の中には奴隷として商人に買われたところ、才能を見抜かれて奴隷から解放され、商人の弟子として働き、最終的には商人の後継者となって大商人になった……といったようなものもあった。
本にされている以上は全てが真実ではなく、大袈裟に書かれているようなところもあるのだろうが。
「イルナラ様!? どうしたんですか!?」
奴隷達の住居となっている場所に入っていくと、二十代程の男がイルナラを見てそんな声を上げる。
そして男の奴隷の声を聞き、他の奴隷達も部屋から出て来る。
そのような奴隷達の視線には尊敬の色が強い。
(まぁ、当然か。イルナラのおかげで快適な暮らしが出来てるんだし)
快適な暮らしとはいえ、それはあくまでも奴隷としては快適な暮らしだ。
実際、レイの目から見ても狭い部屋に結構な人数が暮らしているように見える。
だが……そのような状況であっても……いや、だからこそと言うべきか、イルナラに対する感謝の視線は大きい。
「少し用事があってね。実は君達に聞きたいんだが、アンヌという人物と、もう一人……」
「ゴライアスさんよ」
言い淀んだイルナラに、リンディが即座にそう告げる。
リンディの言葉にイルナラは頷き、奴隷達に対する言葉を続けた。
「そう、ゴライアスさん。そういう名前の二人はここにいますか?」
「いませんね」
考える様子もなく、即座にそう答える男。
そんな男にリンディは不満そうな視線を向けるものの、奴隷同士であれば当然のようにお互いに名前を知っていてもおかしくはない。
そうである以上、名前を聞いてそのような人物がいないと即座に答えるというのは、おかしな話ではない。
「そうですか」
男の言葉にイルナラは残念そうな表情を浮かべる。
ドーラン工房が半ば違法な手段で奴隷にした相手だけに、ここにいないかもしれないというのは半ば予想していた。
予想していたが、それでもやはりイルナラにとってそれは期待していた答えではなかったのだ。
ここにいないということは、やはり奴隷とされたアンヌは……そしてゴライアスは、主流派しか行けないような場所にいるということになるのだから。
それは、レイの口から出た言葉の多くを信じなくてはならなくなったということを意味している。
「イルナラさん……」
錬金術師の一人が、イルナラに声を掛ける。
イルナラがどれだけドーラン工房の為に働いてきたのかということを知っているからこそだろう。
「行こう」
イルナラはそんな声に思うところはあったようだが、それでもここにいない以上は次の場所に……イルナラとしては決して認めたくなく、行きたくはなかった場所に行くしかないと判断し、そう告げる。
「あの、イルナラ様?」
奴隷達にしてみれば、自分達の恩人とも言うべきイルナラが奴隷の住居にやって来たと思えば、いきなり出ていこうとしているのだから、意味が分からなくなっても当然だろう。
「もし何なら、先程のアンヌとゴライアスでしたか? その人達を捜す手伝いをしますが」
「いや、君達は関わらない方がいい。明日は忙しく……それはもう、間違いなく忙しくなるだろうから、今のうちに休んでおきなさい」
明日は、それこそレイが破壊した部屋の後片付けであったり、それを含めてこれから起こるだろう一件の後始末だったりで、間違いなく忙しくなる筈だった。
そうである以上、今のうちに可能な限り休んでおいた方がいいと、そう思うのは当然の話だった。
ただし……
「もし今夜何か騒動が起きたら、すぐに奴隷達全員で建物の外に出るように。幸い、今はまだ凍死する程に夜も寒くはないだろう」
もしレイが暴れた場合、建物がそのままといったようなことはまずない筈だった。
暴れる前に無事目的を達成して、建物が破壊されないという可能性も十分にあるだろう。
どうなるのか分からない以上、イルナラとしては奴隷達にそう言っておくことしか出来なかった。
言われた奴隷の方は、一体何が起きるのかといった疑問を抱き、不安に思ってしまうのだが。
「えっと……それは一体……」
「悪いが、今は急ぐんだ。いいか、何かあったらすぐ外に出るんだ。それを決して忘れないように」
そう告げ、イルナラは奴隷の住居から立ち去る。
レイ達もその後を追い……結局その場に残った奴隷達に出来たのは、イルナラからの言葉に従って、何かあったら即座に建物の外に出る準備をするのだった。
幸いにも、建物の外に出るのは奴隷の首輪によって制限されていない。
敷地内から出るには別途命令が必要だったが。
現在奴隷達がいる、このドーラン工房の本館とでも呼ぶべき場所以外にも、倉庫を始めとして複数の建物が別にある。
奴隷達は日中、その建物に行く必要もあるのだから、それは当然のことだった。
本当に奴隷を自由にさせないのなら、その辺りも毎回許可が必要なようにすればいいのだが……それが面倒だと判断し、奴隷達はある程度の自由が与えられている。
この辺りはイルナラの奮闘のおかげというのも大きい。
「取りあえず、イルナラ様の言葉に従っておけば間違いはないだろう」
そう言い、奴隷達は何か騒動が起きるまでは眠ることにするのだった。
「はぁ」
奴隷の住居を出て、主流派だけが使っている区画に向かっている最中、イルナラの口からは溜息が出る。
何故そのような溜息が出ているのかは、当然のように皆が知っている。
ドーラン工房に憧れてこうして入ってきただけに、イルナラにしてみれば現在起こっていることが信じられなかった……いや、信じたくなかったのだろう。
しかし、最後の希望を抱いて奴隷の住居に向かっても、そこにはアンヌもゴライアスもいなかった。
つまり、ドーラン工房が人を素材にしてゴーレムを製造しているのかどうかはともかく、何か後ろめたいことをしているのは間違いなくなってしまったのだ。
「イルナラさん、元気を出して下さい! ドーラン工房が何かをやっているのはともかく、それを私達が知ることが出来たというのは大きいです。この件を私達でどうにか解決すれば、自浄作用があると判断されて、もしかしたらドーラン工房を立て直すことが出来るかもしれないんですよ」
「それは……」
夢物語だ。
そう言おうとしたイルナラだったが、立て直せると言っている錬金術師も、自分の言葉がどこまで出来るのかといったことは考えていない。
エグジニスという街全体で考えれば話は別かもしれないが、工房として考えた場合、ドーラン工房といういきなり突出した技術でゴーレムを作るようになった存在を潰そうとする者は多数いるだろう。
出る杭は打たれる。
そしてドーラン工房は、他の錬金術師達にしてみればこれ以上ない程の出ている杭だった。
それを思えば、今回の騒動が終わった後でドーラン工房が本当に生き残れるかどうかは難しい。
「あ、イルナラさん。向こうから警備兵が来ます」
イルナラを励ましていたのとは別の錬金術師が、向こうから姿を現した数人の警備兵を見て微かに眉を顰める。
すでに主流派だけが使っている区画に入りつつあり、そのような場所にイルナラ達がいるのは、明らかに怪しい。
最初に警備兵達と遭遇した場所は、まだイルナラ達も普通に使っている場所だったのだが。
警備兵達は、イルナラ達を見つけると訝しげな視線を向ける。
それでもまだ敵を見るような目ではなく訝しげな視線だったのは、イルナラ達非主流派の錬金術師が、主流派の錬金術師達に反旗を翻すといったような真似をするとは思っていなかったからだろう。
だからこそ訝しげな様子で尋ねようとしたのだろうが……
ここまで来た以上、レイとしてもそんな相手に情けを掛けるような余裕はない。
ここからは時間との勝負であると判断したレイは、油断している警備兵達に襲い掛かるのだった。