2732話
コンコン、と。応接室がノックされる音が聞こえてくる。
レイはそんなノックに対し、入ってもいいと返事をする。
そんな言葉を聞き、部屋の中に入ってきたのは……レイにとって初めて見る男だった。
年齢的には三十代程か。
狐を思わせるような細長い顔に、細い目。
これで頭部から狐の耳でも生えていれば、狐の獣人であると認識してもおかしくはない相手。
その男は、レイを見るとにこやかな笑みを浮かべる。
ただし、その笑みは自分の方が有利であると、そう理解しているからこその笑みのようにレイには思えた。
実際に男……恐らくガービーだろうと思われる男が、どのように思っているのかはレイにも分からない。
ただ、あくまでもレイにしてみればそのように思えたというだけの話だ。
アンヌの件や、院長から話を聞いていたこともあり、先入観というのもあるのだろうが……レイがガービーと思しき男を見て、好印象を抱けなかったのは当然だった。
「私がガービーです。何やら、私の部下が勝手な真似をしたとか。申し訳ないですな」
やはり目の前の男がガービーかと納得すると同時に、その口から出て来た言葉もレイにとって予想出来たものだった。
最初はセトを自分の物にしようとして部下に命令を出したのだろうが、そこでレイやセトの圧倒的な強さを理解した。
理解した以上、ここで自分がレイと敵対してもどうにもならないと判断し、何とかこの場を収めようと考えたのだろう。
とはいえ、相手の思惑を理解したからとはいえ、レイがそれに従う必要もない。
「勝手な? 俺があの連中に聞いた話だと。お前が命令したと、そう聞いたんだがな。自分の手には負えない相手だからって、あっさりと部下を切り捨てて自分の身の安全だけを考えるのか?」
「いえいえ、私はそのような命令をした覚えはありません。あの者達が勝手にそう判断して行動したのでしょう。でなければ、わざわざそのようなことは……」
「へぇ。そうやって知らない振りをすればそれでどうにかなると思ってるのか?」
「そう言われましても、こちらとしては身に覚えがないのですよ」
困ったように笑みを浮かべてそう告げるガービー。
今までのブルダンであれば、そんなガービーの態度でもどうにかなっただろう。
それこそ、ガービーの強い影響力を思えば、ブルダンでガービーに強く言うことが出来るような者はそう多くないのだから。
しかし、今回に限っては相手が悪い。
「へぇ、身に覚えがないか。そうなると、こちらとしても相応の態度を取る必要があるんだが、それでも構わないんだな?」
相応の態度という言葉に、ガービーは一瞬反応する。
レイが一体どのようなことをするのか、想像が出来なかったのだろう。
「相応のと言いますと、具体的にどのような?」
「さて、どうだろうな。それを言ってしまえば罰にはならないだろう?」
ガービーの問いにそう答えるレイだったが、実際には現在の状況で何をどうするのかといったことは決めていない。
具体的には、ブルダンと取引を行っているのはエグジニスなので、エグジニスの中でも大手であるジャーリス工房にロジャーを通してこの一件を告げ、取引を打ち切るか。
もっともそれは、ジャーリス工房がガービーの商会と取引を行っていなければ意味はないのだが。
他に考えられるのは、ガービーの商会の倉庫か何かを襲うといったようなことか。
当然レイが怪しまれるだろうが、証拠がなければどうにもならない。
そもそもガービーが警備兵に訴えようとしても、ガービーが後ろ暗いことをしている以上、それもまた難しい。
もっとも、ブルダンにおけるガービーの影響力を考えれば、もしかしたらその辺もどうにか出来るのかもしれないが。
(後は……そうだな。ランクA冒険者として、エグジニスのギルド辺りにガービーが何か怪しいことをしてると報告するか? もしくは、ダスカー様やエレーナを通じて圧力を掛けて貰うってのもありだな)
レイにしてみれば、他にも色々と採れる手段はある。
そう納得していると、そんなレイの様子にガービーは何を思ったのか、少し戸惑った様子を見せる。
先程のチンピラは、ガービーがいればブルダンではどうとでも出来ると、そう考えていた。
しかし、当然ながらガービーはそんなチンピラ達よりも外の世界を知っている。
そしてレイが異名持ちの高ランク冒険者であることも。
あるいは、ランクA冒険者になっているといったようなことも知っているかもしれない。
そのような相手が意味ありげに笑みを浮かべているのだから、ガービーの立場としてはそれがブラフでないかと思いつつも、そのままにしておく訳にはいかなかったのだろう。
「一体、何を考えているのです?」
「さて、何だろうな。ただ……うん。まぁ、ご愁傷様と言いたくなるような事態になっても、俺は構わないとだけ言っておくが。公爵家とかが出て……いや、何でもない」
「っ!?」
当然だが、レイが口にした公爵家というのは口を滑らせた訳ではない。
そう匂わせるだけでガービーに対する牽制としては十分だと、そう思っての行動だった。
実際、ガービーは公爵家という言葉を聞いて見るからに動揺している。
普通に考えて、公爵家というのは貴族としては最高位の存在だ。
それこそ上には王族しかいないような。
だからこそ、ガービーはレイの言葉を迂闊に聞き逃すような真似が出来なかった。
ガービーは、このブルダンという街において大きな影響力を持っている。
しかし、それは結局このブルダンでしか通じない力だ。
そんな中で公爵家などという存在が出てくれば……それこそ、オーク一匹を倒すのにドラゴンが出て来るかのようなものだろう。
ガービーも自分がどのような存在であるのかは、よく分かっていた。
ましてや、ガービーが知っている限りでは、レイという冒険者はケレベル公爵家の令嬢にして、姫将軍の異名を持つエレーナと繋がりがあった筈だった。
だとすれば、この場合レイが口にした公爵家というのは、ケレベル公爵家ということになる。
公爵家の中でも特に力を持っていると言われている存在である以上、そのような相手をどうにかするといったような真似は到底出来ない。
であれば……と、ガービーはレイの出方を窺う。
そんな中、実はエグジニスにはマルカ・クエントというクエント公爵家の令嬢がおり、そのマルカはレイと友好的な関係を築いているというのを知らないのは……ある意味で幸運だったのだろう。
「何を……お望みですか?」
最初にレイと会った時に浮かべていた、侮るような視線は既にない。
レイを見るその視線は、自分がどうやっても太刀打ち出来ない相手であると。そのような認識に変わっていた。
レイであれば確実に公爵家を動かせると、そう認識していた為だ。
「ん? もう諦めるのか?」
折れるのが少し早いのでは? と疑問に思ったレイは、半ば挑発の意味でそう尋ねる。
しかし、そんなレイに対してガービーは恨めしそうな視線を向けながら口を開く。
「公爵家なんて代物を出してきておきながら、そのようなことを言うのはどうかと思いますよ? それにジャーリス工房の件もかなり痛いですし」
「そうか。その辺りについて承知しているのなら、それでいい。……さて、そうなると……そうだな。わざわざ無駄な時間を使う必要もないし、単刀直入に尋ねる。何故孤児院のアンヌを奴隷にした?」
「それは……勿論、外見が好みだったからですよ」
「その割には、自分の手元におかないで、すぐにエグジニスに奴隷として売り払っているみたいだが?」
レイの言葉に一瞬言葉に詰まるガービーだったが、それでもすぐに口を開く。
「外見は好みでしたが、性格はそうではなかった。そういうことですよ。だからこそ、向こうが下手なことを考えるよりも前に、売り払ったのです」
「なるほど」
ガービーはレイが頷いたのを見て、何とかなったと安堵する。
安堵するが……そのような真似をするには、少し早かったのも事実。
「一応聞いておくぞ? 俺の質問に対する返事は本当にそれでいいんだな?」
「も、勿論ですとも」
「……本当にか? お前のこの先がどうなるのかは、その質問の答えで決まる。本当にその答えでいいんだな?」
本気だ。
レイの目を見たガービーは、そう判断するしかない。
具体的に何が本気なのかということまでは、分からない、分からないが、それでもここで返答を間違えると破滅だということだけはしっかりと理解してしまう。
それを理解してしまった以上、ガービーが出来ることは一つしかなかった
「ドーラン工房からの依頼です」
「……そうか」
ガービーが何の為にそのような真似をしたのかを聞き、理解はする。理解はするが、その口から出て来た名前は予想外なのは間違いなかった。
今回の一件が起きた時期的に、もしかしたらドーラン工房が関わっているかもしれないというのは、レイも考えてはいた。
だが、それはあくまでもその可能性もあるかもしれないといった程度のことで、本当にそうなるというのは、レイにとっても予想外だったのは間違いない。
(こうなると、人の素材を使ってゴーレムを作っているという予想に信憑性が増すな。とはいえ……何故、アンヌを?)
ドーラン工房からの依頼という話を聞き、疑問に思うのはそこだ。
例えば、現在エグジニスで行方不明になっているゴライアスのように、冒険者として有能……つまり高い身体能力を持っているのなら、素材として優秀だろうというのも予想出来る。
しかし、アンヌは孤児院で働いているだけの女だ。
実は孤児院で働きながら、裏で冒険者をやっていたりするといったようなことはない。
少なくても、レイが見た限りではアンヌの身体の動かし方は鍛えているような者でないのは明らかだったのだから。
ならば、何故そんなアンヌを素材にするのか。
(考えられるとすれば……相性? 誰でも素材として使える訳じゃない? いや、けどそれだと何で盗賊が次々と行方不明になっているのかが分からなくなる)
盗賊はエグジニスの冒険者であったり、ゴーレムの性能試験として錬金術師が倒したりといったような真似をする事もあるのだろうが、それでもかなりの数が消えているのは間違いない。
そうである以上、もしドーラン工房がゴーレムの製造に人を素材にしている場合、盗賊を使っているのは間違いない筈だった。
色々と考えるレイだったが、何故ドーラン工房がアンヌを欲していたのかは分からない。
(もしかして、俺が気が付かないだけで実は強い魔法の才能があった?)
レイは莫大な魔力を持っているものの、他人の魔力を感じるといったような能力はない。
そうである以上、もしアンヌが実は潜在的に魔法使いとしての才能があり、魔力を持っていたとしても、それを察知するような真似は出来ない。
「繰り返すが、本当にドーラン工房からの依頼だったんだな? 実は違いましたといったことになったら、後でどうなるか分かってるよな?」
「勿論です。今回の一件は間違いなくドーラン工房からの依頼でした。名指しでアンヌという女を売って欲しいと」
「ガービーに頼んだのは、ブルダンにおける影響力からか」
「そうだと思います。それに、孤児院の者達はもしアンヌを奴隷として売れと言っても、まず頷くことはなかったでしょう。なので、こちらから手を回して孤児院が金に困るように……」
「待て」
今、ガービーの口から出たのは、レイにとっても予想外の言葉だった。
てっきり、レイはガービーがドーラン工房から依頼を受けたのはつい最近の出来事だと思っていたのだ。
しかし、今の話の内容からするともっと前からドーラン工房はアンヌを欲しがっていたということになる。
「ドーラン工房からアンヌが欲しいという依頼があったのは、最近の話じゃないのか?」
「え? ええ。かなり前からの話になります」
「……ガービーが商会の長になってから、孤児院への援助を止めたのも、それが理由か?」
「そうなりますね。勿論、ドーラン工房からの依頼がなくても、孤児院への援助は商会にとっては利益になりませんので、いずれ止めていたとは思いますが」
利益という点では、孤児院に対する援助をすれば、評判がよくなるのは間違いない。
しかし、ガービーにとってはそのような評判は必要ないと考えたのだろう。
そのような評判がなくても、ブルダンにおいて強い影響力を持っているのだから、と。
それは実際に間違いではないが、それでもレイにしてみれば軽率ではないのか? といった思いがある。
具体的にどのくらいの援助をしていたのかは分からないが、それでもガービーの商会にとってそこまで大きな金額ではなかっただろうにと。
それでもガービーにしてみれば、無駄金であるとしか思えなかったのだろう。
そう思いつつ、予想以上に前からドーラン工房がアンヌに目を付けていたということを知り、レイはどうしたものかと迷うのだった。