2729話
孤児院に入ったレイとセトが見たのは、元気に庭を駆け回る子供達の姿だった。
アンヌのことを忘れたかのように……あるいは、全く気にしていないかのように走り回る子供達を見て、レイは疑問を抱く。
子供達にしてみればアンヌは非常に頼りになる姉、あるいは母親のような存在だった筈だ。
だというのに、何故ここまで気にしていないように振る舞えるのか。
そう思い、改めて子供達の様子を見てみると、はしゃいでいるのは子供達の中でも年少組とでも呼ぶべき者達であるというのを見て、何となく納得する。
(アンヌがいなくなったのに、気が付いていない……というか、いなくなってもまた戻ってくるとでも思ってるのか?)
そんな風に考えていると、孤児院の中から何人かの大人が姿を現す。
そんな大人の様子を見て、レイは自分の予想が外れていなかったことを理解した。
見たところで、大人達は沈鬱そうになる表情を何とか我慢しているように思えたのだ。
「セト、子供達と遊んでいてくれ。俺は用事をすませてくる」
「グルゥ!」
レイの言葉に、分かった! と喉を鳴らして庭に向かうセト。
そうして姿を現したセトに、子供達は歓声を上げる。
少し前に自分と一緒に遊んだセトのことを忘れていなかったのだろう。
……もっとも、セトのように印象的な存在をそう簡単に忘れろという方が無理な話だが。
セトの存在に喜ぶ子供達を一瞥すると、レイは孤児院から出て来た大人の方に向かう。
以前この孤児院に来た時、アンヌと一緒にいた人物だ。
外見で見るとまだ二十代といったところなので、本当の意味で大人と表現するのはどうかと思うが。
「あれ、レイさんですよね? 一体、どうしてここに?」
そう言いながら、女は期待と不安が半々といった様子でレイに視線を向けてくる。
カミラがエグジニスに向かったというのは、もう知っているのだろう。
だからこそ、もしかしたらカミラが無事にエグジニスに到着したのか……もしくは、カミラの死体がエグジニスの近くで見つかったのを知らせにきたのかといったような、期待と不安が混ざった表情を浮かべているのだろう。
そんな女を安心させる為に、レイはまず肝心なことを口にする。
「カミラは無事にエグジニスに到着したから、安心しろ。今はリンディが保護している」
レイのその言葉に、女は心の底から安堵した様子を見せる。
「それ、本当ですか?」
「ああ。アンヌの件を知らせに来たんだ。……リンディからこれを預かっている」
そう言い、レイはミスティリングの中から取り出した手紙を渡す。
リンディが書いた手紙を、女は恐る恐るといった様子で手紙を受け取る。
そうして急いで手紙を読むと、安堵した様子を見せた。
「よかった……カミラが無事だったのね……」
普通に考えれば、ブルダンからエグジニスまで到着する可能性は非常に低い。
そう思えば、リンディからカミラを確保したということが書かれているのを見れば、安堵するのは当然だった。
「ああ。それで、アンヌの件だが……」
その言葉に、女は急いで顔を上げる。
そして庭の方を見て、子供達がセトと遊んでいるのを確認すると、レイに向かって建物の中に入るように促す。
「レイさん、申し訳ありませんが、アンヌの話に関しては孤児院の中で聞かせて貰えますか? 子供達に余り聞かせたくないので」
「それは構わないが、あの子供達はどんな風に思っているんだ? カミラのことがあったし、てっきり子供達は泣いてるものだとばかり思っていたんだが」
「今はちょっと出掛けているだけで、すぐに戻ってくると……そう思っています。アンヌは子供達に好かれてましたから。もう少し上の年齢……カミラくらいになれば、その辺りについても分かったんでしょうけど」
沈痛そうな様子でそう呟く女の姿に、レイはそうかとだけ短く告げるのだった。
「そうですか。色々と力を貸してくれて、何とお礼を申し上げていいのやら」
孤児院の一室。
そこで、レイはこの孤児院の院長をしている五十代程の女から深々と頭を下げられる。
他にも部屋にはどうしても集まれない者以外は全員が集まっており、院長と同じようにレイに向かって頭を下げていた。
「いや。こっちも成り行きでやったことだしな。そこまで気にしなくてもいいよ」
「いえ、それでも……アンヌを買い戻す為のお金も負担してくれると手紙には書いてありました。そこまでされて、一体私達はどのようにお礼をすればいいのか……全く分かりません」
レイにしてみれば、金というのは依頼を受けるなり、盗賊狩りをするなり、ミスティリングにあるモンスターの素材を売るなりといったような真似をすればすぐに稼げる代物だ。
そうである以上、ここまで感謝をされるというのは困る。
とはいえ、それはあくまでもレイだからこそ、そのように思うのだ。
レイ以外の多くの者にしてみれば、それこそレイのように気軽に金を稼ぐといったような真似は出来ない。
ましてや、この孤児院は金に困ってアンヌを奴隷として売る羽目になったのだから、金に対して非常にシビアになっているのは間違いなかった。
それこそ、アンヌを買い戻す為に金を出すのがレイではなく全く見知らぬ人物であれば、そのような相手のことを信じていたのかどうかも怪しい。
カミラ達を助けて、更には肉を始めとする食料を分けてくれたレイだからこそ、孤児院の者達も素直に信じることが出来たのだ。
「その件はともかく……アンヌは借金のせいでそうなったという話だったけど、詳しい話を聞かせてくれないか?」
「はい。実はこの孤児院の運営にはかなりお金を必要としています。今までは孤児院を出た子達からの仕送りや、この街の有志の援助で成り立っていたのですが……」
「その話は少し聞いた覚えがあるな。ガービーとかいう奴が商会のトップになったところで、援助金を打ち切られたんだったか」
「……そうです。ですが、それでこの孤児院にいる子供達を見捨てるといった真似は出来ないので、ガービーさんからお金を借りることになったのです」
なるほどな、とレイは納得する。
ガービーにしてみれば、孤児院は資金を援助することに意味はないと判断したのだろう。
あるいは自分が商会の長になるまでは援助していたのだから、これまでの援助の分を何とか利益にしようと思ったのか。
「話は分かったけど、それにしてもアンヌを奴隷にするのが早すぎないか? 俺が聞いた話だと、ガービーとやらが商会の長になったのはここ数年だろ? なら……」
「それが、契約書を弄られたようで、アンヌが奴隷になるか、この孤児院の土地を渡すかと言われてしまい、それでアンヌが奴隷に」
「この土地を? けど、何でだ? こう言っては何だけど、この孤児院があるのはブルダンの中でも端の方で、何か便利な場所にあるって訳でもないだろ?」
そう言ったレイがふと思い出したのは、日本にいた時のことだ。
高層道路や線路、もしくは何らかの大型の建物が建てられるということになった場合、その土地の値段は飛躍的に上がる、と。TVか何かでレイは見た記憶があった。
それを利用し、その手の情報を素早く入手出来る者はそのような土地を前もって買っておき、それを売ることで差額を儲けるといったようなことをしている者がいるということを。
もしかして、この孤児院の土地もそのような何かがあるのではないか。
「院長、少し聞きたいんだが……この街で何らかの再開発をするとか、もしくは何らかの建物を新しく建てるとか、そういう噂は聞いたことがないか?」
「いえ。私もこの街で長く暮らしているので、そういう話があれば自然と耳に入りますが、そのような話は聞いたことがありませんね。それに……ガービーの目的は土地ではないと思います」
レイの言葉から、何を考えているのかを察した院長は、そう言って首を横に振る。
何らかの確信を持ったその言い方が気になったレイは、率直に院長に疑問を尋ねる。
「何でそう思うんだ?」
「ガービーが、アンヌを奴隷として売った金額で借金を帳消しにすると言ってきたからです」
「それは……」
院長の口から出た言葉は、レイにとってもかなり予想外なものだった。
それはつまり、ガービーは最初から孤児院ではなくアンヌを欲していたということになる。
それに関しては、エグジニスにおいても少し考えたことがあったが……それでも、結局はアンヌを手に入れたがっていた割には自分の奴隷にするでもなく、あっさりと奴隷として売り払ったということから、アンヌ個人を狙ったものではないと結論づけていたのだ。
しかし、こうして改めて院長からの話を聞く限りでは、アンヌ個人を狙っていたとしか思えない。
「何故アンヌを?」
「分かりません。ですが、それが分からないと……もしレイさんに協力して貰ってアンヌを買い戻すことが出来ても、また同じようなことになるかもしれません。いえ、勿論同じようにならないように努力はするつもりですが……」
「無理だろうな」
そう、レイは断言する。
かなりの小細工をしてまで、アンヌを奴隷にしてエグジニスに売り払うといったような真似をしたのだ。
それが具体的にどのような理由からそうしたのかは、レイにも分からない。
だが、そのような状況でもしアンヌがまだこの孤児院に戻ってきているのをガービーが知れば、当然のように何としてもまた同じことを繰り返すだろう。
院長が言ってるように、同じ手には二度と引っ掛からないかもしれない。
しかし、それはつまり別の手段を使った場合は、それに引っ掛かってしまう可能性は十分にあるということを意味していた。
ましてや、レイが聞いた限りではガービーが商会長を務めている商会は、ブルダンの中でも最大の商会で、当然のように大きな影響力を持っているという話だ。
そうである以上、当然のように孤児院の暮らしで使われている生活必需品と呼ばれている物もガービーの店から購入している以上、関わらないのは難しい。
一応ブルダンも街という規模である以上、ガービーの商会以外の店もあるにはあるが、それでも半ばガービーの商会の傘下にあるに近い状態だった。
「となると……詳しい事情を聞く為には、そのガービーって奴から直接聞くのが一番いいか。とはいえ、まさかこの状況で店に乗り込むなんて真似を……」
する訳にもいかない。
そう言おうとしたレイだったが、ゼパイル一門によって作られたその身体が持つ五感の一つ、聴覚は、孤児院の外から聞こえてきた怒声を聞き取ることに成功する。
「何だ? 誰か来ているみたいだぞ? それも子供相手に怒鳴ってるような奴が」
「っ!? まさか……」
レイの言葉に思いつくことでもあったのか、院長は座っていた椅子から立ち上がって急いで部屋から出ていく。
他の職員達もそれに続き、当然ながらレイもまたそんな一行の後を追う。
誰か来た。それも子供相手に怒鳴っている。
そう院長に言ったレイだったが、現在の状況でそのような真似をする相手となると、考えられるのは一人だけだ。
(ガービーだったか? 多分、そいつが何らかの理由で孤児院に来たんだろうが……それにしては、タイミングがよすぎる気がするけど)
レイが孤児院にやって来て、院長と話をしているそのタイミングでいきなりやって来たのだ。
それこそ、まるでタイミングを計っていたように思ってもおかしくはない。
だが、何故このタイミングで? といった疑問もある。
レイとセトがいる場所で、孤児院に乗り込んでくるというのは、一般的に考えて自殺行為でしかない。
そうである以上、わざわざ好んでそのような真似をするというのはレイには信じられなかった。
とはいえ、レイが信じられなくても、実際に起こっている事実は事実。
現在どんな状況になっているのかといった疑問と共に孤児院の外に出て中庭に向かうと……そこでは、ある意味レイの予想通りの光景が広がっていた。
「おらぁっ! いいから、そのグリフォンをこっちに寄越せって言ってるんだよ! ガービーさんの命令だぞ! それを聞けねえってのか!」
そう叫ぶのは、冒険者……いや、冒険者でも何でもないチンピラか。
実際にはどのような人物なのかは分からなかったが、少なくてもレイの目にはそのように見えた。
「止めて下さい! この子はお客様の従魔です! こちらでどうこう出来るような存在ではありません!」
庭にいた孤児院の職員が必死になって叫んでいるものの、その言葉を聞いた男達は嫌らしい笑みを浮かべ、口を開く。
「へぇ、そんなことを言ってもいいのか? そんなことを言えば、ガービーさんの温情もこれ以上は期待出来ないぞ?」
その言葉に、孤児院の職員は悔しげにしながらも何も言えなくなるのだった。