2727話
アンヌの情報については、当然ながらリンディの方が詳しかった。
ただし、リンディが直接アンヌに会ったのはかなり前の話なので、現在のアンヌの外見に関してはレイの方が詳しかったが。
また、ルガナから教えて貰った奴隷商の店が書かれたメモも奴隷商人に渡す。
蛇の道は蛇と言うべきか、レイが渡したメモに書かれていた奴隷商の店に関しては、向こうの方でしっかりと把握していた。
この辺り、エグジニス最大規模の奴隷商であるというのは、決して大袈裟な話ではなかったのだろう。
レイにしてみれば、そのような相手と最初に交渉することが出来て助かったといったところか。
もっとも、奴隷商人にとってもレイとの取引は決して悪いものではない。
安く買い叩くといった訳ではないが、それでも盗賊を捕らえた後は自分の店に売ってくれると、約束したのだから。
ある意味、レイと奴隷商人の双方にとって実りある取引だったと言ってもいい。
……ただし、取引に使われる盗賊にしてみればたまったものではないだろうが。
「では、お任せ下さい。早ければ今日中、遅くても明日にはアンヌという人物がどこの奴隷商に買われたのか、お知らせします。また、見つけたらレイさんが購入するつもりがあるので売らないで欲しいと言っておく。そういう事で構いませんか?」
「ああ、それでいい。よろしく頼む。……ああ、そう言えば話は少し変わるが、ちょっと聞きたいことがあるんだが、構わないか?」
折角こうしてエグジニスの中でも最大規模の奴隷商人と話す機会が出来たのだからと、レイはそう尋ねる。
奴隷商人の方も、レイからの印象をよくしておくのは利益に繋がるので、笑みを浮かべて頷く。
「ええ、構いませんよ。私に分かることでしたら」
「そんなに難しい話じゃない。……最近、俺達以外で盗賊を捕虜にして売りに来る奴ってのは、多いか?」
「そうですね。私の店に関しては、そこまで変わらないかと。以前までとそう違いはありません。そして私の店でそうだとすると、他の店もそう違いはないと思いますよ」
「……そうか」
奴隷商人の説明に、レイは疑問ではなくやっぱりかと思う。
盗賊達が消滅しているのは、現在のレイの認識ではドーラン工房がゴーレムの素材として人の身体を使っているから、と認識している。
明確な証拠の類はないものの、そのような事を前提にしているのは間違いない。
つまり、エグジニスの周辺に集まってくる盗賊が消滅しても、その死体……もしくは捕虜にしただけかもしれないので、生きたままかもしれないが、それを確保しているのは間違いない。
そうである以上、レイのように盗賊を奴隷として売っているといった可能性は少なかった。
こうして奴隷商人から話を聞いた限り、そんなレイの予想は間違っていなかったのだろう。
(これでまた一つ、俺がドーラン工房を疑う理由が出来たな。問題なのは、ドーラン工房をどうやって追い詰めるかだが……下手をすると、リンディが突っ込みかねないんだよな。今はアンヌの件でそれどころじゃないけど)
もしアンヌの件がなければ、もしかしたらリンディがドーラン工房に突っ込むといったような真似をしていた可能性もある。
リンディにとって、ドーラン工房はゴライアスを捕らえている可能性の高い場所なのだから。
そうである以上、アンヌの件はリンディにとって不幸な出来事ではあったが、同時にリンディを助けたという意味では正しかったという一面があるのも間違いなかった。
もっとも……もしレイがそんな事をリンディに言おうものなら、それこそ怒髪天を突くといった様子で怒る可能性が高かったが。
「奴隷商人としては、盗賊が増えているという風には感じているのか?」
「え? いえ。それなりに襲われている者もいるようですが、襲撃の回数ではそこまででもないですし、先程レイさんが聞いてきたように、捕虜になった盗賊が犯罪奴隷として売られてくるのも、そう以前と変わらないと思います」
「そうか。そうなると……アンヌの件を調べて貰えるついでに、もう一つ頼みたいんだが構わないか?」
「ええ、レイさんの要望は可能な限り聞きますよ」
奴隷商人にしてみれば、ここでレイの頼みを聞けば聞く程に後々の利益が大きくなるという見込みがある。
それだけに、レイからの要望を聞かないという選択肢はなかった。
勿論、その要望が奴隷商人であっても叶えられないようなものであれば、また話は別だったが。
「そうか。なら、俺が聞いたみたいにここ最近、以前と比べて盗賊が犯罪奴隷として売られる数が極端に増えてないかどうか、調べて欲しい」
「分かりました。その程度でよければ」
あっさりと引き受ける奴隷商人だったが、アンヌという女が奴隷として売られていないかどうかを調べるのと、犯罪奴隷がどのような頻度で売られてくるのかというのとでは、話が全く違う。
前者であれば他の奴隷商人も特に渋ることなく教えてくれるだろうが、後者の場合は奴隷商人としての商売に大きく関わってくることである以上、そう簡単に全てを教えるといったようなことはしない。
だというのに、レイの前にいる奴隷商人はこうもあっさりとレイの頼みを引き受けたのだ。
当然のように、そこには自分であれば……エグジニスの奴隷商の中でも最大規模である以上、どうとでも出来るという自負があったからこそ出た言葉なのだろう。
勿論、そこまで苦労して情報収集する以上、レイからはそれ以上の利益を貰えるだろうと、そのように思ってのことでもあったのだろうが。
「じゃあ、頼んだ。情報に関してはアンヌの行方が分かったら、星の川亭に知らせてくれ。盗賊の方に関しては、分かった限りで構わない」
「分かりました。では、そのように」
こうして、レイと奴隷商人との交渉は終わるのだった。
「アンヌさん、無事だといいんだけど」
奴隷商人との交渉を終え、店を出て少ししてからリンディが呟く。
その言葉には、苦悩の色が強く出ていた。
(無理もないか。顔見知り……いや、家族が奴隷にされたと聞けば、普通はこうなる。ましてや、それがガービーとかいう、今までは孤児院に対して友好的だったのに、商会の長がそいつに変わってからとなると……普通に考えて、こういう風になるのは当然か)
そう考えるレイだったが、ガービーという人物の行動について疑問もある。
アンヌが魅力的な女だというのは間違いないにせよ、何故わざわざそのアンヌを奴隷にするような真似をするのか。
あるいは単純にガービーがアンヌを自分の女にしたいというのであれば、レイも納得出来ただろう。
だが、カミラが持ってきた情報によると、アンヌは奴隷としてエグジニスの奴隷商に売られたという話だった。
何故、わざわざそのような真似をしたのか。
(これは、ちょっと調べてみた方がいいか?)
普通なら、エグジニスから孤児院のあるブルダンまでは馬車でもそれなりに時間が掛かる。
しかし、セトという相棒がいるレイの場合は、すぐにでも向こうに行ける手段があった。
「リンディ、俺は一度ブルダンにいって話を聞いてこようと思ってる。手紙があるのなら届けるけど、どうする?」
「え? ちょっとそれ……本気で言ってるの? アンヌさんの情報の件とか、ドーラン工房の件とかどうするのよ? とてもでじゃないけど、レイがエグジニスから何日も留守にしていられるような余裕はないでしょ」
「忘れたのか? 俺にはセトがいる。そしてセトがいれば、日帰りでエグジニスに戻ってくることも可能だ」
そんなレイの言葉に、リンディは驚く。
何度もセトを見ているし、レイの噂でその辺りについても聞いてはいた。
だが実際にセトという存在を知っていると、とてもではないがそのような真似を出来るとは思わなかったのだ。
それでもただ驚くだけではなく、レイが本気で言っているとなるとすぐに自分がどうするべきかと考え……
「なら、私もブルダンまで連れていってくれない? アンヌさんがいなくなった今の孤児院が一体どうなってるのか、自分の目で確かめたいの。それに、手紙よりもやっぱり私が直接事情を話した方がいいでしょうし、可能ならカミラも連れて帰りたいわ」
「あー……カミラはな……」
分かる、とレイはリンディの言葉に頷く。
とはいいえ、レイはそんなリンディの言葉に素直に頷く訳にはいかない。
「多分、カミラは孤児院の大人達には何も言わないで出て来た筈だ。孤児院の大人達も、普通ならそんな真似をさせないだろうし」
子供が一人で……それも馬車に乗らず、歩いてエグジニスまで行くというのだ。
そのような真似をすれば、大抵が死ぬだろう。
カミラがモンスターや盗賊に遭遇せず無事にエグジニスに到着し、そしてリンディのいる宿まで到着出来たのは、運がよかったから。
それこそ日本で宝くじを買ってみたら、一等が当たったのと同じくらいに運がよかったと言われても、レイは素直に納得出来る。
もしリンディに何かを知らせるにしても、本来なら大人達が来てもおかしくはなかった筈だ。
(というか、多分カミラがいなくなったのに気が付いてブルダンを捜しているか、あるいは馬車に乗ってエグジニスに向かって……いや、速度を考えればもう到着していてもおかしくないのか? というか、馬車で移動している時にカミラを見つけてもおかしくはないと思うんだが。それともアンヌがいなくなって、孤児院で子供達の世話をするので精一杯で、エグジニスまで来る余裕はないのか?)
そんな風に考えつつ……しかし、レイはリンディに対して首を横に振る。
「悪いが、リンディを連れていくのは難しい」
「ちょっと、何でよ!」
リンディにしてみれば、アンヌの一件で……そしてカミラがいなくなった一件で孤児院のことが心配なのだろう。
そのような状況で日帰りでブルダンに行けると聞かされたのに、それに自分が一緒に行けないのはどういうことだと、不満に思ってもおかしくはない。
「セトが俺以外を乗せて空を飛ぶのは無理だ。無理をすれば子供……カミラくらいは乗せられるかもしれないが、その場合はセトの消耗がかなり激しい。それでも一緒に来るのなら……俺のパーティで以前何度かやったんだが、セトの足に手で掴まって空を移動するか?」
「それは……」
セトの足に掴まって空を飛んでいる自分を想像したのか、リンディの頬は引き攣る。
そんなリンディを見て……そう言えば、とレイは思い出す。
「そうだった。そう言えばセト籠があったな。あれを使えば一応リンディとカミラも一緒に空を飛んでいけるけど、まず確実に目立つぞ?」
セト籠は、空を飛んでいる時は地上から見ても分からないようになっているので、特に目立つといったようなことはない。
しかし、そのセト籠を出した時……もしくは空を飛んでいる状態で地面に下ろした時は、どうしても目立ってしまう。
また、基本的に空を飛ぶといったことがないようなこの世界においては、それこそセト籠に乗って空を飛ぶという時点で慣れないと思う者がいるのは無理もなかった
そうである以上、レイとしては出来ればお勧めしたくはない。
「ブルダンには、ガービーとかいうのがいるんだろう? 孤児院にちょっかいを掛けてきているそいつがセト籠とかの存在を知ったら、それこそ面倒なことになると思う。俺にちょっかいを出してくるのなら、それこそ幾らでも対処は出来る。けど、孤児院にちょっかいを出してきた場合、俺は対処するのが難しいぞ」
ブルダンとエグジニスとの間にある距離は、セトならあっという間に移動出来る距離だったが、それはあくまでもセトだからだ。
そんな状況で孤児院の状況に常に注意を払っていろというのは不可能だし、何よりも連絡を取るのが難しい以上、もし孤児院で何らかの問題があってもそれをレイ達が知る手段は多くない。
対のオーブでもあれば話は別なのだろうが、対のオーブの類はそう簡単に入手出来る代物ではない。
レイとエレーナが持っている対のオーブにしても、それを入手するのにどれだけの苦労をしたのかを考えれば、その辺は明らかだろう。
「それは……分かったわ。なら、手紙だけでもどうにかするわ」
レイに対して反論を口にしようとしたリンディだったが、最終的には自分が何を言ってもレイが駄目だと言うのなら駄目である以上、ここで無理を言っても意味はないと判断する。
また、アンヌの一件で孤児院が心配だったのも事実だったが、同時にゴライアスのことが心配だったのも間違いない。
ともあれ、アンヌはエグジニスに奴隷としているのだ。
そちらを確保出来ればいいと、そう考え……まずは手紙を書くべく準備を始めるのだった。