2726話
レイが自分の身分を明かした――別に隠していた訳ではないのだが――ところ、当然ながら商人はレイ達を相応の態度で迎える。
具体的には、店の奥にある特別室に通したのだ。
本来ならそのような部屋に通すのは、貴族や大商人と呼ばれるような者達だろう。
そのような場所だけに、家具も豪華な物が揃っている。
何故レイとリンディがそのような場所に通されたのか……それはやはり、レイが異名持ちのランクA冒険者というのが関係しているのだろう。
異名持ちというのは、それだけで特別扱いされるような存在なのだ。
ましてや、レイは盗賊を何人も捕虜にしては奴隷商に売り飛ばしている。
基本的には警備兵経由ではあるが、その辺りについての情報もまた、奴隷商の間では共有されているのだろう。
そして、レイとリンディがこの応接室に通されてから数分……ここにレイを通した人物ではなく、この奴隷商のトップが姿を現す。
「これは、深紅様にそのお連れ様。今日は私の店にいらして下さり、ありがとうございます。それで私の店に来たということは、何らかの奴隷をご入り用でしょうか? 深紅様……いえ、レイ様には色々とお世話になってますので、可能な限り勉強させて貰いますが」
レイとリンディの前にいいるのは、五十代程の男。
そんな男が、十代半程のレイに向かってここまで低姿勢な態度に出るのは、やはりそれだけレイが特別な存在だと判断し……もしかしたら、大きな商機ではないかと思っているのだろう。
レイはそんな商人に対し、首を横に振る。
「奴隷を買いに来たのは間違いないが、一般的な意味で奴隷を買いに来たんじゃないんだ。俺が世話になった人物が、何らかの理由で奴隷にされてしまってエグジニスに運び込まれたらしくてな。その奴隷がいるのなら、引き取りたいと思ったんだよ。その奴隷は違法奴隷という訳じゃないから、相応の値段は払おう」
そんなレイの言葉に、商人は少し考える様子を見せる。
レイの条件が云々といった訳ではなく、レイが捜しているという人物が奴隷としていたかどうかと、そう考える為に。
しかし、エグジニスの中でも最大規模の奴隷商であるこの店には、それこそ毎日のように多数の奴隷が売られてくる。
今レイの口から出た情報だけで、そのような相手を特定するのは難しかった。
「具体的にはどのような名前でしょう? そちらは教えて貰えますか?」
この時、奴隷商人はもしレイの捜している奴隷が自分の店にいるのなら、格安で販売してもいいと思っていた。
いや、格安どころか、場合によっては無料で売ってもいいとすら。
それだけ、奴隷商にとってレイという人物と繋がりを作っておくことは大きな意味を持つ。
勿論奴隷というのは基本的に単価の高い商品だ。
売られている奴隷によっては、財力に余裕のある貴族であっても容易に購入出来ないといったようなことも珍しくはない。
しかし、レイの捜している奴隷がそこまでの値段がないようなら……それこそ、一般的な奴隷であれば、レイに渡しても構わなかった。
何しろ、ここはエグジニス。そして近くの山には多数の盗賊が存在しているのは、周知の事実。
であれば、ここでレイに便宜を図ってもレイが捕らえた盗賊を自分達に売ってくれれば、総合的には大きな利益となる。
もしレイがそれを知れば、損して得取れといった言葉を思い出すだろう。
「アンヌという名前だ。このエグジニスから一番近い街……そう言えば孤児院のある街としか言ってなかったけど、正確にはなんて名前なんだ?」
街の名前を奴隷商人に言おうとしたレイだったが、ふと今まで街の名前について知らなかったのを思い出す。
本人が口にしたように、今までは孤児院のある街で通じていたというのが大きい。
それで十分通じていたので、街の名前については知らなくても困らなかったのだ。
「ブルダンよ」
レイの言葉を補足するように、リンディがそう告げる。
当然の話だが、レイが孤児院のある街……ブルダンの名前を知らなくても、ブルダンにある孤児院で育ったリンディは当然のよう街の名前を知っていた。
「ブルダンか。そのブルダンの孤児院で働いていた、アンヌという女だ。そのアンヌという女が奴隷としているのなら、俺が買い取りたい」
「ブルダンのアンヌ……ですか」
レイの言葉に少し考える様子を見せた奴隷商人だったが、やがて残念そうに首を横に振る。
「いえ、今日だけではなくここ数日入ってきた奴隷に、ブルダンから売られてきた者はいませんね」
奴隷商人もエグジニスで活動している以上、当然ながらブルダンについては知っている。
そうである以上、自分の店に入ってきた奴隷についてはしっかりと把握していた。
そんな中に、アンヌという女はいない。
惜しい、と。奴隷商人はしみじみと思う。
レイの話を聞いた限り、アンヌという奴隷は特に何か突出した存在ではない。
これが例えばエルフであったりすれば、もの凄い値段になったりするのだが、アンヌという女が奴隷なら、先程考えたように金を貰わずレイに渡してもよかったのだが。
そんな風に思ったからこそ、残念に思っていたのだ。
(それにしても、何故深紅のレイがそんな奴隷を購入しようとする? 見たところ、本人がというよりも女の方が熱心なようにも思える。私が聞いた情報では、レイが甘いというものはなかったのだが)
それこそ、奴隷商人が集めたレイの情報の中には、貴族であっても一切容赦なくその力を使うといったようなものが多かった。
それだけに、こうしてレイが他人の為に動こうとしているのは疑問を抱いてしまう。
あるいは、一緒に来たリンディと深い仲にあるのかとも思う。
リンディは魅力的かどうかと言われれば、間違いなく魅力的な女なのだから。
とはいえ、それなりに人間関係に詳しい奴隷商人の目から見ても、二人は親しい……いわゆる、男女の関係であるようには思えない。
そうである以上、最終的に辿り着いたのはレイの気紛れといったものだった。
……実際、それは必ずしも間違っている訳ではないのだが。
レイがアンヌを助けようと思ったのは、世話になったからというのもあるが、好意を抱いているからというのが大きい。
好意は好意でも、男女の好意という意味ではなく、友情的な意味での好意だが。
初めてセトを見たにも関わらず、子供達を助けたからとはいえ、怖がった様子を見せなかった。
もしくは内心では怖いと思ったのかもかもしれないが、それを表に出すような真似はしなかった。
そういう意味で、レイがアンヌに好意を抱いてもおかしくはない。
極論的に、リンディにアンヌを買い戻す為の金を貸すというのも、リンディやカミラへの思いもあるが、アンヌに対する好意からという一面も強い。
「そうか。なら、仕方がない。この店が一番大きいからアンヌがいる可能性が高いと思ったが、そうなると次の店に……」
「お待ち下さい」
次の店に向かうか。
そう言おうとしたレイだったが、奴隷商人はそれに待ったを掛ける。
ここで引き留められると思っていなかったレイは、立ち上がり掛けた腰を再びソファの上に落として、口を開く。
「どうした?」
「今の言葉からすると、この店を始めとして、他の店にも次々と寄ってそのアンヌという相手を捜す……間違いありませんか?」
「そうだな。それが最善だし」
「いえ、最善ではありません」
レイの言葉を即座に否定する奴隷商人だったが、その目には怯えの色は何もない。
それはつまり、本気でそう思っており……そして何より、自分ならそれ以上に有益な何かを提供出来ると、そう態度で示していた。
「何が言いたい?」
「奴隷商人同士のことであれば、他の者が聞くよりも奴隷商人同士の方が情報を集めやすいかと。何より、その方が向こうは警戒しません。……その表現は悪いですが……」
言いにくそうな様子の奴隷商人を見たレイは、何を言いたいのかを理解する。
レイも自分に関する噂はそれなりに知っているのだ。
そうである以上、その噂の中には自分が力を振るうのに躊躇しないといったようなものが含まれていることも理解しているし、決してその全てが間違いではないというのも理解していた。
つまり、もしレイが奴隷商人に直接会いにいった場合、向こうが怯えて情報を上手く聞き出せないという可能性も十分にあるのだ。
そういう意味では、奴隷商人の言ってることは正しい。
「それだと、俺達の代わりにそっちで情報を集めてくれるという風に聞こえるんだが?」
「そうですね。その認識で間違いありません。奴隷のことは奴隷商人に任せるのが一番ですよ」
奴隷商人の言葉に、レイはリンディに視線を向ける。
どうする? と視線で尋ねたのだが……リンディはそんなレイの視線に少し考えた後で頷く。
今回の一件の主役であるリンディが頷いた以上、レイも敢えて奴隷商人の言葉に反対するつもりはない。つもりはないが……何故そこまでしてくれるのかといったことを疑問に思う。
「何でそこまでしてくれるんだ? 俺達は別に上客って訳でもないのに」
「いえいえ。深紅……いえ、レイ様が上客なのは間違いないですよ。奴隷を買うという意味ではともかく、奴隷を売るという意味では……」
そう言われると、何となくレイにも奴隷商人が何を言いたいのかを理解出来た。
「それはつまり、アンヌの情報を集める報酬は盗賊を犯罪奴隷として売る時に、この店に売れと?」
「ええ、そうして下さるとこちらも情報収集に一層熱が入りますね。ああ、ご安心を。別に安値で買い叩こうなどとは思っていませんので」
我が意を得たりといった様子の奴隷商人だったが、レイはその言葉にあっさりと頷く。
「分かった、それでいいからアンヌの情報を集めてくれ」
「え? ちょ……レイ、私が聞くのもなんだけど、本当にそれでいいの!?」
あっさりと決めたレイに対し、リンディは反射的にそう詰め寄る。
リンディにしてみれば、この条件でレイが話を受けるとは思っていなかったのだろう。
しかし、レイにしてみれば売る店が決まったといったところで特に変わらない。
オークションに出して最高値で売るといったような真似は出来なくなるだろうが、それでもこの店はしっかりとした値段で奴隷を買うと言ってるのだ。
そうである以上、レイとしては寧ろ面倒が減るという意味でありがたかった。
……そもそも、レイが捕らえた盗賊を奴隷として売っているのは、あくまでもおまけでしかない。
盗賊狩りの中で一番美味しいのは、盗賊を奴隷として売るのではなく、あくまでも盗賊が集めたお宝を自分の物に出来るということだ。
そうである以上、盗賊を奴隷として売るのは、極論すればどこの店でもいい。
勿論安く買い叩くといたような店であれば話は別だが、レイが見た限り、目の前にいる奴隷商人はそのような真似はしないように思えた。
であれば、この奴隷商人の提案に乗っても構わないというが、レイの正直なところだ。
「ああ、それで構わないぞ。今の状況を思えば、そこまでこっちに不利って訳じゃない取引だし」
レイのそんな言葉に驚いた様子を見せたリンディだったが、レイがそう言うのなら……と納得する。
「分かった。レイがそう言うのなら、私からは構わないわ」
「そうしてくれ。値段に不満があった場合は、他の店に売ってもいいんだ。あるいは奴隷にしないという選択肢もある」
その言葉はリンディに対する説明であると同時に、奴隷商人に対する牽制でもあった。
そもそも、奴隷として売る場合は盗賊を倒した場所……この場合は盗賊達の拠点となっている山だが、その山から捕らえた盗賊をエグジニスまで連れてくる必要がある。
それがかなり面倒なのは間違いなく、手間な場合はそのような真似をせずに戦闘の中で盗賊を全員殺してしまえばいい。
そうなれば、余計な手間が省けるのは間違いのない事実なのだから。
そう暗に告げるレイの意図を悟った奴隷商人は即座に首を横に振る。
「勿論、そのような真似はしませんとも。当然私達も利益が出るようにしますが、だからといってレイさん達から巻き上げるといったつもりはありません。その辺はご安心下さい」
「言葉だけで言っても、すぐに納得は出来ないけどな。ただ……そうだな。それなら、奴隷商人仲間からアンヌの情報を聞き出すのを頑張ってくれ。そうすればこっちも信用するから」
「分かりました。それでは、精々張り切らせて貰いましょう。それでアンヌさんでしたか。その人の特徴を詳しく教えて貰えますかな? アンヌという名前はそこまで珍しい名前ではないので」
そんな奴隷商人の言葉に、レイとリンディは頷いて説明をするのだった。