2724話
取りあえず、リンディに金を貸すにしてもアンヌが幾らで売られているのか、そもそもどこの奴隷商に引き取られたのかといった情報を知る必要があった。
エグジニスは準都市と呼べるだけの規模があるだけに、当然ながら人の数も多い。
また、ゴーレム産業のおかげで貴族や大商人も多数やってくるのを考えれば、それに伴って商売をする者も多い。
そして奴隷商もそんな商売の一つである以上、エグジニスに存在する奴隷商が一軒だけということはなく、それこそ何軒もの奴隷商がある。
「でも、どうするの? アンヌさんが奴隷として売られているのかどうかを一軒ずつ回って聞いていく? それだと、ちょっと時間が掛かりすぎると思うけど。それに、私が知ってる奴隷商の店もそこまで多くないわ」
昼食を食べ終え、レイ達は街中を歩いていた。
深刻な話が行われた昼食だったが、それはレイ達だけで、セトは思う存分美味い料理を食べることが出来たので満足しており、現在は背中にカミラを乗せて移動していた。
そうして歩きながらリンディが言ってきたのが、そんな話題だった。
リンディはエグジニスを拠点にしている冒険者として、奴隷に関してもそれなりに理解はしている。
しているのだが、それはあくまでもそれなりでしかない。
何軒かの奴隷商の店は知っているが、全ての店を理解しているといった訳ではなかった。
アンヌがリンディの知っている店にいればともかく、もしいない場合はどうするのか。
当然ながら、アンヌがどの奴隷商に買われたのか、どこで売られているのかといったことを聞く必要がある。
今回の情報を持ってきたカミラが詳しい事情を知っていればいいのだが、生憎とカミラはそのような情報の類は知らない。
そうである以上、まずはそこから探す必要があった。
とはいえ……
(俺も奴隷商人とかについては詳しくないしな)
エグジニスの近くにある山にいた盗賊を捕らえ、犯罪奴隷として売ったのは間違いない。
だが、正確にはレイが売ったのは警備兵を通してであり、具体的にどの奴隷商人に売ったといったことは知らないのだ。
そうなると、まずは情報を集める必要がある。
「ロジャーに聞いてみるのはどうだ? 具体的には、ロジャーの護衛」
風雪の拠点があった大体の場所を知っていたのも、ロジャーの護衛の一人だった。
そのようなことを知っているとなると、恐らく何らかの後ろ暗いことについてはそれなりに詳しいのだろうから、ロジャーの護衛に話を聞けば分かるのでは? と、そうレイは考えたのだ。
ロジャーに聞いてもその辺りは多少分かるかもしれないが、現在ロジャーはゴーレムの解析……人の素材を使ったゴーレムが本当に高性能になるのかどうかというのを調べている筈であり、そうである以上、出来ればそんなロジャーの邪魔をしたくないというのがレイの正直なところだ。
消えた盗賊達はともかく、行方不明になっているゴライアスの一件も関わっている可能性がある以上、リンディもロジャーの邪魔をしたくはなかった。
「そう、ね。ロジャーの所属する工房に行きましょうか。……ジャーリス工房はエグジニスの中でも最大手の一つだから、少し近寄りにくいんだけど」
そう言いつつも、リンディにしてみればアンヌについての情報を確実に入手する為に出来ることは何でもやるつもりだった。
(いっそ、風雪に依頼を出してみるか? けど、風雪は暗殺者ギルドであって、情報を集めるのが専門って訳じゃないしな。それに俺と風雪の縁は血の刃が潰れたことで一応切れているし)
一応ポーションや毒について調べて貰っているので、本当の意味で風雪との縁が切れている訳ではない。
だが、奴隷を……それも違法奴隷ではなく、正規の手段で奴隷になったのだろうアンヌがどこで売られているのかといったようなことを調べて欲しいと依頼しても、風雪側にしてみれば自分達を何だと思っているといったように、怒ってしまうのは間違いないだろう。
ましてや、風雪の中にはエグジニスの中でも最大の暗殺者ギルドである自分達が、レイとの取引……正確にはいいようにレイに使われたというのが気にくわないという者も少なくない。
血の刃の拠点を襲撃した結果、風雪側にも決して少なくない被害が出たのだから、尚更だろう。
風雪がエグジニスの中で最大手の暗殺者ギルドであるのは事実だが、血の刃も相応の規模を誇っていた暗殺者ギルドだ。
そんな血の刃に対して奇襲を仕掛けはしたものの、それでも血の刃側でも一方的にやられるだけではない。
風雪側でもそれなりに死んだ者がいるし、怪我をした者は死人の数倍になる。
そのような結果を知っているだけに、風雪の暗殺者の中にはレイを恨んでいる者も多い。
もし奴隷について調べて欲しいと依頼した場合、そのような者達が反発する可能性は十分にあった。
風雪の中でも現実を知っている者であれば、これはレイに貸しを作る機会だと認識してもおかしくはないのだが。
(そうなると、いっそライドン辺りに聞いた方が情報は集めやすいのか?)
中立派の貴族という意味ではレイにとっても友好的な存在で、エグジニスの中でも最高峰の宿である星の川亭に泊まるような資金的な余裕もある。
そのような余裕があるのなら、エグジニスの奴隷商に関しても詳しいのではないか。
そうレイは考える。
別に中立派だからといって、奴隷という存在を忌み嫌っている訳ではない。
この世界において、奴隷というのはあって当たり前のものなのだから。
それを示すように、中立派を率いるダスカーの領地のギルムにも普通に奴隷を取り扱っている店はあるのだが。
勿論、違法の奴隷に関しては話が別だ。
「ロジャーの所属している、ジャーリス工房か。問題なのは俺達が行ってすぐロジャーに会わせてくれるかどうかだな」
ジャーリス工房は、今でこそドーラン工房に追い抜かれているものの、それでもエグジニスの中で最高峰の技術を持っている工房なのは間違いない。
であれば、約束もなくレイ達が寄ったところでジャーリス工房の中でも最高の技術を持つロジャーと会わせるかと考えれば……正直、微妙なところだろう。
だが、リンディはそんなレイの心配に対し、問題ないだろうと口を開く。
「レイは未知のモンスターの素材を渡したんでしょう? なら、それを言えばジャーリス工房でも丁寧に対応して貰えると思うわよ? ジャーリス工房にしてみれば、ロジャーがオークナーガだったかしら? その素材を使って新技術を開発して、ドーラン工房を追い抜くことも夢じゃないかもしれないし」
そんなに上手くいくのか? と思いつつも、レイは試すだけなら構わないだろうとジャーリス工房に向かうのだった。
「予想外だったな」
そう呟いたレイは、ジャーリス工房の職人から出された紅茶を飲む。
レイの言葉を聞いたリンディは、でしょう? と自信に満ちた笑みを浮かべる。
そんな二人の側では、カミラが必死になってお茶菓子として出されたクッキー……よりはもっとパン生地に近いような、ホットケーキを焼き固めたようなお菓子を夢中になって食べていた。
カミラ達が自分で食料をどうにかしようとするくらい、孤児院は金に困っていた。
レイがある程度の食料を置いてきたり、リンディが仕送りをしたりといった真似をしていたが、それでも甘いお菓子を食べられる程ではない。
どうしても甘い物を食べたいのなら、それこそ街の外に出て果実や木の実、もしくは蜂の巣を襲って蜂蜜を手に入れるといった手段しかない。
当然ながら、それはそう簡単に出来ることではないというのは、レイが初めてカミラ達に会った時、狼の群れに襲われて絶体絶命だったことからも明らかだろう。
だからこそ、カミラはこの甘いお菓子を食べる機会があったら、それを逃したくはなかった
このような状況で自分だけが甘いお菓子を食べてもいいのかといった葛藤もない訳ではなかったが、それでも子供だけに目の前に用意された甘いお菓子に勝つことは出来なかった。
「待たせたな。……うん? そっちの子供は?」
部屋に入ってきたロジャーは、初めて見る子供の姿に疑問を抱いたのか、そう尋ねる。
そんなロジャーにレイが事情を説明した。
事情を説明するだけならレイではなくリンディでもよかったのだが、アンヌの件の性格を考えると当事者だけに冷静に事情を説明出来るかどうか分からなかったから、というのが大きい。
「奴隷か。私はそこまでその辺りの情報について詳しくないのだが、それで何故私のところへ?」
「正確にはロジャーじゃなくて、ロジャーの護衛だな。ほら、風雪の拠点のある場所を大体ではあるが教えてくれた奴がいただろ?」
その言葉でロジャーはレイが何を言いたいのかを理解し、すぐに部屋の外で待機していた部下……というか、小間使いに自分の護衛の一人を連れてくるように言う。
「悪いな、ロジャーは本当ならドーラン工房のゴーレムの解析をしたかったんだろう?」
「ぬぅ……」
レイの言葉に、ロジャーの顔が苛立ちの色を帯びる。
そんなロジャーの様子にカミラが若干怯えた様子を見せたが、ロジャーはその苛立ちを他人にぶつけるといったことはない。
そもそもロジャーの苛立ちは、ドーラン工房のゴーレムを解析しても目的の技術……人を素材として使った場合、それがゴーレムの性能を上げるというのを見つけることが出来ていない為だ。
とはいえ、レイがその件をロジャーに話し、別れてからまだそこまで時間が経っていない。
間に昼食の時間を挟んだとはいえ、この短時間でドーラン工房の技術を完全に見抜けというのが、そもそも無理な話だったのだが。
「その様子だと、まだ解析の進捗を聞いたりといったような真似は出来ないみたいだな」
「そうなるな。今のところ怪しい場所はまだ見つかっていない。とはいえ、ドーラン工房もそのような技術があれば可能な限り人目に付かせたくはない筈だ。そう考えれば、今の状態はそこまで不思議でもないのだが」
そう言いながらも、ロジャーは苦々しげな様子を隠すことが出来ない。
自分の技術がドーラン工房の錬金術師に及ばないと、そう示されているのが面白くないのだろう。
「失礼します。ロジャーさん、呼んでるとのことですが、何でしょう?」
そんな風に声を上げながら、ロジャーの護衛の一人……レイに風雪の拠点があった場所を教えたルガナが姿を現す。
ルガナは一目見たところでは、かなりの強面だ。
この辺はロジャーの護衛ということで、妙なちょっかいを掛けようとする者に対する牽制の意味合いもあるのだろうが。
そんな訳で、ルガナを見たカミラは少しだけ怯える。
リンディはそんなカミラに対し、大丈夫だといった様子で頭を撫で……そんな二人の様子を見たルガナは、何気にショックを受けていた。
自分が強面なのは知っているし、決して子供受けするとは思っていない。
だがそれでも、やはり今の状況において思うところがないのかと言われれば、当然のようにその答えは否なのだ。
「ルガナ、お前はスラム街にある暗殺者ギルドの拠点についても知っていただろう?」
「え? いやまぁ、それはそうですけど……だからといって、別に俺はそこまで裏世界の事情に詳しい訳じゃないですよ?」
ロジャーの言葉に、またその手のことを聞かれるのかといったことを理解したルガナだったが、そう予防線を貼っておく。
実際、ルガナは裏世界の事情に精通しているといった訳ではない。
あくまでも友人の友人から聞いた噂程度……といったようなレベルで風雪の拠点を知っていたにすぎない。
そもそも、そこが暗殺者ギルドの拠点だというのは知っていたものの、それが風雪の拠点であるというのは知らなかったのだから。
大抵このような情報の場合はデマであったり間違っていたりするのだが、不幸中の幸いと言うべきか、今回に限っては当たっていた。
それでレイに情報を持っているかもしれないと目を付けられたのだから、ルガナにしては決して嬉しいことではないだろう。
「それでも知ってるかもしれないというだけで手掛かりにはなる」
ロジャーに変わり、レイがそう告げる。
ルガナもこれ以上は逃げ出せないと判断したのか、やがて諦めたように口を開く。
「分かりました。俺が知ってる情報ならいいんですけどね。それで、一体どんな情報を知りたいんです?」
「安心しろ……って言い方はどうかと思わないでもないが、今回の一件に限っては違法性のあることじゃない。お前が知ってる限り……それこそかなり小規模であっても、奴隷商人の店の情報について教えて欲しい」
そんなレイの言葉は予想外だったのか、ルガナは驚きに目を見開くのだった。