2722話
結局、リンディの訴えは却下された。
レイとしては、リンディの様子に思うところがない訳でもなかったのだが何をするにしても証拠が足りない。
そもそも、人を素材としているということすら、レイの予想……それとライドンから聞いた噂から考えたものでしかない。
噂というのは、時に真実を伝えることがあるが、全くのデタラメといった可能性も少なくない。
そうである以上、まさか噂を鵜呑みにする訳にはいかなかった。
そして盗賊の消失に関しても、ドーラン工房が関わっているのは予想にすぎない。
これで相手がその辺の盗賊のような存在であれば、そもそも倒しても全く何の問題もないので取りあえずで攻めるといったような真似も出来ないではなかったが。
「では、私は工房に向かってドーラン工房のゴーレムを少し調べてみよう。もし本当に人を素材にしているとなれば、考えられるのはやはり制御系か? いや、だが……」
部屋の中でそう告げるロジャーにレイは頷き、リンディは不承不承といった様子で承知する。
そうしてこの場でのやり取りは終わり、それぞれが別行動を取ることになる。
とはいえ、リンディの様子を見る限りで放っておくのは危険なような気がしたので、取りあえずリンディの住む宿まで送ることにしたのだが。
(うーん、この様子を見ると血の刃の件はともかく、ドーラン工房が依頼者で、盗賊の消失に関わってるって話は持っていかなかった方がよかったか?)
リンディにとって、ゴライアスという人物が重要な人物だというのはレイも知っていた。
だからこそ、少しでも分かったことは教えた方がいいと思い、報告をしたのだが。
幸い、以前の血の刃の一件でリンディの泊まっている宿は知っているので、道に迷うということはなかった。
(あれ? 俺ってもしかして方向音痴じゃなくなったのか?)
そんな風に思うレイだったが、さすがにそれを口に出すような真似はしない。
そうして宿にやって来たのだが……
「リンディ姉ちゃんに会いたいんだよ、お願いだから会わせてよ!」
宿に入る前、不意にそんな声が聞こえてくる。
リンディは自分の名前が出たことが気になったのか、急いで宿に入る。
レイもまた、セトに宿の前で待ってるように言って宿に入った。
何故なら……レイににとっても聞こえてきたのは、どこか聞き覚えのある声だった為だ。
とはいえ、それは正確には聞き覚えがあるというよりは、どこかで聞いた覚えがあるような? といった程度の声だったのだが。
しかし、宿の中に入ってカウンターの前にいる子供を見て、レイもすぐに思い出す。
(ああ、孤児院の)
そう、それはリンディが住んでいた孤児院……エグジニスに来る前にレイが寄った孤児院だった。
改めてカウンターの前にいる子供を見れば、それはレイが孤児院に寄る切っ掛けとなった、狼に襲われていた子供のうちの一人。
いや、正確には子供達を率いていたリーダー格の少年で間違いなかった。
「カミラ! 一体どうしたの!?」
驚きと共に少年の名前を叫ぶリンディ。
驚くのは当然だろう。
孤児院のある街とエグジニスは隣接しているとはいえ、その距離は子供が容易に歩いて移動出来るような距離ではない。
リンディが仕送りや手紙、以前日常雑貨を送った時に冒険者に依頼したり馬車で移動しているのは明らかだろう。
もっとも、日常雑貨の類はかなりの量があったので特別に馬車を用意して貰ったという点もあったのだが。
ましてや、エグジニスの周辺には盗賊が大量にいる。
ドーラン工房が何らかの手段で消滅――殺しているのか生け捕りにして連れ去っているのかはレイにも分からないが――させ、そこに新たな盗賊を補充しているといった疑いすらある。
そのような場所を子供が一人で来たというのは、それこそ極端に運がよかったとしか言いようがない。
「リンディ姉ちゃん!?」
リンディを呼んで欲しいと受付で騒いでいたカミラだったが、まさか自分の背後から捜していた人物にいきなり声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。
リンディの顔を見て、驚きの表情を浮かべ……そして次の瞬間、くしゃりとその顔が歪む。
「リンディ姉ちゃん……リンディ姉ちゃーん!」
そう叫びながらリンディに抱きつき、思い切り泣き出す。
リンディもそんなカミラの様子から何か理由があってエグジニスまでやって来たのだろうと理解し、その理由を聞きたがったが、今はまずカミラを泣き止ませ、落ち着かせることを優先するべきと判断したのか、自分に抱きついて泣いているカミラの頭を撫で続ける。
「ほら、落ち着いて。どうしたの? もしかして、エグジニスまで一人で来たの?」
「う、うん。だって……だって……ひっぐ、ひっぐ……うわあああああああああん!」
リンディに撫でられて落ち着いたのかと思えば、再び自分がここに来た理由を思い出してか泣き叫ぶカミラ。
そんなカミラの様子に、そこまで深い知り合いではないレイもまた驚く。
レイが知っているカミラという少年は、非常に気の強い性格をしていた。
自分が命の危機に陥ったところで、驚きはしてもこのように泣き喚いたりといった真似はしていなかった。
また、そんなカミラを見て驚いているのは、そのカミラをよく知っているリンディもまた同様だった。
ただし、ここは宿だ。
それも安宿といった表現が似合うような、そんな宿。
そのような宿のカウンターの前で子供が泣き叫ぶといったようなことになれば、当然ながら……
「うるせえぞっ!」
宿の客が、その泣き声に苛立ち、叫んでもおかしくはない。
冒険者として相応の技量があれば、もっといい宿に泊まることは出来る。
孤児院に仕送りをしているリンディのような事情があれば話は別だが、顔を出して叫んだ冒険者がそのような殊勝な性格をしているようには、レイには思えない。
とはいえ、顔や雰囲気だけで人の性格を決めつけるのがよくないのは、この世界に来てから十分に理解していた。していたが、それでも叫んだ冒険者はそのような類の人物ではないだろうと予想するのは難しい話ではない。
そんな冒険者を相手に不満を抱くレイだったが、実際に冒険者の不満を理解してしまう。
文句を言う為、最初にやって来たのはこの男だったが、この男が来なくても別の誰かが不満を言いに来たのは間違いない。
安宿だけに壁も薄く、防音という意味では全く期待出来ないのだから。
今は日中なので、多くの者は仕事に出ているだろうが、この男のように今日が休み、もしくは夜の仕事に備えて眠っている者がいてもおかしくはない。
「リンディ、取りあえずここを出るぞ。このままだと面倒なことになる」
そう告げるレイの言葉に、カミラの頭を撫でているリンディは素直に頷くのだった。
「ほら、これでも飲んで落ち着きなさい」
リンディの泊まっている宿から、少し離れた場所にある食堂。
レイ、リンディ、カミラの三人は、現在そこにいた。
ちょうど昼といった時間帯なので、レイの奢りで食事をしに来たのだ。
幸いにも食堂の店主は大らかな人物だったので、きちんと料金を渡せばセトの分の料理も用意してくれることになった。
それどころか、セトがいると目立って客寄せになると喜んですらいる。
そんな訳で、現在テーブルの上には注文した料理が出来るまでにと、スープやパン、サラダ、果実といった簡単に食べられる料理が並んでいた。
カミラも目の前の料理には驚きつつ、それでもリンディの言葉に従ってスープを口に運び……そのスープが美味かったのか、がっつくようにしてスープを飲み始める。
(というか、見た感じ腹が減ってたんだろうな)
孤児院のある街からエグジニスまで、馬車で来たとは思えない。
馬車での移動は相応に金額が掛かるし、孤児院にそのような金があるとは思えなかった。
レイが見た時、孤児院はかなり金に困っていたのだから。
そんな状況で子供一人とはいえ、馬車に乗せる金額を用意出来るかと言われれば、正直なところ微妙だろう。
また、馬車を運用している側であっても子供を一人で乗せるといったような真似をするかとなると……それもまた微妙だった。
そうなると、カミラがエグジニスまでやって来るのは一人で歩いてくるしかない。
場合によっては、誰か大人が護衛をするといった可能性もあっただろうが、レイが見たところではカミラは一人だけだ。
そして子供の足で孤児院のあった街からエグジニスまでは……それこそ数日、場合によっては十日近く掛かる筈だった。
さすがにそれだけ長期間飲まず食わずで来たとは思えないので、多少なりとも食料を持って旅立ったのだろうが、それでも子供が持てる荷物の量を考えると、ここまで空腹であってもおかしくはなかった
(人間、食べ物はともかく水を飲まないと数日で死ぬって何かで見た覚えがあったけど……そういう意味では、どうなんだろうな。まぁ、朝露とかそういうのを飲むとか、植物の中には樹液が飲めたりするのもあるから、そういうのでどうにかしてきたのかもしれないけど)
そんな風に思いながら、レイはスープとパンを食べる。
やがて頼んだ料理が持ってこられると、カミラは大きく目を見開く。
レイの前に並べられた料理が、五人前程もあった為だろう。
しかし、レイはそんなカミラの視線を気にせず、料理を食べていく。
食べる速度が全く落ちる事がないレイを見て、更に驚くカミラ。
しかし、レイにしてみればこの程度の料理を食べるのはいつもの事だ。
そうして料理を食べていると……
「ヒック、ヒック」
何故か再びカミラが泣き出す。
宿屋で泣いていたのは、ここに来るまでに泣き止んだ。
事情を聞こうとしたところでカミラの腹が派手に自己主張したので、この食堂に来ることにしたのだが……何故ここでカミラが泣くのか、レイには理解出来なかった。
「だって、俺がこんなに美味い料理を食べて……」
何とかそう言うカミラ。
なるほど、と。レイはその言葉に納得する。
レイは孤児院に肉を含めて色々と食料を置いてきた。
だが、孤児院にいた人数を考えれば、毎日腹一杯食べるといったようなことは出来ないだろう。
ましてや、こうしてテーブルの上に並べられている複数の料理といったことは、到底考えられない。
だからこそ、カミラにしてみれば自分の目の前にある料理を見て泣き出したのだろう、と。
そうレイは思う。
だが、カミラの口から出て来た言葉は、そんなレイの予想とは違う……いや、正確にはより厳しい面だった。
「アンヌ姉ちゃんにも、こういうのを食べさせてやりたいって、そう思ったんだ」
「……アンヌさん? ちょっとカミラ。どういうこと? 何でここでアンヌさんの名前が出て来るのよ?」
アンヌというのは、孤児院で働いていた人物だ。
初めてセトを見ても、怖がったりせずに受け入れてくれた人物だったので、レイにとっても印象深い。
ましてや、孤児院出身のリンディにしてみれば、アンヌは自分と年齢がそんなに離れていないということもあり、かなり親しくてもおかしくはなかった。
「ひっく……アンヌ姉ちゃん……連れていかれたんだ。契約がどうとかで……」
「契約ですって?」
連れていかれたという話を聞いただけなら、それこそ盗賊か何かに捕まったと考えてもおかしくはない。
現在エグジニスの周辺には多くの盗賊がいるのだ。
そんな盗賊の中には、大量の盗賊がいるからこそ競争率が高く、エグジニスではなく他の場所に活動を移すといったことを考える者達がいてもおかしくはない。
そしてエグジニスから一番近い街となれば、当然だが孤児院のある街となる。
孤児院のある街はエグジニスと比べると決して栄えている訳ではない。
しかし、それでも盗賊達にしてみれば狙うべき獲物と判断してもおかしくはないのだが……そう思ったリンディだったが、そこに契約という言葉がついてくるとなると、話は違ってくる。
一体何がどうなってそうなったのかは分からなかったが、何らかの理由があってアンヌが連れ去られたことは間違いなかった。
「ほら、泣き止んで。一体何があったのか、それをきちんと教えてくれる?」
リンディもアンヌの行方については当然のように心配していたものの、それでも今はまずカミラを落ち着かせる方が最優先だと判断したのだろう。
そんなリンディの言葉に、カミラも多少なりとも落ち着いてきたのか、やがて泣き止む。
そして、カミラがやがて口を開く。
「何だか分からないけど、商人との約束があって、それを破ったからアンヌ姉ちゃんは奴隷として売られるって……そういう契約だって言われたんだ」
その言葉に、リンディは表情を厳しく引き締めるのだった。