2717話
ドーラン工房。それは、現在エグジニスにおいて最高のゴーレムを作るとされている工房だった。
レイもまた、クリスタルドラゴンの素材と引き換えにドーラン工房のゴーレムを購入しようと考えていたのだが……
「やっぱりな」
血の刃の拠点から奪ってきた契約書に、自分の暗殺を頼んだ相手としてドーラン工房の名前……正確にはドーラン工房に所属している人物の名前が書かれているのを見て、レイは驚くよりも納得してしまう。
なお、何故書いた者がドーラン工房に所属している人物だと分かったのかといえば、契約書にはしっかりと所属が書かれていた為だ。
あるいは、依頼を頼んだ人物がドーラン工房所属であると偽っていたり、あるいは別人が勝手に他人の名前を使っているといった可能性もあったが、血の刃というのは風雪程ではないにしろ、暗殺者ギルドとしては大手だ。
当然そのようなことは血の刃でもしっかりと調べているだろう。
何しろ、標的はレイだ。
異名持ちのランクA冒険者を相手にするのだから、その辺りの調査を怠る訳にはいかない。
また、レイのことが気に入らないとして、レイを嵌めてドーラン工房とぶつけようと、風雪の暗殺者が企んだという可能性もある。
しかし、風雪側はレイがどれだけ危険な人物なのかは当然知っており、そんなレイがどうしても欲しい情報ということで、契約書の扱いは厳重にしている筈だった。
その辺りの事情を考えれば、風雪の暗殺者が自分を騙すといったようなことは考えなくてもいい。
そうレイは考えつつ、改めて契約書に目を通す。
(ドーラン工房が俺を狙う、か。理由は幾つか考えられるが、やっぱり一番可能性が高いのはライドンから聞いた話だな)
ドーラン工房のゴーレムは、人の身体を部品として使っているというものだ。
最初にその噂話をライドンから聞いた時は、ドーラン工房の発展を妬んだ者達の戯れ言だと、そう考えていた。
世の中には成功者に対して、何故自分が評価されないであのような者が評価されるのだといったような者もいる。
自分の技術を高めず、ただ自分以外が評価されたのが気にくわないという者は、だからこそ評価されないのだが……妬んでいる者は、それが分からない。
それによって余計に意味のないプライドや自尊心だけが肥大化していき、それを表に出すことも出来ずに、他人の悪口を言って気分を晴らそうとする。
ドーラン工房に対する噂を聞いた時には、その手の者達の妬みだと思ったのだ。
実際に人の身体をゴーレムに組み込むとなると、メンテナンスの類をする時にそれが知られる可能性がある。
まさかドーラン工房で購入したゴーレムを修理、もしくはメンテナンスする時は、またエグジニスに戻ってこい……などとは言えないし、言ってもそれが守られる可能性は少ないだろう。
わざわざエグジニスにまでゴーレムを購入に来る貴族や商人達だ。
当然だが、そのような者達は独自に錬金術師を抱えている可能性がある。
一からゴーレムを製造するような真似は出来ないかもしれないが、メンテナンスの類であれば……と。
(あるいは、クリスタルドラゴンの素材が目的とか?)
第二の目的としてレイが思いついたのは、それだった。
レイがドーラン工房からゴーレムを購入しようとして受付をした時、書類にはランクSモンスターの未知のドラゴンの素材を提供する用意があると、そう書いた。
錬金術師が未知のモンスターの素材を欲するのは、ロジャーを見ればその辺は明らかだろう。
そんなにランクの高くないオークナーガでも、あれだけ喜ばれたのだ。
そんな中、ランクSモンスターの未知のドラゴンとなれば、それこそ錬金術師なら是が非でも欲しいと思ってもおかしくはない。
だが、ゴーレムの取引をする上で、もしレイがドーラン工房と無事に契約をしたとしても、それで得られるクリスタルドラゴンの素材は決して多くはない。
当然だが、レイも魔石のように希少な素材を渡すつもりはないし、眼球のように数が限られている素材や牙であっても一番大きな牙を渡したりといったようなことをするつもりはなかった。
鱗のように大量にある素材を渡そうと考えており、ドーラン工房の方でもそう予想した可能性はある。
ましてや、レイがモンスターの魔石を集める趣味があるというのは、それなりに知られている事実だ。
そうである以上、ドーラン工房側がレイのことを調べた場合、魔石は絶対に自分達が手に入れたいといったように考えれば……レイと交渉しても、入手は不可能だと考え、いっそ殺してしまえば自分達ににもクリスタルドラゴンの魔石を入手出来る可能性があるかもしれないと、そのように思ってもおかしくはなかった。
もっともその場合は、ミスティリングに入っていると仮定しているだろうクリスタルドラゴンの魔石や素材を、どうやってドーラン工房が入手するのかといった問題があるが。
基本的にミスティリングは、レイにしか使えないようになっている。
ドーラン工房の錬金術師である以上、当然その辺について知っていてもおかしくはないのだが。
(いや、寧ろ錬金術師達だからこそ、他人のミスティリング……アイテムボックスをどうにかする手段があってもおかしくはないのか?)
そんな風に思いつつ、ともあれ手に持つ契約書は非常に重要な物である以上、ミスティリングに収納しておく。
「ドーラン工房か」
「え? そうなのですか?」
レイの口から出た言葉に、何故かソレイユが驚きの声を発する。
契約書をレイに渡したのだから、その時に読んでいてもおかしくはないと思ったレイだったが、どうやらレイの必要としている情報である以上、それを勝手に読むのは不味いと判断したのだろう。
この辺り、何気にかなり誠実に対応されているなと思いながら、レイは頷く。
「そうだ。契約書にはそう書かれている。一体何を考えてドーラン工房が俺の命を狙ったのかは分からないが、厄介な真似をしてくれる」
現在エグジニスの中でも最高の技術力を持つドーラン工房だけに、まさかこれだけの証拠で正面から攻め込む訳にもいかない。
(そうなると、やっぱりロジャーに頼むしかないか)
そう思いながら、ふとレイは自分の前にいるのが風雪というエグジニスの中でも最大勢力の暗殺者であるということを思い出し、駄目で元々といった感じで尋ねる。
「一応聞くんだが、もしドーラン工房の中で俺の暗殺を考えた奴を殺して欲しいという依頼をした場合、受けてもらえるか?」
「それは……私からは何とも言えませんので上の判断によりますが、恐らく難しいかと」
「報酬はきちんと支払うと言ってもか?」
「はい。まず、レイさんを暗殺しようとした人物だけの行動とは思えません。契約書にドーラン工房としっかり書かれている以上、組織だって動いているのは間違いないかと」
ソレイユのその言葉に、レイは嫌そうな表情を浮かべる。
出来ればドーラン工房に所属する個人の仕業であって欲しかったというのが正直なところだ。
だが、普通に考えればやはり個人で自分を狙うような真似はしないだろうから、ソレイユの言葉は決して間違っていないのだろうと、そう納得出来てしまった。
「そうなると、風雪に頼むのは難しいか」
「そうなりますね。個人を殺して警告をするといったような真似は出来ると思いますが、その場合は報酬がかなりの金額になります」
「一応、風雪は今回の件が片付くまでは全面的に俺に協力するといった約束だった筈だが?」
「この場合の今回の件というのは、血の刃の件になるかと」
残念そうにソレイユがそう言う。
ただし、残念そうに言っているのは恐らく見せ掛けだろうというのがレイにも理解出来た。
風雪にしてみれば、自分達が危ない場所……それもドーラン工房という、このエグジニスにおいて現在最高の技術を持っている者達と敵対しなくてもいいのだから。
(ゴーレムはマジックアイテムだけに、作るのに素材や金が必要になる。けど、言ってみれば素材や金があれば、後は量産することも不可能じゃない訳だ)
レイが思い出したのは、以前山で見たストーンゴーレム。
ドーラン工房のゴーレムではないが、それでも盗賊達を一方的に蹂躙するだけの実力を持っていた。
勿論、風雪の暗殺者と盗賊では、その強さが大きく違う。
例えば風雪の暗殺者がレイが以前見たストーンゴーレムと戦っても、それに勝利するのは間違いないだろう。
だが、盗賊が暗殺者に変わったように、ストーンゴーレムもドーラン工房製のゴーレムに変わる。
そうなると、風雪の暗殺者がゴーレムに勝てるとは言い切れない。
(まぁ、別に絶対にゴーレムを倒さなきゃいけない訳じゃないんだが。最悪、それを操っている奴を殺してしまえばいいんだし)
以前にレイが山で見たストーンゴーレムは、錬金術師達が近くにいた。
複数いたので、全員がストーンゴーレムを操るといったような真似をしていた訳ではないのかもしれないが、中にはそのような真似をしていた者がいてもおかしくはない。
……ただし、その場合は錬金術師を護衛していた者達を倒す必要も出て来るのかもしれないが。
(純粋にゴーレムってことになれば、俺が有利なんだよな。基本的にゴーレムはミスティリングに収納出来るし。あれ? そうなるとやっぱり風雪に頼んだりといったような真似をしなくても、俺が普通にドーラン工房に殴り込んだ方がいいのか? ……その場合、色々と面倒なことになるだろうけど。やっぱりロジャーを頼った方がいいか)
レイにしてみれば、素直に正面からドーラン工房に殴り込みたいといった気持ちがあるのは間違いなかった。
しかし、そのような真似をすればドーラン工房を敵に回すだけではなく、ドーラン工房のゴーレムを購入しようとしていた者達の多くを敵に回すことになる。
自分達がいつゴーレムを購入するのか楽しみにしていた貴族や商人にしてみれば、ドーラン工房にレイが突っ込んだことが原因でゴーレムを購入出来なくなるというのは、非常に痛いのは間違いない。
そのような者達にしてみれば、レイがドーラン工房と敵対するのは面白くない。
レイの実力を知っている以上、敵対するとはいえ、直接攻撃をしてくるとは思わない。
しかし、直接ではない方法で攻撃してくる可能性は十分にある。
(結局、ドーラン工房に関してはライドンから聞いた噂が正しかったのか、もしくはクリスタルドラゴンの素材を狙ったのかは分からない。分からないが、それでも俺を狙っているのだけは事実である以上、向こうがきたらこっちも相応の対処をする必要があるだろうな)
レイはそんな風に考え……改めてソレイユに視線を向ける。
「俺の依頼を頼んだ奴を見せしめに殺すのが無理だというのは分かった。なら、噂を流す手伝いとか、そういうのは出来るか?」
「噂……ですか? 具体的にはどのような?」
「いや、まだ具体的にどんな噂を流すのかは決めていない。その辺は仲間と話してから決めるが……そうだな。例えば、俺が血の刃を潰したことで、それによって契約書の類を手に入れたってのはどうだ?」
「それは噂ではなく事実だと思いますが、出来れば止めた方がいいかと。血の刃が契約をしていた相手は、ドーラン工房だけではありません。また、今まで血の刃に暗殺を依頼してきた者達も、そのような噂が流れた場合は、レイさんを狙うことになるかと」
「ああ、そうなってしまうのか」
レイはこうしてドーラン工房との間の契約書を貰ったが、血の刃は別にドーラン工房直轄の暗殺者ギルドといった訳ではない。
つまり、ドーラン工房以外からも後ろ暗い依頼は受けており、そんな依頼をした者の中には、レイが自分達が誰かの暗殺を依頼したといったことを知っていてもおかしくはないと不安に思い、その事実が広まるよりも前にどうにか対処したいと、そのように思ってもおかしくはなかった。
とはいえ、レイにしてみればそれはそれで対処すればいいだけといったような思いもあるのだが。
「それでも構わないのなら、噂を流すのは多分引き受けると思いますが……どうします?」
「いや、それは止めておいた方がいい。余裕のある状態ならともかく、今はドーラン工房の件をどうにかする必要がある以上、余計な敵を作りたくはない」
そうレイが言うと、ソレイユは安堵した様子を見せる。
レイからの依頼なら引き受けると口にしたものの、もしそのようなことを実際に行った場合、それは不味いと、そう判断したからだろう。
それでもレイからの依頼であれば、現在の力関係からして引き受けなければならなかった訳であり……そういう意味では、レイが依頼を撤回したのが嬉しかったのは間違いなかった。