2715話
スラム街に行った翌日、レイはいつもより寝坊すると、身支度を調えてから食堂に向かう。
何らかの依頼を受けているのなら、レイも寝坊をするのが不味いとは思う。
あるいは、何らかの約束をしているのなら話は別だが。
しかし、今日は特に何か約束らしい約束をしている訳でもないので、その辺りは問題なかった。
風雪からの使者が来るのを待っているのが、ある意味では約束という扱いになるかもしれないが。
ともあれ、特に約束らしい約束がない以上、こうしてゆっくりとした時間を楽しむのも決して悪い話ではなかった。
そもそも、レイがエグジニスに来ているのはゴーレムを購入するというのもあるが、それ以上に休暇的な意味合いがある。
クリスタルドラゴンの死体の一件で、ギルムでは自由に出歩くことが出来なくなっていたのは、ギルムに戻った時の騒動を考えれば明らかだろう。
その騒動が収まるまで……あるいはレイを見ても騒ぐような者がいなくなるとまではいかないが、多少は収まるまで、レイはギルムで自由に出歩くような真似は出来ないだろう。
(冬はギルムですごしたいんだけどな)
基本的に、冬はそこまで頻繁に出歩くようなことはない。
もし出歩くにしても、多くの者が寒さ対策でコートやローブを着ているので、顔を晒す可能性は低くなるだろう。
そうである以上、レイとしては冬にはギルムに戻っても問題はないだろうと、そう考えていた。
(問題なのは、それまでにゴーレムの購入が終わるかだな)
現在、ロジャーに防御用と清掃用のゴーレムを頼んでおり、それ以外にもドーラン工房のゴーレムを購入出来るようにと準備をしている。
ロジャーの方は、オークナーガの素材を使ってゴーレムを作ると言っていたことから、時間が掛かってもおかしくはない。
オークナーガという未知の素材を使う以上、まず最初はその素材がどのような性質なのかを確認する必要があるのだから。
その辺りの解析が終わり、そこからゴーレムの素材としてどう使うべきなのかといったことを考える。
素材の性質が早くに判明すれば、ゴーレムを作るのにもそこまで時間は掛からないだろう。
だが、素材の解析に手間取った場合は、ゴーレムの製造に取り掛かるのも遅くなる。
そんなロジャーに比べて、ドーラン工房の方はそこまで時間が掛からないだろうというのが、レイの予想だった。
いや、それは予想ではなく確信と言ってもいい。
何しろドーラン工房のゴーレムを欲しているのは、レイだけではない。
貴族や大商会の商人といったような面々も、ドーラン工房のゴーレムを購入しようと狙っている。
それでも、現在は晩夏という秋になりかけている季節ではあるが、その季節が冬になるまで貴族や大商会の商人が待つかと言われれば、その答えは否だろう。
レイだけなら待つといったようなことになるかもしれないが、貴族や大商人といった相手がいる以上、そこまで長く待たせるといったようなことは出来ない筈だった。
「ん、相変わらず美味いな」
星の川亭の食堂で朝食を楽しんだ後、レイは取りあえず部屋に戻ろうとし……
「レイさん、少しよろしいでしょうか?」
自分の部屋に戻ろうとしたところで、不意に声を掛けられる。
一体何だ? と思って視線を向けると、そこにいたのは宿の従業員。
そして従業員の側には二十代程の男の姿があった。
特筆するような特徴らしい特徴がない男。
無理矢理特徴を上げるとすれば、健康そうな男といったところか。
そんな男は、レイを見ると一礼し……もしかして、と疑問に思う。
「こちらはソレイユ様と仰るそうですが、レイ様が昨夜訪ねてくるかもしれないと仰っていた方で間違いないでしょうか?」
ソレイユ。
その言葉を聞いて、レイは目の前の男が誰なのか……正確には誰の使いで来たのかを理解する。
理解はするが、それでも驚く。
レイが風雪の拠点に行ったのは、昨日……というか、昨夜だ。
そうである以上、幾ら何でも報告に来るのは早すぎるのでは? と、そう思ったのだ。
「レイ様?」
「ああ、いや。そうだな、来ると言っていた奴はこいつだ。じゃあ、部屋で話を聞かせて貰うけど、構わないか?」
「はい、お願いします」
そう言ってくる男……ソレイユに頷き、レイは宿の職員に感謝の言葉を口にしてから部屋に向かう。
この宿に泊まっている者が、誰かを自分の部屋に招待するというのは珍しい話ではない。
しかし、今回それを行っているのはレイだ。
現在エグジニスにおいても……そして星の川亭においても、注目度の高い人物。
そんな人物が外から客を招いて一緒にいるのだから、注目されない筈がない。
これがマルカやニッキー、ライドンのように星の川亭に泊まっている者であれば、話は別だったが。
(あ、でもそう言えば昨日ロジャーとリンディが来たか。俺が来た時はマルカやニッキーと一緒にいたから、そっちの客だと思われ……ないだろうな)
レイが戻ってきた時に、大声でレイの名前を呼んでいたのだ。
そうである以上、レイの関係者であると認識されてもおかしくはない。
ましてや、リンディはともかくロジャーはエグジニスにおいて腕利きの錬金術師として名前が知られている。
視線を浴びつつも、それを無視してレイは男と共に自分の部屋に入る。
「さて、それで……取りあえずそっちのソファにでも座ってくれ」
「ありがとうございます」
そうして男はソファに座る……前に、レイに向かって頭を下げる。
「風雪から派遣された、ソレイユと申します」
「一応聞くが、ソレイユというのは本名か?」
「いえ、伝言役の役職名と考えて貰えれば」
「そうか。なら、取りあえずお前はソレイユと呼んでおく」
そう言い、レイがソファに座るのを見ると、ソレイユもソファに座る。
「で、お前が来たということは、血の刃の一件は解決したと考えてもいいのか?」
「はい。昨日、レイ様が……」
「ああ、別に畏まったような言葉遣いはいい。言いやすいようにしろ」
「分かりました。ありがとうございます。昨日レイさんが帰った後で、風雪は動かせる最大限の戦力を使い、血の刃の拠点を襲撃、中にいた者を一人残らず殲滅しました」
あっさりと殲滅したと口にするソレイユ。
殲滅という言葉を使うということは、当然ながらそこには多数の人がいたということになる。
ましてや、血の刃は風雪のようにエグジニス最大の暗殺組織という訳ではないが、それでも多数ある暗殺者ギルドの中では規模が大きいとレイはニナから聞いている。
当然のように、拠点にいた者は相応の人数になるだろうし、中には戦闘員ではない者もいただろう。
そのような者も含めて、全員殺したと言うのだ。
にも関わらず、ソレイユの表情が怯えていたり後悔したりしている様子は全くない。
そんなソレイユを見て、なるほど暗殺者ギルドの一員だなとレイも納得する。
「それにしても随分と早かったな」
「そのように命じられたのでは?」
「そうだな。早ければ早い方がいいとは思っていた。けど、それでも数日は掛かると思っていたんでな」
「レイさんに驚いて貰えて何よりです。……取りあえず、拠点にいた者達は殲滅しましたが、拠点にいなかった者は逃げた可能性があります。既に血の刃が壊滅している以上、改めてレイさんを狙うといったようなことはないと思いますが、絶対ではないので、気をつけて下さい」
「そうするよ。……それで誰が俺を狙っていたのかは、分かったのか?」
「はい。契約書がありましたので。ですが、持ち出すのは危険だと判断したので、風雪が使っている拠点の一つにお宝と一緒に運んであります」
そう言われたレイは、そう言えばお宝も渡すように言っていたかと思い出す。
あれば便利なのは間違いないが、それでもこの場合、レイにとって重要なのはお宝よりも血の刃の壊滅であり、そして誰が血の刃に自分の依頼をしたのかという情報だった。
「契約書はお前が持ってきてないのか? お宝の類はともかく、契約書を持ってくるくらいなら難しくはないだろ?」
「念の為にということで、持たされていません。レイさんに会いに来る途中で、血の刃の残党が私を襲ってくる可能性もありましたので」
血の刃にしてみれば、気が付けば自分達が壊滅させられていたのだ。
偶然拠点にいなかった生き残りは自分達もそれに巻き込まれないように素早く姿を消すといったような真似をするのが普通だったが、中には何らかの理由……拠点に恋人や妻がいて風雪に殺されたとか、もしくは単純に自分が所属する暗殺者ギルドが一方的に殲滅させられたのが許せないと、そのように思う者がいてもおかしくはない。
そのような者達にとって、ソレイユのように暗殺者という訳ではなく、伝言をする為の人物というのは復讐の相手としては最適だった。
勿論、ソレイユも暗殺者ギルドに所属している以上、それなりの強さは持っている。
だが、それはあくまでもそれなり……多少自衛が出来るといった程度でしかなく、実際に現役で活動している暗殺者に狙われた場合、それに対処するのは難しい。
それを分かっているからこそ、ソレイユは契約書の類は持たず、単純にレイを呼びに来たのだろう。
「なるほど、事情は分かった。なら、早速その倉庫とやらに行くか。場所はここからどのくらい離れている? もしかしてスラム街なのか?」
風雪の拠点がスラム街にあった以上、これからソレイユが案内する場所もスラム街にあるのではないか。
そう思ったレイだったが、ソレイユは首を横に振る。
「いえ、違います。大通りとは言いませんが、それでも裏通りにある倉庫です」
エグジニスはゴーレム産業が盛んな街であり、その関係でゴーレムを収容しておく倉庫の類もそれなりに多い。
そのような倉庫の一つを風雪は所持しており、そこに風雪はお宝や契約書の類を運び込んだ……と、そういうことらしい。
「なるほど。なら、早速行くか。俺を狙っている血の刃とやらに、一体誰が依頼をしたのか。それによっては、こっちも相応の態度に出る必要があるしな」
「分かりました。すぐにご案内します。ただ、今回の一件で暗殺者ギルドに頼んだ相手が判明しても、迂闊に動いた場合はレイさんが嵌められる可能性もありますので、注意して下さい」
「嵌められるか。具体的には、依頼人が血の刃に頼んだというのは俺のでっち上げで、契約書の類も偽造だと言い張るとか? エグジニスは自治都市だけに、面倒なことになりかねないな」
これが普通の貴族が治めているのなら、最悪ダスカーに手を回して貰うといったような手段も出来るだろう。
あるいはダスカーではなくても、ライドンのようにエグジニスに来ている中立派の貴族に手を貸して貰うといった手段もない訳ではなかった。
だが、ここが自治都市となると話は変わってくる。
具体的にはこのエグジニスを治めている者達……この場合は商人となるのだろうが、そのような者達が自分の判断でレイを嵌める、もしくはレイが死んで欲しいと思っている者と手を組むといった可能性は十分にあった。
そうならないようにする為には、それこそ正面から堂々と自分の暗殺を頼んだ組織を攻撃するのではなく、もっと別の方法を使う必要がある。
(となると、現在の状況で俺が頼れる一番いい相手は……ロジャーか)
ドーラン工房に技術で追い抜かれたロジャーだが、それでもエグジニスにおいて腕利きの錬金術師であるというのは変わらない。
そんなロジャーであれば……そしてロジャーの所属する工房なら、エグジニスにおいても強い発言力を持っているのは間違いない。
であれば、やはりここはロジャーに頼んで自分を殺そうとしている相手を非難するといったような真似をするというのは、悪い選択肢ではないように思えた。
報酬に関しても、オークナーガの素材を追加で渡すといった真似や、もしくはいっそクリスタルドラゴンの素材を多少は分けるといった手段もある。
(オークナーガであそこまで喜んだんだし、クリスタルドラゴンの素材は間違いなく喜ぶだろ。それこそ、俺を狙った奴をどうにかしたらという条件なら、血の刃のように……いや、血の刃よりも更に派手に敵を殲滅してもおかしくはない、と思う)
そんな風に考えるレイは、ソレイユに向かって気を取り直したように口を開く。
「ともあれ、どうなるのかは実際にどういう相手が俺を狙っているのかが分からないと、どうしようもない。まずは実際にその倉庫で契約書の類を見せて貰うとするか。案内を頼む」
「はい、分かりました。では、どうします? 今すぐ行きますか?」
ソレイユのその言葉に、レイは当然といった様子で頷くのだった。