2713話
暗闇の中、建物から三十人を超える男女が姿を現す。
その誰もが一定以上の技量を持っており、全員が強者と呼ぶに相応しい者達。
そんな者達ではあったが、その評判とは裏腹に不満そうな者もいる。
「本当に、何で俺達が血の刃なんて相手にしないといけないんだ? ニナさんも、慎重すぎるんだよ」
まだ若い……それこそ外見年齢という点ではレイとそう変わらない男が、不満そうに喋る。
そんな男に、近くにいた二十代のスラム街には似つかわしくないような高価な服装を身に纏った男は、言い聞かせるように口を開く。
「ロンド、ニナさんの判断が今まで間違っていたことはないだろう? そのニナさんの判断だ。それを君は信じられないのか?」
「ズワイスさん!? あ、いえ。そんなことは……」
ズワイスと呼ばれた男に声を掛けられたロンドは、慌てて首を横に振る。
同じ風雪の所属なのは間違いないが、ロンドとズワイスでは在籍期間が大きく違う。
ズワイスはもう五年近く風雪に所属している、組織内でも最高峰の技量の持ち主ではあるが、ロンドは風雪に所属してからまだ半年程度でしかない。
それだけではなく、ズワイスはロンドに色々と世話を焼いてくれた人物でもある。
「ニナさんが正面から深紅と戦えば、組織が壊滅すると判断したんだ。そんな圧倒的な力を持つ人物と交渉し、組織を残すという道を選んだ。私はそんなニナさんを信じるよ」
「お、俺だってニナさんを信じてない訳じゃないですよ。それでも、血の刃を敵に回すとなると……」
血の刃は、風雪よりも組織の規模も小さい。
だが、それはエグジニスにおいて最大勢力を誇る風雪と比べての話であって、普通の街でなら間違いなく最大規模と呼べるだけの勢力を持っている。
風雪にしてみれば、血の刃というのは格下ではあるが決して甘く見ていい相手ではない。
勝利するのは間違いないものの、風雪側も決して無傷で戦いが終わるとは思えない戦いだろう。
そこまでする必要があるのか? そのように思うのは当然だろう。
実際にレイを見ていれば、そのような言葉を出すような真似も出来なかったのかもしれないが、生憎と風雪の中で直接レイを見たことがある者はそう多くない。
そう多くないうちの数少ない一人であるズワイスは、ニナの判断を当然のものだと思っていた。
いや、寧ろよく壊滅しか存在しなかった未来から、このような場所まで持っていけたと、そのようにすら思っている。
「とにかく、風雪が生き残るには血の刃を滅ぼして、深紅の暗殺を依頼した相手についての情報、それと血の刃が溜め込んでいたお宝を渡すしかない。それ以外の結末は、全てが破滅だけだ」
そのズワイスに言い切られると、ロンドもそれ以上は反論出来ない。
他の暗殺者達もそんな二人の話を聞きながら、色々と思うところはあったらしいが、近くにいる相手と短く言葉を交わすだけだ。
そうして風雪の一行はスラム街を進み……やがて、一軒の建物が見えてくる。
風雪と同じく、地上にあるのはスラム街らしい建物。
だが、その本質は地下にある。
中にはきちんと地上に立派な家を建てて拠点として使っている暗殺者ギルドもあるが、そのような形だとどうしても目立ってしまう。
特にエグジニスは人が多い分、スラム街の住人も多い。
ギルム程ではないにしろ、スラム街に落ちてくる者も毎日のようにいるのだ。
豪華な建物としてそこにあれば、スラム街に来たばかりの者ならそこが暗殺者ギルドの拠点だということを知らず、盗みに入ろうと考える者もいるかもしれない。
そういう相手への対応が面倒だということで、建物は粗末な作りに見えるようになっていることが多い。
勿論、中にはそうして盗みに入った相手を殺しの練習相手に使うなり、小間使いとして使うなりといったようなこともあるので、それを狙って敢えて豪華な屋敷にしている暗殺者ギルドもあるのだが。
いや、暗殺者ギルドだけではなく、それ以外の裏の組織でもそのようにしているところはある。
その辺りは組織の性格によって違うのだろう。
そして血の刃という組織は風雪と同じようにあまり余計な面倒を起こしたくないような、そんなタイプだったのだろう。
「止まれ」
風雪の暗殺者を率いている人物が、血の刃の拠点が見えてきたところでそう告げる。
その言葉に、暗殺者達は動きを止めた。
とはいえ、その行動は個人によって違っており、もし今の動きを見ていた者がいれば、本当に一流の暗殺者か? と疑問に思うだろう。
だが、基本的に暗殺者というのは個人で動く。
こうして集団で動くというのが、そもそも非常に珍しいことだった。
そう考えれば、全員の行動が一致していないのは仕方がないのだろう。
とはいえ、全員の行動が一致してないからといって、暗殺者の技量が低いという訳ではない。
風雪に所属するだけあって、皆が相応の技量を持っていた。
「よし、デジメラ偵察をしてこい。今夜の状況で自分達が襲撃を受けるとは思っていないだろうが、深紅のレイがスラム街に入ってきた以上、ある程度の警戒はしていてもおかしくはない」
「あーい。ちょっと待ってて」
そう言い、デジメラと呼ばれた女はその場から消える。
暗殺者……というより、もしレイが見たら忍者? といった感想を抱いてもおかしくはないような、そんな行動。
「デジメラが戻ってくるまで、それぞれ戦闘準備をしておけ。今回は集団で行動するのを忘れるな。仲間を巻き込むような攻撃は禁止だ。それと戦いが終わった後は血の刃の拠点を調べる必要もあるから、建物に被害を与えるような攻撃も出来るだけするな。この襲撃が失敗すれば、最悪風雪が深紅のレイによって壊滅する可能性もある」
その言葉に、暗殺者の何人か……レイについては噂でしか知らず、その噂も自然と派手になっているといったように思っていた者達は、驚きの表情を浮かべる。
自分達を率いる人物……風雪の暗殺者の中でも最強と呼ばれている人物が、こうもあっさりレイには勝てないと認めたのが信じられなかったのだろう。
「ギガラーナ、何故そのような……」
暗殺者の一人が、男……ギガラーナを責めるように言う。
風雪の中で最強ということは、実質的にエグジニスに存在する暗殺者の中で最強と言ってもいい。
ましてや、ギガラーナは言動こそぶっきらぼうだが、下の者の面倒見もいい。
風雪に所属する暗殺者の多くが、以前世話になったことがあった。
決して好意を持っている者だけではないが、それでもギガラーナとは敵対したくない、本気で殺し合いをしたくはないと、そのように思っているのは間違いない。
だが、自分を責めるような視線に向けて、ギガラーナは特に気にした様子もなく口を開く。
「事実だ。俺は以前街中でレイを見たことがある」
暗殺者とはいえ、常にスラム街にある拠点にいる訳ではない。
仕事の時は拠点を使うし、拠点で暮らしている者もいるが、普通に街中で暮らしている者もいる。
そしてギガラーナもまた、街中に自分の家を持っていた。
勿論、暗殺者であるというのが知られないように、豪華な家という訳ではなく、そこそこの家だが。
そうして街中を歩いている時、セトを連れたレイを遠くから見た。
そして見た瞬間、自分よりも圧倒的な強さを持つと、そう理解してしまったのだ。
本能的に勝てない相手と、そう思ってしまった。
だからこそ、ギガラーナはニナがレイと交渉をすると主張した時、それに反対はせず、それどころか全面的に賛成した。
そんなギガラーナの姿に他の者も不満を露わにするが……
「戻りました。警戒はしていますが、それなりといった程度ですね。……どうしました?」
誰かが何かを言うよりも前に、デジメラが姿を現し、そう告げる。
血の刃の拠点についての報告をしたのだが、すぐに何かがおかしいことに気が付く。
一体何が? と周囲に視線を向けるが、それに答える者はいない。
ギガラーナの言葉を信じられない、信じたくないと思っている者や、同時にギガラーナ程の人物がそう言うのなら……と納得する者もいる。
そんな周囲の様子を気にした様子もなく、ギガラーナは口を開く。
「何でもない。今夜の戦いは風雪の生き残りを懸けた戦いであると、改めてそう知らせただけだ。……それより、血の刃の警戒が落ちているのなら、こちらとしては悪い話ではない。準備を整えろ。行くぞ、ズワイス。大丈夫だな?」
「ええ、問題ありません。……この戦いが具体的にどのような意味を持つのかというのには、色々と思うところはあります。ですが、今の状況を思えばそのような真似をする必要もあると納得します」
ズワイスのその言葉は、周囲にいる者達に聞かせる為の言葉だったのだろう。
しかし、その効果としては十分なものだった。
ズワイスの影響力は、それなりに強い。
ギガラーナ程ではないにしろ、それでも相応に皆から慕われている。
そうして、二人がその気になったのなら……ということで、他の者も完全に納得した訳ではないだろうが、それでも現在の状況をどうにかするには、やはり血の刃を滅ぼすしかないと判断する。
「よし、ではまず見張りだな。恐らく見張りを倒してもすぐにこちらの襲撃は知られるだろう。だが、向こうにしてみれば予想外だけに、反応は多少なりとも鈍くなる筈だ」
反応は鈍くなるというのは、それこそ普通の者にしてみれば大差ない程度だろう。
だが、それはあくまでも普通にしてはの話であって、それ以外の者……特に今回の襲撃に参加しているような者達にしてみれば、その差はそれなりに自分達に有利になる筈だった。
「それと繰り返すようだが、敵を逃がすな。そして血の刃の持っている書類の類は可能な限り集めろ。……これは言うまでもないことだが、血の刃が溜め込んでいるお宝をくすねるような真似はするなよ。それによって、最悪の場合は風雪が潰される可能性もある」
ギガラーナのその言葉に、多くの者は真剣な表情を浮かべる。
完全にギガラーナの言葉を信じた訳ではないのだろうが、それでも今の状況を思えば真面目に戦わないといった選択肢は存在しない。
少しでも多く、そして素早く血の刃の暗殺者を殺す必要があるのは間違いなかった。
「ロンド、見張りはお前がやれ」
ギガラーナの指示に、ロンドは完全に納得した訳ではなかったものの、素直に頷く。
仕事を任されたというのは嬉しい。
だが同時に、エグジニス最大の暗殺者ギルド風雪が、異名持ちとはいえたった一人の冒険者を相手に、ここまでしなければならないというのは、不満がある。
レイと同年代だけに、他の者よりも素直に納得するような真似は出来なかったのだろう。
それでも仕事は仕事だ。
ロンドは命じられると可能な限り気配を殺し、血の刃の拠点……正確には、そこを守る為に周囲に派遣されている者達のいる場所に近付いていく。
本来ならもっと厳格に見張りをしていなければならないにも関わらず、見張りはそこまで緊張した様子はない。
レイがスラム街にやって来たということで、最初は緊張したのかもしれないが……レイが風雪の拠点に突っ込み、そしてスラム街から出ていった。
そのような事情から、自分達が襲撃されることはないと思っていたのだろう。
あるいは、単純にレイが血の刃の標的になっているといったことを知らないといった可能性もある。
とにかく、今はこうして気を抜いている。
ただし、気を抜いているとはいえ、それはあくまでも普段の見張り達に比べればの話だ。
もし普通の……スラム街で暮らしているような一般人が近付いてくれば、見張りも即座にそれを把握するだろう。
しかし、それはあくまでも一般人ならの話だ。
ただでさえ自分達よりも格上である風雪の暗殺者のロンドの存在に気を抜いた状況で気が付けという方が無理だった。
結果として、見張りの二人は自分達が何故死んだのかといったようなことに気が付くこともないままに頭部を短剣で貫かれて死んでしまう。
普通なら一人が死んでももう一人がそれに気が付く筈なのだが、それを気が付かせないような速度で二人を殺すことが出来たのは、ロンドがそれだけ腕利きだったのだろう。
まだ若いにも関わらず風雪に所属しているのは伊達ではなかった。
「よし、こちらの方面の見張りは殺した。デーズ、ダラット、ガジラナ、お前達はそれぞれ他の方面の見張りを処理しろ。それ以外は血の刃の拠点に乗り込むぞ」
そう指示をし、ギガラーナは暗殺者達を率い、血の刃の拠点に向かって走り出す。
こうして、エグジニスの中でも最大規模の風雪とそれには劣るが大きな力を持つ血の刃という二つの暗殺者ギルド同士の戦いが始まるのだった。