2712話
レイは、目の前の女が口にした言葉を考える。
今、レイの前にいる女が口にしたのは、風雪というエグジニスにおける最大規模のギルドがレイの手足となって動くと、そのように言ってるように思えた。
実際にそれが真実なのかどうかは、レイには信じられない。
少なくても、本当に心の底から自分に協力するとは思えない。
だが、それでもレイにとって風雪という暗殺者ギルドを潰すのを考え直すというのに、十分な説得力があった。
「本気で言ってるのか?」
「はい。ただし、当然ですがこの先ずっとレイ様に従うといったような真似は出来ません。あくまでも今回の一件に限っての話となります」
そこは譲れないと、そう断言する女。
レイはそれに対して怒るでもなく、寧ろそうやって自分に従うというのを限定した時点で女の言葉に説得力を感じた。
もしここで全面的にこの先もレイに従うといったようなことを言っていれば、レイは女の言葉を信じなかっただろう。
「血の刃。それが俺を狙っている暗殺者ギルドなのか?」
「はい。私達風雪には劣りますが、エグジニスの中では上位に位置する実力を持っている暗殺者ギルドです。こちらで集めた情報によれば、それで間違いないかと」
「その血の刃をお前達が潰して、そして誰が俺の暗殺を頼んだのかを、調べてもくれると?」
「そうなります」
「暗殺者ギルドとして、そういう真似をしてもいいのか?」
「いいかどうかと言われれば、決してよくはないでしょう。ですが、レイ様のような歴戦の猛者を相手にするよりは、そちらの方がいいかと」
今回、レイに従って血の刃を滅ぼすような真似をすれば、それは当然ながら風雪にとって汚点と呼ぶべきものになる。
それは間違いないのだが、その汚点を選ばない場合は風雪は滅ぶのだ。
つまり、このままレイと敵対して滅ぼされるか、あるいはレイに従って汚名を残しつつも存続するかといった選択肢しかない。
実際にはレイと戦わず、レイにも従わないで逃げ出すといった選択肢も存在するのだが、そうした場合にレイが諦めてくれるとは限らないし、下手をすれば普通に消滅するよりも酷い結果になる可能性は十分にあった。
そうなると、ベストではないがベターな選択肢が、女の提案したレイに従って血の刃を滅ぼし、誰がレイの暗殺を依頼したのかの情報を集めるといったものなのだ。
「どうでしょう? それで妥協して貰えないでしょうか?」
「そうだな……」
女の言葉にレイは考える。
血の刃という暗殺者ギルドが自分を狙っているのが分かったというのは大きい。
これまで盗賊の消失やゴライアスの一件では、情報を集めるのが難しかった。
盗賊狩りをして情報を集めても、その盗賊はエグジニスの周辺で稼げるという話を聞いてやって来ただけで、レイが調べてる件の裏については分からない者が多数。
エグジニスで稼げるという情報を聞いたという盗賊もいたが、その盗賊が聞いたのは繋がりのある盗賊がそのように言っていたというだけで、盗賊の消失を行っている者については何も知らなかった。
そういう意味では、裏社会で大きな力を持っている風雪を一時的にでも使えるというのは大きい。
集められる情報は間違いなく自分やその仲間達だけで調べていたのとは大きく異なってくるだろうし、同時に自分を狙っているという血の刃という暗殺者ギルドに攻撃も出来る。
(とはいえ、血の刃に関しては、別に風雪に任せなくても、拠点を教えて貰えば俺が直接行って叩くといったことも出来るんだよな。ああ、でも俺が直接行けば、血の刃の方でも依頼主に繋がる情報は可能な限り処分するだろうから、やっぱりその辺は慣れている風雪に任せた方がいいのか?)
リスクとリターン、そして暗殺者を一時的にせよ自分が従えるといった状況に、レイはどうするのが最善なのかを考える。
交渉役の女は、そんなレイの邪魔にならないように沈黙したままだ。
もしここで下手に声を掛けて、その結果としてレイが風雪を潰した方がいいと、そのように思われてしまったら、どうしようもない。
こうしている一秒もしくは一瞬に、これからの自分達がどうなるのかといった未来が懸かっているのだ。
女にとっては、否応なく緊張感が増していく。
表情には出していないものの、レイと会った時からその背中には冷たい汗が大量に滲み続けている。
そんな緊張感の中……
「分かった。その提案に乗ろう」
「ありがとうございます。私達風雪は、決してレイ様の期待に背くようなことはありません」
自分が極限まで緊張していたことを悟らせるようなことがないまま、女はさも当然といった様子で笑みを浮かべ、レイに感謝の言葉を口にする。
「それで、具体的にはこれからどうするんだ?」
「はい。今夜にでも風雪が血の刃を襲撃します。その際に依頼人についての情報も可能な限り奪ってきます。血の刃が溜め込んでいる財宝については、後日レイ様にお渡ししますので。勿論、私達がそれを盗むといったことはしませんので、ご安心を」
女にしてみれば、精神を削り……いや、それどころか寿命までをも削るような思いでレイと交渉を纏めたのだ。
そうして纏めた交渉が、一部の下らない欲望から無に帰すような真似は絶対に避けるべき事だった。
「随分と素早いんだな」
女の言葉は、レイを驚かせるには十分なものだ。
話の流れから、今日はもうこれで解散という形になり、明日以降から襲撃の準備や下調べをし、数日後くらいに襲撃……といった形になるのだとばかり思っていた。
それだけに、まさか今日これから襲撃をするというのは完全に予想外。
「はい。血の刃も私達の拠点にレイ様が攻め込んだという情報は入手しているでしょう。それだけに、まさかこのタイミングで私達が攻めてくると思ってはいない筈です」
「相手の意表を突くのか。……それは分かったし有効だと思う。ただ、今更の話だが、風雪が俺に従うというのは、全員が納得してるのか? 場合によっては俺に従うのが嫌で、血の刃に情報を流したりするんじゃないか?」
レイも、目の前にいるのが風雪の幹部だというのは理解している。
ただし、身のこなしを見る限り強さという点ではそこそこ程度で、突出したものがある訳ではない。
つまり、今回のような交渉……もしくは色仕掛けで相手から情報を引き出したりするような、言ってみれば風雪の中でも現場に出るようなものではないのだろう。
それだけに、こうして女の提案に乗った形ではあるが、場合によってはここで話は決まっても実際に組織にこの話を持ち帰った場合、それは意味ないと、認められないと、そのように言われる可能性もあるのでは?
そうレイが疑問に思うのは当然の話だった。
しかし、女はレイの言葉を聞いても問題ないと笑みを浮かべる。
「大丈夫です。今回の一件に関しては私に全権が与えられていますので」
自信に満ちた笑みでそう告げる女の様子に、嘘はないと判断したレイは納得して頷く。
「分かった。なら、お前の言葉を信じよう。それで、情報やら何やらはいつ持ってくる?」
「戦いがいつ終わるのか分かりませんので、正確には言えません。ただ、遅くても数日以内には星の川亭に連絡をさせて貰います。なので、星の川亭の職員にソレイユと名乗る人物が会いに行くと、伝えておいて貰えると助かります」
「ソレイユだな。それはお前の名前か?」
「いえ、連絡役の偽名ですよ。私はニナと申します」
そう言い、今更ではあるが自己紹介をしたニナに頷くと、レイは最後に一言呟く。
「裏切るなよ?」
短い一言。
だが、その一言に込められた力は圧倒的な迫力を持っていた。
ニナに出来るのは、そんなレイの言葉に対して頷くというだけ。
風雪という暗殺者ギルドの幹部として、今までニナは多くの相手と会ってきた。
その中には、レイ程ではないにしろ圧倒的な強さを持ち、風雪という組織と戦えば大きな被害を与えることが出来るだけの力を持つ者もいる。
しかし、そんな相手ともニナはしっかりと交渉し、時には敵対する相手である筈の相手を味方に引き込むといったような真似すらもしたことがあったのだが……そんな中でも、現在こうしている状況は、ニナにとってその時とは比べものにならない危険度だった。
そんなニナの様子を見てレイも取りあえず納得したのだろう。
やがてその場から立ち去り……自分の前からレイの姿が消えたのを確認したニナは、今まで平然を装おっていたのが何かの間違いだったのではないかと思うくらい、激しく息を吐く。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ……」
レイと話している時は表情はいつも通りだったのだが、今のニナの顔は汗が大量に浮かんでいる。
本来ならレイと話している時にすぐそうなってもおかしくはなかったのだが、それを意思の力で封じていたのだ。
それが、レイがいなくなったことによってそのような真似をしなくてもよくなり、本当に心の底から安堵する。
(化け物……化け物ね、あれは)
荒くなった息を整えつつ、ニナはそんな風に思う。
正真正銘の化け物。
そうとしか、ニナには思えなかった。
とはいえ、その化け物との交渉を纏めることが出来たのは、間違いのない事実。
そういう意味では、今回の交渉は決して何の意味もなかったといった訳ではない。
これで風雪が生き残ることが出来たのは、間違いのない事実なのだから。
「はぁ、はぁ……ふぅ」
レイがいなくなり、数分。
ようやく息が整ってきたところで、ニナはこれからのことを考えて若干憂鬱な気分となる。
レイとの交渉を纏め、それによって風雪が生き残ることが出来たのは間違いない。
しかし、それはあくまでも風雪が血の刃を壊滅させ、誰がレイの暗殺を依頼したのかの情報を得て、更には血の刃が溜め込んでいるお宝をレイに差し出す……といったような真似をしなければならない。
風雪という、エグジニスの中でも最大勢力の暗殺者ギルドとしては、それに屈辱を覚えるなという方が無理だろう。
しかし、そうでもしなければ生き残れなかったのも事実。
今はまず、自分が……そして組織が生き延びたことを喜ぶといったことしか出来ない。
そうして息を整え、考えを纏め、心を落ち着かせ……ニナは早速行動に移るべく地下へ向かうのだった。
「グルルゥ?」
建物の中から出て来たレイに向け、セトは不思議そうに喉を鳴らす。
風雪という暗殺者ギルドを潰す為にここまでやって来て、建物の中に入っていったにも関わらず、特に戦いらしい戦いがなかったと、そう理解している為だ。
地下で戦っていたので、セトには察知出来なかった……などといったことがある筈もなく、もしレイが戦っていれば、セトはそれを察知出来た筈だった。
だというのに、レイがこうして外に出て来たのだ。
それをセトが疑問に思うなという方が無理だろう。
「風雪という暗殺者ギルドとは、手を組むことになった。正確には、この一件が解決するまでは俺の下で働くといった感じらしいが。それも、数日中には終わるらしい」
「グルルゥ……」
レイの言葉は理解出来たものの、何故そのようなことになったのかというのは、セトにも理解出来なかった。
「向こうから交渉をしてきたんだよ。その結果として、ここで消滅させるよりもこっちの為に働くのなら、そっちの方がいいと判断した。それに別にそこまで長い時間協力体制になる訳じゃないから、問題ないと思う。……寧ろ、風雪が自分達の抱えている仕事を行った上で、俺に提案してきたことを上手く出来るかどうかだろうな」
今夜のうちに血の刃を襲撃すると言っていたが、風雪がエグジニスの中でも最大の暗殺者ギルドであるのなら、当然ながら血の刃に対する一件以外にも色々と抱えている仕事はあってもおかしくはない。
勿論、それはあくまでもレイがそのように思っているだけで、もしかしたら実はそこまで仕事がない……といった可能性も否定は出来ない。
何しろ、風雪は暗殺者ギルドであり、その仕事となると、それは当然のように暗殺なのだから。
そんなギルドに四六時中仕事が舞い込んでいるといったようなことは、普通なら有り得ない。
大きな商会同士、工房同士が争っており、相手を殲滅するといったようなことにでもなれば、話は別だろうが。
幸いなことに、今のところそのようなことはない。
少なくても、レイはそのようなことが起きているというのは知らなかった。
「取りあえず、当初予想していたのとは違う形になったが、ある意味では期待していた以上の結果になったし。それを思えば、悪い話じゃないよな」
「グルゥ? グルルルゥ」
レイの言葉に若干疑問を覚えたセトだったが、それでもレイがそう言うのなら……と納得し、一人と一匹は宿に向かうのだった。