2708話
夜……レイは一人でエグジニスのスラム街に向かっていた。
当然ながら、そんなレイの隣にはセトの姿がある。
レイがいるというのを隠したい場合は、セトを連れてくるといったようなことはない。
だが、今回はあくまでも自分が……レイが来たというのを、知らしめる必要がある。
暗殺者に狙われている状態で、後手に回ったり守りを固めるというのは、悪手……という訳ではないが、レイにとっては最善手とは思えない。
こちらから行動を起こさない限り、暗殺者は次々と送られてくるのだ。
そうならないようにする為には、やはり自分から攻撃を行う必要があった。
勿論、それはあくまでもレイの実力やセトという頼れる相棒があってのことだったが。
盗賊狩りと同じで、実力が伴わない状態でそのような真似をした場合、それは勇気ではなく蛮勇となり、あっさりと敵に殺されてしまうだけだ。
今回相手にするのは暗殺者である以上、盗賊よりもその難易度は当然のように高い。
だからこそ、このような真似は誰にでも出来るものではない。
「とはいえ、まずは俺の存在を向こうに知らせて、その上で襲ってきて貰う必要があるから、派手に動く必要があるな。他の暗殺者ギルドに俺を狙わせるのを躊躇させる為にも」
スラム街の入り口が見えてきたところで、レイはセトを撫でながら呟く。
ギルムに匹敵する程の規模の自治都市。
それもゴーレム産業という、非常に珍しい産業で発展している以上、当然ながらそこには大きな利益が存在し、その利益を求めて多数の者が集まってくる。
そのようなエグジニスだけに、暗殺者ギルドが一つだけであるとは、レイには思えなかった。
現在レイを狙っている暗殺者ギルドを潰しても、また他の暗殺者ギルドがレイを狙ってくるかもしれない。
そうならないよう、自分を狙うということは組織の破滅に繋がると他の暗殺者ギルドにもきちんと教えておく必要があった。
「グルルルゥ」
スラム街を歩いていると、不意にセトが喉を鳴らす。
何だ? セトの視線を追うと、そこではいかにもチンピラといった様子の二人が、レイの進む道から逃げるように脇道に入っていくところだった。
最初はレイだけを見て、スラム街に入ってきたカモであると、そう認識して絡もうとしたのだろう。
だが、レイに近付いたことによって、レイの側にセトがいるのを見つけ……それにより、危険を察してレイに絡むようなことはなく、逃げ出したのだ。
セトを見た瞬間に素早く逃げ出す辺り、危機察知能力は高いのだろう。
とはいえ……逃げ出したからといって、そのような相手を素直に逃がすレイではない。
「セト!」
「グルゥ!」
自分の名前を呼ぶレイの一言だけで、セトは何をするべきなのかを察し、すぐに走り出す。
レイから逃げ出した二人は、そんなレイとセトの声を聞いたのか、恐る恐るといった様子で後ろを見て……そして、体長三mオーバーのセトが自分達に向かって来ていることに気が付く。
「ちょっ、何でだよ!」
「うるせえ、まずは逃げるぞ!」
まさかセトが追ってくるとは思っていなかったのだろう。
驚きの声を上げる男達だったが、セトのような巨体が追ってくるのなら、このスラム街で逃げ込める場所は多数ある。
このスラム街に住んでいる以上、この場所の地理については頭の中に入っており、逃げ切れる。
二人は半ば自分に言い聞かせるようにしながら走った。
実際にその考えは普通は間違っていないだろう。
しかし、二人を追っているのはセトで、とてもではないが普通の存在ではない。
スラム街程度の建物であれば身体で壊しながら走ることも出来るし、サイズ変更のスキルを使って一時的にだが身体を縮めるといった真似も出来る。
そして、それ以上に……そもそも、セトが追ってきているのに、男達がそのような場所に逃げ込めるというのが、そもそもの間違いだった。
「うわぁっ!」
「ちょっ!」
走っていた二人は、突然バランスを崩して地面に倒れ込んだ。
一体何故? と疑問に思って背後を見たが……そこには月明かりに照らされている影響か、見るからに恐怖心を煽るような様子のセトの姿があった。
いつの間に? という疑問と同時に何故自分達が今のような状況になっているのかといったことを、すぐに理解してしまった。
具体的にどのような手段を使われたのかは、分からない。
身体を動かしてみても、特に痛みはない。
いや、正確には地面にぶつけた尻が痛いが、グリフォンのクチバシや爪といった、見るからに物騒な攻撃で怪我をしたといった様子はなかった。
自分達は一体どうしたのか。
そう唖然としつつも、今となっては既に逃げるという頭はその中にはない。
逃げようとしてもセトが逃がしてくれるとは思わないし、今回は特に怪我らしい怪我をせずにすんだものの、次に逃げ出そうとした時にセトが行動した場合、怪我をしないですむかと言われれば、素直に頷くことが出来なかったのもある。
どちらか一人だけではなく、双方共にそう思い……そこに、やがてレイが姿を現す。
最初に遠くからレイを見た時は、小柄な人物で金目の物を奪うにも丁度いいと、そう思った。
だが、こうして間近で見てみると、とてもではないが自分達がどうにか出来るような相手ではないと、そう理解してしまう。
セトによって動きを止められたので、それが原因でそのように思えてしまうのかもしれないが。
「さて」
びくり、と。
レイの口から出た短い言葉を聞くと、知らず身体が震えてしまう。
「な、何だよ。俺達がお前に何かしたのか? してないだろ? なのに、何でこんな真似をするんだよ!」
それは、半ば虚勢からの一言だった。
客観的に見れば、チンピラの二人はレイに何かちょっかいを出した訳ではない。
出そうと思ったのは間違いなかったが、それでもセトを見て止めたのだ。
そういう意味では、レイが何もしていないチンピラ二人を脅しているようにしか見えない光景だった。
「何もしてない、ね。……まぁ、それはいいとして。少し聞きたいことがあってな」
「聞きたい……こと?」
てっきり殴られるか、もしくは金を奪われるかといったことを心配していたのだが、レイの口から出て来たのは完全に予想外の言葉。
完全に予想外だった以上、戸惑ったような声を上げてしまうのも無理はなかった。
「ああ、聞きたいことだ。もし情報を教えてくれたら、情報料も払う。……ただし、知らないのに嘘を言ったりしたら、どうなるか分かってるな?」
「グルゥ」
レイの言葉と共に、セトが爪で地面を引っ掻きながら喉を鳴らす。
それだけで、一体自分達が情報料欲しさに嘘を言った場合どうなるのかを理解した。
そんなチンピラ二人を見て、これなら大丈夫だろうと判断したレイは、肝心の質問を口にする。
「この辺りに暗殺者ギルドの拠点が一つあるって話だったんだが、その場所を知ってるか?」
「っ!?」
暗殺者ギルドと聞かされ、チンピラ達は二人揃って頬を引き攣らせる。
それは、このスラム街において決して軽々しく口に出せるようなものではないのだから。
「か、勘弁してくれ。それを言ったのが知られたら、俺達がどんな目に遭わされるか……」
「そうだ。頼む。見逃してくれないか?」
二人の怯えが本物であるというのは、レイにも見れば理解出来た。
だからこそ、その怯えが意味のないものだと教えてやる為に決定的な言葉を口にする。
「そんなに怯える必要はない。お前達が教える暗殺者の拠点……それは今夜消滅するんだからな」
『は?』
一体何を言っているのか。
全く理解出来ない様子で、二人のチンピラはレイに視線を向ける。
チンピラ達にしてみれば……いや、このスラム街で生きる者達にしてみれば、暗殺者ギルドというのは恐怖の象徴だ。
だからこそ、レイが暗殺者ギルドを消滅させるといったようなことを口にしても、それを素直に信じるといったような真似は出来なかった。
いや、信じるどころか、お前は一体何を言ってるんだ? といったように思ってしまう。
「えっと、それは何かの冗談か……ですか?」
暗殺者ギルドを消滅させるというレイの言葉に対し、恐る恐るといった様子で尋ねるチンピラの一人。
それでも慌てて丁寧な言葉遣いにする辺り、多少の余裕は残っていたのだろう。
「冗談? 俺は本気で言ってるんだが? 俺に向かって暗殺者を送ってくるような連中だ。それが仕事とはいえ、こちらに攻撃をしてきた以上、自分も攻撃されるという事は十分に理解している筈だ」
あ、こいつ本気だ。
レイの口から出た言葉を聞いていたチンピラの一人は、その何気なさから、レイが本気でそう言っているのだということを、理解してしまう。
しかし、そんなレイの言葉を理解してしまったからこそ、自分や相棒はかなり不味い状況にあるのでは? と納得してしまう。
もしここで自分が情報を話し、レイが暗殺者ギルドを潰しに向かう。
それで本当にレイの言う通りに潰せるのなら、それはいいだろう。
特に問題がないと、そう理解出来る。
だが……もしレイが暗殺者ギルドを潰せなかったら。
その時、自分達は一体どうなる?
間違いなく、情報を漏らした相手として暗殺者ギルドに狙われるだろう。
だだ、だからといってここで自分達が何も情報を口にしない場合はどうなるか。
そうなればそうなったで、レイからどのような目に遭わせられるのかが分からない。
結局のところ、現在の自分達の状況は色々な意味で不味い。
それこそ詰んでいると言われても納得してしまいかねないような、そんな状況。
「どうした? 俺の言葉は聞こえているし、理解出来ているよな?」
「あ、ああ。勿論聞こえているし理解している」
今この場でレイの機嫌を損ねるといったような真似だけは、絶対にしてはいけない。
そう判断し、取りあえずレイに言葉を返すチンピラ。
そんなチンピラの言葉にある程度納得したのだろう。
レイは特に機嫌を損ねた様子もなく、言葉を続ける。
「なら、話を続けるぞ。暗殺者ギルドの場所がどこなのか、具体的に教えてくれ」
「それは……」
「さっきも言ったが、お前が情報を漏らしたからといって、その後を心配する必要はない。今夜、その暗殺者ギルドは消滅するからな」
「けど……それが本当かどうかは、分からないだろ!? それに、もし暗殺者ギルドが消滅しても、全員が死ぬ訳じゃない。生き残りが俺達に報復する可能性がある!」
今までレイと話していた方ではなく、もう片方がたまりかねたといった様子で叫ぶ。
もしここで情報を吐かされた場合、命に関わるのだから当然だろう。
普通なら、情報を吐かない時点でレイに殺されるかもしれないと思ってもおかしくはないのだが、幸いにもと言うべきか、レイは敵には容赦しない性格をしているものの、それでも自分と敵対している訳でもない相手を痛めつけるような性格はしていなかった。
「これもまたさっき言ったが、情報料は出す。そして暗殺者ギルドは今日消滅する。もし何なら、このスラム街……というか、エグジニスを出て他の場所に行くという手段もあると思うが、どうだ?」
「それは……」
エグジニスを出て、他の場所に行く。
そんなレイの言葉は、チンピラ達にとって完全に予想外だったのだろう。
驚きの視線をレイに向けてくる。
当然ながら、チンピラ達もずっとこのままスラム街で生きていきたいなどとは思っていない。
しかし、それでもスラム街から出るような真似が出来なかったのは、間違いのない事実だ。
それをレイに言われ、二人の目に一瞬希望の光が宿る。
それでもすぐに片方が首を横に振った。
「ここを出るって言ったって、一体どうしろってんだよ。ちょっとやそっとの金でどうにか出来る訳ないぞ」
「そうだな、金貨を数枚……それと、こんなのでよければ大量にあるぞ?」
そう言い、レイが取り出したのは斧。
鉄のインゴットを溜め込んでいた盗賊のアジトに置かれていた、大量の斧のうちの一本。
レイにとっては、一応ということで奪ってきたものの、使い道に困る武器だ。
まだ地下に隠されていた鉄のインゴットの方が、使い道はあった。
敢えて使い道とするのなら、それこそ槍と同じように投擲用といったところだろう。
勿論武器屋に売れば相応の値段で売れる可能性もあるので、そうしてもよかったのだが。
使い捨て前提で壊れている槍しか集めていないのと違い、この斧は作りはそれなり以上にしっかりしているのだから。
ただし、斧の投擲となると槍と違って当然ながら回転しながら飛んでいく。
それはつまり、場合によっては刃ではなく柄や取っ手の部分が命中する可能性もあり、武器として使うには不適格であるのも事実だった。
そんな訳で、この際だからということで斧を十本、二十本と出していき……その数が三十本になろうかというところで、二人のチンピラはレイの提案に頷くのだった。




