2706話
ラノベ人気投票『好きラノ』2020年下期、投票してくれた方ありがとうございました。
暗殺者の件については、警備兵が迅速に動いてくれたおかげで特に騒動にはならずにすんだ。
レイに向かって突っ込んだ馬車の御者が暗殺者であると見て理解出来た者の数がそもそも少なかったというのもあるが、やはり警備兵が迅速に動いたというのがこの場合は大きいだろう。
とはいえ、だからといってレイがそのまま解放される筈もなく、警備兵から事情を聞かれた。
ただし、レイはエグジニスに戻ってきたばかりだ。
それこそ、エグジニスに入ってから十分もしないうちに暗殺者に襲われたのだから、レイは純粋な被害者として扱われることになる。
あるいはこれでレイが一般人であった場合は、警備兵の方でも色々と対処する必要が出て来るのかもしれないが、レイはランクA冒険者だ。
もし何かがあっても、それこそ自分で対処出来ると判断されたのも大きかった。
言ってみれば自己責任ということで解放された形だ。
とはいえ、レイがそんな警備兵に不満を抱くといったことはない。
レイにしてみれば、取り調べであったり今後の護衛についての相談であったりといった件について無意味に時間を取られるようなことがなかったので、寧ろ感謝しているくらいだ。
(一応、狙われる心当たりとして盗賊の消失が関係しているかもとは言ったけど……どうだろうな)
盗賊の消失がドーラン工房の新型ゴーレムと関わっているかもしれないという噂は、レイも以前聞いている。
ゴーレム産業が盛んな自治都市において、現在トップのゴーレム製造技術を持つドーラン工房は、当然のように大きな影響力を持つ。
これが普通に貴族が治めているのなら、まだ期待は出来るものの……そう考えて、やはりレイは首を横に振る。
(いや、無理か。貴族だって自分の街の利益になる……自分に入ってくる金が増えるのなら、例えドーラン工房が人をゴーレムの材料にしていても何も言わないか。ましてや、そうなっているのは盗賊だし)
寧ろ、街の周辺にいる盗賊を退治してくれるという意味でなら、感謝すらしてくれるだろう。
その退治した分の盗賊を補充しているのがドーラン工房だとしても。
「ねぇ、ちょっと、あれ……さっきの人でしょ?」
「グリフォンを連れてるし、間違いないわね」
「え? 何? どうしたの?」
「ほら、あのローブの人。さっき馬車が暴走したって話をしたでしょ? その時、暴走した馬車を止めた人よ」
「ああ、御者が死んでしまったっていう……」
レイとセトがエグジニスの街中を歩いていると、そんな会話が聞こえてくる。
あの事故――もしくは事件――を見ていたが、御者の動きを見極められるような腕利きではなかった為か、暗殺騒動があったというのは気が付いていないらしい。
レイにとっては、それはそれで詳しい事情を聞かれたり、あるいは恐怖の視線で見られたりといった面倒がなかったので、これは問題がなかったが。
「グルルルゥ?」
どうしたの? と尋ねてくるセトに、レイは何でもないと頭を撫でつつ星の川亭に向かう。
あのような騒動があった以上、屋台の類に寄ったりといったようなことは何となくする気がしなかった為だ。
屋台に寄れば寄ったで、妙な視線を向けられたり、馬車の件がどういうのだったかといったように聞かれたりと、面倒なことになりそうなのは容易に想像出来てしまう。
基本的に屋台というのは客商売である以上、客と話すのを好む者が多い。
中にはこれぞ職人といった形で、無愛想な屋台もあるが。
そんな訳で、レイは屋台に寄るようなことはせずに星の川亭に戻ったのだが……
「レイ、無事だったか!?」
「レイ、無事!?」
「レイ、無事じゃな!?」
「レイの兄貴、無事っすか!」
厩舎に向かうセトと別れ、星の川亭に入った瞬間、四人から同時に声を掛けられる。
ロジャー、リンディ、マルカ、ニッキー。
そんな、このエグジニスでも関わり合いの深い者達が、星の川亭に入った瞬間に声を掛けてきた。
一体何を心配しているのかは、考えるまでもなく明らかだ。
レイがエグジニスに入った瞬間に暗殺者に襲われた件だろう。
いや、正確には暗殺者の件は殆ど知られていない以上、馬車の事故と思ったか。
ただし、レイが以前この宿で暗殺者に襲われたということを知っている者達――ロジャーは例外として――である以上、馬車の事故と言われても暗殺者の襲撃ではないかと心配しても、おかしくはなかった。
実際、こうして暗殺者に襲われたのは間違いなく事実だったのだから。
「ああ、問題ない。ただの馬車の事故だったからな」
このような騒動があれば、当然のように宿の客や従業員達が、何があったのかといったようにレイ達へ視線を向けている。
そうである以上、まさかここで暗殺者に襲われた云々といった話をする訳にもいかなかった。
馬車の御者が暗殺者だったというのは、あまり言わないで欲しいと警備兵から言われているのだから。
それは、絶対に言ってはいけないといった命令ではなく、出来れば言わないで欲しいといった要請。
レイが低ランク冒険者であれば、強く命令を下していた可能性もあるだろうが。
ランクA冒険者にして異名持ちのレイに対して、そのようなことを言える筈もなかった。
レイ本人はそこまで自覚がないが、ランクA冒険者というのはそのくらい強い影響力を持っているのだ。
そんな訳で、自分を心配してきていた者達になら暗殺者の件を言ってもいいと思うが、それ以外の何の関係もない者達には馬車の事故としておいた方がいいだろうと、そう考えての言葉だった。
(あ、でもロジャーは暗殺者のことを知らないのか。……まぁ、ドーラン工房の件もあるし、ゴーレムの制作も頼んでいるんだから、この件は知らせておいた方がいいのかもしれないけど)
そんな風に考えつつ、レイは取りあえず移動した方がいいだろうと判断して口を開く。
「ここで騒ぐのも問題だし、場所を移さないか? 俺の部屋は……まぁ、広いからこのくらいの人数は入るだろうけど、出来ればもう少し広い部屋がいいな」
「ふむ、では妾の部屋はどうじゃ?」
マルカの言葉は、ある意味で当然だった。
ロジャーとリンディは、そもそもこの宿に部屋を取っていない。
それどころか、リンディは孤児院出身でランクもそこまで高くない冒険者である以上、本来ならとてもではないが星の川亭のような高級な宿屋には来られない。
それでもリンディが宿の中に入るのを止められなかったのは、リンディがレイの知人であるというのもあるが、偶然ロジャーが一緒だったからだろう。
そうなると、残っているのはマルカとニッキーの二人だけだが……
「お嬢様、さすがにお嬢様の部屋に他の人を入れるのは色々と不味いっす」
ニッキーがそう言う。
マルカはまだ小さいが、それでも女だ。
そして公爵家の令嬢である以上、妙な噂が立つような真似をするのは止めて欲しいというのが、ニッキーの正直なところだ。
マルカの為を思ってというのもあるが、それ以上に本来ならマルカの護衛を務めており、深い忠誠を誓っているコアンの耳にそのような話が入ったらと、そう考えてのことだろう。
「じゃが、それではどうするのじゃ? レイの部屋にこれだけの人数は厳しいじゃろうし、ニッキーの部屋はレイの部屋とそう変わらん。それで妾の部屋も駄目となると、どこにもいい場所はないぞ?」
「なら、私の部屋はどうかな?」
不意にそんな声が聞こえてくる。
レイはその声に聞き覚えがあり、どのような人物が相手なのかはすぐに理解出来た。
「ライドン、いたのか」
「当然だろう。レイ殿が戻ってきたという話であったし。……怪我がなくて何よりだよ」
ダスカー率いる中立派の貴族のライドンは、レイが暗殺者に狙われているという状況を知っている意味では、恐らくこの中で一番だろう。
何しろライドンの従者がいる場所でレイはメイドに変装して宿の中に侵入してきた暗殺者と戦いになったのだから。
そうである以上、ライドンが暗殺者の件に一番詳しいというのは当然の話だろう。
また、ライドンは男である以上、自分の部屋に他の者を連れ込んでも特に騒動にはならない。
そしてライドンの部屋はかなり広く、そういう意味でもちょうどいいのは間違いなかった。
「ああ、少し危なかったけどな」
ライドンの心配にそう答える。
実際、両手が塞がっている状態でいきなり敵が飛び込んできたのだ。
ドラゴンローブがなければ、恐らく大きな被害を受けていたのは間違いないだろう。
そんなレイの言葉に、ライドンは少しだけ驚いた様子を見せ……そして、口を開く。
「とにかく、ここにいるのは迷惑になる。先程言ったように、私の部屋で話をしないかい?」
ライドンのその言葉に否と答えるような者はおらず、そうしてレイ達は周囲で様子を窺っていた何人もから視線を向けられつつ、ライドンの部屋に向かうのだった。
「さて、自己紹介は……必要かな?」
ライドンのその言葉に、レイ以外の面々は頷く。
レイはこの場にいる全員を知っているものの、それ以外は知らない相手も多いのだから当然だろう。
レイが戻ってきた時、真っ先に声を掛けてきた四人はそれぞれに自己紹介をしていてもおかしくないと思ったのだが、レイのことが心配な為か、そのような真似をしている余裕はなかったらしい。
そうして自己紹介が始まったのだが、やはりクエント公爵家という有名な貴族の娘ということで、マルカの存在は驚かれる。
……とはいえ、ライドンはマルカの事を知っていたので、驚いたのはロジャーとリンディの二人だけだったが。
ロジャーはともかく、リンディは驚きはしたものの、具体的にどのくらいの事例なのかといったことをよく理解していないようだったが。
ロジャーはエグジニスの中でも最高峰の腕を持つ錬金術師だけに、貴族についてもそれなりに理解していてもおかしくはない。
それに対して、リンディはあくまでも冒険者……それも孤児院出身のだ。
エグジニスが自治都市ということもあり、どうしても貴族に対しての知識が欠けてしまうのは仕方がなかった。
これでランクが上がって高ランク冒険者と呼ばれるような実力者になれば、貴族と付き合うこともそれなりに多くなり、自然と貴族に対する知識も増えていくのだろうが。
正確には、最低限の知識は身につけなければ、最悪の事態になりかねないのだが。
そのような訳で、一応自己紹介は終わり……そしてレイがエグジニスに戻ってきて早々の暗殺騒動について説明する。
「うーむ……本来なら驚くべきなのじゃが、レイのこととなるとそこまで驚くようなことでもないの」
マルカがレイの話を聞いて最初に言ったのがそのような内容だった。
え? といった視線をマルカに向けるのは、ロジャーとリンディの二人。
この二人はレイと出会ってからまだ短いので、レイが腕の立つ冒険者であるというのは知っていても、それはあくまでも知識としてだ。
同じ冒険者のリンディですら、レイの実力をしっかりと把握しているとは言いにくい。
だからこそ、今の状況を思えば、何故マルカがここまで楽観的に呟いているのか、その意味が分からなかったのだろう。
「そうだな。正直なところ、俺もエグジニスに戻ってきてすぐに襲われるとは思っていなかった。多分、警備兵の中に暗殺者ギルドの類の裏の組織と繋がってる奴がいるんだと思うけど」
これ自体は、そこまでおかしな話ではない。
ダスカーによってその手の汚職が出来るだけないようにとされているギルムですら、裏の組織と繋がっている警備兵というのはそれなりにいる。
それは、どうしようもないことなのだろう。
実際にそれが全て悪いことかと言われると、そうでもないという実情もある。
もし本当に裏の組織が役に立たず、害しか及ぼさないのなら、それこそ領主によって組織そのものが消滅させられるだろう。
勿論、裏の組織も自分達が攻撃をされれば反撃するだろうし、そうなれば領主が死んで裏の組織が生き残る……といったようなことになっても、おかしくはない。
だが、それでもやはり大半の裏の組織が壊滅するだろう。
そうならないのは、純粋に裏の組織が領主にとっても利益になっているからだろう。
裏の世界を取り纏め、余計な騒動を起こさないようにする。
裏の世界ならではの情報を領主に知らせる。
他の領地からやってきた裏の組織を撃退する。
諸々のお目こぼしを貰う為に、領主に賄賂を渡す。
それ以外にも、様々な理由が存在し……それによって、裏の組織の存続を許されているのは間違いない。
だからといって、そんな組織に狙われるレイが大人しく攻撃されたままというのが、有り得ないことだったが。