2702話
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投票締め切りは1月10日の24時となっています。
URLは以下となります。
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結局錬金術師とは、自己紹介をすることもなく別れた。
あれだけ熱心に話していながら、それでも自己紹介をしなかったのか? と思わないでもなかったが、レイにしてみればそれは寧ろ助かったのは間違いない。
あの錬金術師が一体どのような素性の人物なのかは、レイには分からない。
いや、以前いた工房で何かあり、それが嫌になってギルムに来たというのは聞いていたものの、それが事実とは限らなかった。
そういう意味では、レイもドラゴンローブを師匠から貰ったという風に話を誤魔化したのだ。
(あ、でも師匠から貰ったってのは、そんなに間違いでもないか?)
レイのドラゴンローブは、ゼパイル一門のエスタ・ノールに作って貰ったものだ。
そしてゼパイルはレイを……正確には佐伯玲二が地球で事故にあって死んだ時、その素質を見抜いてこのエルジィンという世界に連れて来た。
そして魔獣術についての知識を与えている。
そういう意味では、ドラゴンローブは師匠から貰ったというのも決して大袈裟な話ではない。
(そこからゼパイルに辿り着いたら、それはそれで凄いんだろうけど)
そんな風に考えながら、レイは夕焼けによって赤く染まったギルムの街中を歩く。
周辺一帯が真っ赤に染まっているその光景は、見ている者をどこか寂しい気持ちにさせるかのような、そんな光景だ。
夕方になって、子供達もそろそろ夕食だということで帰って行く者が多いのも、余計にそんな風に思わせる原因だろう。
もっとも、大人の中にはこれから夜になり、酒場で飲んだり、娼館で一夜の恋人との逢瀬を楽しんだり……といったようなことを考え、寧ろ夕方になっているのを喜んでいる者も多いのだが。
そんな風に感じながら、レイは診療所に向かう。
錬金術師の男と話したのは、レイにとってそこまで大きな出来事ではなかった。
だが、マリーナが診療所で働くのが終わるのを待つという意味では、そんなに悪い選択ではない。
何しろ、本来ならレイは診療所の外で待っていなければいけなかったのだが、その時間がなくなったのだから。
それは顔を露わに出来ず、怪しまれる可能性が高かったレイにとって、幸運だったと言ってもいい。
(差し引き、プラスマイナスゼロ……いや、ギルムの外の錬金術師についてある程度知ることが出来たんだから、プラスと考えてもいいのか?)
とはいえ、レイはあの名も知らぬ錬金術師が具体的にどのくらいの技量の持ち主なのかというのは、分からない。
あるいは、ギルムでも一流と呼ぶに相応しい技量を持っているのかもしれないし、もしくは口や知識だけは一流であっても、腕は二流という可能性も否定は出来ない。
そういう意味では、やはり今はそこまで気にするようなことはないだろうと判断する。
(本当に一流の技術を持っているのなら、いつか会うこともあるだろうし。……トレントの森の木を魔法的に加工するあの作業場では、とてもではないが会いたくないけど)
作業場にいる錬金術師達に染められないことを祈りながら、レイは道を歩き……やがて、目的の診療所が見えてくる。
夕方ということもあり、診療所の前に並んでいる怪我人の姿はない。
もう仕事が終わった以上、今からここに並ぶという者はいないのだろう。
あるいは酔っ払って喧嘩をしたり転んだりといったようなことで、怪我をする者が出て来る可能性は高いが、そのような者が出て来るにももう少し時間がかかるだろう。
並んでいる者はいないものの、診療所で治療を終え、外に出て来る者はそれなりに多い。
そのような者達は、幸いなことにレイの存在に気が付くようなことはなかった。
ここで治療をしてるのは、その殆どが増築工事の現場で作業をしている者達で、冒険者という肩書きを持つ者も多いが、当然ながらその大半は本来ならギルムで活動出来ない者達だ。
そうである以上、レイの存在に気が付く者はいなかった。
……中には、何らかの理由でギルムで活動出来る実力を持つ冒険者でありながら、好んで増築工事の仕事を受けているといったような者もいない訳ではなかったが、幸いにも診療所から出て来たような者の中にそのような者はおらず、レイの存在に気が付く者はいなかった。
「マリーナ様って凄い美人だよな。本当にギルムの冒険者って羨ましいぜ」
「そうだな。でも、診療所で働いているんだから、もうギルドマスターじゃないんだろ? 何でギルドマスターを止めたのかは分からないが」
「は? お前、最近ギルムに来たばかりか? その辺の情報は知ろうと思えばすぐに知ることが出来る筈だぞ?」
「そうなのか? じゃあ、なんでそんな風に止めたんだ?」
「男だよ、男」
「あー……あんなにいい女なら、そりゃあ男の影もあるか。けど、マリーナ様と付き合えるなんて、一体どんな男だ? その辺の男なら明らかに見劣りしてしまうだろ?」
「深紅だ」
「え? 深紅って、あの……ランクA冒険者になったっていう?」
「そうだよ。元々マリーナ様がギルドマスターを辞めたのは、深紅と一緒のパーティに所属したかったかららしい」
「うわ……どんな勝ち組だよ。聞いた話だと、外見からじゃ強そうには見えないんだろ?」
「そうだな。だから、以前はそんな深紅に絡んでは酷い目に遭った奴が大勢いたらしい。もっとも、グリフォンを従魔にしていて、一緒に行動しているから、そんな奴に絡むのが馬鹿だとしか思えないけど」
そんな風に話しつつ、レイの隠れている場所から離れていく。
今の男達の会話には色々と言いたいことがあったが、そのようなことをすれば当然のようにお前が何故そのようなことを言う? と思われ、最終的にレイであると知られてしまいかねない。
そうなると、わざわざここまで隠れていた理由がなくなってしまう以上、レイとしてはそんな真似をする訳にはいかなかった。
(今度マリーナに頼んで、あの連中が怪我をしたら痛い治療をして貰うか。もの凄く染みる消毒薬を使うとか)
傷口に塩を塗るという行為を、諺ではなく文字通りの意味でやってもいいかもしれないと考えていると、やがて目的の人物が診療所から出て来るのが見えた。
レイがマリーナという存在を見間違うようなことはない……というのとは全く関係なく、その人物を見間違うようなことはないだろう。
何しろマリーナはパーティドレスを普段着にするという、特殊な趣味をしている。
もっとも、ダークエルフらしい褐色の肌を派手に見せているその姿は、マリーナの持つ女の艶としての効果もあってか、男だけではなく女ですらも視線を惹き付けていた。
それでいながら、そのような格好をしているマリーナを口説きに来るような者がいないのは、マリーナという存在について多くの者に知られているというのもあるし、男女云々とは関係なく生物としての格が自分よりも上だと、そう本能的に感じさせる雰囲気を持っているのも大きい。
特に夕方ということで人通りが多い中を歩いて帰っているので、マリーナは余計な騒動に巻き込まれないよう、いつもより余計に圧迫感を出していた。
そんな人物に声を掛けることが出来るのは、それこそマリーナと顔見知りといったものか、もしくはマリーナと同等以上の実力を持つ者……あるいは、その双方か。
そう、例えばレイのように。
「マリーナ」
「あら」
エグジニスにいる筈のレイが、何故かギルムにいる。
それを知っても、マリーナはそこまで驚いた様子はない。
そろそろレイがクリスタルドラゴンの素材を回収しにギルムに来ると予想していたのもあるし、マリーナの肝が据わっているというのもあるのだろう。
レイの名前を呼ばなかったのは、現在のギルムの状況でレイの名前を呼んだ場合、一体どうなるのかを理解していたからだろう。
また、マリーナに声を掛けたということで、周囲にいる者の多くの視線が向けられているのも、この場合は影響していた。
レイにとって、この状況は非常にありがたくない。
もう少し人が少なくなってから、マリーナに接触した方がよかったか?
そう思わないでもなかったが、そうなった場合はマリーナに声を掛けるまではずっと後をついていくということになる。
場合によっては、それこそマリーナを狙った怪しい人物と判断されてもおかしくはなかった。
だとすれば、やはり診療所から出てすぐの場所で声を掛けたのは悪くない選択だったと思いつつ、口を開く。
「一緒に帰ってもいいか?」
その一言だけで、レイが何を希望しているのか、理解したのだろう。
マリーナは笑みを浮かべ、頷く。
……それでもレイの腕を抱いたりしなかったのは、そのような真似をすればマリーナと話しているのがレイであると、分かる者には分かってしまうからだろう。
二人は周囲から視線を受けつつ、貴族街に向かう。
「それで、いつ戻ってきたの?」
「今日の昼すぎだな」
「ふーん。……よく貴族街を出られたわね」
「出る時はエレーナの馬車に乗せて貰った。帰る時のことを全く考えていなかったから、こうして困っていたけどな」
「あら、そう? エレーナのことだから、多分こういう状況になればレイが私を頼るくらいのことは予想していてもおかしくはないと思うけど?」
「そうなのか?」
そう返すレイだったが、マリーナの言葉に納得出来るところがあるのも事実だ。
レイはともかく、エレーナであれば当然ながらレイが戻ってくる時に馬車がなければ困るというのは、理解していてもおかしくはない。
であれば、やはり今回の一件に関しては全てを承知の上で現在のようにしたと、そう思ってもおかしくはなかった。
「どうかしらね。ただ、私はそう思っているだけよ。詳しく知りたいのなら、家に戻ってからエレーナに聞いてみたらいいんじゃない? それより、エグジニスはどうだったの? レイのことだから、色々と問題に巻き込まれてるんじゃない?」
マリーナの言葉は、図星だけにレイも反論出来なかった。
盗賊の消失やゴライアスの失踪、もしくは孤児院の一件に巻き込まれているのだから。
それを思えば、やはりレイは明らかに問題に巻き込まれていると言われても、否定は出来ない。
「そうだな。色々と巻き込まれているのは否定出来ない事実だ。個人的には、出来ればもっと穏やかな日々をすごしてもいいと思うんだけど」
「……レイが穏やかな日々? それはまた、随分と難しい話を口にするわね」
マリーナにしてみれば、レイはトラブルを引き付ける性格を持っていると言ってもいい。
それだけではなく、自分からトラブルに首を突っ込むといったような真似をすることも多い。
そのような人物だけに、レイが穏やかな日々をすごしたいと言っても、それはまず不可能だろうと、そう断言出来た。
レイにしてみれば、そこまで言わなくてもと思わないでもなかったが。
「でも、そうね。いずれはそういう日々を楽しめると、それがいいわね」
先程の言葉をフォローするかのように、マリーナがそう告げる。
そうして会話をしながら歩いていると、やがて貴族街に到着した。
自分の正体を知られないようにと願いながら進むレイ。
だが、マリーナはそんなレイを気にした様子もなく、貴族街を進む。
途中で何度か貴族街の見回りをしている者達にも遭遇したが、顔を隠しているレイを怪しんだものの、マリーナが一緒であるということもあってか、特に詮索するような者はいなかった。
これが、その辺の冒険者が一緒なら、レイを怪しんで詮索するような者もいただろう。
だが、現在レイと一緒にいるのはマリーナだ。
ギルムにおいてはある種絶対的な信頼を得ているマリーナだけに、そんなマリーナが一緒にいて、怪しんでいないのなら……と、そう考え、特に突っ込むような真似はしない。
ここで迂闊にマリーナと揉めて、それが理由で雇い主に迷惑を掛けるのは不味いと、そういった判断もあったのだろう。
それよりも、マリーナと揉めたという話が広まると面倒なことになると感じたのかもしれないが。
マリーナは長年ギルムでギルドマスターをしてきただけに、世話になった者も多い。
また、単純にマリーナの圧倒的な美貌に憧れている者も多かった。それも男女問わず。
そのようなマリーナだけに、何かあからさまな違反をしているのならまだしも、顔を隠した人物と一緒に移動しているというだけで話し掛ける者はおらず……結果として、特に誰かから話し掛けられるといったようなこともないまま、マリーナは自分の家の前に到着する。
マリーナの家の側には、明らかに家を見張っている……レイを見つけようとした者も多かったが、そのような者達も今のマリーナに話し掛けるような真似は出来ず、結果としてレイは無事マリーナの家に戻ることが出来たのだった。