2698話
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投票締め切りは1月10日の24時となっています。
URLは以下となります。
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マリーナの家の前には、既に何人かの貴族が集まっていた。
自分が雇っている冒険者から、セトがマリーナの家に降りてきたという話を聞き、少しでも早くレイと接触しようとしたのだが……当然ながら、同じことを考えている者は他にもいる。
結果として、マリーナの家の前で何人かの貴族が遭遇し、これからどうするのかといったことを考えていたのだ。
相手が同じ派閥であっても、クリスタルドラゴンの素材ともなれば、簡単には譲れない。
ましてや、違う派閥ともなれば余計にそのように思ってもおかしくはなかった。
そうして世間話をしながら、その裏では自分に譲れといったような要求や交渉、中には半ば脅しに近い言葉まで発している中……不意に、マリーナの家から馬車が出てきた。
しまった、と。
それを見ていた者達は、皆がそのような思いを抱く。
馬車にはケレベル公爵家の家紋があり、つまりそれに乗っているのはエレーナであることを意味していた。
そして恐らく馬車の中にはレイも乗っているだろうと。
だが……それが分かったからといって、ケレベル公爵家の家紋つきの馬車を停められる筈もない。
ギルムの貴族街にある屋敷に派遣されている者達は、貴族ではあるものの、次期領主といったような地位の者ではない。
現在の領主の兄弟や、もしくは次期領主の弟や親戚といったところか。
そのような者達が、ミレアーナ王国でも数少ない公爵……それも公爵家の中でも特に力を持つケレベル公爵家の馬車の通行を邪魔するというのは、自殺行為でしかない。
貴族の中にはそのような力関係すら理解出来ず、自分が貴族である以上、他人は自分の命令を聞くべきだと思っているような者もいるが、当然そのような人物は周囲と問題を起こすだけである以上、ギルムという場所に派遣されたりはしない。
少なくても、ここにいる貴族達はその辺りの情報についてはしっかりと理解している。
だからこそ、エレーナの馬車が出て来た以上、それをどうこうするといった真似は出来ず、黙って見送るしかない。
そして馬車が見えなくなると、レイと接触するのはまた後でと判断し、自分の屋敷に戻る。
マリーナの家に誰も行かなかったのは、エレーナの馬車が出て来た以上、中には誰も残っていないと、そう判断したからだろう。
もしかしたら馬車が囮で、レイがまだ家の中にいる可能性もあるが……エレーナが出ていった以上、声を掛けても中から誰かが出て来るとは思えない。
ましてや、そんな状況で無理矢理に敷地内に入ろうとすれば、それこそ精霊魔法によってどんな被害を受けるのかも分からない。
結局、貴族達は部下や雇っている冒険者を数人ここに残し、自分の屋敷に戻るのだった。
「相変わらず、この馬車の中は快適だよな」
エレーナの馬車の中で、レイは寛いでいた。
マジックテントも外見とは全く違うだけの広さを持つが、この馬車もまたそんなマジックテントと同様……いや、ケレベル公爵が娘の為に金に糸目を付けずに作ったマジックアイテムだけあって、より快適な空間となっている。
(こういう馬車で移動するのなら、セトに乗って移動するのとは、また別の快適さがあるよな)
セトに乗って移動することの利点は幾つもある。
例えば、セトが空を飛ぶことによって移動する速度が地上を移動するのとは比べものにならないということや、空から見ることが出来る景色を堪能出来ること、そしてセトのような高ランクモンスターに襲ってくる相手は少ないといったように。
それに比べると、このマジックアイテムの馬車での移動は、速度という点ではセトより大きく劣る。
もっとも、それでもこの馬車を牽く馬は特別に鍛えられた馬で、その辺の馬車よりも余程速度は出るのだが……空を飛ぶセトと一緒にするのが、そもそもの間違いだろう。
とにかく、移動速度は遅いものの、狭い馬車の中ではなく部屋の中でゆっくりと待つことが出来る。
これはこれで、優雅な旅をするのに十分な移動手段だろう。
「レイ、そろそろ貴族街から出るぞ。馬車から出る用意をした方がいいのではないか?」
エレーナの言葉に、レイは頷く。
貴族街ではレイが一人で行動していると目立つが、街中ではエレーナの馬車が移動していれば目立つ。
その辺のモンスターは容易に踏み殺すだけの迫力を持つ馬と、ケレベル公爵家の家紋を持つ馬車だ。
そんな馬車で街中を移動し、ギルドの前でレイが降りるといったようなことをした場合、目立ってしまうのは確実だった。
だからこそ、一番目立つ貴族街から出たら、レイは馬車から降りるということになっていた。
「分かった。悪いな。エレーナはこれからどうするんだ?」
「こうして堂々と表に出るようなことは珍しいのでな。適当に見て回ってから、家に帰るとしよう」
そうして短く言葉を交わし、貴族街から出て少しして、レイは馬車から降りる。
それも馬車を停めて降りるのではなく、多少速度を落としたとはいえ、走っている最中に降りたのだ。
ケレベル公爵家の家紋を持つ馬車が停まっていれば、それこそ一体何があったのかと興味を示す者が出てもおかしくはない
そして興味を示したところで、レイが出て来れば……間違いなく騒動になるだろう。
それを避ける為に、レイは動いている馬車から素早く降りたのだ。
「っと」
綺麗に着地しつつ速度を殺し、そのまま何食わぬ顔をして歩く……のだが、当然ながら馬車から降りてきたレイを誰も見ていないという訳ではない。
そもそも、現在ギルムには増築工事の件もあって大勢が集まっている。
それこそギルムのキャパシティを越えるかのような、そんな人数が。
それだけに、当然ながら道には何人かいて、ちょうど馬車から飛び出してきたレイを見た者もいる。
それでも不幸中の幸いだったのは、馬車から飛び降りる前にドラゴンローブのフードを被っていたことだろう。
おかげで、動いている馬車――それもケレベル公爵家の家紋つき――から飛び出してきたということに驚かれつつも、その人物がレイだと見抜かれるようなことはなかった。
また、レイが飛び出したというのに、馬車が停まったりする様子がなかったのも、見ていた人物が騒がなかった理由だろう。
最初からそのようなことをするつもりだったのだろう、と。
レイも馬車から飛び降りた後は特に動揺する様子もなく、それが普通だと言いたげな様子で道を歩き始めた。
結局、レイが馬車から飛び出したのを見た者は何かの見間違いか、もしくは見間違いでなくても関わり合いにならない方がいいと判断し、そのまま特に何も言うようなことはなく、レイから離れていく。
(さて、特に問題はなかったみたいだし。……じゃあ、俺も行くか)
フードを被っているので、誰にもレイだとは見破られないまま、道を進む。
大通りに出ると、当然だが何人か顔見知りも見つける。
特に多いのは、やはりレイがよく利用する屋台の店主達だろう。
そんな屋台からは、食欲を刺激する香りが漂ってくる。
思わず屋台で何らかの料理を買いたくなるものの、それを購入するような真似をすれば、屋台の店主と正面から向き合うことになり、セトを連れておらず、フードを被っている状態であってもレイをレイだと認識してしまう可能性が高い。
当然ながら、食堂に寄って何らかの料理を食べるといったような真似も出来ない。
そのことを残念に思いながらレイは大通りを進み、やがてギルドに到着する。
さすがにギルドの前まで来ると、身のこなしからレイをただ者ではないと理解した冒険者達から視線を向けられるものの、ギルムの冒険者であれば腕利きは多数いる。
妙なトラブルに巻き込まれるよりも前に、レイはギルドの建物……ではなく、倉庫に続く道に足を踏み入れた。
それ自体は特におかしな話ではないので、そこまで注目を浴びるようなことはないまま、レイは道を進む。
もっとも、鋭い者の何人かはレイの背中にじっと視線を向けていたが。
そんな視線を無視し、道を歩き続け……そして目的の場所に到着する。
ギルドが所有する最も巨大な倉庫。
そんな倉庫の前には、数人の冒険者の姿があった。
当然ながら、フードを被って顔を隠している人物が近付いて来るのには気が付いており、それぞれいつでも武器を振るえるようにしながら待っていた。
「止まれ。何者だ。ここに何の用事がある」
その言葉には強い警戒心が滲み出ている。
もしレイが妙な真似をすれば、すぐにでも攻撃をすることすら厭わないような。
……実際、この倉庫には魔の森に棲息していたランクSモンスターにして、新種のドラゴンたるクリスタルドラゴンの死体が存在している。
多くの者が素材を、情報を、少しでも入手しようとしているのを考えれば、この警戒は決して過剰なものではない。
(多分、俺がいない間に結構な騒動があったんだろうし。……エレーナやアーラにその辺について聞いてくればよかったな)
普通に考えて、ギルドから信頼されるだけの実力を持ち、性格的にも問題のない者達が守っている場所を……それもギルドのすぐ側を襲撃するというのは、自殺行為でしかない。
それでも、そのような自殺行為を行ってでも入手したい存在が、倉庫の中にあるのだ。
強い警戒心を抱き、レイの一挙手一投足も見逃さないようにしている冒険者達に対し、レイは手を上げ……その瞬間、冒険者達はいつでもレイを攻撃出来るように体勢を整えるものの、それを無視してフードを脱ぐ。
「あ……」
冒険者の一人が、そこから出た顔を見て驚きと安堵が混じった声を発する。
当然ながら、この倉庫の護衛を任される冒険者は、以前からギルムで活動していた冒険者達だ。
それだけに、レイの顔を知っている者も多い。
「レイ……か?」
「ああ。一応、これがギルドカードだ」
そう言い、冒険者にミスティリングから取り出したギルドカードを渡す。
もっとも、ミスティリングを持っているという時点で、目の前にいるのがレイであると、そう認識させるには十分だったが。
それでも念の為にギルドカードを受け取る冒険者。
そしてギルドカードを確認するとそこに表示されていたのは間違いなくレイの名前と、ランクAという表記。
ランクB以下のギルドカードとランクA以上のギルドカードは、当然ながら大きく違う。
そうである以上、目の前の人物がレイであると認識するには十分だった。
……あるいは、レイに変装しており、レイの持っているミスティリングを奪って自分にも使えるようにして、ギルドカードもレイから奪っている……といったようなことになれば、また話は別かもしれないが。
だが、さすがにそこまでいくと考えすぎでしかない。
レイという人物を知っていれば、レイがそう簡単に負けるといったようなことがないというのは、十分に理解している。
(まぁ、セトがいないのは少し疑問だが)
そんな疑問を若干覚える冒険者だったが、考えてみればセトはいつもギルドの前にいる。
この倉庫のある場所までやって来ないというのは、十分に理解出来ることだった。
「で、通ってもいいんだよな?」
「ああ、問題ない。ただ、レイが来たというのはギルドの方に知らせる必要があるが、構わないか?」
「それに関しては任せる」
ギルドの方でも、レイが来たのかどうかというのは、しっかりと把握しておく必要があることだった。
レイもそれは分かっているので、特に気にした様子はなく、そう返す。
そうして冒険者と少しやり取りをした後で、レイは倉庫の中に入る。
「誰だぁっ!」
と、倉庫の中に入るや否や、そんな怒鳴り声が聞こえてきた。
とはいえ、レイもその怒鳴り声には聞き覚えがあったので、特に気にした様子もなく、口を開く。
「親方、俺だ」
叫んだ人物……親方は、その声に心なしか安堵した様子を見せた。
親方にしてみれば、食料の類を届けたりする時間でもない、唐突な時間に倉庫の中に入ってきた人物がいたので、警戒したのだろう。
「レイか! よく来たな!」
いつもは落ち着いた様子で話す親方だったが、現在レイと話している様子は、明らかに興奮していた。
何故そこまで興奮してるのかというのは、考えるまでもなく明らかだろう。
クリスタルドラゴンという、未知のモンスターの解体を行っているのだから。
「そろそろ、それなりに素材が溜まってると思ってな。それで……こうして見る限り、二割ってところか?」
二割というのは、クリスタルドラゴンの解体の進行具合となる。
クリスタルドラゴンの解体が始まってからの日数を考えると、早いのか遅いのか、それともこれが通常通りなのか……その辺はレイにも分からなかったが、それでもレイにとっては十分に満足出来る状況なのは間違いなかった。