2687話
エグジニスの街中を見て回った日の夜……レイはマルカとニッキーの二人と星の川亭の食堂で食事をしていた。
マルカとしては、武器屋で魔剣のレイピアを触らせて貰えなかったことが不満だったらいしが、その後に何軒かの店を回ったことにより、その機嫌は既に直っている。
途中で寄った喫茶店のような軽食屋で食べた焼き菓子が美味かったのも、ご機嫌になった理由の一つだろうが。
ともあれ、マルカにとってはエグジニスを見て回ったのは十分に嬉しかったらしく、夕食の時だけでは足りず、もっと話したいと思っていたのだが……
「失礼します、レイ様」
それを邪魔する者が姿を現した。
周囲にいる貴族や商人達は、レイに声を掛けた男を馬鹿にするような目で見る。
恐らく……いや、確実にレイに素っ気なくあしらわれ、悪い印象を与えることになると、そう思ったのだろう。
実際、まだレイと今日の件について話をしたかったマルカにしてみれば、そんな話を邪魔しにきた男には不満そうな様子を見せていたのだが……
「へぇ、まだいたのか」
レイはその人物に見覚えがあった。
レイが暗殺者に狙われた時に居合わせた使用人の男。
その男がレイに向かって話し掛けていたのだ。
宿の中に暗殺者が入った件で、多くの客が宿を出て行ったと聞いていたレイだけに、暗殺者が姿を現した現場に居合わせた男の主人は、それこそ真っ先に宿を出て行ったと、そう思っていたのだが。
何しろ、自分の使用人が暗殺者の顔を見たのだ。
そして暗殺者の女は一度捕まりはしたものの、逃げ出している。
であれば、使用人の男は……そして話を聞いている可能性の高い主人も、狙われる可能性は十分にあった。
そんな中で一番手っ取り早い方策はなにか。
それは、宿から……より正確にはエグジニスからさっさと出ていくことだろう。
しかしレイに話し掛けてきた男の主人は、まだ宿に留まっている。
レイがそんな男や主人に対して意外に思うのは当然だろう。
「はい。私も主人にそのように言ったのですが、残念ながら……」
そう告げる使用人の男は、主人に対して心から忠誠を誓っているのだろう。
だからこそ、現在の星の川亭から離れた方がいいと思っていたのだろうが……しかし、レイと接触するチャンスを得た主人はそれを拒否した。
そうなると、男が出来るのは可能な限りレイと主人を早く面会させて、星の川亭から出るように願うしかない。
「まぁ、お前にあの場を任せた時に、主人に会うといった約束をしたしな。そのチャンスを見逃す訳にはいかなかったんだろ」
結局暗殺者は逃がしたものの、警備兵を呼んで捕らえるといった仕事はきちんとしたのだ。
そうであれば、レイも約束を破るといったような真似をする訳にはいかない。
「では?」
「ああ、お前の主に会う」
ざわり、と。
レイと男のやり取りがどうなるのか見ていた者達は、完全に予想外の展開にざわめく。
これまで、何人もがレイに接触しようとしたものの、多くが断られている。
なのに男の言葉はあっさりと受け入れられたのだから、驚くなという方が無理だった。
現在星の川亭に残っている者達は、様々な理由によるものが多い。
そんな理由の中には、当然ながらレイとお近づきになりたい……せめて自分の顔を覚えて貰いたいといった者もいるだろう。
勿論、それが最大の理由だという者はそう多くはないだろうが。
「悪いな、マルカ。俺はちょっと約束を果たしてくる。今日の話については、また今度」
「ぬぅ……しょうがない。今夜は我慢するのじゃ」
不承不承……本当に心の底から不承不承といった様子ではあったが、マルカはレイの言葉に対して素直に頷く。
ニッキーがそんなマルカを慰めるも、その機嫌がいつ直るのかはレイには分からない。
「じゃあ、行くか。案内してくれ」
「分かりました。では、こちらです」
こうして、レイは男に案内されるように宿の階段を上り……レイの部屋がある二階ではなく、三階に向かうのだった。
「ここです」
三階の中でも奥まった場所にある部屋の前で、男はレイにそう言うと扉をノックする。
「ライドン様、レイ様をお連れしました」
その言葉が部屋の中に届くと同時に、ドタバタとした足音が聞こえ……
「よくやった! お前なら、必ずレイ殿を連れてきてくれると思っていた!」
嬉しそうにそう叫ぶのは、十代後半、もしくは二十代前半といった様子の男。
その男はレイを連れてきた男を褒めると、すぐにレイに向かって笑みを浮かべ、口を開く。
「ようこそ、レイ殿。君が来てくれる日を、今か今かといったように期待していたよ。さぁ、中に入ってくれ」
「あ、ああ」
男が予想外にレイに対して友好的なことに驚きつつも、レイは部屋の中に入る。
レイの部屋もかなり快適な設備が整っていたが、三階にあるこの部屋はレイの部屋と比べても更に快適にすごせるようになっており、更には部屋も大分広い。
(まぁ、二階よりも三階、三階よりも四階、そして五階が最高級の部屋らしいしな)
星の川亭について思い出しながら、そう納得する。
尚、マルカ達が泊まっているのはこの三階よりも更に上の四階となる。
クエント公爵家の者として、下手な場所に泊まることは出来ないといったところだろう。
国王派の中でも有力な貴族である以上、そのように思うのは当然のことだった。
「取りあえず、喜んで貰えて何よりだ。それより、自己紹介をして貰えないか? そっちは俺のことを知ってるみたいだが、俺はお前のことを知らないんだ」
「おっと、それは失礼した。私はライドン・クズキュウス。クズキュウス伯爵家の次男だ」
「クズキュウス伯爵家?」
「うむ。レイ殿に分かりやすく言えば、中立派の貴族だな」
そう言われ、レイは納得する。
何故ここまで自分に友好的だったのか、分かったからだ。
中立派であれば、当然のようにレイはダスカーの懐刀であると知っているのだから、それが理由なのだろう、と。
……実際には、別にレイはダスカーの部下でも何でもない。
世話になっている相手だし、友好的で尊敬している人物ではあるが、あくまでもレイとダスカーの関係は冒険者と依頼主といったようなものなのだ。
(まぁ、そんな風に誤解をしてるなら、別に俺からどうこう言うようなつもりはないけど)
ダスカーが意図的に自分を懐刀と思わせるような言動をしていても、それはそれで構わない。
ダスカーには色々と世話になっているので、その程度で恩返しが出来るのなら、レイとしては不満を言うつもりはなかった。
もっとも、それはあくまでも黙認というものであって、実際にダスカーがレイに向かって懐刀として働けといったように言った場合は、当然ながらレイはそれに逆らうだろうが。
「そうか。中立派の。……なら、その辺について俺に言えばよかったのにな。そう言えばニーグル・ドレスデンという中立派の貴族に会ったけど……」
「そうだろうね。私もニーグルと会ってレイ殿の話を聞いたのだから」
同じ中立派の貴族を呼び捨てにしながら、レイに対しては殿をつけてくる。
そのことを若干疑問に思いつつも、レイは会話を続ける。
「それなら、やっぱり俺に自分は中立派だって話をすればよかったんじゃないか? なら、あそこまで面倒な真似をしたりはしなかったと思うけど」
「こちらにも色々とあるのだよ。……さて、レイ殿からは色々と冒険譚を聞きたいところだが、今はそれよりも本題に入った方がいいだろう。レイ殿はドーラン工房のゴーレムを購入しようとしている。それは間違いないな?」
「ああ」
レイの目的を察しているのは、別にそこまで驚くようなことではない。
そもそも、エグジニスに来る者の多くはゴーレムを購入するのが目的だ。
そんな中で星の川亭のような高級宿に泊まる者であれば、当然のように高性能なゴーレムを欲する者が多く、そして高性能なゴーレムとして現在エグジニスで一番有名なのはドーラン工房のゴーレムなのだから。
勿論、エグジニスや星の川亭にいるからといって、絶対にゴーレムを買わなければならないという訳でもない。
例えば、エグジニスにいる商人との打ち合わせだったりといったように。
ただし、そのようなことをするのは大抵が相応の地位……具体的には貴族や商人といった者達だ。
そうである以上、レイがエグジニスに来た目的がゴーレムの購入だと予想するのは難しい話ではない。
また、中立派ということであれば、レイがマジックアイテムを集める趣味を持っているといった情報を知っている可能性があってもおかしくはない。
「その件なのだが……こちらに入った情報によると、ドーラン工房というのは少し怪しいらしい」
「……怪しい? それは嫉妬とかそういうのじゃなくてか?」
現在のエグジニスにおいて最高峰の技術を持っているのは、ドーラン工房だ。
それは誰にも否定出来ない事実だろう。
だが、それが事実であればある程に、それを認めたくないという者が出て来るのも事実。
その代表的な人物の一人が、ロジャーだろう。
それでもロジャーは、自分の技量を磨いてドーラン工房に追いつこうと考えてはいる。……その素材集めとしてセトにちょっかいを出し、結果として財布の中身がかなり軽くなるといったようなことにもなったが。
ともあれ、それは元々ロジャーがエグジニスの中でもトップクラスの技術を持つ錬金術師の一人だからこそ、そうした真似も出来るのだ。
しかし、元々がそこまで技術がなく、それでいてドーラン工房の技術者がエグジニスの中でも最高の技術を持つ……というのを許容出来ない者もいる。
そのような者達にしてみれば、ドーラン工房の悪口を誰かに吹き込み、それによって足を引っ張るといった真似は、有効な戦術だった。
何しろ、上手くいけば自分達は特に何もしていないのに、ドーラン工房を破滅させることが出来るかもしれないのだから。
上手くいかなくても、悪い噂が流れたというのは、ドーラン工房に対する疑惑の視線となってもおかしくはない。
そう考えた者が、誰かがライドンに妙な話を吹き込んだとしてもおかしくはなかった。
「分からん」
レイの口から出た嫉妬という言葉に、ライドンは首を横に振る。
ライドンも、この情報が全て真実だとは思っていない。
思っていないが、それでももしかしたら……万が一という可能性は否定出来ないのだ。
ドーラン工房の作るゴーレムは、生産性という問題こそあるものの、純粋に性能という点では突出している。
それを思えば、ライドンが知ったドーラン工房の悪い噂というのも、あながち間違いとは言えなかった。
「分からんって、そういう情報を俺に言われても、少し困るんだけどな」
「そうかもしれないな。だが、もしドーラン工房が本当に何らかの後ろ暗いことがある場合、それはレイ殿にとっても面白くないだろう?」
「それは……まぁ、否定はしない」
実際、何かそのようなことがあった場合、ドーラン工房のゴーレムを使ってもいいのかどうかといったように迷ってしまう。
そう考え……一瞬、本当に一瞬だったが、盗賊の件やゴライアスの件が思い浮かぶ。
とはいえ、それはただの思いつきで何らかの証拠があるようなことでもない。
盗賊やゴライアスのような冒険者が行方不明になっているのが、偶然重なっているだけとも考えられるのだから。
しかし、それでもどこかその一件が心に残ったのは間違いのない事実でもあった。
そんなレイの様子に気が付いたのだろう。ライドンは、不思議そうに……そして心配そうに口を開く。
「どうした、レイ?」
「……いや、最近エグジニスで盗賊達の姿が消えているのは知っているか?」
「噂では聞いた覚えがあるが、結局それはデマだろう? 実際、盗賊の被害が減ってるという話は聞いていない」
「いや、噂じゃない。エグジニスで活動していた盗賊がそれを知って、ここから離れた。俺は偶然その盗賊と遭遇して、話を聞き出したんだ」
「盗賊喰い……」
レイが盗賊の間で呼ばれている、深紅とはまた別の異名を口にするライドン。
「まぁ、そんな感じだ。で、その盗賊が言うには、エグジニスの周辺で活動していた盗賊が次々と消えていったらしい。冒険者に倒されたとかそういうことじゃなくてな。それで危険を察知してエグジニスから離れたらしい。他の場所でも盗賊として働いていたから、俺と遭遇した訳だけど」
「だが……それでは、何故盗賊の被害が減らない?」
「減った分を誰かが補充している。正確には噂か何かを流して盗賊達をこの場に呼び寄せているというのが俺の予想だな。もっとも証拠はない。仮定に仮定を重ねたものだが」
そんなレイの言葉に、ライドンは微かに眉を顰めるのだった。