2686話
突然店の中から吹き飛んできた男だったが、レイは特に驚いた様子ではない。
マルカが扉の前にいたので危なかったが、ニッキーがマルカを引っ張っていたので、問題がなかったからというのも大きいだろう。
(武器屋の中から吹き飛んでくる男か。……見たところ、冒険者だな。ここが酒場なら、こういうことになってもおかしくはないけど)
そんな風に思っていると、吹き飛ばされた男は地面で激しく咳き込む。
幸いなことに、特に怪我らしい怪我をしてはいないらしいと理解しつつ、レイはニッキーに声を掛ける。
「で、どうする? このまま店の中に入るのか? あの男がどうしてこんな目に遭ったのかは分からないが、余計な騒動に巻き込まれるのは嫌だぞ」
ただでさえ、レイはエグジニスにおいて騒動に巻き込まれている。
……いや、ゴライアスの件や盗賊が消えた件に関しては、自分から首を突っ込んでいるのだから、巻き込まれているという表現は正しくないかもしれないが。
だが、理由が不明のまま暗殺者が送られてきたのは事実だ。
そういう意味では、これ以上余計な騒動に巻き込まれるのは嫌だと、そのように思ってもおかしくはなかった。
「いや、それはその……ど、どうなんすか?」
レイの言葉に、ニッキーは店の扉に向かって……正確には、扉の向こう側にいた男に向かって尋ねる。
レイもマルカも、気配については気が付いていたのでニッキーの言葉を聞いても特に驚いたりはしない。
少し離れた場所にいるセトだけは、少しだけ興味深そうに見ていたが。
「そいつがふざけた真似をしたから、ぶん殴っただけだ。そういう訳じゃないなら、客だ。好きにしろ」
そう言ったのは、筋骨隆々の大男……といったわけではなく、身長も百八十cm程度の男で、身体付きも特に筋肉がついているようには思えない。
とてもではないが、男を殴り飛ばせるような力があるとは思えない。
……とはいえ、世の中には細身でも怪力という者はそれなりにいる。
実際、レイも小柄な身体ではあるが、男を殴り飛ばすといったような真似は容易に出来た。
もっとも、レイの場合はゼパイル一門の技術によって生み出された身体なのだから、それくらいの筋力があってもおかしくはないのだが。
「そういうことらしいっすよ? ほら、店に入りましょう。どういう武器があるのか、楽しみっすね」
半ば無理をしているかのように……いや、実際にはマルカのお仕置きを怖がっての態度ではあるが、そんなニッキーを追うようにレイとマルカの二人も武器屋に入る。
武器屋としては優良な店というニッキーの言葉は決して間違っておらず、店の中には多数の武器が置かれている。
「これは、また……業物が多いな」
レイも、鑑定眼というのはそこまで高い訳ではない。
特に美術品の類についてとなれば、素人でしかないが……それが武器となれば、多くの戦いを潜り抜けてきただけに、何となくその品の善し悪しが分かる程度の鑑定眼は持っている。
勉強や訓練をして意図的に身に着けたというよりは、自然と身についたといった感じだが。
業物が多いのと同様に、それ以外の物……普通の武器も相応に置かれている。
「見る目があるな。グリフォンを連れてたってことは、あんたが深紅のレイか?」
レイの呟きを聞いた店主は、満足そうに言う。
だが、次の瞬間には苛立たしげな様子を見せて口を開く。
「それに比べて、さっきの野郎ときたら……業物を使いこなす腕もない癖に、いい武器を売れだと? ふんっ、あんな奴に業物を売っても、武器を使うんじゃなくて武器に使われる……最悪、自分や仲間を傷付けるだけだってのに」
どうやら、それが先程男が店内から吹き飛んできた理由らしいと知ると、レイは納得しつつ店主のポリシーとでも呼ぶべきものを理解する。
(とはいえ、それは商売人としてどうなんだろうな)
ポリシーは理解出来るが、それだと売れる相手もそう多くないのでは? と思う。
だとすれば、店の利益はどうなのかとも考えたのだが、ニッキーがこの武器屋について話を聞いてきた以上、それなりに流行っているのは間違いないのだろう。
実際、店主の話を聞く限りでは、きちんとした技量を持つ者がやってくれば、その商品を売るのだから、そういう意味では自分の実力をしっかり理解している者にしてみれば、十分にありがたい武器屋なのだろう。
「ああ、俺がレイだ。武器をちょっと見せて貰ってもいいか?」
「あんたくらいの実力者なら問題ない。……寧ろ、俺の店で売ってる武器だと物足りないんじゃないか?」
「そうだな。だから、今日は基本的に見学だよ。それと、廃棄する槍とかがあったら売って欲しいとは思う」
「廃棄する槍を? ……一体、何でまた?」
レイが何故そのような物を欲しがっているのか、本気で分からなかったのだろう。
店主は疑問の表情を浮かべながら尋ねる。
「俺の攻撃手段の一つに、槍の投擲ってのがある。黄昏の槍……俺が普段使っている槍は手元に戻ってくるという能力があるから基本的には問題ないんだが、それでも時には壊れてもいいような使い捨ての槍で投擲をするってことがあるんだよ」
「そうか」
レイの説明に複雑そうな表情を浮かべる店主。
店主にしてみれば、武器を使い捨て前提とするのは、あまり面白い話ではない。
だが、武器を壊れるまで使うというのは、その武器を作った者……そして武器にとっても、幸せなことなのではないかと、そのように思ったのだろう。
実際にそれが正しいのかどうかは、店主にも分からない。
だからこそ、レイに言葉には短い一言だけを返してその場を後にする。
(怒らせたか?)
店主の様子から何となくそんな風に思ったものの、取りあえず先程の男のように店の外まで吹き飛ばされなかったのだから問題はないだろうと判断して、店の中に飾られている武器を見ていく。
「これは、なかなかじゃな。細工も見事じゃし、切っ先もミスリルで出来ておる」
武器を見て回っていると、ふとそんな声が聞こえてきた。
最初は武器屋なんてと言っていたマルカだったが、店に飾られているレイピアに目を奪われている。
とはいえ、それは武器を鑑賞しているのであって、自分で使う為に欲している訳でもない。
(マルカも魔法以外の攻撃手段として、レイピアくらいなら持っていてもいいと思うんだけどな)
そんな風に考えていると、先程店の奥に向かった店主が再び姿を現す。
その手には、五本の槍があった。
どの槍も穂先が欠けたり、柄が微かに曲がっていたりと、武器としては使い物にならない……訳ではないが、それでも好んで使いたいとは思わないような武器だ。
「これでいいなら売ってやろう」
「いいのか?」
それは、先程の店主の態度から自分の言葉に決して友好的ではなかったと、そう理解してるからこその言葉。
そんなレイに言葉に、店主は小さく頷く。
完全に納得している訳ではないだろうが、それでもレイの言葉にも一理あると判断したのだろう。
「値段は?」
「銅貨三枚でいい」
「安いな」
店主の提示した金額は、レイを驚かせるには十分なものだった。
普通に考えれば、このような槍でも打ち直すなり、あるいは無事な穂先と柄を付け替えるなどすれば、それなりの武器にはなる。
勿論そのような真似をした場合、槍の性能は本来の物よりも劣るのだが……それでも銀貨や金貨で売るといった真似は出来る筈だった。
それを考えれば、銅貨三枚というのは明らかに安い。
「構わん。この槍もレイが使うのなら満足するだろう」
そう言ってくる店主は、レイが深紅という異名持ちの冒険者だからこそ槍を安値で譲るといったようなことではなく、こうしてレイと直接会い、それで自分が信頼に値する人物だと思ったからこそ、槍を安値……それこそ捨て値と言ってもいい値段で売ることにしたのだろう。
レイはそんな店主の心遣いに感謝し、槍の代金として銅貨三枚を支払う。
そんなレイと店主の様子に、ニッキーは呆れに近い表情を浮かべていた。
ニッキーにしてみれば、あのような槍ではなく、どうせならもっとしっかりとした槍を購入すればいいのにと思ったのだろう。
魔槍とまではいかないが、普通の槍もきちんと売られているのだ。
使い捨てで投擲をするとしても、穂先が欠けているような槍よりも普通の槍の方が明らかに使いやすいだろう。
穂先が欠けているような槍の場合、当然ながら投擲すれば空気抵抗によって軌道が変化する可能性がある。
それに比べて普通の槍の場合は、何の問題もなく狙い通りの場所に命中する筈だった。
普通に考えた場合、どちらの方がいいのかは考えるまでもなく明らかだろう。
……もっとも、使い捨てにすると言ったうえで普通の槍を購入しようとしても、店主がそれを受け入れるかどうかは微妙なところだったが。
「俺は取りあえずこの槍を手に入れたことで満足したけど、マルカとニッキーはどうする? ……まぁ、購入しなくても、ただ見ているだけで面白いから、もう暫く見ててもいいけど」
「一応、店なんだがな」
レイの言葉を聞き、店主はそう呟く。
しかし、言葉では間違いなく不満を漏らしてはいるものの、その顔に浮かんでいるのは間違いなく笑みだ。
自分の店の商品を褒めて貰えるというのは、店主にとってもやはり嬉しいのだろう。
レイはそんな店主の様子を理解したからこそ、そのように言った……訳ではなく、半ば偶然でしかなかったのだが。
「いいだろ、こういう武器は見ているだけで楽しいし」
「ふんっ、好きにしろ」
店主の許しを得て、レイは改めて店の中の飾られている武器を見回す。
長剣や短剣、槍といった多く使われている武器が多く、扱うのが難しいハルバードのような武器の数は少ない。
中にはハンマーの類も存在しているが、見るからに重そうな武器である以上、使いこなせる者はそう多くはないだろう。
他にも薙刀と似ている武器であったり、極端に反りの強い曲刀であったりといった武器もあるが……
「あの曲刀とか、かなり使いにくいんじゃないか?」
「む。あれは砂漠の民が使うと言われている武器だ」
砂漠の民が使う武器と言われてレイが思い浮かべるのは、シャムシールといった武器だ。
だが、レイの視線の先にある曲刀は、そんなシャムシールよりも大きく曲がっている。
シャムシールと似たような武器であるのは間違いないが、あの武器を使って戦えるかと言われれば……戦えないことはないだろうが、それでも戦いにくいのは間違いないだろうというものだ。
「なら、あっちのレイピアとかは……というか、場違い感があるな」
レイが視線を向けたのは、少し離れた場所にまるで隔離されるかのように置かれているレイピアだ。
マルカが見ていたようなレイピアとは、また別のレイピアなのだが、武器というよりは芸術品といった表現が相応しいくらい、精緻な飾りが施されている。
もし戦闘で使おうものなら、その飾りがすぐに破壊されてもおかしくはないような、そんなレイピア。
芸術品や美術品としての価値が高いのは分かるのだが、だからといってそのような武器がこの武器屋にあるというのは、どこか違和感がある。
「ああ、あれか。あれはいわゆる魔剣だ。それも、呪われた……というのは少し大袈裟だが、かなり危険度の高い能力を持った魔剣だ」
「へぇ」
魔剣や魔槍がこの武器屋に置かれているのは、ニッキーの話から予想出来ていたし、見渡した限りでも幾つかそれらしい物はある。
だが、あのレイピアだけは何故か特別扱いするかのように、離れた場所に置かれていた。
「どういう能力をもっているのじゃ?」
レイと店主の話を聞いていたマルカが、興味深そうにそう尋ねる。
先程レイピアを見ていたマルカにしてみれば、レイピアの魔剣というのは興味を惹くのに十分だったのだろう。
店主はそんなマルカに対し、首を横に振る。
「止めておけ。あの魔剣はレイに説明した通り、かなり危険な能力を持っている。お嬢ちゃんが強いのは分かるが、それでも危険だ。わざわざ望んであんな武器を使うようなことはない」
「むぅ」
まさか断られるとは思っていなかったのか、不満そうな様子を見せるマルカだったが、店主は例え相手がマルカのような少女であっても……いや、少女だからこそか、魔剣のレイピアを触らせるような真似はしない。
そんなやり取りをしていると、慌ててニッキーが近くにやってくる。
マルカの護衛……そして世話役を任されているニッキーとしては、マルカがここで我が儘を言うのは許容出来なかったのだろう。
あるいはこれが魔剣を相手にするのでなければ、多少は見逃したかもしれないが……ともあれ、ニッキーとしては危ないという魔剣に触れさせる訳にはいかなかった。