2685話
え……? と、錬金術師の口から、そんな間の抜けた声が漏れる。
それは錬金術師達だけではなく、周囲でレイがパンチングマシーン的なゴーレムを殴るのを見ていた、他の観客達も同じだった。
そんな中で当然といった顔をしているのは、マルカとニッキーの二人だけ。
セトにいたっては、何故そこまで他の者達が驚いているのか分からないといった様子で首を傾げてすらいた。
そうした沈黙を破ったのは、その沈黙を生み出したレイ。
「で? さっき言っていた後ろの棒が全て起き上がったんだけど、これで賞品のポーションは貰えるんだよな?」
「え? ……待て、待て待て待て待て! これは何かの間違いだ! 幾らなんでも、こんな簡単にどうこうなるなんて事は有り得ない!」
錬金術師は、先程までの言葉遣いとは全く違う様子で叫ぶ。
目の前で起きた現実を受け入れられないのだろう。
錬金術師の計算としては、ポーションを得られるようになるまでのパンチ力は証明されない筈だった。
実際、ゴーレムの測定装置には細工がしてあり、最初の方の棒はともかく、後の棒になればなる程、起き上がりにくくなっている。
それこそ筋骨隆々の大男が全力で殴っても、最後の棒が起き上がるようなことはないように調整したのだ。
だというのに、レイが殴った瞬間に次々と棒は起き上がっていき、最終的には最後の棒まで起き上がってしまった。
本来なら絶対に起き上がらないように細工してあったにも関わらずだ。
「そうは言っても……ほら、ちゃんと棒が起き上がってるだろ?」
そう言ったレイが示す方向を見れば、確かにそこでは棒が全て起き上がっている。
これは、間違いようのない事実だった。
錬金術師も目の前で起きている光景を認めないなどといったような真似は出来ず……だが、それでもこのままポーションを渡す訳にはいかないと、どうするべきか考える。
金貨数枚を出して購入したポーションを、銅貨五枚で持っていかれてしまえば、錬金術師にとっては大損だ。
それこそ、このゴーレムを製造するのにもそれなりの費用が掛かっているのだから。
今は何とかして、レイにポーションを諦めて貰う必要がある。
「あ……あー……すまないな、坊ちゃん。ゴーレムの調整をちょっと間違ってしまったようだ。悪いけど、調整をしなおすからもう一度やってくれないか?」
ここで錬金術師が失敗したのは、調整のミスと言ったこと……ではなく、レイにもう一度やって欲しいと、そのように言ったことだろう。
調整の失敗だったからということで何とか誤魔化せば、あるいはレイもそれに乗った可能性が……皆無という訳ではなかったのだから。
「まぁ、そう言うのならいいけど……でも、同じ言い訳は二度と通じないぞ?」
そう言うと、レイは錬金術師に新たに調整をするように促す。
レイにとって、今の一撃も決して本気の一撃ではない。
もし調整をして今よりも厳しい条件になったとしても、もう少し力を込めた一撃を放てば、それで十分にどうにかなると、そう思っているのだ。
そして実際、レイの実力を考えればそれは決して大袈裟な話ではない。
その証拠に、マルカやニッキーといったレイの実力を知っている二人や、そんな二人よりも深くレイの実力を知るセトは、錬金術師が新たに調整をすると言っても特に気にした様子はない。
やれるものならやってみろと、そう言いたげな様子にすら見えた。
そんな周囲の様子を見て……そして、観客達が呆れであったり、冷たい視線を自分に向けているのを見て、錬金術師はどうすればいいのか分からなくなる。
もしここでゴーレムの調整をし、レイがポーションを入手出来るような結果を出したとしても、その後は誰も挑戦をするような真似はしなくなるだろう。
それくらいのことは、錬金術師にも理解出来た。
そして最終的に錬金術師が下した決断は……
「ぐ……持っていけ、これが賞品だ」
素直にレイに対し、賞品のポーションを渡すというものだった。
結果的には、これが最善だったのは間違いない。
何しろここで賞品を惜しんでレイにポーションを渡さなければ、この場では多少儲けたのかもしれないが、錬金術師としての評判という意味では大きなマイナスとなる。
当然だろう。無理矢理な理由をつけ、それで賞品を渡さないような真似をする錬金術師に、誰が仕事を頼みたいと思うか。
あるいは、そんな錬金術師の作ったマジックアイテムやゴーレムを使いたいと思うか。
普通の感性をしていれば、とてもではないがそんな錬金術師と関わり合いになりたくはないだろう。
そういう意味では、今回こうしてレイをカモにしようとした錬金術師は、最悪の事態は免れた。
それでも周囲で見ていた者達の印象が悪くなったのは、間違いないだろうが。
「悪いな、助かる」
ポーションを受け取ったレイは、これ以上ここにいるのは不味いと判断したのだろう。マルカ達を連れて即座にその場から離れる。
この後、一体あの錬金術師がどのような行動に出るのかは分からない。
もしかしたらレイの一件はなかったことにして、再びパンチ力を計測する相手を探すのかもしれないが……レイとのやり取りを見ていた者は、とてもではないが挑戦しようとは思わないだろう。
(一番いいのがこのポーションだったって話だけど、もしかしてこのポーションもあの錬金術師が作ったとか、そういうことはないよな?)
あのような錬金術師の作ったポーションが信頼出来るのかと言われれば、レイも素直に頷くことは出来ない。
だが、いざという時にポーションがあるのとないのでは、大きな違いがある。
自分や親しい相手に使うのではなく、盗賊を尋問する時にでも使ってみようと判断する。
もしこのポーションが実は高性能でも何でもないポーションなら、それこそ盗賊に使っても惜しくはない。
本当に高性能なポーションであれば、一度尋問をして怪我をさせた後にこのポーションを使い、それによって怪我が回復したことによって再度尋問出来る。
幸い、盗賊の消失について調べている以上、盗賊を尋問する機会というのは、これからもある筈だった。
……高性能なポーションの使い道としては、それこそ下の下だろう。
だが、信頼出来ないポーションである以上、そんな使い方しかないのも事実だった。
「さて、それじゃあ……次はどこに行く?」
ポーションをミスティリングに収納しながら、レイが尋ねる。
見世物は、レイにとってそこまで面白いものではなかった。
ポーションを入手出来たことが唯一の収穫だったが、言ってみればそれだけでしかない。
だからこそ、これからどこに行くのかといったことを尋ねたのだが……
「そうじゃな。少し服でも見に行くのはどうじゃ?」
「ちょっと待ったぁ! お嬢様、服よりももっと面白いのが色々とあると思うっすよ」
「例えば?」
「例えば……そう、武器屋とかどうっすか!?」
マルカと服を買いに行きたくないニッキーは、咄嗟に武器屋という言葉を口にする。
とはいえ、その提案をマルカが受け入れるかどうかは、また別の話だ。
「武器屋じゃと? そのような場所に行って、どうするというのじゃ?」
マルカにしてみれば、武器を見て何が面白いという思いがある。
ニッキーもそれは承知の上だ。
すぐにレイに向かって尋ねる。
「レイの兄貴はどうっすか? エグジニスだと、もしかしたら魔剣とかがあるかもしれないっすよ?」
「魔剣か。……あれば興味深いな。とはいえ、俺は長剣の類は使わないんだよな」
レイの武器は大鎌と槍という、長物が二本だ。
長剣の類も使おうと思えば使えるのだが、今までずっと長物で戦ってきたので、そっちの方に馴染みがある。
魔剣にレイが興味を示していないというのを理解したニッキーは、このままだとい不味いと判断して、新たな情報を口にする。
「魔槍とか、そういうのもあるらしいですよ? レイの兄貴ならそっちは興味があるんじゃないっすか?」
「魔槍か。そう言われると、確かに興味はあるな」
そう言うレイだったが、実際には本当に興味があるだけで、購入しようという思いはない。
現在のレイが使っている黄昏の槍は、それこそ魔槍として考えれば一級品……いや、それ以上の性能を持つ。
そんな黄昏の槍よりも高性能で、レイが欲しいと思えるような特殊能力のある槍であれば、また話は別だが……黄昏の槍よりも強力な魔槍となると、それこそちょっとやそっとで見つからない。
その辺の武器屋でそのような槍が売っているとは、レイには到底思えなかった。
売っているなら売っているで、とてつもない値段になるだろう。
実際、レイの持つ黄昏の槍も購入しようとすればとんでもない値段がつくのは間違いないのだから。
辺境のギルムでしか入手出来ないような素材を使い、ベースとなった深緑の槍も突き刺した相手を茨で絡め取るといったような強力な性能を持つ深緑の槍だ。
普通に考えた場合、そう簡単に購入出来るような値段でないのは明らかだろう。
(どっちかといえば、使い捨ての槍の補充を考えておきたいんだよな)
レイにしてみれば、中途半端に強力な魔槍よりも、使い捨てに出来るような安物の槍の方が欲しい。
下手に高価な槍であった場合、投擲する際に多少なりとも……場合によっては無意識に躊躇してしまう可能性も否定出来ない。
だからこそ、使い捨ての槍の方を欲しているのだ。
とはいえ、ニッキーにその辺りの事情を説明した訳でもないので、知らないと言われれば仕方がないのかもしれないが。
「取りあえずどうっすか? 行ってみるだけ行ってみてもいいと思うんすけど」
レイはそんなニッキーの言葉に頷き、マルカも不承不承といった様子だったが、武器屋に行くのを了承するのだった。
「ここっすよ。俺も来るのは初めてっすけど、話を聞いた人は全員評判悪くなかったっす」
ニッキーがそう言って示したのは、先程の場所から二十分程歩いた場所だった。
二十分も歩く程に遠いのか? と最初レイは思ったが、考えてみればエグジニスはギルム程ではないにしろ、かなりの広さを持っている街だ。
そうである以上、店のある場所がそれなりに離れていても、おかしくはなかった。
……マルカが不満を漏らさなかったのは、自分で歩いて移動するのではなく、セトに乗って移動したからだろう。
レイは元々冒険者として活動しており、山や森の中を歩き回るのも珍しくはない以上、二十分程度歩くのは全く問題がなかった。
「この店が? 外見は普通の店とそう変わらないな」
ニッキーの示した店を見て、レイの抱いた感想がそれだ。
実際、その店の様子を見る限りでは、業物の武器を売っている……といったような店には見えない。
「そうっすよ。この店の筈っす。店の名前も聞いてた通りですし」
ニッキーの言葉に、改めてレイは店を見る。
外見的には、本当に普通の店といった感じで、何かの特別感といったようなものはない。
(鍛冶師じゃない武器屋か。まぁ、それも普通のことだし、そこまで珍しくはないけど)
武器屋というのは、大きく分けて二種類がある。
鍛冶師が自分の打った武器を売っているような店と、鍛冶師から武器を買って売っているような店。
あくまでも大きく分けての話であって、詳細に分けるとなるともっと色々と分けられるのだが。
そのような店は、どちらが優れているといった訳ではない。
鍛冶師の方ではオーダーメイドが出来たり、微調整の類をしっかりとやって貰えたりといったようなこともあるが、仕入れをしている方では色々な鍛冶師から買い取っていることも多いので、武器の種類が豊富といった特徴がある。
「取りあえず入ってみるか。実際に見てみないと、どういう武器があるのか分からないしな」
「評判はいいっすから、楽しみにしてて下さいよ」
「ニッキー……お主、自分で直接店を見たことがある訳でもないのに、よくもまぁ、そんな風に言えるものじゃな。もしこれで実際に店の中に入って何もないようであれば、お仕置きが必要じゃな」
「ひっ……だ、大丈夫ですよ、お嬢様。情報通の人から聞いたんですから」
マルカの言葉に嫌な予感を覚えつつも、ニッキーは自分を信じるようにそう言い切る。
とはいえ、マルカの口から出たお仕置きという言葉を考えると、背筋が冷たくなってしまうのだが。
そんなニッキーを見ながら、マルカはセトから降りる。
野試合をやっていたような特殊な建物ではない以上、セトがこの店の中に入るような真似は出来ない。
セトもそれが分かっているので、大人しく少し離れた場所まで行き……
「って、お嬢様!」
マルカが店の扉を開けようとした瞬間、ニッキーはマルカの手を掴んで引き寄せる。
同時に、武器屋の扉が内側から開き、男が一人吹き飛んでいくのだった。