2681話
「昨夜は色々と騒がしかったようじゃの」
暗殺者に襲撃された翌日、星の川亭の食堂で朝食を食べているレイに対し、一緒にテーブルにいるマルカがそう言ってくる。
マルカも星の川亭に泊まっている以上、当然のように昨日の件については知っていた。
ニッキーもまた、そんなマルカの言葉に頷く。
「それにしても、暗殺者が宿の中にまで入ってくるとは危ないっすよね。レイの兄貴はよく対処出来ましたね」
「お主……妾の護衛という認識が薄いのではないか? もし妾に暗殺者が送られてきた場合、それに対処するのはニッキーなのじゃぞ?」
「勿論、それは分かってるっすよ。けど……正直なところ、お嬢様の力があれば、暗殺者はどうとでもなると思うんすよね」
そんなニッキーの言葉に、レイはなるほどと納得する。
ニッキーが相応の技量を持っているのは知っているが、だからといってそのニッキーに守られているマルカが弱い訳ではない。
そもそも、マルカは姫将軍と呼ばれるエレーナの次代を担う者といったように噂されている人物だ。
とはいえ、エレーナの場合は近接戦闘と魔法の双方を得意としている万能型だが、マルカはどちらかといえば魔法に特化している形だ。
そういう意味では、昨日のレイのように宿の中で暗殺者に襲われるといった場合、魔法は使いにくい。
ニッキーがフォローすべきなのはそのような場所だろう。
「ふむ、妾がそれなりに強いのは事実じゃが、ニッキーの力も必要な時はある。それを忘れるでないぞ」
「任せて下さい。もしお嬢様に何かあったらと考えると、それこそ一体どういう目に遭うのか……」
食事をしながらも、もしマルカが怪我をした時のことを想像したのだろう。
ニッキーは見て分かる程に怯えていた。
(冗談でも何でもなく、本気で怯えているな。……まぁ、それだけクエント公爵家にとってマルカは大事な存在ってことなんだろうけど)
ニッキーも、以前護衛をしていたコアンに代わってマルカの護衛を任されている人物だ。
相応の技量があるのは間違いないし、実際にちょっとした身体の動きからでも、相応の実力者であるというのは見てとれる。
それこそ、昨日レイを襲ってきた暗殺者程度なら、間違いなくニッキーは勝てると、そう思える程度の強さはあるのだ。
レイはそれを理解しつつ、会話を続ける。
「昨日の件があったし、宿の方でも警備は厳重にする筈だ。もう絶対に暗殺者は来ない……って訳にはいかないだろうが、それでも安全度が上がったのは間違いないだろ」
「そうじゃな。とはいえ……既に昨日の件を知り、宿を出た者もおるようじゃが」
そう言い、マルカは昨日よりも明らかに人数の減った食堂を見回す。
その理由が、昨日の暗殺者の一件に関してのものなのはレイにもすぐに分かった。
「誰が狙ってきたのかは分からないが、面倒なことをしてくれる奴がいる。……ただ、この宿の実力が本物なら、今は少し苦しいかもしれないけど、そのうち盛り返すだろ」
「その事態を招いた張本人が言っても、説得力に欠けるのじゃがな」
呆れの視線をこちらに向けてくるマルカだったが、レイは特に堪えた様子もなく、スープを飲んでから口を開く。
「この宿は高級宿だ。当然、警備についてもしっかりとしている。それもあって、宿泊料金は高いんだしな。そんな自慢の警備をすり抜けて暗殺者が入り込むんだから、その辺はしっかりと反省して貰う必要があるだろ」
また、宿側と約束をしてあるので口には出さなかったが、レイが捕らえた暗殺者を逃がしてしまうという大ポカも行っている。
それを思えば、宿には警備をしっかりとして欲しいと思うのは当然だった。
(魔法使いを雇って結界を……ってのは無理かもしれないけど、エグジニスには錬金術師も多いんだから、侵入者を探知するようなマジックアイテムとか作って貰えばいいのにな)
そう思うレイだったが、この手のマジックアイテムはイタチごっこになるだろうという予想も、同時に出来る。
何らかの方法で侵入者が対処出来るようになれば、侵入する方はその対処法を編み出し、そして更に対処法の対処法を編み出し、対処法の対処法の対処法……といった具合に。
当然だが、そのようなことになれば開発資金やマジックアイテムに使う希少な素材も雪だるま式に増えいく。
襲う側も襲われる側も、双方共に金や素材が無限にある訳ではない。
だからこそ、資金的にはそこまで高くない――あくまでも新型のマジックアイテムを開発し続けることに比べればの話だが――冒険者を警備兵として雇うといった手段を選択するのだ。
「それで、レイは今日一体何をするのじゃ? よければ、妾と街中を見て回らぬか?」
「そう、だな。情報収集のついでってことなら、構わないけど。でも公爵家のお嬢様が街中を歩き回ってもいいのか?」
普通に考えれば、マルカのような立場にある者が街中を見て回るなどといった真似は、しない。
もしするにしても、馬車に乗って護衛で周囲を固めて……といった風になるだろう。
しかし、マルカの場合は本人が現状でもその辺の相手には負けないだけの力を持ち、ニッキーもまた相応の強さを持つ。
何よりも本人の性格から、その辺りは言っても意味はないだろうなと思いながら、それでも一応ということでそう尋ねる。
しかし、マルカは当然のようにレイの言葉に対して頷く。
「うむ。ニッキーがおるから安心じゃ。それに……レイやセトも一緒に行動するのじゃ。恐らくエグジニスで一番安全な場所にいると妾は思う」
「そうっすね。俺はともかく、レイの兄貴がいれば、大抵の相手は問題ないっすよね」
「……言っておくが、俺と一緒に行動するからといって、ニッキーが護衛をしなくてもいいという訳にはいかないからな?」
「ぐ……」
レイの指摘は図星だったのか、ニッキーは言葉に詰まる。
ニッキーも若さに見合わぬ実力者ではあるのだが、その性格という点では出来るだけ楽をしたいというのが減点対象だった。
とはいえ、それでもクエント公爵家に雇われ、コアンの代理として護衛を任されているくらいなのだから、優秀な人物に間違いはないのだろうが。
「うむうむ。レイもよく言ってくれたのじゃ。ニッキーは有能であるのにサボり癖があってな。その辺についてはいつも言われておるのじゃが……」
そこまで言うと、首を横に振るマルカ。
「ちょっ、お嬢様。レイの兄貴の前でそういうことを言わないで欲しいんすけど」
ニッキーがマルカに不満を訴えるが、それを聞かされた方はニッキーの様子に構わず、次々とニッキーに対する不満を口にするのだった。
「セトは相変わらず愛らしいのじゃ」
「グルゥ」
セトの背に乗ったマルカは、楽しそうな笑みを浮かべてそう告げる。
年齢不相応に大人びているとはいえ、マルカがまだ子供なのは間違いない。
それだけに、セトのような愛らしい存在は大好きだった。
「うわぁ……見られてるっすね」
「そうだな。昨日までも見られていたけど、今はそれとは違う視線だ」
昨日までは、レイがセトと一緒にいるのを見た驚き……中には恐怖を感じている者も多かったが、マルカを背中に乗せたセトに向けられるのは、驚きは同じだが、それ以上に慈しみに近い視線だ。
セトだけであれば恐怖を抱く者もいたのだが、その背の上にマルカが乗っているだけで、周囲に与える印象は大きく変わる。
(まぁ、これもマルカが可愛いからだろうけどな)
もしこれでマルカではなく、居丈高に人に命令する者がセトに乗っていた場合、ここまで好意的に見られることはなかっただろう。
「どうしたのじゃ、レイ。何かあったのか?」
自分を見ているレイの視線に気が付いたのか、マルカが不思議そうな視線を向けて尋ねてくる。
そんなマルカに対し、レイは何でもないと首を横に振る。
「どこの店に行くのかと思ってな。マルカはどこか行ってみたい店はあるのか?」
「むぅ。こういう時は、男が主導権を握って案内してくれるものではないのか?」
レイの言葉に不満そうな様子を見せるのは、これがデートであるという認識があったからか。
勿論、マルカはレイを男として好きだという訳ではない。
レイに対する好意はあるが、それは友人に対する好意だ。
それでも、こうして男と一緒に――ニッキーという護衛もいるが――出掛けているのだから、少しくらいデート気分に浸らせて欲しいというのが、マルカの正直な気持ちだった。
「そう言われてもな。俺もエグジニスには来たばかりで、どこにどういう店があるのかといったことはあまり知らないぞ? 寧ろ、その辺の情報については俺よりも早くエグジニスにいたマルカの方が詳しいんじゃないか?」
「むぅ、そう言われてもな。妾が知ってる場所にレイを連れていっても、それが面白いかどうかとなると別の話じゃし……」
マルカにしてみれば、どうせなら自分が楽しい場所に行きたいという思いがある。
だからこそ、出来れば自分の知らない場所に行ってレイと一緒に遊びたいという思いがあったのだろう。
「ふむ、そうじゃな。では、妾が以前楽しかった場所……そうそう、そう言えばエグジニスには高い裁縫の技術を持つ……」
「あ! お嬢様。どうせなら色々なゴーレムを見られる場所とかどうっすか!?」
マルカの言葉を遮るように、ニッキーがそう言う。
レイはそんな突然のニッキーの様子に疑問を抱いたものの、ここは黙って話の成り行きを見守った方がいいと判断する。
「む? ゴーレムをか。だとすれば、野試合か?」
「そうっす。デートというにはちょっとあれっすけど、楽しめるのは間違いなっすよ」
そんな二人の会話に、レイは興味を抱く。
ゴーレムの野試合などというものが行われているというのは、レイにとっても初耳だった為だ。
リンディやロジャーといった面々からは、聞いたことがない話だ。
「ふむ、それもそうか。では、レイもそれで構わぬか?」
「そうしてくれれば、俺も嬉しいよ。ゴーレムの野試合なんて、そんなのをやってるとは思わなかったしな」
レイとしては、今日の行動で盗賊やゴライアスの一件の情報収集をしたかったのだが、ゴーレムの野試合というのは、そちらを置いておくとしても興味深いのは間違いなかった。
であれば、取りあえずそっちを見てみたいという思いが優先してしまうのもおかしくはないだろう。
「では、決まりじゃな! セト、向こうに進むのじゃ!」
そんなマルカの指示に従い、セトは進行方向を変える。
レイとニッキーもその後を追いながら……ふと、レイは気になったことを尋ねる。
「何でさっき話に割り込んだんだ? 俺はゴーレムの野試合ってのを見ることが出来るからいいけど」
「お嬢様が服を選ぶようになったら……疲れるっすよ……」
短くそう言うニッキーだったが、その顔を見れば一体どれだけ疲れるのかというのは、容易に予想出来てしまう。
女の買い物に付き合った場合、肉体的な疲労はともかく、精神的な疲労は多いと。
ましてや、ニッキーの様子を見る限りではマルカの買い物に付き合った時の疲労は、ちょっとやそっとのものではないのだろう。
(とはいえ、マルカの年齢ならそこまで買い物で疲れるといったようなことはないと思うけどな)
レイがそう思うのは、女の買い物に付き合うと疲れるというのはよく聞く話ではあったが、それはあくまでももっと年齢が上の相手の場合だ。
マルカはまだとてもではないがそのような年齢になっているとは思えない以上、買い物に付き合っても問題はないのでは? と、そう思ったのだ。
もっとも、これはレイが女という存在を甘く見ているからこそ、そのように思ったのだが。
マルカはまだ小さいが、それでも女であるのに変わりはない。
ましてや、貴族としての教育の成果か、はたまた本来のものか……精神年齢は同年代の子供よりも明らかに高い。
そんなマルカを他の子供と一緒にするというのは、レイの間違いだった。
「ともあれ、野試合というのは楽しみだな。どこでやるんだ?」
「野試合って言われてますけど、別に何らかの団体が開催してるってわけじゃなくて、ゴーレムを作ってる錬金術師達が自分のゴーレムの性能試験をやる為に行われているものっすからね。そういう意味ではゴーレムを欲しているレイの兄貴には面白いかもしれませんね」
「その話が本当なら、確かに興味深いな」
最初は野試合ということで、それこそどこかでゴーレムが一対一で戦うといったような光景を予想していたのだが、今の話を聞く限りではレイが予想していたものとは違い、もっと本格的な試合のように思える。
そのことに興味を抱きつつ、レイはセトとマルカの後を追うのだった。