2679話
「ここか。……やっぱりこういう場所にあったんだな」
屋台の店主から聞いた朝焼け亭の場所は、スラム街とまではいかないが、それでも裏通りにある宿だった。
金に余裕のある者は泊まったりはしない宿だろう。
……とはいえ、この場所にある朝焼け亭は裏通りにある宿としては綺麗な方だった。
(後は、リンディが宿の中にいればいいんだけど。……いや、宿の中にリンディがいれば暗殺者に襲撃される可能性もあるので、そう考えると宿にいない方がいいのか?)
そんな風に思いつつ、レイは朝焼け亭の中に入っていく。
宿はそこまで大きくないので、食堂の類もない。
本当にただ泊まるだけの宿だ。
だからこそ、宿泊料も相応の値段なのかもしれないが。
「お客さんかい?」
宿の中に入ってきたレイを見て、カウンターにいた中年の女がそんな風に声を掛けてくる。
レイはそんな女に対して首を横に振り、用件を口にする。
「この宿にリンディが泊まっていると思うんだが、今いるかどうか分かるか?」
そう言った瞬間、店員の視線が怪しそうな相手を見るものへと変わる。
当然だろう。現在のレイはドラゴンローブのフードを被っており、顔を隠しているのだから。
そんな人物が、自分の宿に泊まっている人物に用事があると言ってきたのを思えば、怪しむなという方が無理だった。
レイもそんな相手の考えを理解したのだろう。
フードを脱ぎ、顔を露わにする。
「へぇ」
レイの顔を見て、感嘆の言葉を口にする店員。
女顔と評されるくらいには顔立ちは整っており、それがレイの持つ雰囲気と影響し合い、どこか見る者の目を惹き付けるような妖しげな魅力を発していた。
「俺はレイ。リンディとは……別にパーティメンバーって訳じゃないけど、友人……いや、知り合いって程度か? そんな関係なんだが、リンディを呼んで欲しい。レイが来たと言えば、向こうは分かる筈だ」
レイの言葉に、店員は迷った様子をみせる。
店員にしてみれば、リンディはこの宿の常連で、店員も可愛がっている相手だ。
それだけに、初めて見た相手が呼んでいるからといって、呼んできてもいいのかといったように迷う。
迷うが……
「急いでくれ。もしかしたら、リンディも暗殺者に狙われている可能性がある」
「なっ!?」
レイの口から出た言葉に、店員は驚く。
普通に生きている分には、暗殺者に狙われるといったようなことはまずないのだから、当然だろう。
そしてもしリンディが暗殺者に狙われているとすれば……
店員がレイに向ける視線は、鋭くなる。
レイが原因でリンディが暗殺者に狙われたのではないかと、そのように思った為だ。
実際、その推論は完全に間違っている訳ではない。
レイがゴライアスの話を聞き、その一件を解決する為に今日盗賊狩りを行った。
暗殺者を送られてくる理由として考えられるのは、それくらいしかない。
(ロジャーの件だったり、セトを奪いたいと思っている奴が暗殺者を送ってくる可能性もあるけど、その場合はリンディに暗殺者が送られるようなことはなく、俺だけを狙ってくるだろうし)
ドーラン工房に抜かれたとはいえ、ロジャーがエグジニスの中でもトップクラスの技術を持つ錬金術師であるというのは変わらない。
そんなロジャーに、レイはオークナーガの素材を渡しゴーレムの製造を頼んだ。
それを面白くないと思った者であれば、レイに暗殺者を送ってもおかしくはない。
セトにいたっては、それこそレイを殺さなければ手に入れることが出来ないと考えれば、レイを狙う者がいてもおかしくはない。
もっとも、そう簡単にレイを殺せるかどうかというのは別の話だし、もしレイを殺すことに成功したとしてしても、それでセトが犯人の物になるかと言われれば、微妙なところだが。
「とにかく、暗殺者がどうなっているのかを……」
「レイ?」
調べて欲しい。
そう言おうとしたレイだったが、二階に続く階段から聞こえてきた声に視線を向ける。
そこにいたのは、レイが捜していたリンディ。
「リンディ? 無事だったか?」
「え? 無事って、何が?」
その言葉を聞けば、リンディが暗殺者に襲撃されていないというのは明らかだった。
元々リンディの実力では、もし暗殺者に襲撃されていた場合、それを撃退するのは非常に難しかった筈であり、そう考えるとリンディが襲撃されるというのはレイの間違いだったことになる。
「暗殺者だよ、暗殺者。俺を狙って宿に暗殺者が来たんだ。だから、てっきりリンディも危ないのかと思ったが……どうやら、リンディは狙われていなかったらしいな」
「暗殺者!?」
レイの口から出た言葉に、リンディは驚きの声を上げる。
冒険者といえど、高ランク冒険者でもなければ、何らかの秘密を持っている訳でもなく、出身も貴族や大商人といった訳ではなく孤児院だ。
そんなリンディだけに、まさか暗殺者に狙われるようなことがあるというのは、想像もしていなかったのだろう。
「ああ。てっきり、ゴライアスの件を調べてるのが気にくわない奴がいたのかと思ったが……そうなると、当然俺だけじゃなくてリンディも襲撃した筈だ。だとすれば、俺に暗殺者が送られてきたのは、それとは全く関係ない何かってことになる」
「……何だか、暗殺者に狙われたってのに、特に怖がってる様子はないわね」
「別に暗殺者に狙われるのはこれが初めてって訳じゃないしな」
レイの言葉に、理解出来ないといった様子の表情を浮かべるリンディ。
リンディにしてみれば、暗殺者というのはお伽噺……とまではいかないが、それでも自分が関わるような何かではないと、そう思っていたのだろう。
「ともあれ、無事ならそれでいいけど……どうする? もう少し詳しい話をするか? それとも、もういいのなら、俺は帰るけど」
レイとしては、ここでリンディにもう少し詳しい話をしてもいいし、一度宿に戻って気絶させた暗殺者から誰が雇い主なのかの情報を聞き出してもよかった。
その辺はリンディの選択次第といったことを言葉で示すと、リンディは即座に決める。
「もう少し話を聞かせてちょうだい。……私の部屋に来てくれる? ここで話す訳にはいかないでしょうし」
「分かった」
リンディの言葉に店員の女は何かを言おうとしたが、レイはそれよりも前にしっかりと頷く。
それだけで話は決まり、レイは階段に向かう。
「まぁ……いいかしらね。リンディちゃんが認めたんだから」
店員は結局リンディが自分から部屋に呼んだのだからと、それ以上は詮索しないことにする。
何しろ、暗殺者がどうとかいう言葉が先程から普通に放たれていたのだ。
安宿で働いている自分が何かを言っても、意味はないと理解していた。
あるいはリンディがもっと若い……というよりも幼ければ、それに対して何かを口にはしただろうが。
だが、リンディはもう成人しており、冒険者となってから数年が経過している。
であれば、ここで自分が何かを言ったりする必要はないと、そう判断し……仕事に戻るのだった。
「座ってちょうだい」
そう言いながら、リンディはベッドに座るようにレイに勧める。
ここがもっと宿泊料の高い宿であれば、椅子の一つくらいあってもおかしくはないのだが、朝焼け亭は宿泊料が安い代わりに、部屋もベッドが一つあるくらいだ。
本当にただ寝るだけの場所でしかない。
だからこそ、レイとリンディは二人揃ってベッドに座ったのだが……もしこのような状況でなければ、リンディも部屋の中で男と二人きり、それも二人揃ってベッドに座っているといったようなことで、照れてもおかしくはない。
しかし、今は暗殺者の話を聞かされ、とてもではないがそんなことを考える余裕はなかった。
孤児院を助けたという一件で、レイを信じているというのもあるのだろうが。
「それで、話だけど……一応聞くけど、冗談とかそういうことはなくて、本当に暗殺者に襲われたのよね?」
「そうなるな。とはいえ、そこまで腕利きって訳でもなかったが」
そう告げるレイが思い浮かべたのは、以前ベスティア帝国で襲われた暗殺者達だ。
そのような暗殺者に比べれば、今日襲ってきた暗殺者は明らかに技量が劣る。
それだけではなく、暗殺対象のレイを殺す前に、邪魔だからという理由か何かで部屋の前にいた男を殺そうとした点からも、本当にプロか? という思いがレイの中にはあった。
勿論、標的を暗殺する為に邪魔だから排除したいという気持ちはレイにも分からないではなかったが、だからといってレイの部屋のすぐ前で殺気を露わにするというのは、どうかと思う。
つまり、相手は暗殺者としての技量が低かったと、そのようにレイには思えたのだ。
とはいえ、その技量でもエグジニスでは十分に活動出来ていたということなのかもしれないが。
「私には暗殺者は来なかったけど……そうなると、盗賊の件というか、ゴライアスさんの件は関係ないのかしら?」
「どうだろうな。現在俺が関わってる中で暗殺者を送ってくる可能性があるとすれば、素材目当てにセトを狙って、ロジャーに希少な素材を渡して、それを条件にゴーレムを作って貰うこと。そして残りが、ゴライアスの件を含めて盗賊の消失について調べている件だ」
その中で一番狙われる可能性が高いとすれば、それはやはり盗賊やゴライアスの件だろうとレイは思う。
「それ以外だと……そうだな。何らかの理由で俺を恨んでいる奴が、エグジニスにきたのを丁度いいと判断して暗殺者を放ったという可能性も否定は出来ない」
レイは、自分が他人に恨まれていないだと夢を見るようなことはない。
今までエルジィンで行動してきた中で、多くの者に恨まれても仕方がないと、そう思っていた。
そしてエグジニスには多数の貴族や大商人達がやってきており、そのような者達がレイの姿を見つけ、暗殺者を送ってきた……といった可能性も否定は出来ない。
それでも暗殺者として一流と呼べないような人物を送ってきたのは、レイの存在を知ってから短期間で接触出来た裏の組織がそのくらいの存在だったからか。
その辺については、正直なところレイも分からない。
そもそも、自分に恨みを持つ者が暗殺者を送ってきたというのも、レイの予想でしかないのだから。
そう思えば、やはり今回の一件は素直に信じろといった方が無理だろう。
「あの暗殺者が俺だけに送られて来たのならいいけど、リンディにも送られてくる可能性は否定出来ない。そうである以上、油断をしない方がいい」
「そう言われても……」
レイの言葉に、リンディは戸惑う。
リンディにしてみれば、まさか自分が暗殺者に狙われるなどといったことは全く想定していなかったのだろう。
だからこそ、もし本当に暗殺者に襲われたらどうすればいいのかといったように戸惑う。
(実際に襲われてみれば、意外と怖くないって分かるんだけどな)
レイは幾分か気楽にそう考えているが、それは決して意味もなくそう思っているのではない。
今のリンディは、暗殺者という言葉だけで怯えてしまっているのだ。
人間、未知の存在に対してはどうしても恐怖を抱く。
その未知が既知になってしまえば、恐怖はなくなる訳ではないにしろ、幾分か減るのは間違いない。
特に暗殺者というのは、文字通り人を殺すことを生業としている者だ。
それだけに、暗殺者という言葉が持つ意味は不気味さすら感じられてもおかしくはない。
そういう意味では、暗殺者と実際に遭遇し、それを一度でも切り抜けることが出来れば、少なくても今のようにリンディが恐怖を抱くといったことはなくなってもおかしくなかった。
問題なのは、リンディがその一度を生き抜くことが出来るかどうかだが。
「何なら、暫くは俺と一緒に行動するか? 暗殺者が来るのなら俺を狙ってという点が大きいんだろうし、だとすればどうせなら俺と一緒にいた方が色々とやりやすいと思うけど」
「そう言われても、困るわ。私がソロで行動してるならいいけど、パーティに入ってるのよ? そんな中で、私だけ勝手な真似をする訳にはいかないでしょう?」
それは、パーティを組んでいる冒険者としては当然の言葉だった。
自分の我が儘で、パーティに迷惑を掛ける訳にはいかない。
パーティメンバーは優しい相手なので、多少迷惑を掛けても受け入れるかもしれないが……リンディは、それが許容出来ない。
あるいは、もしかしたら優しい仲間達であっても、これが原因で一緒にパーティを組めないと言ってくる可能性も否定は出来ない。
もしリンディがパーティメンバーが暗殺者に狙われていると知れば、それに対して思うところはあるのだから。
「そう言われてもな。まさか、俺がお前のパーティと一緒に行動する訳にはいかないし」
そう言い、レイは困った様子でリンディを見るのだった。