2678話
「全く、これでも演技力には自信があったんだけどね。……何で分かったのかしら?」
そう言いながら、メイドは後ろで髪の毛を一つに纏めていた飾りを取る。
すると、背中の半ばまで伸びている髪が、綺麗に波打つ。
レイの隣にいた男は、メイドの浮かべる艶のある笑みと見るからに柔らかそうな髪を見て、薄らと頬を赤くする。
女の顔立ちは整っており、男がその美貌に目を奪われるのもおかしくはないだろう。
だが……レイは、女の顔ではなく女が手にした髪飾りに視線を向けていた。
何故なら、女が持った髪飾りの端から、鋭利な針が伸びていた為だ。
(いわゆる、暗器って奴だな)
暗器。
それは即ち、隠し武器のことを指す言葉だ。
暗殺用の武器、という認識でもそれ程間違ってはいない。
例えば、レイの持つネブラの瞳も分類としては暗器に入る。
……もっとも、それを言うのならミスティリングを持つレイは相手に武器を持っていると認識させないので、全ての武器が暗器と言ってもいいのかもしれないが、
「暗殺者だな? 誰に雇われた?」
「あのね、暗殺者がわざわざ雇い主を言うと思う? ましてや、私のような一流の暗殺者が」
「一流の暗殺者? その割には、標的の俺じゃなくて、この男に殺気を向けていたようだが? しかも、その殺気を部屋の中にいる俺に感じられたりもしていたな」
「ぐ……それは……」
レイの言葉に、女は不満そうな様子を見せる。
そんな女の様子を見て、レイはやはりこの女の暗殺者は自分を殺す為にやって来たのだと納得した。
もしかしたら……本当にもしかしたらの話だが、暗殺者の女は自分ではなく男の方を狙ってきたのでは? という考えも、レイの中にはあった。
だが、今のやり取りを考えると、やはり女が狙っていたのは男ではなくレイだったのは間違いない。
とはいえ、それはレイにとって単純な確認でしかない。
部屋の前にいた男の暗殺にきたのと、自分の暗殺に来た可能性。
そのどちらの可能性が高いのかを考えると、やはりレイの方が可能性は高かっただろう。
「で、俺を狙ってきたのなら、当然このまま無事に戻れるとは思っていないよな?」
「どうかしら? 幾ら深紅のレイであっても、正面からの戦闘じゃなくて、暗殺者を相手にしての戦いでどうにか出来ると思ってるのかしら?」
「ああ、問題ない。……何だ、知らなかったのか? 俺はこう見えて、今までかなりの数の暗殺者と戦ってきた経験があるんだぞ?」
そう断言するレイに、女は意表を突かれた様子を見せる。
「え? 本当?」
どうやら、レイが強いというのは知っていたのだろうが、具体的にこれまでどんな活動をしてきたのかというのは調べられなかったのだろう。
勿論、ベスティア帝国との戦争のように派手な活躍をしたものであれば、その辺は知っていてもおかしくはない。
しかし、表に出にくいような出来事……具体的にはレイが暗殺者に狙われるような件は調べられなかったのだろう。
(暗殺者ギルド同士の繋がりとか、そういうので知っていてもおかしくはない……いや、単純に俺が来てから暗殺の依頼があって、それを実行に移すまでの時間が短かったのか?)
疑問を抱くレイだったが、詳しい話は女を捕まえてから情報を吐かせればいいと判断する。
何しろ、エグジニスに来て二日目にいきなり襲われたのだ。
その理由として考えられるのは、やはり盗賊の消滅に関してだろう。
どこからその話が漏れたのかは分からないが、もし盗賊の消滅に関わっている者がいるとすれば、その者にとってレイやリンディは邪魔だろう。
あるいは、盗賊ではなくゴライアスの方か。
そこまで考え、ふとレイは思いつく。
(俺が狙われたってことは……リンディも危険なんじゃ!?)
盗賊にしろ、ゴライアスにしろ、そのことを嗅ぎ回っているという理由で暗殺者を向けてきたとなれば、それは当然のようにレイだけではなく、一緒に行動していたリンディにも暗殺者を放たれるだろう。
それは、不味い。
レイであれば、暗殺者に狙われるのもそれなりに慣れているし、襲ってきた相手を撃退するのも容易だ。
だが、リンディはどうか。
冒険者として、そこそこの腕を持っているのは分かる。
だが、それはあくまでもそこそこといった程度でしかない。
エグジニスで冒険者をやっている以上、盗賊の討伐であったり護衛だったりといったように、ギルムの冒険者とは違って人間を相手にすることも多いだろうが、暗殺者は違う。
正面から攻撃をしてくるような相手と違い、暗殺者というのは毒を使ったり、背後から攻撃したり、騙し討ちをしたり……とにかく、戦うのではなく相手を殺すことを優先する。
高ランク冒険者であれば、そのような相手にも対処のしようはあるだろうが、リンディの実力では難しい。
「ちっ、悪いがお前に時間を掛けてるような暇はなくなった」
「それは、まるで自分が勝てると言ってるように思えるね。気に入らないわ!」
そう叫び、女は床を蹴ってレイとの間合いを詰めてくる。
その叫び声……いや、それ以前にレイが扉を開けた勢いで吹き飛ばされ、壁にぶつかった音でレイの部屋の両隣を借りている者達が何があった? といった様子で扉を開けていたのだが、レイは気にしない。
この宿に泊まるような者なら、当然だが相応の強さの護衛を雇っており、その護衛が護衛対象をこのような場所に出す筈がないと判断していたからだ。
「はぁっ!」
女は手にした針の伸びている髪飾りを、レイに向かって突き立てようとする。
暗殺者の持つ針の武器。
それだけで、明らかに怪しい何かがあるのは、ほぼ間違いないというのはレイにも予想出来た。
毒か、はたまた他の何かか……ともあれ、そのような何かが針に付着していてもおかしくはない。
そのような毒針の髪飾りを使っているのはどうかと思わないでもなかったが、暗殺者だけに何かあった時の為に解毒剤の類があってもおかしくはない。
そんな一撃をくらうのはごめんだったし、出来れば安全に倒したいという思いもあったが……今はそれより、リンディの様子を確認する必要があった。
少しでも早く相手を倒す為……針の攻撃を回避しつつ、女の胴体に向かって拳を振るう。
もしレイが普通の……その辺に幾らでも存在する冒険者であれば、女もその攻撃を回避するなり、場合によっては自分を殴ろうとした手に針を突き立てるといった真似も出来た。
だが、その攻撃を行ったのは、異名持ちのランクA冒険者、レイだ。
女は自分が何をされたのかを知るよりも前に鳩尾を殴られ、一瞬にして気絶する。
それを見ると、レイは女を一瞥した後で、先程この女に殺されそうになっていた男に向かって口を開く。
「この女を捕まえておいてくれ。警備兵……は不味いだろうから、宿の護衛を呼んで欲しい。俺はこの他の暗殺者を送られた知り合いを助けにいく」
エグジニスにおいても最高級の宿だ。
宿泊客が護衛を用意するのは別にして、宿で専門の護衛も雇っている。
……その割には、暗殺者が宿の中に入り込んでいるので、完全に信頼するような真似は出来ないが。
それでも気絶した暗殺者を捕縛しておくといった真似は出来る筈だった。
宿としても、宿泊客が暗殺者に狙われたというのは、とてもではないが広めたくない噂だけに、警備兵に知らされるよりはいい話の筈だった。
もっとも、レイと暗殺者の戦いがあったのは、両部屋の住人や部屋の前にいた男に見られている。
そうである以上、宿泊客が暗殺者に狙われたという噂を広めないというのは不可能に近かったが。
それでも何も動かないよりは、動いた方が噂の量を少なくしたり、あるいは噂の流れをコントロール出来る。
そのように配慮したレイに感謝するのは間違いないだろう。
「俺はこれから他の場所に行く必要がある。戻ってきたらこの暗殺者から情報を聞き出したいって話をしておいてくれ。いいな?」
「え? あ、でも……それを私の一存では……」
「お前の主人が俺に何か用事があるのなら、聞いてやる。要望に完全に応えられるとは限らないけどな。それでどうだ?」
「分かりました。それなら」
主人の利益になるというのを理解すると、男は即座にそう答える。
部屋の前でノックするのを戸惑っていた者と同じだとは、到底思えなかった。
とはいえ、男がそれだけ自分の主人に忠誠を誓っているということなのだろう。
であれば、レイもそれ以上は特に気にする必要もないと、気絶した暗殺者の女は男に任せ、そのまま宿を飛び出る。
一瞬、セトを呼んだ方がいいか? とも思ったが、現在のエグジニスではまだセトはそこまで知られていない。
レイが外を出歩く時は出来る限り連れ歩いてはいるが、それでもエグジニスの規模を思えば、セトを見たことがないという者も多いだろう。
それでもセトの噂くらいは聞いたことがある者も多いかもしれないが……言ってみれば、それだけでしかないのだ。
そんな者がセトを見たら、間違いなく騒動になる。
レイとしてはそれが理解出来るので、今日はセトを置いておくことにしたのだが……
「リンディが定宿にしている宿は、朝焼け亭だったよな。……問題なのは、それがどこにあるかだ」
こういうことなら、しっかりと聞いておけばよかった
そんな風に残念に思いつつも、レイはどうするべきか迷う。
これが星の川亭のような高級宿であれば、その規模も大きいし、見るからに立派な建物なので、見つけるのも難しくはない。
しかし、朝焼け亭はリンディが泊まっている宿だ。
食費とかは出来るだけ切り詰め、宿に泊まる金額も節約し、出来るだけ多くの金額を孤児院に送金しているようなリンディだけに、止まるのは自然と安宿となる。
……安宿であっても、リンディは女だ。
雑魚寝の素泊まりをするような宿ではなく、最低限の宿に泊まっているとは思うのだが……それでも、今の状況を思えばその宿を見つけるのは非常に難しい。
「しまったな。一度戻るか?」
星の川亭の従業員であれば、同じ宿ということで朝焼け亭という宿を知っている可能性は否定出来ない。
とはいえ、既に星の川亭を飛び出してから、ある程度の距離を走っている。
今からここで星の川亭に戻って朝焼け亭の場所を聞くというのは、時間のロスのように思えた。
「しょうがない。リンディが泊まっている以上、そこまで裏路地にあるような見つけにくい宿じゃないと信じるしかないな」
であれば……と、レイは周囲を見回すが、既に日も沈んでおり、歩き回っている者の多くが酔っ払いだ。
素面の時ならともかく、こうして酔っている状況でレイのような人物が話し掛けてきた場合、相手がどう行動するのかが分からない。
機嫌がよければ、もしかしたら話を聞くことが出来るかもしれない。
だが、悪酔いしていたり、絡み酒のような人物の場合、それこそレイの言葉に不満を抱いて絡んでくるといった可能性は十分にあった。
その辺の事情を考えると、やはりここはもっと別の相手に聞いた方がいいだろうと判断する。
(だとすれば、誰だ? 情報屋? いや、まだエグジニスでどういう情報屋がいるのか分からないし、もし情報屋がいても信用出来るか分からない)
ここで情報屋という言葉が頭に思い浮かぶ辺り、レイもそれなりに混乱していることの証なのだろう。
また、情報屋というのは有能な相手であればかなり役に立つのだが、無能な場合……もしくは悪質な自称情報屋の場合は、それこそ害悪にしかならない。
「お客さん、どうしたんだい?」
と、そんなレイに声を掛けてきたのは、少し離れた場所にある屋台の店主。
今は偶然客が少ないのか、それとも店主の腕が悪いのか……ともあれ、現在屋台の前に客の姿はない。
客引きのつもりでレイに話し掛けたのか、それとも暇潰しに話し掛けたのか。
ともあれ、レイは屋台の店主に話している時間はないと口にしようとし……自分が探しているのは、裏の組織のアジトだったりする訳ではなく、普通に存在する宿だということを思い出す。
そうであれば、別に情報屋から話を聞いたりするような真似をしなくても、普通に朝焼け亭の場所を聞けばいいのだと。
そう判断すると、レイは声を掛けてきた店主のいる屋台に向かう。
「朝焼け亭って宿屋の場所を知らないか?」
「分かるぞ。何だ、兄ちゃんは朝焼け亭に泊まってるのか? 迷子になったとかか?」
「別にそんな訳じゃないんだが……ただ、ちょっと朝焼け亭に行く用事があるんだが、場所が分からないんだよな。どこにあるのか教えてくれないか?」
情報料として、銅貨数枚をミスティリングから取り出し、屋台に置く。
勿論、ローブの中から出したように見せ掛けて、だ。
そんなレイの言葉に、店主は笑みを浮かべつつ口を開くのだった。