2677話
食堂での食事が終わると、レイ達はそそくさとその場を去り、レイの部屋で話の続きをすることになる。
……食堂の中にいた者達の中には、レイに話し掛けようとした者もいたし、マルカに話し掛けようとした者もいたのだが、そのような者達は両方の思惑が外れた形だ。
「盗賊達なんすけど、今日レイの兄貴は他の冒険者が盗賊を倒しているのを見たんですよね?」
「え? ああ、そうだな。リンディの知り合いの冒険者達だったみたいだけど」
「なら、その冒険者達は何か知ってるってことはないんすか?」
「……どうだろうな。見た感じ、何かを企んでるといったようには見えなかったし……」
そこで一度言葉を切るレイ。
本来なら、その言葉の先にはリンディとそう強さは変わらないくらいの技量……強くもなく、弱くもなくといった程度の技量だったことから、盗賊達を好き勝手に消したりといったような真似が出来るとは、到底思えなかった。
今日の盗賊は、それなりに長期間エグジニスの周辺で活動しているという話だったが、強さという点では決してそこまで突出したものではなかった。
それこそ、リンディの知り合いの冒険者達で十分に倒せる程度に。
……もっとも、冒険者達はその辺を十分に理解した上で盗賊の討伐の依頼を受けたのだから、勝利するのは当然だったのかもしれないが。
「盗賊、盗賊か。……やはり消えるというのは気になるな。妾の方でももう少し手を回してもいいが?」
マルカのその言葉はクエント公爵家の力を使うという意味で、ニッキーに任せるといった訳ではない。
ここはクエント公爵家の領地ではないし、かなり離れた場所にある以上、そこまでのことが出来る訳ではないが、それはあくまでもクエント公爵領に比べての話だ。
一般的に考えれば、エグジニスにおいてもクエント公爵家の力を使えば、十分に情報が集められる筈だった。
しかし、そんなマルカの提案に対し、レイは首を横に振る。
「いや、止めておくよ。今回の一件は気になるけど、今のところそっちよりも重要視する件がある」
それがゴライアスの件なのは、マルカにもすぐに分かった。
だからこそ、レイに向かって口を開く。
「盗賊の件とゴライアスの件は繋がっている可能性があるのじゃろう? であれば、その辺についてもしっかりと調べておいた方が間違いないと思うのじゃが?」
「かもしれないって程度だしな。それに……マルカ個人ならともかく、クエント公爵家に対してはあまり借りは作りたくないんだよ」
マルカはレイに友好的だが、クエント公爵家までそうであるとは限らない。
いや、以前クエント公爵家の依頼を受けた時のことを考えると、友好的な関係を築いているとは思うのだが、公爵家ともなれば個人の感情よりも派閥のこと、そして何よりも自分の家の利益を考える必要があった。
ましてや、それが現在国王派と決して友好的な関係という訳ではないダスカーの懐刀と言われているレイであれば、尚更の話だろう。
とはいえ、マルカはマルカで小さいなりに貴族という存在についてよく理解している以上、レイも心の底から信頼する気にはなれなかったが。
「レイがそう言うのなら、無理にとは言わぬが……盗賊の件についてではなくてもいいから、調べて欲しいことがあれば妾に頼って欲しい」
「あー……そうだな。じゃあ、盗賊の件はいいから、ゴライアスって冒険者について情報を集めてくれるか? ここから少し離れたところにある街の孤児院出身の冒険者の」
「よいのか?」
確認するように尋ねてきたその言葉の意味は、考えるまでもない。
自分に……正確にはクエント公爵家に借りを作ることになるが、それでもいいのか。
そう言葉には出さないまま、暗に尋ねているのだ。
レイとしては、盗賊の一件でクエント公爵家に借りを作るのは少し面白くないが、ゴライアスの件は出来るだけ早く見つけた方がいいという思いがあるのも事実。
(とはいえ、本来なら俺がそこまで無理をして首を突っ込む必要はないんだけどな)
冷静に考えれば、ゴライアスについてクエント公爵家に借りを作ってまで情報を得る必要があるかと言われれば、素直に頷くといったことは出来ない。
そこまでやる必要があるのかと考えれば、本来ならその必要はないと思うのは間違いない。
しかし、それでも……あの孤児院の現状について知ってしまった以上、思うところがあるのは事実だ。
リンディがあそこまで心配する相手を見てみたいという思いがあるのも事実だが。
「頼む」
結局レイは、短い一言だけでそう頼む。
マルカはそれ以上は何も言わず、ただ頷くだけだ。
「お嬢様ったら意地っ張りっすね」
「は……はぁ? 一体、お主はいきなり何を言っておるのじゃ!?」
レイとマルカの様子を見ていたニッキーは、唐突にそんなことを口にする。
マルカだけではなく、レイもまた何故いきなりニッキーがそんなことを言ったのかといったように驚きの視線を向けていたが。
そんな二人の視線を浴びつつも、ニッキーは全く気にした様子もなく言葉を続ける。
「だって、レイの兄貴の力になりたいって思ってたんですよね? なら、妙に格好付けたりせず、素直に言えばいいじゃないっすか」
「な……お主、いきなり何を言うのじゃ!?」
焦った様子を見せるマルカ。
しかし、ニッキーは護衛すべき相手を怒らせても全く気にした様子もなく、笑みを浮かべていた。
「ぐぬぬ……覚えておれ! 行くぞ!」
元からマルカがレイのことを助けるつもりだったのだろう。
だが、照れ臭さからそれを表に出すような真似はしなかった。……したくなかった、というのが正直なところか。
それだけに、ニッキーに自分の思いを暴露されたことにより、怒り……そして照れ臭くなり、それを誤魔化すようにレイの部屋から飛び出していった。
「いいのか、怒らせて? 機嫌を直すのは大変そうだぞ?」
「そうっすね。けど……お嬢様がレイの兄貴のことを心配していたってのは、間違いなく事実なんすよ。その辺りはしっかりとさせておいた方がいいと思ったんすよね」
その言葉からすると、先程のニッキーの言葉は全てを承知した上での意図的なものだったのだろう。
レイはニッキーに呆れの視線を向ける。
そんな視線を向けられたニッキーは、レイに向かって頭を下げる。
「じゃあ、レイの兄貴。俺はお嬢様の機嫌を直しに行ってきますね。お嬢様は、普段はそれなりに優しいんですけど、怒らせると怖いんですよ」
「……なら、最初からこういう真似をしなければいいと思うんだがな。まぁ、いい。分かった。頑張って機嫌を直してきてくれ。マルカが不機嫌なままなら、ゴライアスの件を調べるにも色々と大変だろうし」
マルカの性格を考えれば、その辺について心配する必要はないかもしれないが。
だが、マルカはまだ子供なのだ。
普段はともかく、不機嫌になっていればどうなるかは分からなかった。
だからこそ、ニッキーには出来るだけ早くマルカの機嫌を直して貰いたい。
レイの様子から、何を考えているのかを大体理解したのだろう。
ニッキーはレイに一礼してから、部屋を出ていく。
そんなニッキーの姿を見送ったレイは、座っていたソファから立ち上がってベッドの上に倒れ込む。
高級な宿だけあって、ベッドはレイの体重を受け止めてもきしみ音の類もしない。
(そう言えば、このベッドというか、布団……いや、マットレスは、感触からして低反発マットレスって奴だよな? 身体が沈み込む感触だし。高反発マットレスの方が身体にはいいとか、TVか何かで見た記憶があるけど……どうなんだろうな)
ふとそんなことを考えるが、今の状況でマットレスについて考えていても意味はないと理解する。
とはいえ、今日は特にこれからやるべきことはない。
そんな風に思っていると……
(誰か来たな)
扉の前に誰かの気配があるのを察する。
レイの部屋の前を通りすぎただけではないかと一瞬思ったら、部屋の前に止まっているのを見れば、それが自分に用事があるのだと予想するのは難しくない。
それでも扉の前でゆっくりとしている相手は、すぐに扉をノックしたりせず、戸惑ったように扉の前で何も言う様子はなかった。
(どうする?)
そう少し迷ったが、考えてみればここでわざわざ自分から話し掛ける必要もないと判断し、放っておく。
こうしてやって来たのを考えると、マルカやニッキーではなく、全く関係のない人物であるのは間違いない。
そのような相手に対し、わざわざレイから話し掛けるといったような真似をすれば、後々面倒なこといなるだろうと予想するのは難しくない。
そう思っていると……レイの扉の前で戸惑っている者の他にもまた一人の気配が近付いてきた。
また一人増えるのか。
面倒なことにならないといいが……と思っていたレイだったが、そんなレイの言葉がまるでフラグだったかのように、扉の外で険悪な雰囲気となる。
今の状況を思えば、さすがにこのまま放っておく訳にもいかない。
これを放っておけば、最悪部屋の中にいる自分に対しても何かトラブルが襲い掛かってこないとも限らないのだから。
そう思って立ち上がり……
「っ!?」
扉の前に進もうとしたところで、扉の前にいる者の一人から明らかに殺気が発されたのを見て、レイは驚くと同時に地面を蹴って扉に向かう。
気配の位置から、扉のすぐ前にいる方が殺気を放っているというのは分かっていた。
そして殺気を放っていない方の気配は、扉ではなく廊下側にいる。
だからこそ、レイは特に躊躇する様子もなく扉を蹴り開ける。
ガゴッ、という音と共に扉は開かれ、そのすぐ前にいた殺気を放っていた人物を吹き飛ばす。
そうして取りあえず誰かが自分の部屋の前で殺されるといったような心配がなくなったのを確認すると、改めて廊下の様子を確認する。
吹き飛ばされずそこに残っていたのは、二十代程の男。
星の川亭にいるのを見れば分かる通り、相応の相手に仕えている人物らしく服装も派手ではないにしろ、上質なものだ。
その男は、一体何が起きたのかといったような視線をレイに向ける。
実際、殺気を感じたのはレイだけで、男は何故いきなりレイが部屋を飛び出てきたのかといったことは分からないのだろう。
「無事か?」
「え? あ、はい。その……深紅のレイさんですよね? 一体何を……?」
「気が付いてなかったのか? あの扉の前にいる奴、お前を殺す気だったんだぞ?」
「殺す気? えっと、その、彼女がでしょうか?」
男が戸惑った様子で、扉が吹き飛ばした人物に視線を向ける。
その視線を追ったレイは、驚きの表情を浮かべた。
何故なら、壁にぶつかって床に倒れている人物は女……それもメイド服を着ている女だったからだ。
レイが日本にいた時に楽しんだアニメ、ゲーム、小説、漫画といったものでは、その中に武装メイドというのは珍しくもない。
また、この世界においても武装メイド……というよりは、戦いの心得を持っているメイドというのは珍しくはなかった。
メイドというのは、常に主人の側にいる者達だ。
そうである以上、主人が暗殺者に狙われたりした場合、それに対処出来る能力を持っているメイドなら、非常に有用なのは間違いない。
……とはいえ、当然だがそれなりの戦闘技術を持つメイドというのは決して多くはない。
当然だろう。メイドの仕事をした上で戦闘技術を磨き、最低でも一定の水準を維持しなければならないのだから。
(とはいえ、殺気を放っていたからといって戦闘技能を持っているメイドとは限らないか。殺気を放つのは別に戦闘技術を持っていなくても発せられるものだし)
もしかしたら素人が何らかの理由で発作的に男を殺そうとしたのではないか。
そう思いながら、レイはメイドの様子を確認する。
「気絶は……別にしていないみたいだな」
「え?」
男はレイの言葉を聞き、不思議そうな表情を浮かべる。
男から見て、倒れているメイドは全く動いていない。
扉の一撃によって吹き飛ばされ、その勢いで壁にぶつかって気絶しているのではないかと、そう思ったのだろう。
実際、何も知らない者が見れば、全く動く様子もないメイドが気絶していると認識するのはおかしくない。
だが……その気配や呼吸音から考えて、メイドは気絶しておらず、隙を窺っているというのは明らかだった。
「諦めろ。気絶した振りは通じないぞ」
「……残念ね」
レイの言葉がブラフではなく、真実だと理解したのだろう。
床に倒れていたメイドは、あっさりとそう告げ……起き上がり、メイドが浮かべるとは思えないような艶然とした笑みを浮かべるのだった。