2676話
宿の前で待っていたマルカとニッキーに連れられ、レイは星の川亭にある食堂に向かった。
セトは今日一日レイと一緒にいられて満足したのか、特に不満そうな様子もなく厩舎に行った。
「へぇ……随分と洒落た場所だな」
星の川亭の食堂を見て、レイはそう呟く。
そこは、食堂というよりはレストランといった雰囲気のある作りになっている。
高級宿の食堂となると、レイが定宿――今はマリーナの家に住んでいるが――としている夕暮れの小麦亭も、食堂で出される料理は一流の店に負けないくらいの味だった。
だが、この星の川亭の食堂は、宿泊客でなくても気軽に入ることが出来る夕暮れの小麦亭と違って、かなり敷居が高そうに見える。
レイのその思いは、決して大袈裟なものではない。
実際に星の川亭の食堂は、宿泊客か、宿泊客と一緒に来た者でなければ使用出来ないということになっていたのだから。
(まぁ、こういう風に選ばれた者だけが使えるというのが、一種の優越感を抱かせるには十分なんだろうな。……それに実際、この食堂で出される料理は美味いし)
テーブルに用意されたシチューを口に運びつつ、レイはそんな風に思う。
トウモロコシのポタージュスープに近い味付けではあるが、トウモロコシとは微妙に違う。
少なくても、レイの家で作っていたトウモロコシとは、確実に違う味だった。
(そう言えば、キミって方言なんだよな。……TVで見て初めて知ったけど)
トウモロコシに似た何かのポタージュを楽しみながら、レイは日本にいた時のことを思い出す。
レイのいた場所では、トウモロコシのことをキミと呼んでいた。
レイはキミというのは普通に日本全国どこでも使われている言葉だと思っていたのだが、実はレイの住んでいる場所付近だけでしか使われていない方言だったというのを知って、かなり驚いた覚えがある。
TVで放映されていた、いわゆる旅番組でレイの住んでいる場所に来た時に、農家の人がキミと言っても芸能人はそれが何なのか理解出来なかったのだ。
「で、レイ。今日はどのような様子だったのじゃ?」
焼きたてのパンを口に運びつつ、マルカはレイに尋ねる。
マルカにしてみれば、今日一日いなかったレイが、一体どのような行動をしてきたのか気になるのだろう。
好奇心に目を輝かせ、レイに話をするように言ってくる。
ニッキーも、兄貴と慕うようになったレイが一体どのようなことをしていたのか気になり、期待の視線を向けていた。
本来ならニッキーはマルカの護衛だ。
一緒に食事をするというのは不味いのだが、マルカに対して気安く接するニッキーは、その辺を全く気にした様子もない。
マルカにしてみれば、自分に気安く接するニッキーは付き合いやすい相手という認識なのだろう。
一緒のテーブルで食事をしていても、特に気にした様子はない。
「今日は……そうだな。まずはドーラン工房の事務所に行って申し込みをしてきた」
「ふむ、レイの目的を考えればそれは当然じゃろうな。で?」
事務所の件は容易に予想出来たらしく、他に何か面白いことはなかったかといったように話に続きを促す。
「そうだな。ギルドでリンディという女と会おうとしたんだが、何故かギルドにいたのはロジャーでな」
「お主……姫将軍を含めて複数の女と関係を持っておるというのに、まだ増やす気なのか?」
「いや、増やすも何も、そういうつもりはないし、それ以前にエレーナ達とはまだそういう関係じゃないし」
まだそういう関係ではない。
そう告げるレイは、つまり機会があればそういう関係になりたいと態度で示しているようなものだったが、本人は自分の言葉に気が付いた様子はない。
レイとは逆に、マルカの方はその手の話題に興味津々だったが、今は自分の興味よりも先にレイが今日何をしたのかを聞きたいという思いの方が強く、口を挟むことなく先を促す。
「それで? ロジャーというのは昨日セトを襲った者達を率いていた男じゃろう? その者がレイを待っていたということは……復讐をする為か?」
「いや、違う。経緯は省くが、最終的には俺がロジャーに魔の森のモンスターの素材を幾つか渡して、その代わりにゴーレムを貰うという結果になった」
「妾としては、その過程を聞きたいのじゃが」
マルカにとっては、レイとロジャーがどのようなやり取りをしたのかに強い興味を抱く。
しかし、レイの様子からそれを聞いても教えて貰えないだろうと判断し、それ以上の追及は止めておく。
「それにしても、魔の森か。また、随分と奮発したのじゃな」
当然だが、マルカもクエント公爵家の令嬢として、辺境に存在する魔の森についての話は知っている。
基本的に、そこに近付いてはいけないといったようなことも。
それだけに、魔の森のモンスターの素材ともなれば、かなり希少だ。
売る場所に売れば、それこそ信じられない値段で取引されてもおかしくはないくらいに。
「奮発と言ってもな。別にランクAモンスターって訳じゃないし、かなり大量に出て来たモンスターだからな」
オークナーガは、魔の森では少ないが集団で行動しているモンスターだ。
それだけに、レイのミスティリングの中にも死体や解体された素材は大量に入っており、それをロジャーに渡す程度は特に不満に思うようなことはない。
もっとも、それはあくまでもレイの感覚であって、未知のモンスターの素材ということを考えれば、普通は大騒ぎするような内容なのだが。
その価値を理解しているからこそ、ロジャーも防御用のゴーレムを作るとレイに言ったのだから。
レイが欲した清掃用のゴーレムだけでは、とてもではないが素材の見返りには足りないと判断したのだ。
そういう意味では、ロジャーもそれなりに律儀なのだろう。
「で、その後でギルドに行ったら今度こそリンディに会って、食事をした後で盗賊狩りに行くことになった」
「ちょっと待てぇいっ!」
思わず、といった様子でマルカが言う。
幸い、そこまで大きな声ではなかったので、他のテーブルにいる客達にその声を聞かれることはなかったが。
ただし、他の客達も既にレイの正体を知っている。
そうである以上、出来ればお近づきになりたいと、そう思うのは当然だった。
結局マルカの声は聞こえなかったが、そんな様子を見ている者が多かったのは間違いない。
とはいえ、見られている本人達はその視線を全く気にしている様子がなかったが。
「何だよ?」
「何だよではない。食事をして買い物をするというのは分かる。もしくは、食事をして……どこかの宿に向かうというのも、納得しよう。じゃが、何故そこで盗賊狩りになる? お主、デートを何だと思っておるのじゃ?」
「いや、デートとかそういうのじゃないから」
マルカにとっては期待させておいて、思い切り裏切られた形となる。
マルカとしては、もっと甘酸っぱい展開を期待していたのだろう。
だというのに、その結果がこれでは不満を抱くなという方が無理だった。
「あのな、何を勘違いしてるか予想は出来るが、俺とリンディはそういう関係じゃないぞ?」
「ぬぅ……それで、何故盗賊狩りをすることになったのじゃ?」
レイの言葉に完全に納得した訳ではなかったが、それでももしかしたら……という思いを込めて話の先を促す。
「最近、エグジニスの周辺にいる盗賊が突然消えるって話を知ってるか?」
「あ、知ってるっすよ。俺もお嬢様の件で色々と調べてましたから」
今まで話を聞きながらも食事を楽しんでいたニッキーが、レイの言葉を聞いてそう言ってくる。
「ふむ、そう言えば以前ニッキーからその辺の話を聞いておった覚えがあるような、ないような」
「いや、きちんと説明したっすよね? ……とにかく、エグジニス周辺の盗賊達が突然消えるというのは、噂になり始めてるっす」
「なり始めてる? 随分と今更の話だな。俺が聞いた話だと、かなり前から盗賊達は消えていたってことだったけど。……ああ、実際に消えている盗賊と、エグジニスの住人だと認識が違うのは当然か」
盗賊が消えるというのは、それこそエグジニス周辺で仕事をしている盗賊達にしてみれば、自分達に危険がある分、噂に敏感になる。
それに比べて、エグジニスの住人にしてみれば、盗賊が消えるというのは自分達の生活にとっては重要なことではあるが、それでも住人にしてみれば他人事という点が大きい。
……実際にゴーレムを売っている工房にしてみれば、とてもではないが他人事ではないのだろうが。
ただ、レイが今日体験したように、盗賊が消えてもすぐに補充されるといったようなことになっている。
それを考えれば、エグジニスの住人が盗賊が消えたといったようなことに気が付かなくても仕方がないのだが。
「そんなに前なんすか?」
「ああ。……ただ、盗賊が消えたと同時にそれと同じくらい、あるいはもっと多くの盗賊がエグジニスに来ている。それこそ不自然に感じるくらいにな」
「それは……」
レイの言葉に、ニッキーもおかしいと思ったのだろう。
マルカもまた、不思議そうにしながら口を開く。
「それはつまり、誰かが意図的にエグジニスに盗賊達を連れてきているというのじゃな?」
マルカのその言葉に、レイ周囲で盗み聞きをしている者がいないのを確認して頷く。
テーブルとテーブルの距離が開いているだけに、レイ達の会話が周囲にいる者達に聞こえないことに安堵しながら。
「ああ。その可能性はある」
「でも、それって何の為にそんなことをするんすか?」
「それが分かれば、苦労はしない。ただ、当然だがこういうことをやるのも、無料って訳じゃない。相応に金や時間が掛かる。……それどころか、盗賊を意図的にエグジニスに集めているというのを知られれば、それこそ警備兵に捕まるのは間違いない」
そうなれば、何故このような真似をしたのかといったことを厳しく問われ……場合によっては拷問の類までされかねない。
(だとすれば、とてもじゃないが、ただの愉快犯といったようなことでやるとは思えない。つまり、何らかの狙いがあってそんな真似をしているってことになるんだが)
そこまでは考えられるも、一体何故そこまでして盗賊をここに連れてくる必要がある? と考えれば、それに対して思い浮かぶようなことはない。
「盗賊をエグジニスに集めるには、どういう理由があると思う?」
「ふむ、そうじゃな。真っ先に考えられる理由としては、どこかの貴族の差し金という可能性が高い」
「貴族か。……有り得るな」
ギルムの増築工事でも、貴族派の貴族が何度となく邪魔をしてきた。
その妨害をレイは何度か対処したことがあったし、最終的には貴族派の象徴たる姫将軍のエレーナがやって来て、それでようやく妨害はなくなった。
もしかしたら、レイが知らないだけでエレーナがいても見つからないように何らかの妨害をしている可能性は否定出来ないが、それでも表立った妨害はなくなったのだ。
エグジニスに対しても、貴族が何らかの手を伸ばすという可能性は十分に考えられる。
「ゴーレム産業で儲かってるって話だったしな。エグジニスを自治都市じゃなくて自分の領地にしたいと考える奴がいてもおかしくはないか。そうなると、怪しいのはエグジニスと隣接している貴族だけど……」
「ふむ、それはないな。妾が言っておいてなんじゃが、盗賊を集めるだけならその可能性もあるが、盗賊が消えるという一件はどう考える?」
「そうなんだよな。その辺が分からない」
「あ、じゃあ、こういうことじゃないっすか? エグジニスを奪おうとしている貴族がいるのと同時に、それを防ごうとしている貴族もいて、その貴族同士で暗闘が行われているとか。……可能性はあると思うんすけど」
そう言われれば、レイも可能性としてはあると思う。
思うが、それでも素直に頷けない理由がある。
「盗賊を倒しているのが貴族なら、なんでその件を公にしないんだ? その辺を公にすれば、エグジニスに手を出している貴族を正面から非難出来るってのに」
「それは……そこまでしっかりした証拠がないとか?」
「それでも貴族なら他にもやりようがあるだろ。……違うか?」
「否定はせんよ」
クエント公爵家の令嬢だけあって、マルカも貴族については詳しい。
そんなマルカの知識からすれば、証拠がなくても相手を弾劾するといった手段は幾らでもあった。
「ともあれ、盗賊が消えてるというのが最大の問題だ。……俺が聞いた情報も盗賊からで、詳細な情報を持ってる訳じゃなかったし、エグジニスの住人達も同様だろう。そうなると、色々と複雑な事情があるかもしれないな」
そう呟き、レイは食事に手を伸ばすのだった。