2668話
「ここだ」
ロジャーがレイ達を連れてきたのは、一軒の建物。
家ではなく、小さな研究所といった場所だ。
「ここは?」
「私の所有する建物だ。他の者が入ってくることはないから、安心してもいい。……セトは入ることが出来ないが」
「だろうな」
大々的な建物ではなく、小さな建物である以上、セトが入ることは出来ない。
レイにしてみれば、よほど大きな建物でなければセトが入ることはないだろうと考えている。
無理にセトが入ったとしても、体長三m以上のセトにしてみれば、迂闊に身動きをした時点で周囲を壊してしまうのだから。
サイズ変更を使えば七十cmくらいまで縮むが、それでもいつまでもサイズ変更のスキルが有効な訳ではない。
その辺の事情を考えると、やはりセトは大人しく待っていた方がいいのだ。
その方が、セトも伸び伸びとすることが出来て、楽なのは間違いない。
「じゃあ、セト。少し待っててくれ」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らしてから、邪魔にならない場所で横になる。
それを確認してから、レイとロジャーと護衛の冒険者達は建物の中に入る。
なお、レイに憧れの視線を向けていた冒険者達は、ここに来るまでの間にも色々とレイから話を聞きたがっており、レイはロジャーと話すよりも冒険者達と話ながらここに到着した。
(幾ら冒険者は能力が全てだからって、年上の連中からあそこまで尊敬や憧れの視線を向けられるのは……正直なところ、少し思うところがあるな)
冒険者達は、全員が二十代と比較的若い。
だからこそ、素直に自分よりも若いレイに対してそんな憧れの視線を向けることが出来るのかもしれないが。
ただ、二十代ともなれば、冒険者として活動してからそれなりに時間の経っている者も多い。
普通であれば、年下のレイにそんな憧れや尊敬の視線を向けたりというのは難しいのだが……それでもこうしてそのような視線を向けてくる辺り、素直な性格をしているだろう。
「入ってくれ。こっちだ」
ロジャーに案内されて、建物の中に入る。
私的な建物とロジャーが言うだけあって、建物の中には他に誰の気配もない。
純粋に、ロジャーだけの建物だろう。
(家か? もしくはセカンドハウスって奴か。ともあれ、ロジャーの隠れ家的な場所なのは間違いないが)
この建物があるのは、表通りからは少し外れた場所だ。
裏通りという程に治安は悪くないが、それでも表通り程に安心して出歩けるかと言われれば、多くの者は首を傾げるだろう。
ロジャーは錬金術師としては腕が立つのだろうが、実戦で戦えるかと言われれば、レイは即座に首を横に振るだろう。
それがこのような場所に、普通に住んでいる家なのか、もしくはセカンドハウスなのかは分からないが建物を持っている。
護衛が必要な筈だと、レイを納得させるには十分だった。
「取りあえず、これでも飲んでくれ。外は暑かったからな」
そう言い、ロジャーはレイや冒険者達の前にコップを置く。
そのコップに触れたレイは少し驚き……冒険者達はもっと露骨に驚いた。
「冷たっ!」
そう声を上げる冒険者。
それはレイも今まで何度か見たことがある、冷蔵庫的な性能を持つマジックアイテムで冷やされた果実水。
レイはそれを知っていたからこそ、そこまで驚きはしなかった。
寧ろ、護衛の冒険者達がそこまで驚いている方が疑問だ。
珍しい素材が豊富にあるということで、ギルムには錬金術師が多く、様々なマジックアイテムが売られている。
これが普通の街ならともかく、エグジニスはゴーレム産業で盛んな街だ。
当然のように錬金術師の数も多く、マジックアイテムも他の場所に比べればかなり豊富にある。
それを考えると、このような冷えた果実水を飲むくらいでそこまで驚くというのは意外だった。
「もしかして、お前達はエグジニスに来たばかりの冒険者なのか?」
「え? あ、はい。よく分かりましたね。数日前に商人の護衛としてやってきたんですが、商談が終わってエグジニスから出るまでは自由にしていていいという話だったので」
それで暇だったのでロジャーの依頼を受けた、と。そう続ける。
本来の護衛が復帰するまでの短い間というのも、依頼を受けた理由の影響しているのだろうが。
「そうか。なら、こういうマジックアイテムにあまり慣れていなくてもおかしくはないな」
「寧ろ、私としてはレイが何故ここまで平然としているのかが疑問だが。やはりギルムにもこのようなマジックアイテムがあるのかい?」
「ああ。全く同じって訳じゃないだろうけど、夏になれば冷えた果実水とか、冷えた果実とか、そういうのを結構売ってる屋台があるな。勿論、宿とかでもそれなりに使われているし」
「ギルム……興味深いところであるのは間違いないらしい。それはともあれ、そろそろ素材を見せてくれないか?」
そうロジャーに促され、レイは何の素材を出すか迷い……魔の森の中では一番数の多かった、オークナーガの死体を取り出す。
ローリー解体屋で解体してもらった死体も多かったが、まだ解体していない死体も多い。
まずはこのモンスターの死体だというのを示す為に、床の上にオークナーガの死体を置く。
「これがオークナーガ。……魔の森にいたモンスターで、俺が使っているモンスター図鑑には載ってなかったから、多分新種だと思う。その辺はあまり詳しくないから、もしかしたらどこかで見つかっているモンスターって可能性もあるけど」
「ほう……オークナーガか。外見に相応しい名前だ。それで、このモンスターは強いのか?」
「基本的に集団行動をするモンスターだな。ただし、全員が魔法を使える」
魔法を使うモンスターというのは、それなりにいる。
それこそモンスターの中でも最弱の一つとして名高いゴブリンの中にも、上位種や希少種といった存在であれば、普通に魔法を使ってきたりするのだ。
しかし、これはゴブリンなどではなく魔の森のモンスターだ。
当然相応の実力を持ち、普通の冒険者であれば集団で放たれる魔法に対処するのは難しいだろう。
その辺りの説明をすると、ロジャーは興味深そうにオークナーガの死体を見る。
レイはそんなオークナーガの死体を再びミスティリングに収納し……それを見たロジャーが不満そうに口を開く。
「もう少しゆっくりと見せてくれてもいいと思うが?」
「悪いな、死体そのままでこの季節だ。あまり出しておきたくないんだよ」
ロジャーの私的な建物ということで、家の中は冷房が効いている。
それを考えれば、それなりに死体を出しておいてもいいのかもしれないが、それでも少しでも腐らないようにするということを考えれば、ここはやはり出来るだけ早くミスティリングに収納しておいた方がいい。
「代わりに、こっちだ。素材として使えそうな風に解体して貰った奴」
死体の代わりにレイが出したのは、ローリー解体屋で解体して貰ったオークナーガの素材と思しき部位の数々。
「これがオークナーガの素材か」
オークナーガの内臓を始めとした素材だけに、見た目はかなり不気味だ。
しかし、ここにいるのは錬金術師と冒険者だ。
錬金術師は日常的にモンスターの素材を使うし、冒険者はモンスターの解体をする。
だからこそ、目の前に突然オークナーガの素材が置かれても、特に気にした様子はなかった。
「ああ。とはいえ、これはあくまでも素材だ。これをどうやってゴーレムに使うのかというのは、ロジャーが考える必要があるけどな。……というか、今更の話だがこういうモンスターの内臓とか、そういうのって、ゴーレムに使えるのか?」
レイが知っているゴーレムというのは、石、砂、泥、木、金属……それ以外にも多数存在するが、基本的には無機物だ。
……一応、日本にいた時の趣味として楽しんだゲームやアニメ、漫画といったものでは、死体をゴーレムの素材にしたりといったようなものもあったが、そのようなゴーレムはこの世界ではみていない。
ましてや、このエグジニスはゴーレム産業が盛ん……つまり、ゴーレムを売って利益を得ている者が多い場所だ。
そのような場所で、まさか死体を使ってゴーレムを作るといったような真似をするのは、自殺行為でしかない。
日本に比べて倫理観が低いこの世界であっても、普通は死体で出来たゴーレムを欲しがる者はいないだろうし、何よりそんなゴーレムを見たいと思う者もいないだろう。
「問題なく使える。使えるが……これらの素材には、一体どういう効果があるのか分からないとどうしようもないな」
その辺はどうなんだ? といった視線をレイに向けるロジャー。
ロジャーにしてみれば、既にこの素材がどのような効果を持ち、どのような性能を持つゴーレムの部品として使えるのかといったような期待をしてのことだったが……
「分からないな」
「は?」
レイの口から出て来た言葉が、完全に予想外だったのだろう。
ロジャーは護衛の冒険者達にしてみても、間の抜けたといった表現が相応しいような声を上げる。
「だから、このオークナーガは新種のモンスターだ。少なくても、ギルムでは初めて確認されたモンスターなんだぞ? そんなモンスターの素材を、どうやって使えばいいのかなんて、分かる訳がないだろ」
『確かに』
レイの主張に、護衛の冒険者達は同意する。
初めて倒した新種のモンスターだけに、その素材をどのようにして使えばいいのかというのは、それこそ実際に使う者達が調べる必要がある。
具体的には、この場にいるロジャーだ。
「……それを私に調べろと?」
「そうなるな。勿論、他にも魔の森周辺で倒したモンスターの死体や素材はあるが、その多くが何の情報もない以上、どれを渡しても変わらないぞ?」
「ぐぬぅ」
悔しげに呻くロジャー。
ロジャーにしてみれば、自分で一からどのような性質があり、どのようなゴーレムの素材として使えるのかといったことは、既に分かっていると思っていたのだ。
それだけに、レイの口から出た言葉は完全に予想外であり……同時に、言われてみれば納得するしかないことも事実。
「ちなみにだが、ドーラン工房の取引で使おうと思っている素材に関しても、どういう風に使えばいいのかというのは、全く分かっていない。向こうも、もし俺との取引をすることになったらどういう風に使うかといった研究からすることになるだろうな」
その場合、有利なのは恐らくロジャーだろうというのが、レイの予想だった。
ドーラン工房との取引で使う素材は、魔の森で倒したランクAモンスターの素材なのは間違いない。
だが、ランクAモンスターという貴重な素材だけに、当然ながらその量は一匹分しか存在していないのだ。
それに比べると、オークナーガは集団で行動しており、レイはその集団を倒している。
つまり、ある程度なら素材を無駄にしても、すぐに次の素材……といったように、代わりがあるのだ。
「どうする? どういう性質を持つのかというのから調べないといけない以上、まずは研究が必要になる。そうすれば当然だが時間が掛かる筈だ。……ただし、その素材を初めて研究するのがロジャーである以上、もしかしたらこの世界で唯一ロジャーだけがオークナーガの素材の有用性について知ることが出来る……かもしれない」
半ば煽るかのような言葉だったが、それは純粋にレイが思っていることなのは間違いない。
もしオークナーガの素材を研究し、ロジャーのゴーレムが高性能になったら、それは間違いなくロジャーの手柄であり、その技術をロジャーが……あるいはロジャーのいる工房が独占することになるのは間違いないのだから。
現在多くの者がドーラン工房のゴーレムを欲しがっているのも、ドーラン工房が何らかの独自技術を開発し、それによってゴーレムの性能が飛躍的に上がったからに他ならない。
……とはいえ、当然のことだが他の工房を出し抜けるような何かを見つけるのはそう簡単な話ではない。
もしそのようなことが簡単に出来るのなら、ゴーレムの技術は今よりもっと高くなっていただろう。
つまり、未知のモンスターの素材を研究して、それが何らかの新技術の鍵になるのかどうかは、それを行う者の解析力や技術もそうだが、もっと大きな要素として運が関係してくる。
そういう意味では、ロジャーの運がいいのか悪いのか、微妙なところだろう。
セトを見つけて奪おうとして返り討ちにされ、だがそのおかげでレイと会うことが出来た。
更には、それによって未知のモンスターの素材を手に入れる機会を得たのだから……総合的に見て、恐らくは運がいいだろうと、そうレイは考えながらロジャーの返事を待つのだった。