2666話
「……失礼しました」
レイの前にいた受付嬢は、ランクA冒険者用のギルドカードを返すと、そう頭を下げてくる。
「いや、気にしないでくれ。俺を心配してくれたんだろ」
ギルドカードを出す羽目になったのは、受付嬢がレイのことを心配した為だ。
ここで下手に受け付けし、後でそれが問題になって権力者から狙われるかもしれない……そう思った受付嬢は、レイに大丈夫か? といったように聞いて来たのだ。
レイはそれに対して問題ないと返事をしたのだが、受付嬢はそれを素直に信じるような真似は出来ず……そしてレイは自分の持つギルドカードを渡し、それでようやくレイがランクA冒険者で、何かをされても問題ないと判断したのだ。
寧ろ、そのようなことがあれば、レイは相応の反撃をする。
レイの場合は敵対した相手が貴族であっても、一切の躊躇なく反撃を行う。
レイの噂を知っている者であれば、その辺についての話も当然のように知っており、だからこそレイにちょっかいを出すような真似は、そう簡単にはしない。
……レイのことを知らない者であれば、あるいはちょっかいを出してくる可能性も否定は出来ないが、そのような者は他の者達にしてみれば、情報収集能力が足りないという意味で、レイにちょっかいを出して反撃されても自業自得といったように認識するだろう。
行列に並んだ時、レイの前にいた伯爵家に仕えている男がレイに対して友好的に接してきたのも、その辺りの考えがあってのものだ。
「取りあえず、これで俺が問題ないと判断した以上、ドーラン工房のゴーレムを購入するのに参加出来るんだよな? ……どういう風にして購入者を決めるのかは、まだ分からないけど」
「ええ、勿論です。ただ、今回はまだその辺の話は決まってません。受付だけして、後日改めて条件をお知らせするといった形になります」
レイにとっては面倒臭いことこの上なかったが、早い者勝ちと言われないだけマシだったと判断する。
今の状況を思えば、自分だけではなく他の者達も購入する条件を知らないという意味では、イーブンなのだから。
「分かった。なら、待たせて貰うよ」
そう言い、レイは受付嬢に渡された書類を書いていく。
ドーラン工房のゴーレムを購入する予約……というよりは、そのイベントに参加するといった申し込み用紙的な紙だ。
とはいえ、今まで色々な売り方をしていると聞いているので、レイとしては特に違和感なく書いていく。
(とはいえ、ゴーレムを購入する資金的な余裕がどのくらいあるのかといったようなこととかを書く場所がないのはどうかと思うが)
とはいえ、幾らの資金があるのかといったことを書く場所がない訳でもない。
自分の売りを書くといった欄があるのだ。
金銭的に余裕のある者は、そこに幾らまでなら出せるといったようなことを書いたりするのだろう。
レイも最初は金額を書こうかと思ったのだが、すぐにそれを却下する。
自分の売り……いわゆるアピールポイントを書く場所だ。
レイが一番金持ちなら、その金額を書いてもいいだろう。
だが、貴族や商人といった者達の中には、当然だがレイよりも金持ちの者はいる。
そうである以上、レイとしてはわざわざ相手の土俵の上で戦うといったような真似をしなくても、自分のアピールポイントを書いた方が効率的だった。
商品代金として、辺境にあるギルム周辺で取れたモンスターや、魔の森のランクAモンスターの素材、そして毛や羽毛の類ではあるが、ランクS相当の扱いとなっているセトの素材も多少であれば渡せる。
そんなことを書いておく。
クリスタルドラゴンの素材についても書こうかと思ったが、残念ながらクリスタルドラゴンの死体は現在解体中であって、その素材は手元にない。
とはいえ、クリスタルドラゴンの素材は間違いなく大きなアピールポイントになるのは確実であり……現在ギルムのギルドで解体中で、近いうちに素材が入手出来るといった風にだけ書いておく。
最後に連絡先として星の川亭と書いて、書類で埋められる場所は全て埋めた。
「あら、星の川亭ですか。いい宿に泊まってますね」
既に受付嬢は、レイがランクA冒険者であるというのを理解している。
その為、エグジニスの中でも最高クラスの宿に泊まっているというのを見ても、特に驚きもせず納得していた。
受付をしている者の中には、それこそレイと同じく星の川亭に泊まっている者も多いのだ。
そうである以上、レイが星の川亭に泊まっていると言われても、受付嬢には納得出来る。
そして、改めて書類を見直し……
「え? これ! ……本当ですか?」
書類の一部分を見た受付嬢は、一瞬叫びそうになりながらも何とかその驚きを消し、改めてレイに向かってそう尋ねる。
これ? と言われても、書類は受付嬢が持っているので、レイからは何とも言えないが……ただ、それでも何について驚いているのか、その予想くらいは出来る。
「魔の森のモンスターの素材って話なら、間違いないぞ。今ここで見せろと言われれば、普通に見せられるし」
レイその自信満々の声を聞けば、その言葉が本当だというのは受付嬢にも予想出来た。
ランクA冒険者のギルドカードを見て、それで十分にレイが凄腕だというのは理解していた。
だが、それでもランクAモンスターの素材をすぐに使ってもいいというのは、かなり大きいアピールポイントだ。
……受付嬢は魔の森については知らなかったのか、ランクAモンスターの素材という点だけで興奮していた様子だったが、レイがそれに気が付くことはない。
「そうですか。これなら選ばれる可能性は高いと思います。それに、限られているとはいえ、新種のドラゴンの素材やグリフォンの素材まで……」
改めて、受付嬢はレイに向かって驚きの視線を向ける。
レイはその手の視線を向けられるのは慣れているので、特に気にした様子もなくその後のやり取りを終わらせ、事務所から出る。
……その途中、レイと同様に事務所の中で手続きをしていた者達のうちの何人かから意味ありげな視線を向けられはしたものの、その視線は無視した。
中にはあからさまな悪意を抱いている視線もあったのだが、恐らくはレイのことを知らない者、気が付かない者が何故レイのような子供がこのような場所にいるのかといった風に思ったのだろう。
あるいは、レイと受付嬢との会話を聞いており、レイがランクAモンスターの素材を持っているというのを知って危険視したのか。
ドーラン工房のゴーレムを欲している者にしてみれば、金以外の何かでレイが取引をしようとしているのを不満に思ってもおかしくはない。
元々ドーラン工房のゴーレムの生産数は決して多くはない以上、金以外の物……それも錬金術師であれば間違いなく欲しがるだろうランクAモンスターの素材を持つレイは、他の購入希望者達にしてみれば強力なライバルでしかない。
レイを危険視するのは当然だった
とはいえ、ここに派遣されてくるということはそれなりに有能な人物と見なされてのことだ。
当然のように、殆どの者はレイのことを知っており、幾ら悪意を抱いていても力でレイをどうにか出来るとは思っていない。
あるいは、自分以外の者……具体的には腕利きの者に頼んでレイを脅すなりなんなりするという方法を考えている者もいたが、そのようなことを実行に移した場合、間違いなく後悔することになるだろう。
そんな様々な視線を背中に感じつつ事務所を出たレイは、少し離れた場所で待っていたセトと合流する。
幸いにも、レイが事務所の中にいる時に昨日のロジャーのようにセトにちょっかいを出すような者はいなかったらしい。
もしそのような者がいた場合、それこそセトの周囲にはそのような者が気絶して倒れていてもおかしくはないのだから。
そうである以上、特に問題らしい問題はなかったと判断するのは当然だった。
「グルゥ!」
レイの姿を見たセトは、嬉しそうに喉を鳴らして近付いて来る。
そんなセトを撫で、レイは口を開く。
「待たせてしまったな。じゃあ、ギルドに行くか。……もしかしたら、リンディがいるかもしれないし」
昨日はロジャーのせいで、リンディとのやり取りは途中で終わった。
……もっとも、その後の諸々でレイが欲しかった情報の類は既にかなり入手出来たが。
ただし、ゴライアスの一件については当然だが何も情報を収集出来ていない。
当然だろう。ドーラン工房に関しては、多くの者が興味を抱いている。
それに対して、ゴライアスという人物は孤児院出身の者達にしてみれば重要な相手ではあるが、それ以外の者達に関しては冒険者の一人でしかない。
だからこそ、ドーラン工房についての情報を知っている者は多くても、ゴライアスの情報を持っている者は少ないのだ。
レイとしては、ゴライアスの情報を入手する為にはリンディと接触する必要があった。
ゴーレムも大切ではあるが、孤児院についても気になっていたのは間違いのない事実なのだから。
……とはいえ、金に困っている孤児院というのは他にも数え切れない程に存在している。
生憎とレイはこれまでそのような孤児院に接することは殆どなかった。
それこそ、人によってはレイの行為を偽善と言って糾弾する者もいるかもしれないが、レイにしてみれば自分と関わった相手のことを思って、そのように行動しているにすぎない。
だからこそ、今の状況を思えば誰かが偽善だ何だと言ってきても、レイは特に気にすることはないだろう。
(こうして見ると、まだかなり人数が並んでいるな。……こうなると、やっぱりゴーレムを購入する競争率は高くなりそうだ)
事務所の前に並んでいる相手を眺めつつ、レイはそんな風に思う。
魔の森のランクAモンスターの素材やクリスタルドラゴンの素材、セトの毛や羽毛といった素材で支払うといったようなことを主張はしたものの、それがドーラン工房の錬金術師達にとってどれくらいの興味を抱かせるのか。
その辺りが一番大きな理由となるだろう。
途中で何度か屋台によって、適当な食べ物を買ってセトと共に食べ歩きをする。
食べ終わった串焼きの串は、いつもならゴミとしてミスティリングに収納したり、どこかのゴミ箱に捨てたりといったような真似をするのだが、このエグジニスにおいては、ゴミ拾い用のゴーレムが多数存在しているので、そのゴーレムの前に串を放り投げた。
ゴーレムは自分の側に落ちた串を即座に察知。
すぐに串を拾い上げ、自分の腹の中に入れる。
そんなゴーレムの様子を見て、どこか愛らしさすら感じていた。
(ゴーレムの外見をもっと可愛らしい奴にすれば、ペットロボ的な存在で売れるんじゃないか? まぁ、ゴミを拾ったりするんだから、ペットロボがそういうのをやってもいいのかといった問題もあるけど)
その辺の認識としては、この世界の人間と日本で生きてきたレイでは、微妙に違っていることもある。
だからこそ、錬金術師がゴーレムをどのようにするのか……その感性に関しては、レイも取りあえず棚上げすることにした。
「グルルゥ?」
「いや、何でもない。じゃあ、行くか。ギルドにリンディがいるかもしれないし、そっちに向かうか」
ゴーレムを見ていたレイは、セトの鳴き声で我に返ってギルドに向かう。
ドーラン工房の高性能ゴーレムはともかく、掃除用のゴーレムは出来るだけ早く購入したいなと思いながら。
(ゴーレムは生き物じゃないし、ミスティリングに収納出来るんだよな? モンスターのゴーレムと錬金術師の作ったゴーレムでは色々と違うだろうし、その辺は一応確認してみた方がいいか)
そう思うも、さすがにその辺のゴミ拾い用のゴーレムを手にしてミスティリングに収納しようなどとは思わない。
そもそも、これらのゴーレムが一体誰に所有権があるのか分からないのだ。
錬金術師達が大量に作りすぎて、気に入ったのがあったら持っていってもいい……というような感じなら構わないが、そうでない場合――こちらの方が可能性は圧倒的に高いが――は、単なる窃盗犯になってしまう。
そうなると、これからドーラン工房でゴーレムを購入しようとしているのが水の泡になってしまう可能性があった。
だからこそ、やはりゴーレムで色々と実験をするのは工房やマジックアイテム屋、あるいはそれ以外の場所でしっかりと購入してからにしようと判断し……やがてギルドが見えくる。
「さて、リンディがいるといいけど。……セトはどう思う? リンディがいると思うか?」
「グルゥ……」
レイの言葉に、いないと思うといったように喉を鳴らすセト。
そんなセトの様子に微妙に嫌な予感を覚えつつも、セトと別れてギルドに入るのだった。