2665話
「んん……ん……」
コンコン、と扉をノックされる音で目が覚めたレイだったが、そのような音が聞こえても未だに寝惚けたままだ。
これが野営中なら、即座に目が覚めるのだが。
しかし、今レイがいるのは星の川亭という、エグジニスの中でも最高級の宿の一室。
当然だが、ベッドを始めとする寝具も一流の物が揃っており、それによってレイはぐっすりと眠っていたのだ。
上半身を起こした後も、まだ半分は眠っているかのように周囲を見回し……気が付けば、扉をノックする音も消えている。
ノックをしてもレイが出て来なかったので、恐らくもう起きてどこかに出掛けたと思ったのだろう。
だが、レイはそんな様子にも全く気が付かずに十分程寝惚け眼のままでいて……そして、ようやく我に返る。
「そう言えば、昨日から星の川亭に泊まっていたんだったか」
そこから、昨夜ゴーレム酒場での一件についても思い出し、夜中というにはまだ若干早い時間に自分は宿に戻ってきたのだったと、そう思い出す。
昨夜のことを思い出すと、次は今日これからどうするのかということになる。
「やっぱり一度はドーラン工房に顔を出した方がいいのか? 俺がドーラン工房のゴーレムを欲しがっているとはいえ、そもそも向こうがそれを知らないと意味はないし。それに、素材で代金を支払ってもいいってのも、示しておく必要がある」
素材で支払うというのは、ドーラン工房の高性能ゴーレムを欲している者達の中では、レイにしか出来ないことだ。
いや、正確には素材で支払うというだけなら、他の者も同じような真似は出来るのだが、その場合重要なのは素材がどれだけ希少な物かというのが大きいだろう。
貴族や商人達が素材で支払うとなると、その素材はどうしてもありふれた物になってしまう。
あるいは、貴族ならギルムの貴族街に自分の親族がいれば、そちらで手を回して辺境のモンスターの素材を入手出来るかもしれないし、商人の場合は自分の部下をギルムに向かわせたり、資金的に余裕があるのならギルムに行った他の商人から買い取ってもいい。
しかし……そのような者達と比べても、レイの持つカードは強い。
何しろ、普段は近付くことすら禁止されている魔の森に棲息するモンスターの素材なのだし、そんな中でもランクAモンスターの素材というのは極めて強力なカードとなる筈だった。
「うん、その辺を理由にして交渉してみるのもいいかもしれないな。ただでさえドーラン工房のゴーレムは希少なんだから、動きは早い方がいいし」
そう判断すると、レイは手早く準備をして部屋から出る。
すると、どこかの貴族のメイドと思われる人物が、ちょうどレイのいる部屋に向かってやって来るところだった。
「すいません、レイ様。主が会いたいと言うので予定を聞きに来たのですが……これからお出かけですか?」
「ああ。エグジニスの中はまだ見ていない場所が幾らでもあるしな。それにドーラン工房にもゴーレムを買いたいと言っておきたいし」
「そうですか。分かりました。主にはそのように言っておきます。……その、ドーラン工房ですが、工房はあくまでもゴーレムを製造する場所で購入を申し込むのならドーラン工房ではなく事務所に行く必要がありますが、ご存じでしょうか?」
「そうなのか? いや、初めて知った」
メイドにしてみれば、少しでもレイの覚えをよくして自分の主との面談を行って欲しいという思いから、レイの口から出たこれからの予定について、自分の知っていることを教えただけだ。
だが、その助言はレイにとって有益なものだった。
もし知らなければ、レイは事務所ではなくドーラン工房にそのまま向かっていただろう。
そうなれば、何か面倒なことになった可能性は否定出来ない。
「何でも、ドーラン工房のゴーレムは作るのにかなり手間暇が掛かるということで。精密な作業も多いらしいですので、それを余計な雑音で邪魔されるのが嫌らしいです」
「職人だと、そういうものなんだろうな」
腕の立つ職人だからこそ、他の者には理解出来ない拘りの類があってもおかしくはない。
レイもこれまで何人も腕の立つ職人と会ってきたので、その辺については理解出来た。
(ドーラン工房のゴーレムが少ないのは、希少な素材を使ってるからだけかと思ってたんだが、それ以外にも作るのにも普通のゴーレム以上の技術が必要なのか。いやまぁ、希少な素材だけなら他の工房の錬金術師でも同じようなのを作れてもおかしくはないけど)
メイドに感謝の言葉を口にすると、レイはその場から立ち去る。
その後、宿から出るまでの間にも数人に話し掛けられたが、レイはこれから出掛けるところだと言うと、誰もが素直に退いた。
ここでレイに無理を言っても、仕える相手の不利益になるだけだというのを理解しているのだろう。
もっとも、その仕える相手がその辺を理解しているかどうかは、また別の話だったが。
結局このまま宿にいたのでは多くの者に声を掛けられると判断したレイは、星の川亭の食堂を利用するのを諦め、セトと共に外で食事をすることにした。
……もっとも、レイが起きるのは遅かったので、既に厩舎ではセトにしっかりと餌を与えていたのだが、セトにしてみればその餌を食べた後でも普通に料理を食べるといったくらいは出来る。
そうして、レイはセトと共に屋台で買い物をしながら、ドーラン工房の事務所に向かう。
ギルドに行ってリンディから色々と情報を聞いてもよかったのだが、まずはドーラン工房の事務所でゴーレムを購入するという意思を示しておく必要があると、そう考えたのだ。
ドーラン工房の事務所のある場所に関しては、それこそ屋台で適当に料理を買うとすぐに教えて貰えた。
現在エグジニスの中では最も高い技術を持っている錬金術師の工房だけに、有名なのは間違いない。
それこそ、エグジニスに来た多くの者達がドーラン工房のゴーレムを欲するのだから。
だが、ドーラン工房で生産出来るゴーレムの数は多くない。
その為に、多くの者達がゴーレムを購入する意思を事務所に伝えるのだ。
……情報収集が甘い者の場合は、事務所ではなくドーラン工房に直接行って無駄足を踏むことになるのだが。
場合によっては、自分は地位や権力がある人物である以上、事務所ではなく工房で受け入れろ。いや、自分は偉いのだから、今すぐ無条件で自分に寄越せ……といったようなことを主張した者もいるらしい。
屋台の店主は、そのようなことを言った人物を心の底から馬鹿にしつつ、レイにはくれぐれもそのような真似をしないようにと言ってきた。
(そんな馬鹿な真似をしたのが、具体的にどんな地位にあるのかは分からない。けど、自分で偉いと言うんだから、それなりの地位ではあった筈だ。そうなると、護衛も当然いた筈。その護衛がどうしようもなかったんだから、ゴーレムは相応の強さを持っている訳だ)
あるいはゴーレムではなく、何らかのマジックアイテムを使ったといった可能性もあったのだが、レイとしてはドーラン工房がゴーレムで有名になった以上、恐らくゴーレムを使って護衛をどうにかしたのだろうと、そう予想する。
「グルルルゥ」
レイの隣を歩いていたセトは、不意に喉を鳴らす。
あそこでしょ? と、レイにドーラン工房の事務所のある場所を教えたのだ。
「ああ、あそこだな。教えてくれてありがとな」
考えに熱中していたレイだったが、それでも周囲の状況はしっかりと見ていた。
それでも折角セトが教えてくれたのだからと、レイはセトに感謝の言葉を口にし、撫でてやる。
それが嬉しかったのか、セトは喉を鳴らし……そうして歩いていると、やがて目的の場所に到着した。
「これはまた……てっきり事務所なんだからもう少し人が少ないかと思ったんだけどな」
事務所の前に五人程が並んでいるのを見て、レイは驚き……そして、さすがドーラン工房の事務所と納得する。
エグジニスにおいて、現在最高性能を持つゴーレムだ。
そのゴーレムを購入しようと考える者が多いのは、当然の話だった。
五人しか並んでいないのは、寧ろ幸運だったと言えるだろう。
「じゃあ、セト。そうだな。俺と一緒に並んでくれるか?」
いつもなら、建物の中に用事がある場合、セトは外で待っているのが普通だった。
しかし、現在は事務所の前にある行列に並ぶのだから、レイも外にいるということになる。
そうである以上、セトと一緒に並んで待つというのは、そうおかしな話ではない。
「おわぁっ! グ、グリフォン!?」
行列の一番後ろに並んでいた男は、そんなセトの姿を見て驚いた様子を見せていたが。
だが、最初こそ驚いていた男もレイについては知っており、そのレイが従魔にしているというセトの存在も知っていた。
そして物怖じしない性格らしく、男は人懐っこい性格をしているセトにすぐに慣れて、その身体を撫でる。
「ここに並んでるってことは、あんたもゴーレムの購入希望なんだよな?」
「ああ。とはいえ、正確には俺じゃなくて俺の主人が、だけどな」
そう告げる男は、地方にある伯爵家に仕えている人物であると、自己紹介をする。
伯爵家というのは、貴族の中でも中堅所の爵位だ。
上には侯爵や公爵がおり、下には男爵や子爵がいる。
ダスカーのような辺境伯も、爵位的には普通の伯爵家よりも上だろう。
そういう意味で、貴族中でもほぼ真ん中付近の爵位が、伯爵なのだ。
とはいえ、当然ながら伯爵家といったところで千差万別だ。
爵位としては中堅ではあっても、子爵家よりも貧乏な伯爵家もあれば、逆に公爵家並の資産を持っている伯爵家というのも存在している。
レイの前にいる人物は、公爵家程……とまではいかないが、それでも平均的な伯爵家よりは裕福なのは間違いないだろう。
多くの貴族や成功した商人と競り合ってまで、ゴーレムを欲しているのだから。
「ドーラン工房のゴーレムが欲しい場合、この事務所で申し込みをして……それからどうするんだ?」
「その辺は毎回違うらしい。単純に一番高額で欲しいと言った相手に売ったり、何らかの特定の素材とかを持ってきた相手に売ったりだな。……レイにとって一番いいのは、多分ゴーレムと戦って勝った相手に売るって奴だな」
「それ、本当か?」
レイにしてみれば、戦って勝てばゴーレムを売ってくれるというのは願ったり叶ったりだ。
強さという点では、レイも相応に自信を持っている。
そうである以上、今回も戦って勝てば売るという方法であってくれるのが一番ありがたい。
……とはいえ、レイもそこまで自分に都合よく物事が進むとは思っていない。
あくまでもそうなったらラッキー程度の気持ちで、男と話しながら行列が前に進むのを待つ。
行列の進み具合は、それなりに早い。
おかげで、レイが男と話している間にもどんどんと行列は進んでいく。
レイの後ろに並んだ者達も、最初はセトの存在を怖がっていたようだったが、少しセトと触れあえばセトが怖い相手ではないというのはすぐにわかり、レイの予想以上に和やかな雰囲気で行列が進み……やがて、レイの番になる。
「じゃあ、セト。俺はちょっと事務所の中に行ってくるから、お前はここで待っててくれ」
「グルルゥ」
そうセトと言葉を交わし、レイは事務所の中に入る。
事務所の中に受付のカウンターが幾つもあり、レイよりも先に事務所の中に入った者達はそのカウンターでドーラン工房の職員……錬金術師ではなく事務職員と思しき相手と、それぞれ話をしている。
レイは七番カウンターの職員に呼ばれ、そちらに向かう。
二十代程の、どちらかといえば美人といった顔立ちの女は、フードを脱いだレイを見て心配そうな表情を浮かべる。
年齢的に、まだ十代半ばと思しき人物。
いや、十代半ばであっても、冒険者として活躍している者であれば、相応の迫力があってもおかしくはない。
しかし、女の前にいるレイはとてもそのように活躍している冒険者には思えなかった。
もっと言えば、そのような人物だけに、レイがドーラン工房のゴーレムを購入出来るような金を持っているとは思えない。
ここが普通の工房なら、その辺の問題があってもある程度お互いに話し合って解決したりといった真似が出来るのだが、このドーラン工房においてそのような真似をした場合、他の客達からどんな目に遭わせられるか分からない。
ドーラン工房のゴーレムを購入したいと思う客達は、その大半が相応の資産や地位、権力を持っている者達だ。
そのような者達が買おうとしてるゴーレムを、レイのような子供が買おうとして……ましてや、そのゴーレムを購入された場合、どのような手段に出るのか分からなかった為だ。
そうして心配はしていたのだが、それでも自分は事務職員である以上、仕事をきちんとする必要があると判断して、口を開くのだった。