2661話
「ここが星の川亭か」
「グルゥ」
レイはセトと共に、立派な宿屋の前にいた。
食堂でロジャーから色々と情報収集をし、更には結構な金額の食事代を奢らせることで、取りあえずレイはセトの一件を許すことにした。
……セトの方は、元々相手がそこまで強くなかったこともあり、そこまでロジャーを恨んではいなかったし、食堂で思う存分料理を食べることが出来たので、寧ろロジャーを気に入ってすらいる。
そんなロジャーから紹介されたのが、星の川亭。
アンヌやリンディからも聞いていた宿で、このエグジニスの中でも最高峰の宿と言われている。
そんな場所だけに、基本的には普通に訪ねて泊まりたいと言っても、断られる。
もっとも、レイの場合は異名持ちのランクA冒険者だけに宿の方で特別扱いをする可能性は高い。
その上で、レイはロジャーからの紹介状を貰っている。
レイにしてみれば、ロジャーはセトに危害を加えようとした錬金術師といった認識だが、リンディから聞いた話によると、このエグジニスにおいてはそれなりに強い影響力を持っていると言っていた。
そうである以上、そんなロジャーからの紹介状があれば問題ないだろうと判断し、宿の敷地内に入っていく。
「失礼します、何かご用でしょうか?」
セトを連れているので、当然ながらレイの存在は目立つ。
そんなレイとセトの姿を見て宿の従業員と思しき人物が近付いてきて尋ねる。
レイはともかく、体長三m以上もあるセトの前に出ていながら、怯えた様子はない。
いや、あるいは内心ではセトに恐怖や畏怖を感じているのかもしれないが、それを表に出すといったような真似はしていなかった。
それだけを見ても、随分と度胸のある人物だとレイには思えた。
「ああ、星の川亭に泊まりたいと思ってやって来たんだ。見ての通り、俺の従魔のセトは大きいからな。その辺の宿だとちょっと狭苦しい」
そう言われれば、従業員の男もセトに視線を向けて、納得した様子を見せる。
見せるのだが、申し訳なさそうに口を開く。
「その、前もって予約の方は……」
一流の宿の従業員だけに、当然のように予約してある客の名前は理解している。
だからこそ、もしかして予約をしている客なのかと思ったのだが、少なくても従業員にはレイという名前は今日の予約客に入っていなかった。
……ロジャーと違い、セトを連れているのを見た時点で目の前にいるのが誰なのかを理解している辺り、従業員としても有能な人物なのは間違いない。
それでいながら、例え深紅の異名を持つレイであっても予約なしで泊まるのは断ろうとしている辺り、仕事にも熱心なのだろう。
「いや、してない。ただ、錬金術師のロジャーから紹介状を貰ってきたけど、駄目か?」
「ロジャー様の……?」
レイの口から出たまさかの言葉に、従業員は驚く。
エグジニスにおいて、ロジャーは腕利きの錬金術師として知られているが、同時に横暴な態度を取る者としても知られている。
そんなロジャーが書いたという紹介状なのだから、それに驚くなという方が無理だった。
一瞬、偽物の紹介状なのでは? と思わないでもなかったが、深紅の異名を持つレイがそのような真似をするとは思えないし、何よりそこでわざわざロジャーの名前を使う理由が理解出来なかった。
「少々お待ちを。上の者に話をしてきますので。レイ殿は中でお待ち下さい。そちらのセトは、厩舎の方に案内させます」
一応レイの持っている紹介状を本物と認識したのか、もしくは異名持ちの冒険者を粗雑に扱うといった真似は星の川亭にとって不利益になると判断したのか、そう言ってくる。
レイはセトと分かれ、宿の中に入った。
(へぇ)
宿の内部を見て、感心する。
レイがギルムで定宿にしている――現在では部屋を借り続けているが、マリーナの家が住居と化しているが――夕暮れの小麦亭は、ギルムでも最高峰の宿ではあるが人肌の温もりのあるような宿と言ってもいい。
それに対して、星の川亭はホテル然とした佇まいの宿だった。
とはいえ、レイも特にホテルの類については詳しい訳ではない。
修学旅行の類で泊まったことがある程度だが、当然ながらレイの通っていた高校は田舎の高校だけにそこまで豪華なホテルに泊まるといったような真似は出来ない。
……もっとも、エルジィンに来てからはレイも色々な場所に行ったりしてるので、そんな中ではホテルに近い宿に泊まったことはあったが。
先程の従業員に、ソファに座って待っていて欲しいと言われたレイは、素直にその言葉に従う。
そうしてソファに座って周囲の様子を見ると、貴族や商人と思しき者達がそれなりにいるのが分かる。
(この連中は、エグジニスにゴーレムを買いに来たんだろうな。……俺のことには気が付かないみたいだけど)
ドラゴンローブのフードを被っているので、現在レイの顔を確認することは出来ない。
そうなると、ドラゴンローブの隠蔽の効果もあり、何故魔法使いになったばかりのような者がこの宿にいるのだ? と疑問の目で見る者も多い。
いや、中には身の程知らずがといったように、あからさまに嘲笑を浮かべている者もいた。
エグジニスの中でも最高峰の宿らしく、内部はマジックアイテムで夏でも涼しく快適にすごせるようになっている。
そんな状況ではあったが、レイは視線を特に気にした様子もない。
自分が色々な視線で見られることはには、慣れていたのだ。
慣れていたのが……
「レイ!? お主レイではないか!?」
不意に響き渡ったその声に驚いたのは、周囲にいる者達もそうだが……声を掛けられたレイが一番驚いただろう。
見知らぬ誰かに声を掛けられた……のではなく、聞き覚えのある声だったからだ。
そうして声のした方に視線を向けると、やはりそこにはレイの予想した通りの人物がいた。
その人物は、まだ少女と呼ぶに相応しい年齢の人物。
それでいながら、風、土、光の三属性の魔法を使いこなす、魔法の天才……マルカ・クエント。
国王派の中でも大きな力を持つクエント公爵家の令嬢で、レイとも少なからぬ縁を持つ相手だ。
「マルカ? 何でここに……」
当然だが、レイもこのような場所でマルカと会うというのは、完全に予想外だった。
それだけに、驚きも露わにマルカを見る。
マルカと最後に会ったのは数年前だったが、その数年でマルカは以前と比べてかなり成長していた。
……それでも、まだ年齢的に子供であることは変わらなかったが。
「妾がここに来た理由か? それは決まっておるじゃろう。エグジニスに来たのだから、当然ゴーレムを買う為じゃ!」
そう、堂々と言い切るマルカ。
とはいえ、実際マルカがエグジニスにいるのだから、その理由としては当然のことだったが。
そして、マルカがレイに話し掛けているのを見て、レイを胡散臭そうな視線で見ていた者達は、一体レイが誰だ? といったように疑問を抱く。
顔を隠しているレイのことは分からなくても、レイに話し掛けているマルカのことは多くの者が知っている。
姫将軍と呼ばれるエレーナの次の世代を代表する実力者と見られているのもあるし、何よりもミレアーナ王国の中でも最大派閥である国王派の中でも実力者の一人であるクエント公爵の令嬢なのだから、当然だろう。
実際、ここにいる者の多くが、何とかマルカと友好的な関係を築こうと狙っていた者が多い。
……それでも、さすがにマルカに話し掛けられたレイに絡むような者がいないのは、そのような真似をすればとてもではないがマルカと友好関係は結べないと理解しているからだろう。
「そう言えば、一人……な訳はないよな? コアンはどうしたんだ?」
「コアンは別に用事があってな。ここにはおらん」
「……おい、もしかして本当に一人で来たんじゃないだろうな?」
コアンというのは、以前レイも何度か会ったことがある、マルカの護衛だ。
腕の立つ魔法剣士で、レイに対しても丁寧な口調で話してくる、友好的な人物。
それでいいて、自分よりも圧倒的に年下のマルカに心酔しており、それこそマルカの為なら可能な限り叶えようとするような……そんな相手。
そのような人物が護衛としているからこそ、クエント公爵もマルカをある程度自由にさせているのだろう。
だというのに、そのコアンがいないとなれば、マルカの身の安全が心配になるのも当然の話だった。
勿論、マルカはこの年齢で三つの属性の魔法を使いこなすだけの実力者で、純粋な魔法使いとしてはかなり腕が立つ。
とはいえ、それでも年齢や立場の関係で、経験が少なくなるのは仕方がないことだ。
それこそ魔法を使おうとしても、それよりも前に近接戦闘に持ち込まれるといったようなことになった場合、マルカでは対処するのは難しいだろう。
だからこそ、現在のマルカが一体どのような状況なのか……それを心配に思うのは当然だった。
マルカもレイが一体何を心配しているのか、理解したのだろう。
レイを安心させるように口を開く。
「心配はいらん。コアンはおらぬが、妾の護衛は別に用意してある。……コアン程に腕が立たないのが問題じゃがな」
そう告げるマルカだったが、その声が聞こえたのだろう。
少し離れた場所で待機していた男が、レイ達に近付いてきながら口を開く。
「コアン先輩と一緒にされたら困りますよ。そもそも、コアン先輩くらいの腕利きが、世の中にどれだけいると思ってるんですか?」
軽い……あるいは気さくな調子でマルカに声を掛ける男。
その手には槍を持ち、身体の動かし方からそれなりに腕が立つというのはレイにも理解出来た。
とはいえ、本人が言うようにコアンには及ばないらしかったが。
「それは仕方がなかろう。ただ、お主の話し方は妾にとっても気安くていいがな」
「話し方より、腕で評価されたいところですね。……おっと、失礼しました。私は現在コアン先輩の代わりにマルカ様の護衛を務めているニッキーといいます。深紅の異名を持つレイさんと会うことが出来るとは、感激ですよ」
ざわり、と。
ニッキーの口から深紅という言葉が出たのを聞いた周囲の貴族や商人達がざわめく。
ドラゴンローブのフードを被っているので、現在のレイの顔の多くは隠されている。
それだけに、まさか今のレイを見て深紅の異名持ちの冒険者であるというのは、全く気が付かなかったのだろう。
……ドラゴンローブの隠蔽の効果を見抜く能力の持ち主でもいれば、あるいはレイであると見抜くことが出来たかもしれないが。
「ニッキーか、よろしく頼む。マルカはかなりお転婆な性格をしているから、護衛も大変だろうが……頑張ってくれよ」
「む……レイ、お主は妾をどう思っておるのじゃ?」
「どうって言われてもな。今言った通りだが?」
それはマルカをお転婆であると思っていることに他ならない。
それを理解し、マルカは頬を膨らませて不満そうな様子を見せる。
「まぁまぁ。ほら、マルカ様もあまり子供っぽい怒り方をしない方がいいですよ」
「ニッキー、お主は妾をどう思っておるのじゃ? よもや、お主までもが妾をお転婆などと、そのようには思っておらぬじゃろうな?」
「……え?」
マルカの言葉に、ニッキーは一瞬言葉を発するのを迷う。
そしてマルカにしてみれば、ニッキーのそんな態度だけで十分だった。
「ふむ。ニッキーが妾をどう思っておるのか、よく分かった」
そう告げるマルカに、ニッキーは困ったように笑う。
それでいながら、自分の言葉を訂正しない辺りニッキーがマルカをどのように思っているのか、考えるのは難しくない。
そうしてレイがマルカやニッキー達と話していると、やがて先程の従業員が戻ってきて、レイに向かって一礼する。
「ロジャー様からの紹介状がありましたので、レイ様の宿泊は問題ありません」
「そうか、じゃあ、頼む。そうだな……取りあえず十日で」
実際には、十日もしないうちに一度ギルムに戻る必要があった。
それでもこれから暫くエグジニスにいることを考えると、ある程度の期間は泊まれるようにしておいた方がいい。
もし十日後にもっといい宿があれば、そちらに移ってもいいのだから。
「うん? なんじゃ、レイはこの宿に泊まれなかったかもしれなかったのか?」
「まぁ、こういう宿だし、いきなりやって来て泊まりたいと言っても、すぐにはいそうですかとはいかないだろ。それでロジャーって奴から紹介状を書いて貰ったから、問題はないと思っていたし」
「ほう……ロジャーか。あの者と接点があったのか。さすがレイじゃな」
感心したように言ってくるマルカだったが、レイとしてはあの状況を接点と言ってもいいのかどうか、非常に迷うのだった。