2659話
「えっと、これ……どうなってるの? いえ、セトだったかしら? レイのグリフォンが原因なのは分かるけど」
酒場での情報交換……というか、レイの一方的な情報収集を終え、ギルドから出たレイとリンディの二人が見たのは、セトの周囲で気絶していたり、痛みに呻いている冒険者と思しき者達だった。
不幸中の幸いと言うべきか、倒れている者達の中に死人はいない。
本当に、そのことだけが幸いだった。
「何となく分かるけどな」
セトの周囲に大勢の冒険者と思しき者達が倒れているのを見ても、レイは特に驚いた様子はない。
ここまで派手なことはそうそうなかったが、それでも今まで同じようなことを経験したことがあった為だ。
「多分、セトを倒そうとするか、奪おうとするか、もしくは毛や羽を抜こうとするか……ともあれ、セトに危害を加えようとして、返り討ちにあったんだろ。……違うか?」
そうレイに声を掛けられたのは、少し離れた場所に一人だけ立つ男だ。
実際にはセトの周辺に倒れている者達がその男の仲間、もしくは取り巻きだったのだろうが、その者達全員がセトに倒されてしまっている以上、そこにいるのは一人だけだった。
「貴様……貴様がこのグリフォンの飼い主か! この俺にこのような真似をして、ただで済むと思っているのか!」
「そう言ってもな。セトは自分から攻撃をするような真似はしない。どうせお前達の方からセトに危害を加えようとしたんだろう?」
「違う!」
レイの言葉に、男は即座にそう言いきる。
一瞬の躊躇もないその様子は、見るからに自分の言葉こそが正しいと、そんな様子に見えた。
そんな男の言葉を受け流したレイは、周囲の様子を見る。
冒険者が多数セトに倒されたということもあり、周囲に冒険者も含めて多くが集まっていた。
そんな中で、結構な割合の者達が叫んだ男に向かって忌々しげな視線を向けている。
(この様子からすると、典型的な貴族ってところ……いや、違うな)
最初は、いつものように貴族に絡まれたのかと思った。
貴族は……特に自尊心が強く、間違った意味でプライドの高い貴族にしてみれば、ランクAモンスターというのは他の貴族も所有していないということで、虚栄心を満足させるには最適の存在だ。
また、ランクAモンスターであれば、その実力も高く護衛としても使える。
そんなことを考え、貴族である自分に危害を加えるような存在はいないと思ってセトに手を出した……それがレイの予想だったのだが、叫んでいる男の服装は貴族が着るような高級なものではない。
(貴族じゃない? だとすれば、商人か?)
貴族にしろ商人にしろ、エグジニスにはかなりの数がやってくる。
そんな者の中には、世の中全てが自分の思い通りになると考えている者がいてもおかしくはない。
目の前にいる男もその手の輩かと、そう思ったのだ……
「レイ、ちょっと不味いかも」
レイの後ろに移動してきたリンディが、未だに不満を口にしている男から隠れるようにしながら、レイに向かってそう告げる。
レイは叫んでいる男の声を聞き流しながら、後ろにいるリンディに顔を向けないようにしながら尋ねた。
「あいつ、エグジニスの中でもかなり有名な錬金術師の一族だよ。錬金術の腕前が高いらしくて、だからそれを理由に好き勝手やってるっていう」
「……なるほど」
リンディの言葉に、レイは納得する。
貴族や商人だけがセトを狙うという思いのあったレイだったが、セトはランクAモンスターなのだ。……正確には希少種ということで、ランクS相当となっているのだが。
そんなセトだけに、毛や羽は勿論、身体のあらゆる場所が素材として有益だ。
だからこそ、マジックアイテムを作る錬金術師にしてみれば、宝の山と言ってもいいだろう。
その上、このエグジニスはゴーレムの製造で有名な街だ。
セトの素材を使ってゴーレムを作ることが出来れば、そのゴーレムは高性能になる可能性が高い。
(そう考えると、ギルムの錬金術師達はまだマシだったんだな)
トレントの森で伐採した木を魔法的な処理をして建築資材として使う為に集められた錬金術師達。
レイが木を運び込んだ時、何度となく珍しいモンスターの素材がないか、マジックアイテムはないかといったように、纏わり付いてきた。
だが、それでもセトに対して危害を加えるような真似はしなかった。
そう考えれば、レイの目の前でいかに自分が正しいのかといったようなことを主張している男と比べて、多少なりとも常識的だったのだろう。
もっとも、ギルムにおいてセトに危害を加えようものなら、セト好きの者達の間ですぐに情報が出回り、下手をすれば食料や生活に必要な道具ですら売ってくれないといったことになりかねない。
いや、その程度ならまだ運のいい方だろう。
セト愛好家の中には、もの凄くのめり込んでいるような者もいる。
某パーティのリーダーの女や、その女のライバル的な存在の女のように。
そこまでいかなくても、セトを愛でている者の中には冒険者も相当数いる。
そんな者達がセトに危害を加えたという話を聞いたら、どうなるか。
運がよければギルムの追放だったり、骨の一本や二本ですむかもしれないが、セトにどれだけの危害を加えたかによっては、最悪の結果にならないとも限らない。
その辺の事情を考えると、ギルムの錬金術師達も最後の一線を越えるといったことはなかった。
しかし、ここはギルムではなくエグジニスだ。
ゴーレムを作れる錬金術師達が大きな力を持っており、更には現在レイの前にいる男は腕利きの錬金術師。
そう考えると、男としては現在の状況に納得がいかないというのが、レイにも理解出来た。
とはいえ……だからといって、レイがそれを受け入れる必要もない。
「おい、聞いてるのか!」
そう言い、男はレイに向かって近付いて来る。
錬金術師としての腕は高いのかもしれないが、特に戦闘訓練を積んでいるとは思えないような歩き方。
相手の歩き方だけでその辺についての状況を理解することが出来るようになったことを感じつつ、口を開く。
「悪いな、聞いてなかった。もう一度言ってくれ」
「っ!? 貴様ぁっ!」
プライドの高い男にとって、これまでの自分の言葉が完全に無視されていたというのは、決して許されることではなかった。
苛立ちから、半ば反射的に拳を振り上げるが……
「言っておくが、やる気なら俺は最後までやるぞ?」
「……え?」
一瞬、本当に一瞬の間に、レイの姿は先程までいた場所から自分のすぐ横にまで移動しており、そう声を掛けられる。
決して目を離した訳でもなく、一瞬前までレイの姿をその目に捉えていたのだ。
にも関わらず、今は自分の横に立っている。
一体何が起きたのか、錬金術師には全く分からない。
それだけではなく、周囲で見物していた者の中でも腕に自信のある冒険者達にも、一体何が起きたのかが全く理解出来なかった。
周囲がざわめく中、レイの力の一端をその目で見て、ようやく男も興奮が静まったのだろう。
先程までとは違い、未知の存在でも見るような視線をレイに向けてくる。
「お前は……一体、何者だ?」
「……さて、何者だろうな。取りあえず落ち着いたようで何よりだ。後は、今回の一件の落とし前について話そうか」
セトを連れていたということで、深紅の異名を持つ冒険者であるというのを知っていてもおかしくはないと思ったのだが、どうやら男は自分のことを知らないらしい。
その状況に少し驚き、それでも特に気にした様子もなく話を続ける。
男はレイの言葉に不吉な何かを感じたのだろう。
慌てて助けを求めるように周囲を見回す。
しかし、男の護衛――あるいは取り巻き――はセトによって戦闘不能にされており、死んでこそいないもののレイを相手に出来るだけの力はない。
周囲で騒動を見ていた観客達も、この男の性格については十分に理解しているのか、助けに出るような者はいない。
……あるいは、レイがもう少し弱ければ、男がエグジニスでも有名な錬金術師ということもあり、手を出すといったような者もいたかもしれない。
しかし、レイの動きを見てしまえば、少なくてもここにいるような者達では手も足も出ないことは十分に理解出来た。
何より、冒険者である以上は異名持ちの冒険者についての噂を知ってる者も多く、セトを連れているという時点でレイが誰なのかを知っている者も多い。
「さて、悪いけど俺はこいつと話があるから、この辺で失礼する。俺に用事があったら……そうだな、また明日にでもギルドに顔を出すつもりだから、ギルドにいれば話せると思う」
本来なら、こういう時は自分の泊まっている宿を教えたりするのだろう。
だが、レイはまだエグジニスにやってきたばかりで、宿は決まっていない。
……アンヌから聞いた情報ではなく、エグジニスに住んでいるゴライアスから聞いた情報を重視した方がいいと判断したのが間違いだった。
そう思わないでもないが、そのおかげで自分に絡んで来た錬金術師……それもリンディの話からすると、技量という点ではかなり高い相手を確保することは、レイにとって幸運だったと言ってもいい。
(結果としては、プラスマイナスゼロってところか? ……いや、寧ろこの男を確保出来たのはプラスか)
エグジニスでゴーレムやマジックアイテムを購入するのが目的のレイだ。
そうである以上、当然だが腕のいい錬金術師と親しい関係になるのは利益となる筈だった。
……もっとも、今のこの状況で親しい関係というのは、レイからの一方的な思いではあったが。
「お、おい……私をどうするつもりだ!」
「さっきも言っただろう? 落とし前をつけて貰うだけだ。……リンディ、どこかいい店を知らないか?」
「いい店ってどういう意味でいい店なのよ?」
出来れば今の状況で自分にあまり話し掛けて欲しくない。
そんな思いで返すリンディに、レイは少し考えてから口を開く。
「少しくらい騒がしくなっても問題ないような、そんな場所がいいな」
少しくらい騒がしくなるという言葉に、錬金術師は何を想像したのか次第に顔色が悪くなってくる。
冷静になった今となっては、自分がどのような目に遭うのかといったようなことを気にしているのだろう。
だが、レイはそんな男の様子に気が付かず……あるいは気が付いても無視しているだけなのかもしれないが、そのような状況でも決して逃がさないとしっかりと服を掴んだままだ。
リンディは少し考え、取りあえずレイの様子からするとそこまで酷いことにはならないだろうと判断し、口を開く。
「向こう側にちょっといった場所に、食堂があるわよ。ただ、この時間だから結構混んでると思うけど」
夕方である以上、現在は多くの者が夕食であったり、宴会であったりを楽しんでいてもおかしくはない。
それでもレイにしてみれば、錬金術師は自分から飛び込んできてくれたという意味で、カモネギ状態だ。
そんな相手から色々な情報を搾り取り、あるいはエグジニスで一般には知られていないような情報を知るといったことを考えれば、多少の手間は問題ない。
(出来れば個室とかだといいんだが……ただ、個室のある店って基本的に高級店だ。で、この男は有名人らしいから、そっちから連絡がいっても困る。いやまぁ、この状況でもうこの男の家族だったり仲間だったりに連絡がいってないってことはないかもしれないけど)
そんなことを考えながら、レイは男を無理矢理掴んで絶対に逃がさないといった態度のまま、セトを呼ぶ。
「セト、行くぞ。こいつがお前に迷惑を掛けた謝罪の気持ちとして、奢ってくれるらしい」
「何ぃっ! ちょっと待て、誰もそんなことは……」
「言ったよな? それとも、セトに手を出した罪をその身で償いたいのか?」
「……ぐぬぅ……」
レイの言葉に、男は反論出来ない。
レイという存在が自分の想像を超えた化け物であるというのは、既に十分理解している。
そしてセトがどれだけ強いのかもまた、自分の護衛が手も足も出ずに倒されたのを見れば明らかだ。
そう考えると、ここで暴れるよりも大人しくした方がいいのか? といった風にも思えた。
今のところ、レイには自分に危害を加えるつもりはないらしい。
であれば、食事を奢る程度のことで今回の件が有耶無耶になるのなら、何も問題はない。
男は腕利きの錬金術師として有名であり、当然だが金に関しても決して困ってはいない。
レイやセトに食事を奢る程度なら、寧ろ安いものだ。
セトは身体の大きさからかなりの量を食べるだろうが、それでも高級料理店といった場所ではなく、一般人が普通に使っている場所なら……
そう思い、男はレイの提案を受け入れることにするのだった。