2657話
「では、これで失礼する。また機会があったら話そう」
そう言い、ニーグルはレイの前から去っていく。
エグジニスの中に入ってすぐのことだ。
ニーグルは前々からきちんと予定を立てた上で、エグジニスに来ると計画を立てていたのだから、泊まる場所もきちんと前もって用意してあるのだろう。
とはいえ、ニーグルは決して裕福ではない。
爵位も男爵と低く、本人も領民と共に泥に塗れて働くことも珍しくないような、そんな領主だ。
それだけに、泊まる宿も多少は奮発はするだろうが、それなりの場所となる。
正直なところ、レイとしてはそのような場所でもよかったのだが……それなりの宿となると、当然ながら厩舎もそれなりで、セトが入れない可能性がある。
それが、レイがニーグルと一緒の宿に泊まれない理由だった。
「さて、まずはどうするか」
「グルゥ?」
宿を探すんじゃないの? と、セトが喉を鳴らす。
そんなセトは、エグジニスの住人から多くの視線を向けられている。
当然の話だが、そのような視線を向けてくる者の中には邪な視線の持ち主もいた。
ランクAモンスターのグリフォンは、それこそもし手に入れることが出来たら一生遊んで暮らせるだけの値段で売れるのだ。
そのセトを従えているのがレイだとしても……それこそ、もしかしたらと考えても、おかしくはない。
レイやセトも当然のようにそのような視線については感じているが、まさか実際に手を出しておらず、ただ見ていただけで反撃するなどといった真似は、出来なかった。
……それはつまり、実際に手を出してきたら相応の対処をするといったことだったが。
「そうだな。まずやるべきことは幾つかあるけど……宿で部屋を取るか、ギルドに行ってゴライアスを始めとした、孤児院出身の冒険者を探すか。そのどっちかだな」
宿については、アンヌから高級な宿の情報を既に聞いている。
だが、アンヌ達が知っているのは、あくまでも人伝に聞いた情報でしかない。
ましてや、貴族や大商人が泊まるような宿となれば、その噂の中には願望の類が入っていてもおかしくはない。
だからこそ、この街で活動しているゴライアスからなら、もっと正確な情報を入手出来る筈だった。
あるいは、アンヌがまだ持っていないような、新しく建った宿についての情報を持っている可能性もある。
そのどちらにするか迷い……結果として、ギルドに行くことにした。
やはり、アンヌから聞いた情報よりも、実際にエグジニスで暮らしているゴライアスから情報を聞いた方が正確な宿の情報を入手出来ると判断した為だ。
もしここでアンヌから聞いた宿に部屋を取り、その後ゴライアスと接触して、よりよい宿の情報を聞いたりしたら、宿を移るのが面倒になると判断したのが大きい。
「となると、まずはギルドに行く必要があるんだが……どこだろうな」
ギルムには及ばなくても、街という規模ではなく、半都市とも呼ぶべき規模だ。
当然ながらその内部は広く、一目でギルドと分かるような場所は今レイのいる場所からは見えない。
ギルムもそうだが、ギルドはそれなりに奥まった場所にあるのだろう。
(モンスターの死体を運び込むといったことを考えれば、正門のすぐ側にギルドを用意した方がいいと思うんだが)
ギルムでは自分達では解体するのが難しいような……あるいは高価な素材を剥ぎ取れるモンスターを倒した場合は、荷車や馬車に乗せて死体をギルドまで運ぶこともある。
ギルムの住人にしてみれば見慣れた光景ではあったが、現在のギルムには増築工事の仕事を求めて大勢が集まっており、そのような者達は荷車や馬車でモンスターの死体が運ばれている光景を見て、驚くといった者も多い。
レイの場合はミスティリングがあるので、その辺の心配はいらなかったが。
(まぁ、そのくらいは俺でも考えつくのに、そうしないのにはもっと何か別の理由があるんだろうけど)
そんな風に思いつつ、取りあえず夕方近いので腹ごしらえでもするかと、幾つかあるうちの屋台に向かう。
これがギルムなら、ある程度の屋台の店主とは顔見知りなので、どの屋台で食べれば外れがないかといったことが分かるのだが、生憎とこのエグジニスは今日来たばかりで、どの屋台も初めてだ。
だからこそ、直感で最初に寄る屋台を決める。
「いら……」
レイの姿を見て、屋台の店主はそう声を掛けようとしたものの、レイの隣にいるセトを見て言葉が止まってしまう。
「心配しなくてもいい。このセトは俺の従魔で、人に危害を加えるような真似は……相手から危害を加えられるような真似をしない限り、安心だよ」
「お、おう。……ゴーレムなら見ることも珍しくないけど、こんな巨大なモンスターを間近で見たのは初めてだよ」
中年の男は、そう言ってセトをじっと見る。
……それでいながら、川魚と思われる魚の焼き加減を調節している辺り、熟練の技を感じさせる。
「俺にしてみれば、ゴーレムの方が珍しいけどな。……ああ、もしかしてあれもゴーレムか?」
周囲の様子を見ながら呟くレイが示したのは、蜘蛛をデフォルメしたかのような、そんなゴーレムだ。
高さはレイの膝くらいまでで、器用に足を動かしながら地面を歩いている。
「おう。あれはゴミ拾い用のゴーレムだな」
「ゴミ拾い用……?」
そんな用途はレイにとっても予想外だったが、実際に足を器用に動かして地面に落ちていた串……恐らく串焼き用の串を摘まむと、それを胴体に開いた穴に入れるのを見れば、納得するしか出来ない。
「ああ。エグジニスでは結構な数がいるぞ」
「へぇ……興味深いな。どのくらいの場所を掃除出来るんだ? 魔石とかの効率はどのくらいだ?」
ゴミ拾い用のゴーレムというのは、レイにとってもそれなりに興味深い。
ギルム全体とまではいかないし、貴族街全体も無理だろう。
だが、マリーナの家の敷地内であれば掃除をするには十分な性能を持っているように思える。
マリーナ達へのお土産としては、そう悪くはないと思えた。
「掃除用のゴーレムか。あれは見習い達が練習用に作ってるのも多いから、買うとなると……正直どうだろうな。一応どこの店に行っても売ってるけど、作り手によって性能は随分と違う。当たり外れが多いゴーレムだぞ?」
「そういうのを、こうして適当に街中に出してもいいのか? というか、よく盗まれたりしないな」
例え見習いが作ったゴーレムであっても、こうして自由に歩き回っている以上、相応の性能を持っているのは間違いない。
であれば、そのゴーレムを盗むといったような真似をしてもおかしくはなかった
勿論、貴族や大商人であれば、わざわざリスクを負うような真似はしないだろう。
だが、エグジニスには普通の商人もいるし、錬金術師でも自分の技術力を上げる為に他の者が作ったゴーレムを解体するといった真似をしてもおかしくはない。
だというのに、レイが見ている限りではゴーレムは普通に街中を歩いては、ゴミを拾っていた。
「ん? ああ、その辺は心配ないらしい。俺は素人だから詳しい話は知らないが、とにかくゴーレムの登録を変更しないでエグジニスから持ち出すような真似をした場合、すぐに警備兵に連絡がいくらしいし、ゴーレムも動かなくなったり、場合によっては暴れたりするらしい」
「それは、また……便利な機能だな。まぁ、ゴーレムを売り物にしている以上、そのくらいは当然なのかもしれないけど。じゃあ、他の錬金術師がゴーレムを分解しようとしたら?」
「そっちについても、問題はないらしい。理由は分からないが、とにかくそういう真似は出来なくなっている」
「そういうものなのか」
レイとしては、その辺についてもっと詳しい事情を知りたかったのだが、専門家でもない人物にゴーレムの詳細な仕組みを聞いても、分かる筈がない。
レイも日本にいる時は、TVや冷蔵庫、エアコン、ゲーム機……それ以外にも様々な機械を使ってきたが、それを使えるということと、仕組みを理解しているというのは違う。
その辺の事情が理解出来ていたからこそ、屋台の店主の言葉を理解出来たのだろう。
「ああ、ゴーレムについてそこまで詳しい奴なんて、それこそエグジニスの中でも一握りの者だけだよ」
「分かった。ああ、それとギルドがどこにあるか教えて欲しいんだが」
そう言い、屋台の店主からギルドのある場所を聞く。
情報料として追加で幾つかの魚の串焼きを買うと、ギルドに向かう。
「グルルルゥ」
魚を美味そうに食べながら、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、魚の骨であっても容易に砕いて食べることが出来る。
焼き魚特有の香ばしさと、塩が振られたパリッとした食感の皮、そして背骨……全てを存分に味わい、上機嫌に街中を歩く。
そうして店主から教えて貰った方に近付くと、冒険者らしき者の数が増えていく。
現在が夕方に近い以上、仕事を終えた冒険者がギルドで報酬を受け取る為に向かっているのだろう。
当然だが、レイとセトはそんな冒険者達にとっても注目の的だ。
ただし、注目を浴びつつも絡んでくるような者はいない。
実際には冒険者の情報に疎い、それこそ冒険者になったばかりのような者達が小柄なレイの外見だけを見て絡もうとする者もいたのだが、他の冒険者達に止められている。
レイが敵対した相手は、貴族であろうが容赦せずに攻撃するといったような情報は、その過激さ故に多くの者が知っていた。
貴族に対してですら、そのように攻撃するのだ。
そうである以上、冒険者が敵対したらどうなるかというのは、考えるまでもないだろう。
そうした視線を浴びつつ屋台の店主に教えて貰ったギルドに到着する。
多くの冒険者が建物の中に入ったり出たりしているのを見れば、ここがギルドだというのは明らかだった。
「セトはここで待っててくれ」
「グルゥ」
いつものように、馬車の停車スペースにセトを残し、レイはギルドの中に入る。
当然の話だったが、夕方である以上はかなり混んでいた。
混んでいたのだが……ここ最近のギルムのギルドを知っている為か、混んでいるというのは理解出来ても、そこまでではないといった印象を持つ。
ギルムのギルド……それも夕方ともなれば、そこはまさに寿司詰め状態という表現が相応しいような、そんな状況だ。
そんなギルムのギルドに比べると、現在レイの視線の先の光景は、それなりに動き回れる空間がある分、空いているようにすら思えた。
「さて、後の問題はどうやってゴライアスを捜すかだけど」
「え?」
呟いたレイの言葉に、そのすぐ側を通ってギルドから出ようとしていたパーティのうちの一人が、そんな声を上げる。
当然だが、レイの側でそんな声が聞こえれば、レイもそちらに意識を向ける。
そしてお互いの目が合うと、まず最初に声を上げた方……二十代程の女が口を開く。
「ねぇ、君。今ゴライアスさんの名前を言った?」
レイがアンヌから聞いた話によると、ゴライアスというのは男だ。
だが、レイに話し掛けてきた相手は女。
その時点で目の前の女がゴライアスではないというのは理解出来たが、それでもゴライアスの名前をレイに聞いてきたということは、知り合いではあるのだろう。
そう判断し、レイは頷く。
「ああ。アンヌって知ってるか?」
「アンヌさん!? え? ちょっと、君一体どういう人? 孤児院から新しく来た人? でも、孤児院に君みたいな子はいなかったし……」
その言葉で、レイは目の前の女がどのような人物なのかを理解する。
恐らくはゴライアスと同じく、あの孤児院出身の冒険者なのだろうと。
「ちょっと孤児院の連中を助けてな。その時にエグジニスに向かっているって話をしたら、ゴライアスという人物への手紙……というか、紹介状を書いて貰ったんだ」
「え? あの村からエグジニスに……? それって、一体どうやって?」
孤児院のある街から先は、行き止まりとなっている。
だというのに、レイがこのエグジニスに来る前に孤児院のある街に寄っていたというのが疑問だった。
「空を飛んでな」
「……はぁ?」
完全に理解出来ないといった様子を見せる女。
当然だろう。普通に考えて、空を飛ぶといったような真似が出来るものは……それこそ、ワイバーンに乗るような竜騎士くらいしか思いつかない。
だが、女から見てレイはとてもではないが竜騎士のようには思えない。
「……話、聞かせてくれる?」
ゴライアスやアンヌの名前が出てきた以上、ここでレイを放っておく訳にはいかない。
そう判断した女は、パーティメンバーに断ってレイを引っ張り、ギルドに併設されている酒場に連れていくのだった。